Abril(アブリル:四月)

第1話 春を蔑する人

 その男は、春が嫌いだった。

 冬が終わりに近づくにつれ、周りが春の足音を喜ぶ中、いつも憂鬱な顔をするのが彼の常である。

 理由はさほど複雑では無い。

 ひとえに……彼が花粉症だったからである。


 あぁ、今日も憂鬱だ。

 男は今日もため息をつく。


 世の中になんで花粉症なんてものがあるのだろうか?

 いっそ、杉も檜も全て焼き払ってしまえばスッキリするのに。


 ……世の中に、絶えて花粉の無かりせば、春の心はのどけからまし。

 男が暇つぶしにそんな狂歌をスマートフォンの画面に打ち込んでいると、不意にメールが届く。


『ごめん、急用が出来てそっちに着くのが遅くなりそう』

 中身を開くと、そんなふざけた内容が記されている。

 いい加減にしろ! よりにもよって待ち合わせ場所を屋外にしたうえに遅刻だと!?

 ――もうこんな花粉の飛び交う場所で30分も待っているんだぞ? 連絡するなら、もっと早くしてこいよ!


『もういい。 帰る』

 怒りに任せてそうメールを打ち込むと、男――奥里おくざと 大守ひろかみはため息をついてから送信のボタンを押した。


 あの女とはこれまでかもな。 どうせ最初から本気の恋じゃなくて遊びの関係である。

 クリスマス前の合コンからそろそろ四ヶ月。 お互いの話題もつきて、相手をするのにも飽きてきた頃だ。

 彼女との関係に、これ以上こんな場所で待つほどの価値は無い。


 あぁ、くそっ、ムズムズしてきた。

 どうやら花粉がまぶたの中に入ったのか、目が痒くて仕方が無い。

 大守ひろかみがたまらずに目をこすると、涙がポロリとこぼれた。


 その時である。

「あの……何か悲しいことがあったんですか?」

 小鳥が囀るような愛らしい声に目を開くと、滲んだ視界の向こうで小柄な女性が心配そうに自分を見ている。

 あぁ、たしかにこの状況からすると、メールに何かショッキングな事が書いてあったかのようにも見えるだろうな。


「あぁ、目が痒かっただけだから……」

 大守ひろかみは恥ずかしそうにそう告げ、ふと気付く。

 

「……かわいい」

 ようやくクリアになった視界に映ったその女性は、一言で言うと漫画の世界から抜け出してきたかのように愛らしかった。

 ふわっとした感じのショートヘア、くりくりとした目、小動物を思わせる顔立ちといったところまで、大守ひろかみの好みどおりである。

 そう、あえて何かにたとえるならば、愛玩用の子ウサギに似ているだろうか。


 そして一見すると女子高校生のようにも見える顔立ちだが、服装とその着こなしは完全に大人の女性のものだ。

 そのギャップが、実にいい。 いや、それだけじゃない。 今まで合った女たちと彼女は、何かが違う。


 ――彼女が、ほしい。

 一目ぼれと言う言葉が脳裏に浮かぶと同時に、大守ひろかみの狩人としての本能にカチッとスイッチが入る音がした。


「ありがとう。 心配してくれたお礼をしたいんだけど、いま時間あるかな……」

 使い慣れた好青年の皮をかぶって話しかける大守ひろかみだが、その台詞を言い終わる前に彼女はニコリと微笑んだ。


「じゃあ、私行くところがあるんで。 お大事に」

 そして笑顔の下に拒絶を匂わせたその女性は、そっけなくきびすを返して立ち去ってしまったのである。


「え……いっちゃうの?」

 自慢でしか無いが、大守ひろかみはモテる。

 やや面長で彫りが深く目鼻立ちのくっきりとした顔立ち。 身長も190センチ近くあり、芸能プロダクションからしょっちゅうスカウトを受けるほど容姿には恵まれている。

 さらに安定した高収入の仕事についているとなれば、女性が興味を示さないはずがなかった。

 誘った相手に拒まれたこともなければ、合コンの帰りに一人でいたというような事もついぞ記憶には無い。


 だが、目の前の女性はそんな大守ひろかみにまったく興味をしめしてくれなかった。

 そのそっけなさが、逆に大守ひろかみの心に火をつける。

 なんだよ……なんだよこれ!? ――嫌だ、絶対に逃がさない! 彼女は俺のものだ!!

 

「あ、ちょっとまって、 せめて名前だけでも……」

 そう言いながら名詞を出そうとしたその時だった。

 ゴォッと低い音とともに春特有の強い風が吹き、周囲の花粉が舞い上がる。


「ふ……ふぁっ……ふぁっ……へぶしっ!!」

 風にのって運ばれてきた花粉が鼻にはいったのだろうか、大守ひろかみはその刺激に耐えられず、クシャミを繰り返した。

 ついぞ他人に見せたことは無い、実に無様な姿である。

 そしてなんとかクシャミが治まった頃には……彼の獲物は跡形も無くその姿を消していた。


「え……そんな!? いったいどこへ?」

 あわててその近くにある店の中を覗き込むが、彼女の姿はどこにもなかった。

 そして肩を落とした大守ひろかみが、呆然と彼女の消えた方向……ぴったりと壁通しがくっつきあったビルの境目のあたりを眺めていたときである。


「ごめん、待った……って、大守ひろかみまた花粉症? 涙でてるよ」

 後ろから、待ち人だったはずの女性が聞こえてきた。

 どうやら送ったメールは見てくれなかったらしい。


「ちょっと……悲しい事があったんだ」

 力なくそう呟きながら、彼は心の中で叫ぶ。

 やっぱり春なんて大嫌いだ!

 彼は無意識のうちに自分の胸に手を当てると、そこに燻ぶる熱と不可解な痛みに顔をしかめた。


 それが彼の……今まで自分から恋をすることの無かった男の、本当の意味での初恋だとは知らずに。


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【解説】

 春の憂鬱……というと、かなりの人が花粉症を思い浮かべるのでは無いでしょうか?

 やはり春の体調不良と言うならば、花粉症を避けて通る事はできません。

 今回は、この最悪な体調不良について解説したいと思います。


 まず、漢方では病気の原因を外因、内因、不内外因の3つに分けます。

 さらにその中でも外因……主に気候の変化などによる要因を邪気として扱い、ふうかんしょ湿しつそうの6種類に分類しており、これをまとめて六淫(りくいん)と呼んでおります。

 そう、我々が風邪かぜと呼んでいるものは、このなかの風の邪気による体調不良のことなのです。


 漢方における花粉症とは、火・土・金・水・木の五行思想のうち【金行】の異常にあたります。

 器官で言えば鼻・皮膚・髪。

 臓器ならば肺。

 さらにはらわたの中では大腸が金行にあたり、これらの部分のコントロールこそが花粉症への対策の大きな鍵となるのです。

 花粉症でお悩みの方ならば、おそらくこの関連性に大きく心当たりがあるでしょう。


 さて、ここまでの知識を前提として少し細かく説明すると、まず花粉は【肺】の機能を低下させます。

 すると肌が弱って自然界の湿の邪気や熱の邪気が入り込み、皮膚が熱によって赤くはれ上がったり、湿気によって蕁麻疹が出るのです。

 そして【肺】に熱の邪気がたまると、その影響で鼻の粘膜がはれ上がって鼻づまりに、そして湿った邪気がたまると鼻水

という症状が引き起こされます。


 さらには【肺】の機能低下は同じ【金行】である大腸の働きも阻害し、便通が悪くなります。

 すると、大腸の中の細菌のバランスが崩れ、体全体の免疫機能までもがおかしくなってしまうという……すくいようのない悪循環が繰り返されるのです。


 では、どのような食品がこの悪循環を止めてくれるのでしょうか?

 方向性としては表皮と粘膜をつかさどる【肺】の機能を中心に【大腸】も整えてくれる【金行】の食べ物……【辛】の属性の食べ物がよいということになります。

 さらに湿邪や熱邪を払うものであれば申し分ありません。

 ただし、ご存知の通り【辛】の属性のの代表格であるスパイス類はアレルギーの大敵。 これがアルコール……特にワインと一緒に消化されると地獄に向かって一直線です。

 つまり、刺激性の少ない【辛】属性の食べ物……ハーブ系の食べ物がお勧めと言うことになります。

 なお、その代表であるミントを使うならば、ミントポリフェノールを含むペパーミントをご利用ください。

 よく売っているスペアミントでは、効果が期待できません。

 特にお勧めなのは紫蘇しそです。 紫蘇にはポリフェリノールが含まれ、目や肌の痒みの原因となるヒスタミンの発生を抑える働きがあります。

 さらにα-リノレン酸も含まれており、これが体内でEPAやDHAという物質となり、もう一つの花粉症を引き起こす化学物質ロイコトリエンの生成を抑えてくれます。

 なお、EPAやDHAについては、青魚を食べることでも摂取可能です。


 そしてもう一つお勧めなのがヨーグルト。 いわずと知れた腸内環境の救世主ですね。

 本来、花粉症に乳製品はご法度なのですが、ヨーグルトだけは別です。

 ただし、砂糖を入れるのは、症状が悪化するのでやめましょう。

 甘さが欲しいときはハチミツをお使いください。


 油に関しては、リノール酸が少ないオリーブオイルとえごま油は問題なく使用できます。

 この二種類の油には、むしろ花粉症を抑える効果があります。


 そして最後に一つだけ注意点を。

 花粉症にかかった場合は、トマトは食べないほうが無難です。

 特に生のトマトには花粉症を悪化させる働きがあり、どうしても食べたい時は熱を加えて。

 できれば加工用のものをお使いください。

 なお、春の花粉症には杉・檜以外の花粉症もあり、これらの症状の場合はフルーツの類も避けた方が良いでしょう。


 それらも踏まえると、この時期の花粉症を悪化させる可能性があるのは以下の食品になります。


 ライチ、リンゴ、モモ、ナシ、ビワ、サクランボ、キウイ、

 洋ナシ、スモモ、アンズ、オレンジ、マンゴー、

 イチゴ、メロン、スイカ、キュウリ、ダイズ(主に豆乳)、

 マスタード、ゴボウ、ヤマイモ、

 アボカド、ヘーゼルナッツ、クルミ、アーモンド、ピーナッツ、

 ニンジン、セロリ、ジャガイモ、トマト


 さて、こうして並べてみるとなかなか制限が多いですね。

 この複雑な条件下で、今回はいったいどのようなメニューが出てくるのでしょうか?


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦


 一方、大守ひろかみの前から姿を消した女性――ミユはと言うと、いつものように異世界にあるバルへと足を伸ばしていた。


「マスター! おなかすいたー!!」

 その瞬間、ドアの向こうからゴォォォォォォォォォッと派手な音とともに紅蓮の炎が吹き荒れる。


「きゃあぁぁぁぁぁぁ!?」

 荒れ狂う炎はミユを容赦なく包み込み、周囲には焦げ臭い臭いが立ち込めた。

 まさかの大惨事!? と思いきや……。


「ミユ! 花粉をつけたまま店に入るなって、何度言ったらわかる!!」

 そして店の中から、ユウイチロウの怒鳴り声が響き渡ると、ミユを包んでいた炎がサッと消え去り、炎の消えた後から焦げ跡ひとつないミユの姿が現れる。

 何の事はない。 先ほどの炎はミユの体についた花粉を焼き払うためのものだ。

 さて、花粉を払うだけならば風を起こすなりすれば済むはずなのだが、なにゆえユウイチロウはここまで過激な方法を取ったのか?


「いいか、この時期は店に入る前に髪と服についている花粉を叩き落とせ!」

「えへへ、ごめーん。 そっか、マスターも花粉症だもんね」

「お前だって潜在的には花粉症なんだぞ? 誰のおかげで発症しないですんでいると思ってる」

 むろん、ユウイチロウが涙ぐましい努力でミユの食生活をサポートしているからである。

 花粉症の対策として、食生活の管理はとても有効なのだ。


 腰に手をあて、憤懣やるかたないといわんばかりのユウイチロウだが、ミユはどこふく風とばかりに笑いながらカウンターに座る。


「それはそうと、おなかすいたから何か作ってよ。 花粉症対策の奴がいいな」

「しょうがないな……いつもの奴作ってやるからしばらく待ってろ」

 説教の無意味を悟ったのか、ユウイチロウは諦めたように肩を落とすとのろのろとした足取りで厨房に帰ってゆく。

 どんな地頭も一撃で葬り去るユウイチロウだが、泣く子と花粉と腹の減ったミユにはどうにも勝てそうにない。


 

「あのね、マスター。 さっき泣いている男の人を見たから声をかけたんだけどさぁ」

「お前な、あれほど知らない男に声かけるなって言っただろ! 可愛い顔しているんだからもっと危機感を持て!」

 ミユの言葉を耳にするなりクワッと牙をむいて振り返るユウイチロウだが、その恐ろしげな顔を向けられたミユはひどく嬉しそうだった。


「え、かわいい? ふふっ、もう一回いってくれる?」

「やかましわっ! なんで俺がそんな台詞何度も……黙って待ってろ、この腹ペコ娘!!」

 ――わかってないなぁ。 人の顔ならばおそらく青筋を立てているであろうユウイチロウを見ながら、ミユはぼそりと呟く。

 可愛いって言葉はね、どうでもいい人にいわれても嬉しくないのよ?


「ん? 何かいったか?」

「ううん、なんでもない。 おとなしく待っているから、おいしいのをお願いね」


 今日も厨房には、香ばしい料理の匂いと微妙に甘ったるい空気が流れる。

 外に吹き荒れる花粉の脅威など、遠い世界の話であるかのように。


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【花粉症避けのフィデウア】

 さて、今回紹介するフィデウアを端的に言うと、米のかわりにパスタを使ったパエリアです。

 材料となる白身魚もニンニクもサフランも青紫蘇も、全て花粉症に効果のある食材です。

 そして白身魚の中でも、この時期はやはり鯛がお勧め! 体の余分な水分を取り除くことで鼻詰まりの原因である湿邪を放逐します。

 ただ、高いお魚なので、アラの部分を使ってスープにするのが個人的にお勧めです。

 ※本来のレシピと違ってアレルギーを考慮してトマトは使用しておりません。

  トマトを入れる場合は20g。 摩り下ろすかトマトソースをご利用ください。

  また、サフランが苦手な方は、省いても十分においしいです。

 ※お好みでエビやシーフードミックスなどを入れてもおいしいと思います。

  その場合は、あらかじめ焼き目をつけておきましょう。


 材料:

A.フュメ・ド・ポワソン(魚のスープ)

 白身魚のアラ(この時期は鯛がお勧め)………1パック

 塩…………………………………………………適量

 水…………………………………………………400cc


B.アリオリソース

 にんにく…………………………………………1片

 生姜………………………………………………小さじ1

 青紫蘇……………………………………………5枚

 オリーブオイル…………………………………大さじ1


 スパゲッティ(2センチほどに折ったもの)……100g

 白身魚の切り身…………………………………60g

 タマネギ…………………………………………1/2個

 にんにく(みじん切り)…………………………1片

 パプリカパウダー………………………………小さじ1

 サフラン…………………………………………ひとつまみ(0.1g)

 青紫蘇(仕上げ用)………………………………5枚

 塩…………………………………………………少々

**********

 ★まずは魚のスープを作ります。 面倒な方は、大きく味がかわりますが顆粒の出汁400ccで代用してください。


1.魚のアラに何べん無く塩をまぶして10分ほど(できれば30分以上)臭みを抜きます。


2.魚を水であらい、血をしっかり流します。

 ※あまり長く水につけると旨みまで流れてしまうので、できるだけ手早く。


3.魚に火をいれ、表面にしっかり色がついたら水400ccを加えて20分ほど煮込みます。


4.スープがしっかりと白濁したら、ザルを使って出汁を漉します。

 ※本来はキッチンペーパーで漉すのですが、非常に時間がかかります。


**********


1.Bの材料をすり鉢にいれ、よくすりつぶしておく。


2.魚に焼き目をつける。

 ※ここで火を通す必要は無いので、表面の色がかわればそれで十分です。


3.魚を取り出し、玉ねぎがしんなりするまで炒め、みじん切りにしたにんにくを加えます。

 玉ねぎがしんなりしたら、パプリカとサフラン、塩を加えて炒めます。


4.フュメ・ド・ポワソンとパスタを鍋にいれます。

 魚を上に乗せ、1を流し込み、あとは汁気がなくなるまで煮込みます。

 ※スペインのパスタはアルデンテにはしません。 しっかり火を通します。


5.細く糸状に刻んだ青紫蘇を散らし、完成です!

♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

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