第3話 肌の悩みと恋するフラメンコ(陰)

「……とまぁ、こんなかんじなのよ」

「なるほどねぇ」

 聞きかじっただけにしては妙に堂に入ったミユの話しぶりに、エルフの楽師は感心したようなため息を漏らす。


「でね、あのマスターのことだから、たぶん【陰虚】を意識したレシピも考えていると思うのよね。

 前に鼻をヒクヒクさせながらそんな事を話していたから」

「そうね、彼ならきっとそんな感じだわ。 ……それにしても、ずいぶんと彼の事よく知っているのね」

 そういいながら、エルフの楽師は思わず噴出しそうになっていた。 話を聞くだけで、彼が自慢げに語る様子が頭の中にありありと浮かぶ。

 けど、そんな子供っぽい仕草も、彼女にとっては魅力の一つにすぎなかった。


 そして彼ならば……自分の振る舞いが子供っぽいことに気付いて、勝手に反省し、今度は相手の機嫌を取ろうとしてへたくそなフォローを入れる。

 そんな大人なのか子供なのかわからない彼の、不器用だけど誠実な優しさが、彼女はたまらなく好きなのだ。

 体がざわつくような彼の低い声を、その逞しい胸に顔をうずめるところを妄想するだけで、頬が病にかかったように熱を帯びる。

 きっとこの熱病だけは、いかな彼でもけっして癒せはしない。


 そんなエルフの楽師に向かい、ミユは――無意識だろうが、誇らしげに告げた。

「そりゃもう。 なにせ、兄貴みたいなものだから」

「兄……ね。 そうだといいんだけど」

 恋するエルフの目に、不安の影がよぎる。


「ちょっ、変な想像しないでくださいよね!

 あれは、兄なんです! あの熊の体じゃ、いくらなんでも恋のお相手は無理でしょ!!」

「ま、そういうことにしておくわ」

 そう、それが真実であればいい。

 半ば自分に言い聞かせるようにして、エルフの楽師は儚げに微笑んだ。


「そ、そういうことです。 あ、あははは……」

 自分はどこで失敗したのだろうかと考えながらも、ミユは彼女の追求をごまかすために話題を変えようとし視線をさまよわせる。

 そして、客に出すデザートを入れておく冷蔵庫に目をつけた。


「そそ、そんなことより、ほら、冷蔵庫の中に何かあるかもしれませんよ!

 肌荒れ対策の秘蔵の料理が! ほら、こっそり私みたいな客のために準備していたり……」

 そんな事を呟きながら、ミユはそれがありえないことを思い出していた。


 マスターの料理は、全てがその客の体を癒すためのものである。

 ゆえに、相手の体調を調べてから料理を作るのが彼のスタイルなのだ。

 下ごしらえの済んだ段階のものならばともかく、完成品があるという事はありえない。


「あ、本当に何かある」

 だが、冷蔵庫を開くとそこにはオレンジ色をした小さなプディングのようなものが皿の上に鎮座していた。

 ありえないものが存在することに、ミユは思わず首をかしげる。


「でも……たぶんこれね。 例の料理、ニンジンを使うって言っていたから」

「そうなの? ずいぶんと可愛い料理ね」


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【肌を潤すニンジンのテリーヌ】

 アレルギーなどを別にすれば、プリンが苦手……と言う方はあまり聞きませんよね?

 牛乳と卵はどちらも【血虚】と【陰虚】を同時に癒す食材であり、この二つを利用するプリンには、肌荒れを癒す効果があるのです。

 さらに【血虚】を癒し、同じ量の水菜の倍以上のベータカロチンを含むお肌の救世主であるニンジン、体の中を潤し【陰虚】を癒す食材であるチーズを加え、フワフワでシットリしたテリーヌに仕立ててみました。

 意外に思うかもしれませんが、この手のプリン系の料理はスペイン・バルによくある代物です。

 砂糖の量を調整すれば、デザートにも前菜にも応用が利くので、なかなかに便利な一品ですよ。


材料:直径10センチの丸型三つ分

 ニンジン……300g

 チーズ………75g (ピザ用のチーズで十分です)

 卵……………Lを2個

 砂糖…………大匙2

 牛乳…………50cc


1.ニンジンの皮をむき、茹でるか電子レンジで火を通します。


2.材料を全てミキサーにかけ、型に流し込みます。

 ※自分の場合は、百円ショップで購入したパンケーキ用のシリコン型です。

  その型でだいたい三つ分ぐらいの量になります。


3.オーブンを180度に余熱し、2.を入れて20分から25分加熱します。

 焼きあがったら串を刺してみて、何もついていなければ取り出します。

 あら熱をとり、冷蔵庫で冷やしてからお召し上がりください。


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦


「あら、おいしいこれ。 なんだか、優しい甘さね」

「ふふふ、さすがマスター。 なかなかいいものを用意しているじゃないですか」

 ミユとエルフの楽師が二人でニンジンのテリーヌを楽しんでいると、ようやく奥からマスターがほかほかと湯気の上がる鍋を持って食堂に戻ってきた。


「あっ、あぁぁぁぁぁぁっ! なにお前ら、俺のとっておきを勝手に食ってんだよ!」

 目をまんまるに見開いたマスターに向かって、ミユは空っぽになった皿を掲げて見せる。


「ご・ち・そ・う・さ・ま! 大変美味でございましてよ? オホホホ」

「ぬぁにが『ご・ち・そ・う・さ・ま』だよ! 店にあるものを勝手に食うんじゃねぇっ!!」

 勝手に始まりそうになった痴話喧嘩だが、怒りの形相でマスターが次の言葉を考えている途中で、不意にエルフの楽師がボソリと呟いた。


「ねぇ、これって、どう考えてもマスターの好きなものじゃないわよね?」

「え? あ、まぁ、そうなんだが」

「先週だったかしら、酔っ払いがハチミツが好きかって聞いたら、熊じゃあるまいし、ハチミツだけ舐めたら胸焼けするに決まっているだろ……って怒鳴っていたし。 甘いものがぜんぜんダメってわけでもなさそうだけど、甘党ではないのよね」

「え? あ、あぁ、そんな事もあったな。 なんでそんな細かいこと覚えてるんだよ」

 なぜかしどろもどろになって言葉を濁すマスターに、この様子を見守っていた楽師や踊り子たちが一斉に目を向ける。


「ほんと、鈍い人。 ……じゃあ、聞くわね? これ、誰のために作った料理なの?」

「そ、そりゃ……女性客向けにだなぁ……」

 抱けば折れそうなエルフの女に、身の丈三メートルを越える熊が完全に気押されていた。

 実に奇妙な光景である。

 そして、そこにミユが疑問をはさんだ。


「あれ? マスターの料理って、基本的に相手を見てからその抱えている症状にあわせて作るのよね?」

「ま、まぁ、たまにはそうでないときもあるさ」

「へぇ、珍しい事もあるのね」

 マスターの苦しいというよりも、もはや見苦しいと表現したほうがよさそうな言い訳に、エルフの楽師がスッと目を細める。

 そして、何かを吹っ切ったようなため息と共に告げた。


「ほんと、あなたたちよくお似合いだわよ」

「「違う! コレはただの身内だから!」」

 反論する二人の声は、完全にそろっていた。

 その瞬間、ついに耐え切れなくなった見物客たちから笑い声が響き渡る。


「マスター、サプライズ失敗ね。 ご愁傷様」

「ち、ちげぇよ! 変な勘違いするな!!」

 なおも言い訳をしようとするマスターの鼻面を、エルフの小さな手がピシャリと叩いて黙らせた。


「ご馳走様。 さてと……悪いけど、今日の舞台、曲を変更してもいいかしら?」

 そして未だに腹を抱えている同僚たちを睨みつけ、エルフの楽師はやや棘のある声でそう言い放ったのである。



 その日、いつもはアレグリアの流れる"歓喜の酒場バル・アレグリアス"に、珍しくソレアが流れた。

 ソレアとは、フラメンコの中でも孤独と悲しみをテーマにした楽曲である。

 その出来栄えはすばらしく、観客たちは歌と踊りと音楽に酔いしれながらも、その切なさにそっと涙するのであった。


 あなたはこんな言葉を聴いた事があるだろうか?

 フラメンコは人生。 そのめまぐるしく変化する十二拍子のリズムは昼と夜を、そして人生の喜びと悲しみを六つずつ刻むのだ。


 まるで呼吸のように。

 肌を潤す水の流れのように。

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