序章 四月 独立

 真新しい制服に腕を通す。

 制服を着るという作業は憧れで、少し大人に近づいた気分がする。

 毎日服を選ばなくて良いからなかなか楽そうだ。まぁ、毎日体操服着て、服なんて選んでいない小学生時代と変わらなくもないか、と夢の無いことを思う。

 しかし兄貴からのお下がりのスクール鞄は、既に薄汚れていて不満だ。

「あ、ほつれてる」

 見れば見るほど汚れが見えてきて気分が萎える。こんなに晴れているのに。仕方ない、弟のさがだ。諦めろ俺。必死に言い聞かした。

「透、行くよー」

「ん、今行くー」

 声変わり中の高いんだか低いんだかわからない声が喉から出る。早く変わればいい。

 部屋から出ると母さんが待っていた。

「透ももう中学生か。この間までランドセルやっと背負ったと思ったのに男の子の成長は早いわねー。詰め襟似合ってるよ」

「うっせ」

 気恥ずかしい。母は満足げにうんうんと頷き歩き出し、俺は妙な期待に胸を膨らましながら続いた。

 今日、俺は中学生になる。


「すげぇ」

 思わず声が零れた。ぐるりと遠回りをして辿り着いた中学の正門から裏門に続く一本道は両側を桜の木で囲まれており、ピンク色の花がそれは見事に咲き誇っている。その満開の桜の下にはぞろぞろと見知った、見知らぬ黒い頭と真新しい制服が歩いたり話したり、兎に角沢山いる。二つの小学校のある学区で、一つしか中学は無いから私立組を覗いてほぼ二校分の生徒が居るわけだ。多い。

「透、写真撮るよ」

 正門の前に飾られた『祝入学式』なんて書かれた看板の前に母さんは陣取っている。

 恥ずかしいやら逆らえないやら、なんやらで、渋ったが、後ろが待ってる、の一言で渋々看板の前に立ち、不機嫌そうな顔で写真を撮った。

「小谷ー」

「拓海」

 仲のいい友達が呼んでる。母と別れ近づくと、そこはやたら人が多く、どうやらクラス別けの紙が張り出されているようだ。

「俺何組だった」

「三組だった。俺は二組。隣宜しくな」

「よろしく」

 離れてしまって少し寂しいがどうせ一年でクラス替えだ。まぁ、全部で六クラスほどあるから同じクラスになる確率は低いが。

 他にどんな奴が居るだろうと三組の欄を見る。

 古谷ふるや、小林、浅野、八島、横枕よこまくらなんて珍しい名字もあったが、もっと珍しく目を引く名前があった。

「村雨? 水野?」

 出席番号や周りの並びを見るに女子だ。

「水野なんて変な名前だな。普通乃木坂の乃だろ? 変換ミスか?」

「名字みたいだよな」

「むらさめ……だよな。へー珍しい。どんな奴だろ」

 むらさめさん。なんか噛みそうだ。と思った時に後ろから誰かに押された。

「すみません」

 知らない女子だった。恐らく線路向こうの小学校の。どうやらクラス表を見ようと集まった人々に押されてぶつかって来たようだ。

「あ、いえ」

 頭を下げると、するするとその子は綺麗に束ねられた髪を、尻尾のように揺らしながら前に進んで行く。

「ミズノ〜見えた〜?」

「見えた、三組」

 確かにその女子はそう言った。

 三組のミズノ。きっと村雨水野。

 珍しい苗字で苗字みたいな名前のクラスメイト。

これからどんな奴と出会い、どんな新しい生活が待っているのだろうか。少しだけ胸が高鳴った。

新しい門出を祝うように、澄んだ青空に桜の花びらが舞い踊っていた。

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