第2話 肌の悩みと恋するフラメンコ(陽)

 あなたはこんな言葉を聴いた事があるだろうか?

 フラメンコは人生。 そのめまぐるしく変化する十二拍子のリズムは昼と夜、そして人生の喜びと悲しみを六つずつ刻む。


 それは三月の最初の日曜日。

 よく晴れた空の下、青空の向こうからさしこむ太陽の光も暖かく、カラリと乾いた風が頬を撫でる。

 主婦ならば、つい洗濯物を干したくなるような日だ。


 そんな開店前の歓喜の酒場バル・アレグリアスの裏庭では、朝からエルフの楽師たちとケットシーの踊り子が今日の演目のリハーサルをしていた。

 流れてくるのは、山を流れるせせらぎのようによどみなく、めまぐるしく変化する十二拍子。

 その明るい曲調の名は、店の名前と同じで"歓喜アレグリア"と言う。


 しかし見事なものである。

 もともと異世界の住人である彼らはフラメンコを演奏するのも踊るのもこの店にきてからであるはずなのに、まるで何十年も専門でやってきたかのようだ。

 なお、この店は定期的に演奏をする楽団が切り替わり、エルフの楽師を含む彼らは先月からこの店の音楽と舞台を担当している新顔だった。


 そしてこの店のマスターはというと……。

 流れてくる曲に合わせて鼻歌を歌いながら、短い尻尾をふりつつ厨房の奥で料理の仕込みをしていた。

 そんな彼の後ろから、今日も悩める乙女の元気な声が響く。


「マスター! いつものアレちょうだい!」

 突然聞こえてきた声に、マスターは手を止めてピンと耳を立てた。

 だが、彼が振り向くよりも早く、小柄な女性がその広い背中に飛び込んでくる。


「うわっ、ちょっとまて!」

 あわてて火を止めてフライパンを置いた直後。

 彼のもこもことした毛を包む白いTシャツが、ボフンとまるでクッションのような音を立てる。


「あのな、ミユ……調理中に抱きつくのは危ないし、いつもの奴じゃわからんだろ」

「お肌が……お肌が乾燥して痒いの! 粉ふいてるのよぉぉぉ!!」

 マスターが目を半眼にしつつ振り向くと、そこには彼の妹分である佐々原ささはら 美侑みゆが彼の大きな体をポフポフと叩きながら興奮した状態で自分の症状を訴えていた。

 ふだんはそうでもないらしいのだが、自分と一緒にいる時はまるで子供と変わらない。

 ――ほんと、あの頃とおんなじだよなぁ。

 彼女の祖父の元で料理の修業をしていた頃を思い出し、おもわずマスターの顔が苦笑いの形にゆがむ。


「あー。 まぁ、たしかにいつもの話だな。 今、作ってやるからちょっと待ってろ」

 とりあえずこのままここにいると身動きが取れない。 駄々っ子のようにまとわりつくミユを強引に引き剥がすと、マスターは彼女を店のカウンターにそっと運んだ。

 この店では、実にありふれた光景である。


 だが、今日はそこに声をかけてくる者がいた。


「あら、今日は乾燥肌のお悩み?」

 振り返ると、そこには若草色の衣装に身を包んだエルフの女性。 その手にはフラメンコ・ギターと呼ばれる楽器が握られていた。

 彼女こそ、先ほどまで裏庭でギターを奏でていた楽師その人である。


「庭でリハーサルをしていたんじゃないのか?」

「ちょっと気になる言葉が聞こえてきたから、休憩にして聞きにきたのよ」

 微笑みながらそんな台詞を口にすると、彼女は誰に薦められるでもなくミユの隣に腰を下ろした。

 そしてしどけない姿勢でテーブルに肘をつき、アッシュブロンドの前髪を手櫛で後ろに撫で付ける。

 自制心の無い男が見れば即座に心臓を打ち抜かれそうなほど色っぽい仕草だが、彼女の視線の先にいるマスターはそしらぬ風だ。


 その様子を、パーカッション役の缶叩きクラップ・カン、バンドネオンを手にした蟻男ムリアン猫妖精ケットシーの踊り子といった妖精たちがニヤニヤしながら見守っている。

 彼らの最近の興味と話題が、このエルフのギタリストの恋の行方についてである事はいうまでもない。


 だが、一方のマスターはというと、彼女の誘うような仕草にまるで反応を示さない。

 ――ため息が出るほどの朴念仁ね。

 相変わらずの反応に、彼女は声にならない台詞を飲み込みながらがっくりとうなだれると、半ば拗ねたような口調で問いかけた。


「私も冬場から春先にかけては肌が痒いのよね。

 彼女のために肌を癒す料理を作るのなら、私にも同じものくださる?」

 そんな嫉妬交じりの言葉や仕草ですら色っぽいと周りが感じてしまうのは、エルフという生き物の性だろうか。


 だが、当のマスターはといえば、なぜ彼女の機嫌が悪いのかが理解できないとばかりに軽く首をかしげるだけ。

 これには横で見ているミユですら苦笑いだ。


「まぁ、いいだろう。 じゃあ、ミユ。 俺が材料を倉庫にとりに言っている間、このお嬢さんにこの時期の肌荒れについて説明しておけ」

「えー なんで私が」

 突然話をふられたミユが不満げに口を尖らせる。

 どう考えてもエルフの楽師が構って欲しいのはマスターであって、ミユではない。

 望まれもしないことをやって、馬に蹴られるのは真っ平だ。


「じゃあ、俺が説明するが、それだけ料理を出すのが遅くなるぞ」

「それはダメ」

 一瞬の迷いも無い、即答である。 そのゆがみない反応に、思わず不機嫌そうに事の成り行きを見守っていたエルフの口からもプッと笑みがこぼれる。

 その様子を見守っていたケットシーの踊り子たちにいたっては、腹を抱えてながら笑い転げていた。


「じゃ、そういうことで!」

 そのままミユに説明を押し付けると、マスターは逃げるウサギのような速さでそそくさと厨房の奥に消えていった。

 巨体に似合わぬすばやさが、さらに見物人達の腹筋を刺激する。


「ほんと、しょうがないなぁ」

「……無理はしなくていいのよ。 どうせ、私の事なんかどうでもいいんだし」

 すっかりテンションが下がってしまい、机に突っ伏しているエルフの楽師だが、ミユはため息をつきながらその隣に頬杖をついた。


「うんとね、マスターって料理を作るのと同じぐらい料理を語るのが好きでしょ?

 だから、薬膳とか食材の話をふるとすぐに食いついてくるの。 ……知りたくない? 今日の料理の話」

「あら、そうなの。 そうね、それなら仕方が無いわよね」

 あからさまにエサをぶら下げられているとはわかっていても、無視するにはネタがおいしすぎる。

 自分のあさましさに呆れながらも、エルフの楽師は大きく伸びをし、ミユの話を聞くためにゆっくりと体を引き起こした。


 そしてミユは語りだす。 マスターから教えられた薬膳の話を。

 乾燥肌など一度も経験した事もなさそうな肌をした、恋するエルフのために。


「結局のところ、乾燥肌への対策って言うのは【肺】と【血】と【水】を補うことなのよね」


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【解説】

 

 乾燥肌といえば、冬のものだと思っていませんか?

 実は、三月から四月こそもっとも空気が乾燥する時期であり、一月と二月につづいて乾燥肌に悩まされる時期なのです。

 しかも、春が近づくにつれて紫外線が強くなり、乾燥と栄養不足によってメラニンを排出する肌の代謝はズタズタ……こういえば、勘の良い人はすぐにお分かりでしょう。

 シミの原因はこの時期に着々と作られており、乾燥肌はその予兆なのです。

 これを放置してはいけません。


 さて、まずは乾燥肌とは何なのかを漢方の視点から説明しましょう。

 結論から言うと、乾燥肌は肺の力を失うことで引き起こされます。

 ただ、この場合の肺とは臓器としての肺の意味ではありません。

 漢方では呼吸機能に加えて気管支、喉、体温調節、免疫機能、体液の調節、そして皮膚呼吸を行う肌にいたるまでの機能すべてを【肺】として扱います。


 では、なぜ肺が力を失うのでしょうか?

 その原因は主に肌へと栄養を送る【血】の不足、そして肌を潤す【陰液】の不足です。

 漢方では、前者を【血虚】、後者を【陰虚】と呼びます。


 まず血虚について説明しましょう。

 考えてみれば当然ですが、肌をつくる栄養や潤す水分を運ぶのは血であり、この血のめぐりが悪くなれば肌に水分も栄養も届きません。

 つまり、乾燥肌に悩むあなたの肌は雨も降らず土に養分も無い砂漠のような状態になってしまいます。


 そして【血虚】によって皮膚細胞の再生能力が低下すれば、メラニンを外に排泄する力が弱くなって……放置すればシミができあがりです。

 さらに毛髪への栄養も滞り、抜け毛や白髪が増えるため、生え際や若白髪を気にする男性にとっても無視は出来ない話です。

 そう、【血虚】は老化現象を促進する状態と思っても差し支えないでしょう。


 一方、水路が整備されてもそこを流れる水がなければ砂漠はよみがえりません。

 そう、【陰虚】とは体の中に【陰液】と呼ばれる水が足りなくなっている状態を示します。

 これではせっかく【血虚】への対策を立てても意味がありませんね?


 【陰虚】の特徴としては、体を潤して熱をさます働きのある水がないので、熱によるのぼせや口渇が現れます。

 また舌が妙に赤黒かったり、咳が出たり、便秘気味といった自覚症状がある場合は、この症状を併発している可能性も考えたほうが良いでしょう。


 さて、さらにこの【陰虚】には厄介な事が一つあります。

 ……熊さんのお得意なスペイン料理でよく使うニンニクが、実は禁忌なのです。

 同時に、刺激物の類は避けたほうが良い為、ショウガや胡椒なども避けた方がいい食材になります。

 さぁ、彼はどんなメニューを考えているのでしょうか?


 あなたの肌の乾燥がどちらの理由か、あるいは両方なのかはわかりませんが、まずは【血虚】を癒すレシピをご紹介しましょう!


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

【冬の置き土産の白いニンニクスープアホ・ブランカ】1人~2人分

 肌を潤す食材は多々ありますが、ここは一つ冬野菜に最後のお仕事をしてもらうことにしましょう。

 ……ということで、食材に選んだのは水菜です。

 水菜にはベータカロチンが多く含まれ、肌に水分を与える効果とその潤いを保つ効果を同時にもたらします。

 しかも余分な熱を排出し、スペイン料理で使うニンニクによって体に熱がこもる効果も中和するので、【陰虚】の症状の方にも優しい食材です。

 さらに、肌を若返らせるアーモンド、体を潤し【血虚】と【陰虚】の両方を改善に導く牛乳を追加して、白いポタージュ風のスープに仕立てました。


材料:二皿分

 ニンニク…………………1片

 オリーブオイル…………大匙1

 アーモンドプードル……30g

 パン………………………固くなったブレッド5センチ分。

 水…………………………50cc

 牛乳………………………200cc

 塩…………………………小さじ1

 水菜………………………1/2株

 オリーブオイル……小匙1(仕上げ用)


1.まず、ニンニクを縦に切って芽の部分を取り除き、そのまま薄くスライスします。

 そしてフライパンにオリーブオイルをいれて熱し、ニンニクをローストします。

 ニンニクの刺激性は、熱を加えることで減少するので、陰虚の可能性があるならばここでしっかり熱を入れておきましょう。


2.パンに水50ccを含ませ、柔らかくしておきます。 食パンは甘みと味の癖が強いので、あまり向かないかもしれません。


3.ニンニクに十分に熱が加わったら、弱火にしてからアーモンドプードルを入れます。

 そのまま弱火で5分ほどローストし、牛乳とふやかしたパンを入れ、ミキサーにかけます。


4.3をフライパンか鍋に戻し、3センチほどの長さに刻んだ水菜をいれ、沸騰に気をつけながら中火で10分ほど加熱します。


5.最後に塩で味を調え、仕上げにオリーブオイルを垂らして出来上がりです。


※体の潤いを重視したレシピなので、胡椒などは入れないほうが効果が高くなります。

 味を濃くするためにチキンブイヨンなどを入れる際は、中に胡椒が含まれている事があるのでご注意ください。

 ただ、皮肉なことに胡椒やニンニクを多めにしたほうがこの料理はおいしいので、ご自身の体に合わせて調整してください。


※本来のアホ・ブランコはレーズンを入れてからミキサーにかけた上、冷やしてから食べる料理です。

 レーズンもまた【血虚】には有効な食材なのですが、組み合わせとしてちょっと日本人の舌にはあわないのではないかと思われる味になったので、こでは省いております。


♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦

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