第1部 ラヴロン平原の戦い

第一話 王国と帝国

ラヴロン平原の戦いの半年前――。


 アリエミール王国の王都、リュエンスは王国内で最も反映した場所である。

 運河を引き込んだその街は、朝日を河を反射して黄金色に輝くことから、光輝の都とも呼ばれていた。

 しかしどの大都市でもそうであるように、華やぐ表舞台があれば、誰もが目を背ける暗部もまたある。

 光輝の都もその例外ではない。


 美しく着飾った人々、豊かな食料品の並ぶ随一の市場、目も眩まんばかりに輝く見事な宝飾品を扱う宝石店、カゴから溢れんばかりの食糧を扱う大型商店、人々に徳を説き、導くことを標榜する大陸随一の宗教組織の教会……。


 そんな素晴らしい存在の数々が並ぶ表通りから一歩、裏通りへ足を踏み込めば、その世界は一変する。

 舗装されずに放置されて所々に雨水の溜まった石畳、ムッと鼻をつく湿った異臭の漂う道々、人の懐の温かさを見抜くのに余念の無い住人、胡乱な人間たちの溜まる酒場どこからともなく響く女性の悲鳴、男の呻き、表の世界では決して通りで見ることの出来ない肌も露わな女性たち、中性的な容貌の少年たち……。


 これこそ王都の暗部。誰もが顔を背けて正視しない退廃の世界。

 常にどこかで誰かが争い、誰かが罵り、殺し合う。

 表の治安部隊も、ことが裏通りで収まる限りは決して介入しようとはしない。

 表には表の、裏には裏の秩序がある。


 そして今日の争いは、売春宿において生まれる。


 酒瓶や陶器の器が床で砕け、染みを広げる。

 テーブルがひっくり返される。

 物々しい気配に、順番を待っていた男たちは算を乱して逃げていった。

 女性たちが悲鳴を上げ、二階へと逃げていく。

 まだ最中だった男女がシーツを巻いた状態で部屋から顔を覗かせ、階下の様子を見下ろす。


 二人の男が対峙している。


 一人は若い、黒髪黒眼の青年。

 決して目立つような外見ではないものの地味な佇まいで、服ごしにも均整の取れたスタイルだと分かる。

 デイラン・ヴォルフ。

 最近、裏社会で頭角を現してきた十代を中心とした少年少女を中心としたグループのリーダーだ。


 それと対峙たいじるのは中年の男だ。眼光鋭く、捲った袖から覗いた腕は大木のように太い。薄いシャツごしにも筋肉ではちきれんばかりだ。

 ヴァイロフ。

 この売春宿を始め、いくつもの店を傘下に置く組織の幹部である。


 デイランがここを訪れたのはヴァイロフがいることを知ったからだった。

 この店はヴァイロフの馴染みにやらせている店なのだ。

 ここは組織の持ち物というよりも半ばヴァイロフの私有物。


 テーブルをひっくり返し、攻撃的に対応するヴァイロフは歯を剥き出しに、まなじりを決する。

「おい、クソガキッ! もう一度言ってみろッ!」


 デイランはあくまで冷静に対応する。

「……ですから、和解金を頂きたいと言っているんです。

そちらは我々の商品を傷つけた。彼女はうちの」


「商品だと!? ありゃ、混ぜ物じゃねえか!

それだけじゃねえ! あそこはうちの縄張りだっ!」


「知っています。だからウチはちゃんと上の人と話を付けて

キッチリ使用料――稼ぎの三割――を払うと約束を取り付けたんです。

あなただって知っているはずでしょう」


「ふざけるなっ! 何が使用料だっ!

上は納得しても、俺はしてねえっ! お前らみたいな奴らに

何かをやらせるなら、別の組にくれてやった方がまだマシだっ!」


 かたくなな態度のヴァイロフを前に、デイランは溜息を漏らす。

「では、どうやっても商品を傷つけた損害金を払っては頂けないと?」


 その時、扉が激しく音をたてて開いた。


 ヴァイロフは残忍な笑みを浮かべた。

「意気揚々と乗り込んできやがってバカがっ!

ここは俺たちの縄張りだってシラねえのかよ、ガキが!

二度と生意気な口が利けねえように叩きのめしてやるッ!

おい、お前ら――」


 店の中に入って来たのは二人の、固太りしたひげ面の男たち。

 おそらくヴァイロフのボディガード。

 しかし二人の顔はその体格からは想像が出来ないくらい余裕を失い、右側の人間なんて唇を切って血を垂らしている。


 ヴァイロフが困惑の表情を見せる。

「お前ら、何やって……」


 男たちの背後にはもう二人、人間が立っていたのはヴァイロフは見逃していたのだ。


 一人は女性。絹のように艶やかなセミロングの金髪に、エルフのように尖った耳に、宝石のように美しく、切れ長の目に、白い柔肌を持った女性。

 マックス。


 もう一人は小柄な体躯ながら、巌のように逞しい筋肉と、燃えるような赤毛をもった青年。

 同じ鍛えるでも、デイランのようなスマートさよりも、剥き出しの刃を彷彿とさせる鋭さと凶悪さが覗く。

 アウル。


 二人は店の中に入るなり、男たちの膝裏を蹴り、ひざまづかせた。


 マックスは男に子どもの腕くらいはありそうな大ぶりのナイフを突きつけ、

 アウルは片腕を男の首に回し、いつでも気道を圧迫できる態勢を取っていた。


 デイランはチラッと視線をやりながら言う。

「二人とも、遅刻だぞ。

このバカが暴発したら、この店がもっと壊れてたぞ」


 マックスが肩をすくめる。

「分かってる。アウルが叩きのめした方が早いとか言い出すから」


 デイランは横目で睨んだ。

「アウル。その二人は一応、役目上、このバカに従ってるだけだ。

下手に組員を穢させて面倒事は起こすな……まあ、遅かったみたいだけどな」


 アウルは苦笑する。

「悪かったよ。そっちの方が手っ取り早いって思ったんだ」


 デイランは仲間のやりそうなことに苦笑し、表情を引き締めてヴァイロフを見る。

「――で、どうする? 言っておくが、今回のこれも上には話を付けてある。

あんたから慰謝料が貰えない時はこの店をうちのもんにするって契約だ。

上も、あんたの頑固さや偏見には愛想がつきたらしい」


 ヴァイロフの顔が憎々しげに引き攣る。

「この混ぜ物どもがッ!」


 激昂したヴァイロフが拳を振り上げて殴りかかる。


 それを軽くかわしたデイランは足を引っかけ、ヴァイロフを転がした。

 ヴァイロフの巨体が倒れると軽く建物が揺れる。

 ヴァイロフが顔を真っ赤にして起き上がろうとするが、デイランはそれを許さない。


 膝を男の背に押し当て、素早く右手で男の首を反り返らせ、左手で逆手にもったナイフを喉笛へ押し当てる。


 デイランは囁く。

「これ以上抵抗するなら、首を掻ききる。好きな女と今生の別れがしたいか?」


 ヴァイロフは顔を怒りで真っ赤にするが、こぼれるのは呻きばかりだった。


 デイランは続ける。

「いいか。一日やる。とっととここから女どもを連れて出て行け。さもなければ賠償金を血であながってもらうぞ」


 デイランが刃先に少し力を加えると、少し出来た傷から血が滲む。


 そこにきてヴァイロフは、ようやくデイランの本気度を理解したらしい。

 血の気をたちまち引かせ、「わっ、分かった…」と声を漏らした。


 デイランはしかしすぐには刃を下ろさない。

「それから混ぜ物という言葉はやめろ。せめて、ハーフと言え。良いな?」

「あ、ああ……」


 ようやくデイランはそこでナイフをケースに入れて腰帯に収めると、立ち上がった。

 そして仲間たちに顎をしゃくり、撤収する。


 デイランは背後にマックスとアウルを従えて路地を歩く。


 アウルが言う。

「なあ、デイラン。良いのかよ。

うちの稼ぎ頭のロシェが殴られたんだぞ? あんな程度でよ……」

「怪我は軽い。痕は残らないって医者も言ってる。

あの程度で良いだろう。あっちの組織からは相応の見舞金はもらってるし、さらに所場代も得られてるんだ」


「でも、仲間内でも不満が出てるぞ?」


 デイランはうっすらと笑う。

「お前も不満か?」


「俺は信じてるさ! ずっと一緒にやっていったんだ。デイランがいなかったら、今頃、馬鹿やって死んでただろうし……でも、疑う奴らの気持ちも、分からないでもない……。あんたが長いものに巻かれて、金儲けに走ってるだけだって……。

あいつらは、俺ほどデイランを知らないんだ」


 マックスが呆れたように溜息をつく。

「アウル。言いたい奴には言わせておけば良いし、出て行きたい奴には出て行けば良い。

文句を言う連中はデイランに甘えてるのよ。

デイランの庇護に入ったお陰でどれだけ恵まれた環境にあるかって……。

私たちには目的があるのよ。忘れないで」


 アウルは唇を尖らせた。

「忘れちゃいないさ……でも……」


 デイランたちが入っていくのは酒場だ。

 と言っても、そこは潰れている。それをデイランたちが本拠として利用するために買い取ったのだ。


 ただ手は入れてある。一階や二階には何もない。

 本当に大切なものは新しく設けた地下にある。その出入り口は巧みに擬装されているから敵対組織に踏み込まれてもまず、露見することはない。

 これを作るためにわざわざ街の外から高い金を払って大工を雇ったのだ。


 地下に執務室として使っている部屋がある。

 ランプに火を付けると、橙色のきらめきが部屋を照らし出した。


 そこには、デイランたちが管理する品目についてのあれこれがかかれた紙が貼り付けられ、机の上にも書類が散乱している。


 デイランは請求書の一枚をアウルへ見せる。

「ほら」


「何だよ?」


「請求書だ。武器や防具、馬のな。今は王都に届いて保管してある」


「マジかよ!」


 マックスは微笑む。

「言ったでしょ。だから金はいくらあっても足りないのよ」


 アウルは満面笑顔になる。


「で、雇い主は!?」


 デイランは顔をしかめる。

「貴族ども打診を送ってるんだけどな……」


「いないのか!?

俺たちの凄さをちゃんと宣伝してるんだろ! あっという間に闇社会にのし上がってきた俺たちの……」


「連中からすれば必要なのは戦闘における勝利の実績なんだろうさ。

そりゃ雇おうって連中はいる。

他の有象無象の傭兵連中と十把一絡じっぱひとからげ、でな……。

だが同列には扱われたくない。その為には相応の条件じゃないとな。

そうじゃなきゃ命をかける意味がない。はした金でみんなを死地へは向かわせられない」


 アウルはうなずく。

「そうだよな。ちゃんとまともな雇い主じゃなきゃな」


 マックスは目を向ける。

「だから反対を言う奴らにあんたが、影響されちゃ駄目なのよ。分かった?」


「分かってるさ。……ったく、ちょっと飲みに行ってくるっ!」


「騒ぎを起こさないようにねっ」


「分かってるさ」

 アウルが部屋を出て行く。


 デイランは顔を上げ、マックスを見る。

「どうした?」


「一つ聞きたいんだけど」


「何だ?」


「王国側に付くって本当に良い訳?」

 

 マックスは壁に貼り付けられている、

 ゲイツラント大陸の地図を眺める。


 ここ、アリエミール王国は南方に広がる大国。

 当初は大陸のほとんどを掌中に奥ほどだったが、十年前に異変が起きた。


 北方において領土を持っていた、ヴァルドノヴァ辺境伯が反乱を起こした。

 当初は一月以内に収まるかに見えた内戦も、ヴァルドノヴァ辺境伯は電撃的な速攻により北方を制圧し、鎮圧軍をことごとく退けた。

 やがてヴァルドノヴァは帝位に就く。

 成立したのがヴァルドノヴァ帝国だ。

 帝国の進撃は熾烈だったが、王国側はどうにかこうにか中原に横たわる大河、ホーレイン河にで食い止めた。

 現在はその河が国境線であり、帝国側の侵攻を食い止める防波堤にもなっていた。


 ここ数年、突発的ないざこざはあったものの、戦争というほどではなかった。

 しかしここ数年帝国側の軍の動きがあった。

 近々、再び大規模な動きが起こりつつあった。


 それというのも、二年前にメントリ王が四十八歳の若さで病に倒れて崩御した。

 子どもがいた為、すぐに新王が即位したものの、若干十七歳。

 政治は高位貴族たちによる合議制で進められているが、帝国が未熟な新王即位の機会を逃すはずはないのだ。

 勇猛果敢なメントリ王ほどの統率力を、十七歳の青年王が持ち合わせている訳もない。

 もし親譲りの器があれば、合議制を認めるはずもない。

 心ない者は、今の代で王国は滅びると言う声も決して少なくない。


 マックスはあくまで現実的だ。

「王国を率いるのは若干、十七歳の王様よ?」


「俺たちと同い年だ。だろ?」


 マックスの顔がランプの明かりに照らし出される。肌はその静謐せいひつな湖面のように美しい瞳が輝く。

「ねんねな王様に、周りの貴族を統率する力はないわ。知ってるでしょう?

宮廷の権力は重臣たちが仕切っているのよ。今の王は飾りよ?

噂じゃ歌劇場に入り浸りらしいわよ?」


「正直な話、悩んだよ。でも今の帝国は誰が見ても日の出の勢い。

尻馬に乗った所で帝国は俺たちの真価を理解するとは思えない。

……領土を与えるなんてことは、まずあり得ないだろうさ」


「そうだったわね。選択肢はないのよね。

そうかと言って、私たちには次を待つほどの余裕はない」


「そうさ。王国が滅べばどのみち俺たちは居場所を失う。

帝国に味方したところでただの使い捨て。

危機である時こそ最大の好機が眠る――俺達が王国側に味方して戦勝をもぎとれば、俺たちの価値はうなぎ登り」


 マックスは意地悪な顔をした。

「私たちを雇う好き者がいれば、ね」


 デイランは苦笑する。

「……まあそうだな」


 マックスは口角を持ち上げる。

「意地悪を言うつもりはなかったのよ」


「分かってる」


「あなたの判断に従うわ。――他の誰かが見捨てても」


「ありがとう」


「飲みに行く?」


「いや。やることがある」


「そう。じゃあまた明日」

 マックスは微笑んで、部屋を出て行った。


 足音が聞こえなくなるとデイランは椅子を引き出し、どっかりと座った。


(この世界で目覚めて十七年も経ったのか)

 デイランは――斎木成彦はしみじみと考える。


 生まれ変わりと言うのか、それともここは地獄なのか――。


 どちらにせよ、成彦は二度目の人生を歩んでいた。

 前世(便宜上そう言うが)の記憶ははっきりとあった。

 繁華街で拳銃で弾かれ、意識が飛ぶその瞬間まで、何もかも。


 デイランと名乗る成彦は捨て子だ。

 親は貧しく、デイランの誕生は迷惑以外の何者でもなかった。


 ドラマに出てくるような展開で孤児院の前に置き去りにされ、そこで過ごした。

 しかしそこは地獄だった。

 ここの世界と比べると、前世の少年院の方がまだ手厚い。

 管理する人間は横柄で傲慢。生きていられるだけありがたいと思えとばかりの態度に、食事は掌ほどのパンと塩を利かせ、野菜くずが入っているかどうかの水のようなスープ。

 それが一食だ。

 ここで過ごすことは衰弱してゆっくり死ぬだけだ。

 デイランは孤児院を飛び出した。

 一人ではなかった。

 孤児院には数十人の子どもが常にいた。

 そんな中で親しくなったマックスとアウルと共に脱走した。

 二人は人間ではなく、それぞれエルフ族と人族、ドワーフ族と人族とのハーフだった。

 この世界は血が混ざることは何よりも穢らわしいこととされているらしかった。

 混ぜ物、合いの子……。

 侮蔑の言葉は数々ある。

 人間よりも、エルフやドワーフほど混血を嫌う。

 つまりハーフには行き場所などない。生きている限り忌み嫌われる。

 

 一つ幸運だったことは王都で捨てられたことだ。

 他の場所であればとうにのたれ死んでいたかもしれない。

 仮にも王都だ。物資は溢れるほどあり、富が集約した。

 うまく盗めば、腹は満ちた。

 そうするウチに裏社会で過ごすようになった。

 同じような境遇にある同年代たちたちと時に協力し、時に衝突し、時に殺し合った。

 

 世界は違っても、人そのものの生き方はそれほど変わらない。

 やくざとして過ごしてきたことが大いに役に立ち、この世界でも気づけば舎弟のような連中を持つ身になっていた。


 デイランが立ち上げた組織は、売春やスリ、盗品売買などに進出し、大きな勢力に睨まれる程度には成長した。

 もちろん抗争はあった。それに前世に比べればそれはもっと激しかった。

 何せこの世界では法律はあれど、あくまで表の世界に通じるものに過ぎず、基本は自力救済だ。誰も助けてくれなければ、手も差し出してはくれない。

 それでも理解出来る共通言語――金があった。

 時に血みどろになり、仲間を失い、時に金銭で解決を図り、大きな組織の狭間で潰そうにも潰しにくい立ち位置を獲得した。

 今やデイランたちの組織は緩衝材だ。なくなれば、裏社会は一気に血にまみれる。

 金持ち喧嘩せずの原理そのままに、大きな組織はデイランたちを容認した。


 そんな過酷な世界の中で、デイランにはある夢が芽生えた。

 いつか自分たちみたいな半端者が暮らせる世界が欲しいと。

 前世では何をしようが、やくざもんのレッテルが張られた。

 でもこの世界では?


 この世界のことを知れば知るほど事態は流動的だ。

 国が容易に滅びるかもしれないし、おこせるかも知れない。


 そうして計画したのが傭兵稼業だ。

 活躍することで領地が得られるかもしれないし、名を売ることが出来ればより大きな勢力に信認される。それは商売においてもアドバンテージになる。


 が、売春稼業の乗客である貴族の伝手を頼った結果は散々だった。


(さて、どうするかな……)

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