彼岸花の葬送 二、夕べには白骨となる
観客の居ないはずだった劇は、一人の来訪者によってその形を大きく変えられてしまった。
君は、きっと知らないだろう。
あの夕暮れの教室でどんなに私が救われていたか。
君がしてくれた一つ一つ、君がくれた言葉一つ一つ、君と、君たちと過ごした一瞬一瞬。
大切で、楽しくて、嬉しくて、切なくて、沢山、沢山貰って、独りで迎える筈の終わりを、違う、素敵なものにしてくれて、私はそれに満足しなければならなかった。
なのに、私は自然に成仏出来なかった。
自分の事は自分がよく解ってる。だから、必死に振り返らず、そんな気持ちが産まれる前に消えるつもりだった。本気で消える気だったのだ。
桜が舞う中、走って、走って、私は正門を目指した。
皆と卒業出来たことは嬉しい。本当に、本当に嬉しかったのだ。
誰にも知られることの無かった私を、誰かが、小谷くんが知っていてくれている。私が確かに皆と一緒に卒業したことを知っててくれる。有り得た未来を手に入れたのだ。それだけで、良かった筈なのに。
体育館で、教室で、走り抜ける途中に見た、皆の笑顔を、涙を、見ていて強欲な私は思ってしまった。
なんで彼らの隣に、その先に私の居場所はないのだろう。
人は三回死ぬ。一度目は肉体が。二度目は魂が。三度目は忘却の果てに。
あまりにも幸せな夢を見続けてしまったから、つい忘れてしまう。正門を抜けたこの先の未来の道は、忘却の彼方へと続いている。
もうすぐ私は二度目の死を迎える。怖くても、恐ろしても私はそこへ行かねばならないのだ。
それが、悲しくて、悔しくて、
【私は先へ進めない私が心の底から恨めしい】
そう思った瞬間、引っ張られる感覚がした。あの廃れた寂しい、隻眼の男がいる神社に強い力で引っ張られる。
――あぁ、未来の事は諦められないのに、おかしいなぁ、ほっとしてる。
幸せで、悲しい夢をもう見なくていいのだ。なんて贅沢なわがまま。
私は初めて正門を駆け抜け、この日、中学校を卒業した。
最後に見た空は桜が舞って綺麗だった。
「目が覚めたか」
その声に目を開けると、男が私を見下ろしていた。
土と腐臭と緑の匂いがして、身体を起そうとしたけど、力は全く入らず重く、顔を少しだけ動かすと
否、今まで見ていたのは夢だったのかも知れない。小谷くんたちと普通の学校生活を送って卒業できるなんて。死ぬ間際に見た金色に輝く一瞬の夢だったのだ。
「……夢から醒めちゃった」
「そうか」
金色の瞳が少し悲しげに揺らいだ気がした。なんだか悪い気がして、
「……でも、悪い夢じゃ、無かったよ。楽しい夢……だった」
そう言いうと、
「そうか」
と、ぶっきらぼうに、でも少し安心した顔をした。変な神様。
「……ねぇ、なんで貴方は私に良くしてくれたの? こんな効率悪い事しなくても本当は良いんでしょ?」
男は私の頭を撫でた。優しい手付きだった。
「お前が、アイツに似ていたからな。何も知らずに死んでったアイツに」
そっか、そっか。私はその誰かに感謝をしなければ。
「ねぇ、すぐ食べちゃう?」
「残念だがまだだ。準備があるからな」
男はそっと私を抱き起こし、そして、少し離れた木の根本に座らせてくれた。
「ありがとう」
そういうと少し照れたように顔を背けられた。本能で不吉だと恐ろしいと感じる存在なのに、案外優しく人間臭い事をする。それが何だか可笑しくて、気分が良かった。
それにここからなら綺麗に見える。
「ここは不思議な場所ね。一年中彼岸花咲いてるの?」
男は一瞬だけ目を見開き、そして静かに、
「あぁ。綺麗か?」
と、言った。
「うん。朱くて、綺麗。私ね、赤い花、好きなの」
「そうか、良かったな」
「うん。ねぇ、貴方、名前、何て言うの」
頭が段々とぼんやりしてくる。
「神様の名を問うもんじゃねーよ」
そう言って、頭をぐりんぐりん撫でた。
「――ほら、迎えが来たぞ」
そう言われて視線をゆっくり向けると、青い顔をした小谷くんが見えた。
あぁ、夢じゃなかったんだ。あの日々はちゃんと現実だったんだ。それだけで笑みが零れる。
「――じゃあな、水野」
泣きそうな声で、久しぶりに私の名を呼ぶ。それじゃ虚勢を張っても意味無いじゃない。人のこと言えないけど。あぁ、馬鹿だなぁ。馬鹿で不器用で優しい、私の友人。
意識が段々遠くなる。
彼岸花は炎の様に朱く奇麗に咲き誇っていて、木々の隙間から橙の光が差し込み、世界が皆、真っ赤に、真っ赤に染まっていく。どこか遠くで家路が聞こえた。私の好きな歌だ。帰り道、何度も君と聞いた。
「闇に燃えし、
私は防災無線に合わせて祈るように歌う。君がきちんと家に帰れるように、私がきちんと本来あるべき場所に還れる様に。
闇はじわりじわりと私を世界から切り離して、呑み込んでいく。
「炎、今は、鎮まりて」
手が、足が、影に沈んでいくのが解る。逃げることなんて出来ない。
「眠れ、安く、いこえ、よと」
でも、怖くは無い。
「さそう、ごとく、消えゆけば」
名前も知らない、けれど優しい人の影だから。
「安き、御手に、守られて」
君が隣に居てくれるから、怖くなんて、無い。
「いざや、楽し、き」
夕空が夜に呑まれていく。
「夢を、見ん」
最後の茜色の光が、あの日のように、綺麗で、美しくて、
「ゆ、めを……み……ん」
明日もきっと晴れそうだ。
そして、魂は跡形も無く影に溶けていき、後には空っぽの死体が残されて、村雨水野は二度目の死を迎えた。
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