第五話 帝国の皇子(おうじ)

 ヴォルドノヴァ帝国の帝都、ジリス・ノヴァ。

 その都は山脈の連なる大陸北方において、唯一と言っても良いくらい広大な平地に建設された城塞都市である。


 かつてこの都は王国より派遣された総督の居館であり、同時に北方に住む人々のおびただしい血の染みこんだ土地である。

 この都を建設するにあたり、周囲の森を切り開き、山より石を切り出す過酷な作業を、王国より強いられたのだ。


 古来より北方の民は、独立心が強かった。

 王国の都から遠かったということもあり、おこれまで王国に対して幾たびもの反乱を起こし、数多あまたの血が流れ続けても尚、独立心はいささかも鈍ることがなかった。


 だからこそ王国より爵位を受ける数少ない現地の有力貴族、ヴァルドノヴァ辺境伯こと、コルドス・ド・ヴァルドノヴァが反乱を起こした際には多くの人間がその麾下きかに馳せ参じたのである。


 辺境伯は代々、王国より派遣された総督の補佐役を務めており、王国軍の軍事力や将校たちの能力を把握し、彼らが弱者にしか力を震えないことを把握していた。


 コルドスは総督および軍高官たちの首を刎ね、意気揚々と独立を宣言したのだ。


                 ※※※※※


 帝都ジリス・ノヴァに設けられた、皇帝の居館、アリウス宮内の深緑の美しい庭園。


 そこでは、女官たちによる朗らかな弦楽器の演奏が行われている。

 美しく伸びやかな音に耳を澄ませるのは、見目の麗しい青年であり、彼の傍に仕える側近たちである。


 青年は、蜂蜜色の癖毛に、やや垂れ目な瞳は翡翠にのように美しい緑色。

 肌はすべやかで、北方の人間が総じてそうであるように色白。

 人が良さそうな顔立ちをしている。

 男であるよりも、女性のまとうローブをまとう方がよほど似合っていると思えるような顔立ちだった。


 名を、シメオン・ド・ヴァルドノヴァ。

 帝国の皇子おうじである。


 皇帝、コルドスの一粒種であり、彼が老いてから生まれたこともあり、

かなり甘やかされて育った。


 粗暴なところはないが、戦争や政治よりも音楽や観劇を好む芸術家肌だった。


 演奏が終わると、シメオンは手を叩く。

「みんな、見事だった。褒美を……」


 側近の一人が金貨のたっぷり入った袋を下げ渡す。


 女官のリーダーは恭しくそれを押し頂き、下がる。


 笑顔でシメオンは辺りを見回す。

「さて、次は何をしよう……。

船遊びでもしようか」


 側近の一人、軍人のレカペイスが言う。

「殿下、今は池は凍っております」

 彼は、シメオンの幼い頃からの側近の一人だ。

 軍人一家に生まれたレカペイスはその聡明さを買われ、側近に任命されたのだ。


「ああ、そうか。

これだから北国は……早く父上が南方を征服して下されば良いのに。

今の王国など一ひねりだろうしに……。

そう言えば、今の王も観劇に入りびたりらしいね。会って話せば、さぞ、話が合うかもしれないのに」


 レカペイスは言う。

「殿下。であれば、お勉強を。

軍事に政治と学ぶべき事は山ほどございます」


 シメオンは側近の苦言の返事に、欠伸をする。

「必要ないさ。

どうせ、父上はまだまだ生きる。六十歳を越えてもあのお元気さだ。

それに父上のお気に入りたちがうるさいことを言うだろうし。

どうせ勉強しても意味ないさ。

だったら楽しいことをするべきだよ。ね、レカペイス」


 暢気なシメオンの言葉に、レカペイスを始め、側近たちは一様に顔を見合わせる。


 そこに、「殿下! 殿下ぁ!」と、嗄れた声が響いてくる。


 側近たちは一様に背筋を伸ばした。


 現れたのはひげ面につり目、という凶悪な異相を持った男である。

 帝国軍内において数少ない元帥げんすいの位を戴いただく、

 ゲルツェン・ヴォルヌスである。


 ゲルツェンはヴァルドノヴァ辺境伯家に仕える家柄で、コルドスの挙兵の際には先頭を切って、王国の総督に急行、その身柄を拘束したのだ。

 それからも帝国成立後には王国との数多の戦に参戦し、数々の勝利をものにした。

 それだけの信頼をもたれ、

 皇子であるシメオン誕生の際には傅役もりやくに付ふされたたのだ。


 シメオンの側近は総じて二十代と若い。

 そもそもシメオンがまだ十八歳なのだ。

 その中にあって、ゲルツェンは最年長だ。


 帝国において、誰もが尊敬する鬼軍人であるが、

小さな頃から見知ったシメオンはただのうるさいおっさんである。


 その能力や人柄に対しては全幅ぜんぷくの信頼はおいているが、

出来る限り留守であった方が嬉しい人物である。


 そんなゲルツェンは珍しく慌てている。


「陛下……あ、あのですなっ……」


 シメオンは金の杯に酒を並々注ぐと、傅役に差し出す。

「どうしたんだ。ほら、酒を飲んで落ち着け」


「い、いえ、結構で御座います!

それよりも玉座へ! 陛下がお呼びでございますっ!」


 シメオンは眉をひそめた。

 いつもの小言ならば、ゲルツェンはここまで慌てはしない。

「父上が?

……分かった」

 うなずき、レカペイスを供ともに、ゲルツェンの後に続く。


                  ※※※※※


 シメオンたちが玉座の間に足を踏み入れると、

 いつもは快活な、父皇帝たちのお気に入りの軍人たち(揃いも揃って老人揃いで、加齢臭でクラクラしそうだ)の表情がいやに真剣だ。


 さらに玉座に深く座る、皇帝コルドスも(シメオンの暢気ぶり以外には滅多に見ることのない)縦皺を深くしていた。


 赤い絨毯の敷かれた道をしずしずと進んだシメオンは片膝を折る。

「陛下。

皇子、シメオン。ただいままかり越しまして御座いますっ」


 コルドスは閉じていた目をゆっくりと開く。

 その灰色の眼差しにいられると、シメオンは実の父の面前でありながら目を伏せてしまいそうになる。

 それほどに目力が強い。


「我が愛しのシメオンよ。

お前は今何をしていた……」


 重々しい声に、「は、はい……」と声を絞る。

「……に、庭で――」


 コルドスの大音声が玉座の間一杯にこだます。

「この愚か者ッ!」


 シメオンはすぐに、今日の父はいつもと違うと察した。

 ここまで気が立ち、その怒りをシメオンに真っ直ぐぶつけてくる姿など初めてだ。

 シメオンは這はいつくばる。

「も、申し訳御座りません……っ!」


 しかしレカペイスが声を上げる。

「陛下!

殿下は常に国を思っておりますっ!

勉強も間もなく始めようと……」


「間もなく始めようと言う奴が、女官を集め、酒を飲むのか!

何の為にお前たちをつけていると思っているのだ!

酌しゃくをさせるためではないぞ!?」


 レカペイスは額を床に擦りつける。

「申し訳ございませんっ!

しかし、陛下……」


 長い髭を垂らした老将軍の一人が話を断ち切る。

「――陛下、そこまでに。

今はそれよりもやらなければならぬことが……」


 コルドスは鼻息を漏らした。

「そうであったな。

……シメオン。今、前線より知らせが参った。

我が軍が敗北した……」


 シメオンは驚きで、顔を上げてしまう。

「敗北?

……負けたのですか? お、王国軍に!?

我が軍の精鋭たちが!?」


「知らせによると、これまで把握してしたことのない騎馬隊によってたちまち戦況を一変させられたと言っておる」


「把握してない? 傭兵で御座いますか?」


「分からん。詳しいことは前線でも分かっておらんらしい。

だが確実なことは、我が軍が建国以来、初めて負けたということだけだ」


「そんな……」


「良いか、シメオン。

これからの戦況は先の戦いの敗北によって分からなくなった。

大陸統一は長引くかもしれん。

良いか。修練を積め。儂わしの代で統一が出来ぬ時には……」


「では陛下!

どうか、レカペイスをどうか、群議の末席におつけ下さい。

いつまでもこのような放蕩者のそばにいるよりもずっと、お役に立つはずですっ」


 コルドスは首を横に振った。

「レカペイスはお前の側近だ。

儂にはここにいる……精鋭たちがついておる。心配はいらん」


(精鋭? 

十年前であればいざ知らず、今は耄碌した年寄りどもじゃないか……)

 シメオンは唖然としながらも、「畏まりました」と引き下がらざるを得なかった。


                   ※※※※※


 さすがの暢気者のんきもののシメオンも、あんな話を聞いた後では酒宴に戻ることなど出来ず、ゲルツェンとレカペイスを連れて自室に戻った。


「ゲルツェン。今回のことで何か知っていることは?」


 ゲルツェンは表情を曇らせる。

「分かりません……。私も情報を集めてはおりますが、何も」


「今回の戦は、戦の古さのせいではないのか?

先鋒や戦い方が時代遅れだから……」


 ゲルツェンはさすがにそれは否定した。

「そんなはずはございません。それで負けているのであればもっと前に負けを喫きっしているはずです。

相手方が一枚上手だったとしか、今の所は……」


「父上は若い人間をもっと登用するべきだないのか。

私が皇帝になった時にはどうするんだ。私もあの老いぼれ共に助言を求めなければななくなるのか?

それとも連中は私の代には若い者たち、後進に道を譲るほどに控え目だろうか」


 レカペイスがなだめる。

「殿下、もう少し言い方を……。

あの方々は陛下と共に戦った祖国の英雄でございます」


 シメオンは表情を歪めた。

「分かっている……分かっているさ。

しかし、私は不安なのだ。分かるだろ。レカペイス……」


「殿下……」


 シメオンは重たい溜息を吐く。


「もう良い。二人とも、下がれ」


 突然降って湧いたような事態に皇子の懊悩おうのうは深まるばかりだった。

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