第4話 甘い香りにご用心

 春分も過ぎ、三月も最後の週を迎える頃。 【雀 始 巣すずめはじめてすくう】と名づけられた日があることをご存知だろうか。

 文字通りスズメが巣を作り始めると言われる日であり、この日を過ぎる頃になると次第に夜よりも昼が長くなり始めて冬の寒さも次第に記憶から薄れてゆく。

 そんなある土曜日の昼下がり、ランチの客が一段落した頃の事……。


「マスター、何かおいしいものちょうだい!」

 今日も歓喜の酒場バル・アレグリアスにミユの大きな声が響き渡る。

 飲み屋というと夕方からの営業というイメージがあるが、バルは軽食屋もかねている事が多いため、昼からの営業している事も多い。 この人外の店主が営業するバルも、ご他聞に漏れずだ。


「五体満足な奴がウチにくるんじゃねぇっ!」

 その大きな背中にミユを貼り付けたまま、店のマスターであるユウイチロウはその熊の姿にふさわしい重低音を響かせた。

 なお、漢字で書くと熊一郎。

 ミユの祖父が、神の地位と共に名を失った彼のために便宜上つけた名前である。

 今ではすっかり馴染んでしまっているが、当初はその安直さを大いに嘆いたものだ。


「体はなんともなくても、心が飢えてるのっ!」

 お気に入りの場所といわんばかりにユウイチロウの背中にしがみつくミユの姿は、まるで甘えたがりの猫のようである。

 そう、非力ではあるが、決して勝てる相手ではない。

 ユウイチロウからすると、なんとも困った相手であった。


「……ったく、この我が侭娘が。 うちは主に体に問題を抱える客が相手だっつーの」

「でも、なんとかしてくれるんでしょ? マスター、大好きっ!」

 満面の笑顔でそう告げられると、ユウイチロウにもはや選択肢は無い。

 その丸い肉球のついた手を顔にあて、彼はため息をつきながら深く考え込むのであった。


「ひさしぶりに治癒以外の魔法を使うから、ちょっとおとなしくしていろ」

 そう告げると、ユウイチロウは背中のミユを引き剥がし、酒を飾ってある棚から一本の酒瓶を手に取る。

 ラベルに書かれている銘柄はドベーラ・ヴィーノ・エスプモーソ・ロサード。

 スペイン産のイチゴを使った、カヴァと呼ばれるスパークリングワインの一つである。

 そしてユウイチロウはその長い爪でコルク栓を抜くと、何を思ったのかその瓶をひっくり返し、地面に向かってその中身を降り注ぐ……と思いきや、流れ出るはずの酒は霧となって店の外へと流れていった。

 そして瓶の中身がカラッポになると、ユウイチロウはおもむろに店の玄関のドアを開く。


「ほら、これでどうだ?」

「うわあぁぁぁぁぁぁ! イチゴ畑!!」

 光景を目にするなり、ミユの口から歓喜の悲鳴がほとばしる。

 そう、ユウイチロウはフルーツワインを触媒にして魔法をかけ、バルの前庭を一瞬にしてイチゴ畑の変えてしまったのだ。

 その鮮やかな魔法の冴えに、ランチにきていた客からもため息が漏れる。


「ほれ、好きなだけ食ってこい。 こういうの大好きだろ?」

「うん、大好き! ありがとう、マスター!」

 甘くむせるような果実の香りが周囲に立ち込め、白い蝶が赤と緑の楽園の上を優雅に踊る――その夢のような光景の中へ、ミユは歓声を上げながら駆け込んでいった。


「えっと……大好きなのは、イチゴ畑か? それとも俺? ……ま、どっちでもいいか」

 頬を爪で掻きつつなんとも言い訳じみた台詞を吐くユウイチロウを、他の客は生暖かい目で見ながらワインをあおる。

 他人の色恋沙汰も、また良い酒の肴なのだ。


「いやーん、甘い! おいしいぃぃ! イチゴ、大好き!!」

「……あっそ」

 ――結局はイチゴかよ。

 乙女の歓声によって淡い期待がズタボロにされ、ユウイチロウは店の隅っこでひとり黄昏る。

 すると、はしゃぎながらイチゴをつまむミユを見ながら、常連客の一人がおずおずと声をかけてきた。


「なぁ、マスター。 あれって、俺達も食っていいのか?」

 そう、イチゴがすきなのは、別にミユだけではない。

 お預け状態はあんまりというものだ。


「好きにしろ。 どうせ一人で食える量じゃないしな」

 そういいながら、ユウイチロウは店の倉庫からテーブルとパラソルを持ち出し、店の前にオープンカフェのスペースを設営し始めた。

 せっかくのイチゴ畑なので、しっかり商売にする気なのである。


「バーボンウイスキーがいいかな。 こいつのバニラ香がイチゴと相性いいんだよな……よし、今日はこいつにしよう」

 さらにイチゴにあいそうな酒を引っ張りだし、メニューの書かれた黒板に追記を加え始めた。

 その追記は、以下の通りである。


 《今日はイチゴ食べ放題。 ただし、食べすぎにはご注意を》


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【解説】

 春先のフルーツといえば、多くの方が真っ先にイチゴを思い出すのでは無いでしょうか?

 今回は、薬膳から見たイチゴの薬効について解説したいとおもいます。


 さて、端的に述べるならばイチゴが効果を及ぼす範囲は「肝」「胃」「肺」の三箇所になります。

 なかでも、注目すべきは「胃」と「肺」。


 基本的に、イチゴは体にたまった余分な熱を取り除くために用いられます。

 つまり、気温の高くなる春の半ばを過ぎてからその真価を発揮する食材だといえるでしょう。

ます。


 さらに「肺」に働きかける事で体の中に不足した体液を補い、同時に余分な熱を取り除き……つまり喉や肌の炎症による痛みや発熱などといった諸症状を和らげる効果も期待できます。

 端的に言えば、風邪やインフルエンザなどにかかった際、その症状を和らげる効果を期待できるのです。


 そして食物繊維も多く、消化器官である「胃」に働きかけるため、便秘や胃もたれ……さらには「胃」が原因とされる額の辺りにくる頭痛にも改善を期待できるでしょう。

 むろん、ビタミンCによる肌の改善も効果が期待できるため、たくさん食べて美しくなってください……といいたいところですが……。

 

♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【イチゴのババロア】

 イチゴはそのまま食べるのが一番……という人も多いかもしれませんが、酸っぱくて苦手と言う方もけっこういるはず。

 今回は、そんな人のために味のまろやかなババロアをご用意いたしました。

 新鮮なイチゴが無い場合は、イチゴと砂糖のかわりにイチゴジャム200gで代用してもいがいとおいしいですよ。


 材料:ティーカップ3つ分

 イチゴ……………………200g

 ゼラチン…………………5g

 オレンジリキュール……小さじ1(できればコアントローかグランマルニエ) 

 砂糖………………………40g

 生クリーム………………50cc


 飾りつけ用:

 イチゴジャム……………大匙2

 水…………………………大匙2

 シナモン…………………一振り

 イチゴ(ダイスカット)…お好みで


1.イチゴに砂糖とオレンジリキュールを加え、ミキサーにかけてピューレ状にします。


2.小鍋にゼラチンと1のイチゴピューレをいれ、しっかり混ぜてしばらく放置します。


3.ボウルの中で生クリームを7分立てにします。


4.2を火にかけてしっかりとゼラチンを溶かした後、笊で漉します。

 ※笊で漉すのは、ゼラチンの溶け残りとイチゴの粗い粒を取り除いて食感を良くするためです。すこしずつ加えながら手早く混ぜ合わせます。


5.4を冷やしてもったりとさせたら3に加え、よく混ぜてからカップに入れて冷やし固めます。


6.イチゴソースを作ります。

 イチゴジャムと水を耐熱容器にいれ、飲み物を温めるモードで溶かします。

 そしてよくかき混ぜてソースにしたら、あら熱をとっておきます。


 ※この段階で、お好みのリキュールなどをソースに混ぜておくのもよろしいかと。


7.4が冷えて固まったら、イチゴソースを表面に垂らし、ダイスカットにしたイチゴを散らして完成です。


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

 そして、突発的なイチゴ狩りが始まって三十分ほどした頃である。

「そろそろかな」

 唐突にそう呟くと、ユウイチロウは食料庫から太いネギを出してくると、それを適当な長さに切って鍋の中で火を通し始めた。

 そしてネギのこげるいい香りが充満し始めると、そこにたっぷりと鶏ガラのスープを注いで煮込み始める。

 さらに塩と胡椒で味を調えると、シンプルな葱スープポルサルダの出来上がりだ。


 何時間も煮込んだり、特別にソースを使うわけでもない、酒飲みのためにそっと横から差し出すような……いかにも素朴なバルらしい料理である。

 なんとも食欲をそそる香りに、店の中に残っていた客が思わず生唾を飲み込んだその時だった。


「ま、マスター……おなか……いたい……」

 ドアが開くと、ミユがフラフラとおなかを抱えて店の中に戻ってくる。

 その顔色は青く、ひどく苦しげに見えた。


「馬鹿だなぁ。 お前、前に俺が言ったこと忘れていただろ?」

 そういいながら、ユウイチロウはいつの間にか用意していた毛布でミユの体をそっと包み込む。

 そして、そのままミユを赤ん坊のように腕に抱え込むと、彼女の体をそっと暖炉の近くの椅子に横たえた。


「だって……だって、甘くておいしかったんだもん」

 ミユの涙交じりの声に、ユウイチロウはそっと小さなため息を吐く。

 そう、実はイチゴの食べすぎは体を冷やしてしまい、腹痛を起こすことがあるのだ。

 ましてや、医神であるユウイチロウの作り出したイチゴはその薬効が普通のものとは段違いである。


「ほら、暖かいスープを作ってあるからそれ食って休んでろ」

 うなだれるミユの前にそっと湯気の漂う葱スープポルサルダをおくと、ユウイチロウは優しい笑みを浮かべながら彼女に背を向けた。

 手のかかる相手ほど可愛いと思ってしまうのは、彼の医神としての性であろうか?


 だが、次の瞬間……彼が見たものは!?

「うぇ? なんじゃこりゃあ!」

 腹に手を当てた常連たちが、青い顔をしたまま雪崩れ込んでくるという光景であった。


「マスター……お腹が痛い。 助けて」

 言わずもがな、彼らもイチゴを食べ過ぎたのである。


「この、この、この……馬鹿者共が!!」

 そしてこの日、イチゴの甘い香りに包まれた常連たちとはうらはらに、ユウイチロウはスープの作りすぎで全身が葱臭くなるのであった。

 明日になっても匂いが取れなくてミユに嫌がられたらどうしよう……と、ひそかに悩みながら。


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【解説】

 漢方では、食べ物が体温に与える影響を「熱・温・平・涼・寒」の五つに分類しています。

 そしてイチゴには、体を冷やす効果があり、この分類では「涼」。

 字の通り、これは弱い冷却効果を示す分類です。


 つまり……食べ過ぎると体温が低下してしまい、胃腸を痛めてしまうということですね。

 何事も、過ぎたるは及ばざるが如しです。


 なお、適量は大きなイチゴであれば6個ぐらいまで。

 それ以上食べる際は、あらかじめ体を内側から温める方法を準備しておきましょう。

 

♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【簡略版葱スープポルサルダ

 体が冷えてしまったと気は、温かいスープが欲しくなりますよね。

 これは、卯堂が知り合いの作家のために考えた、簡単で体の温まるスープです。

 焦がし葱とチキンブイヨンのシンプルなハーモニーをご賞味あれ。


材料:おおよそ二杯分

 葱………………………1本

 水………………………300cc

 コンソメキューブ……1個


1.葱を3cmほどの長さに切りそろえます。


2.フライパンにオリーブオイルを引き、葱を入れたら弱火にし、蓋を閉めて5分放置します。

 ある程度料理が出来る人は、葱を転がして満遍なく焦げ目をつけてください。

 多少焦げても平気です。 焦げて食べられない部分が出たら、その部分は包丁で削ってください。

 ちゃんと弱火にしておけば、五分でそこまでになる事はないはずです。

 多少こげたぐらいのほうが風味が出ておいしいです。


3.水とコンソメキューブを入れて、ふたたび蓋をしたら弱火で15分から20分煮込んで完成です。

 お好みで胡椒を入れると、より体が温まります。

♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦


……というわけで、三月を舞台にしたネタはこれにて終了です。

 次回は四月に舞台を移し、来月の頭ぐらいにお届けしたいと思います。

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