第四章 九月 悲しい思い出

「こーたーにーくーん? 記事は勿論終わってるよね?」

 今日は新聞の締切だったので、水野に止められる前にさっさと逃走を決めようとしたが、腕を捕まれ止められてしまった。

「悪りぃ水野。俺、今日塾だから」

「いやいや、言い訳になってないから。昼休みに帰りまでに仕上げるって言ってたよね?」

「お前なら俺の分もすぐに書けるって信じてる」

「そんな信頼いらない」

 じりじりと水野は迫って来る。今回は本当に書く気がしないんだ。否、いつもやる気なんてねぇが。鞄、制服、良し。逃走準備完了。

「じゃあ、あと宜しく」

 と、抑える力の弱まった腕を振りほどき、鞄を瞬時に取って走り出す。ワンテンポ反応が遅れた水野も後から追いかけてくるが、階段半分ほど差が出来た。

「こら! 待て!」

 誰が待つか。

 俺達のクラスは他のクラスよりホームルームが早く終るため、廊下や階段には誰もいない。思う存分スピードを出せる。階段を駆け下り、そのままスピードを殺さないように、踊り場の手すりに手を伸ばし、遠心力の要領でグイッと体をひっぱり回り込む。

 これなら余裕、と思った瞬間。視界の隅でスカートがふわりと広がるのが見えた。吹き抜けを挟んだ螺旋階段の反対側で、水野が階段から大きく飛んだのだ。

 ドンッと大きな音がした。反動で一瞬遅れるが、すぐに走り出す。距離は大部縮まされた。

「危ねえ、馬鹿だろ」

「うるさい!」

 腕を前に伸ばし、踊り場の手すりをしっかり掴み、風を切る。数段は飛び降り、走り出す。荷物が有る分此方は分が悪いが、運動部と文化部、運動能力にはこちらに軍配が上がる。一階に着いた途端、上履きを脱いで手に持ち、走る。そのまま上履きをつっこみ反対に靴を取り出す。踵を潰しながら急いで裏門を走り抜けた。

 少しだけ振り返ると水野は下駄箱で此方を見ていた。肩で息をしながら、あ、溜息。どうやら諦めてくれたみたいだ。とぼとぼと校舎に消えていくのを確認し、再びスピードを上げた。

 五分も走れば家に着く。小腹を満たして、ベッドに倒れ込み、昨日買って置いた漫画の続きを読んだ。

 別に塾までの時間が無いわけではない。ただただ、記事を書くのが面倒で逃げただけだ。今までもこんな事を数カ月に一度の頻度であの鬼ごっこをやっている。広報班で水野と一緒にやってる時間は長いからお互い慣れてる。最早日常のありふれた光景の一つだった。

 あぁ、そう言えば、塾の宿題がまだ残ってたな。鞄をあさるため、のっそりと起きあがる。ファイルを引っ張り出して、ペラペラと宿題を確認するとプリントが足りないことに気が付いた。

「あちゃー、こりゃ教室に忘れてきたな」

 折角水野を出し抜いたのに、これでは意味がない。が、宿題を持っていくのを忘れるとそれはそれで面倒だ。塾までにはまだ時間があるし、幸い中学と家は歩いて十分前後の距離だし、俺はしぶしぶ取りに戻ることにした。

 陽は傾き、街はオレンジ色に染まっていたが、真上の雲は今にも泣き出しそうで、念の為傘を掴む。

 天気予報では一日晴れって言ってたんだが、女心と秋の空ってか?

 そんな事を思いながら家を出る。時計は四時半を指していた。

 ついさっき鬼ごっこをした螺旋階段を今度はゆっくりと上がって、三階の俺等の教室へ向かう。

 吹奏楽部の演奏が螺旋の吹き抜けから響いて降って聞こえてくる。昼間に比べると静かだが、美術部や他の文化系の部活の声や、教室でまだ残って喋ってる女子の声が吹奏楽部の音に混じって聞こえて中々賑やかだ。

 俺たちのクラスに辿り着く、中は静かだ。さて、もう新聞が出来上がって教室に誰も居ないと良いが。

 ドアを開けると、窓側の一番後ろ、角っこの席に水野は一人で座っていた。突然開いたドアの音に驚いていた水野は、俺の事を認識すると、猫みたいな目を細くして無言で睨んでくる。俺はその無言の圧力を無視して近づいた。

「今更来てどうすんの。君の分まで書いちゃったじゃない」

 不機嫌を隠さない顔だ。

「流石〜。他の奴らは?」

「皆、部活とか塾とかで帰りました。でも、君とは違って皆ちゃんと原稿置いていったんだから」

「はいはい、すみません」

 悪びれない俺に呆れたのか、溜息をついて、

「……で、戻ってきてどうしたの? 書く気は無いんでしょ? 忘れ物?」

 と、聞いてくる。これは諦めたな。切り替えが速いことは良いことだ。

「そうそう。塾の宿題忘れたことに気が付いて」

「あぁ、数学の時間に内職してたやつ?」

「そ」

「置き勉チェックで出されてたよ」

 水野は俺の机の上に出された教科書類をポンポン叩く。水野との追いかけっこの為にできるだけ荷物を少なくしようとして置いていったのに、お陰で二度手間になってしまった。

「数学の教科書の中に挟まってんだろ?」

「取れと? この期に及んで私に取れと言ってるのですか? 自分で取りやがれ」

 教科書を突き出されたので、はみ出ているプリントを抜きながら、水野の机を覗き込む。

「あと、新聞出すだけか?」

 机の上には細かい字で書かれた新聞と沢山の消しカスがあった。書くべきところにはすべて書かれており、勿論ペン書きもしてあった。きっと、一人でコレをやっていたのだろう。

「うん、総……佐原先生出張で居ないらしくて、職員室の机に出すだけ」

「居ねぇのか。良かったじゃん」

「まーねー」

 ここまで来て、流石にさっさと帰るのは忍びない。それだけの良心はある。時計を確認すると時間はまだある。下に降りるだけだし、

「じゃあ、俺が出しに行ってやろうか」

 新聞を掴むと、水野は目を一瞬まん丸く見開く。猫みたいだな。

「いや、一緒に行く。出したら今日は帰るし」

「部活は良いのか? まだやってるだろ」

 どの部活もまだ活動時間だ。それにこいつは文化部だから引退はまだ先のはずだ。

「部長にはもしかしたら疲れて帰るかもーって言ってあるし大丈夫、大丈夫。それにもう帰り支度バッチリだし」

 少しだけ良心が傷んだ。ほんの少しだけだ。

 螺旋階段を今度は二人でゆっくり降りる。少し前を歩く水野の束ねられた髪が階段を降りる度、尻尾のようにぴょこぴょこと跳ねていて少し面白いな、と思った。

 何事もなく新聞を出し終えることができれば、後は帰るだけだ。昇降口を出れば、外は薄暗く、じめっとしていた。

「雨降るな」

 どんよりとした雲を見上げる。

「家帰るまでに降らないと良いな。傘持ってないし。明日は晴れそうなんだけどね」 頭上は暗いが、遠くの夕陽は綺麗に燃えている。

「そうだな。あ、もう彼岸か」

 道ばたに群れ咲いている真っ赤な花を見つけてつい口に出る。走って帰った時は目に入らなかった。

「本当、綺麗。私、赤い花は好き」

「そ、じゃあ入院でもしたら椿でも持って行ってやるよ」

「鉢付き? ひどいなぁ。ねぇ、小谷くん」

「なんだ」

「話は変わるけど終礼の時さ、さよならーって言うじゃん。小学校の時みたいにまた明日ってやらないのなんでだろ?」

「小学生じゃないからじゃね?」

「えー、だってさよならってエイエンな別れって感じがしてさ。明日もあた会うのに」

「お前、いちいちそんな事考えんの?」

「え? 小谷くんは考えないの? まー、小谷くんは理数系だから、情緒がないもんね」

「殴るぞ」

「暴力反対」

毎日一緒にいる癖に実りのない話は流れるように続く。女子はお喋りだ。まぁそれが苦だったらこいつと三年もつるんでないか。

「じゃあじゃあ小谷くん。人って三回死ぬと思うんだ」

「なんだよ突然」

「サヨナラ繋がりで。まぁ聞いてよ」

「人は一回死んだら終わりだろ」

「そんなの悲しいじゃない」

 水野は即答した。

「まぁまぁ、聴き給え。えーと、一回目は肉体的な死でしょ」

 水野は指を折りながら持論を話し始める。俺は適当に相槌を打って聴いた。

「二回目はね、魂の死」

「魂?」

「人の精神、心、魂。普通は肉体と共に死んじゃうけどね。たまに魂が先に死んじゃう」

「精神はなんとなく理屈はわかるが、魂なんてあるのか?」

「それは死んでみないとわからないよ。悪魔の証明みたいなもんだしね。それに、肉体が死んで、それで終わりってなんだか悲しいじゃない」

「じゃあ、そこら辺は棚に上げといて、肉体と一緒に死ななかったらどうなるんだよ」

「幽霊になるんじゃない?」

「はぁ?」

「幽霊って人の強い思いでしょ? きっと魂そのものなんだよ」

 色々吹っ飛ばしている気がするが、コレは奴の持論だ。知らん。

「で、その魂はどうやって死ぬんだ?」

「簡単だよ。心残りが無くなったら成仏して死ぬの」

「ふーん」

 興味な下げに相槌をうった。

「三回目はね、忘れられた時に来る」

「?」

「ほら、葬式とかでよく言うじゃない。故人はいつまでも記憶の中にって。つまり、人は記憶の中で生きてるのなら、忘れられたら死んじゃうって事だよね。存在を認識されないものは死んでるも同然だよ。忘れるって事は人を殺してるって事なのかもね」

 水野は遠くを見ながら言った。

「忘れるなって事か?」

「別にそうじゃないよ。忘れてもいいと思う。ただ、忘れられるって悲しいなって、思っただけ」

「もう、なんか哲学みてぇな話だな」

「今思いついた持論だけどね」

 水野は笑った後、静かに、

「人は三回死ぬんだよ」

 結論をもう一度言った。気に入ったらしい。

 五時を知らせる防災無線が建物に反射している。あぁ、塾に行かないと。

 話している間に小学校の前に辿り着いた。ここが俺たちの分かれ道だ。小学校の前の横断歩道を渡り住宅地に入っていくのが俺。渡らずに、このまま真っ直ぐ歩いて線路を越えた先が水野の家だった。線路を越えて、どう帰るのかは俺は知らないが。

「塾、頑張ってね」

 水野がひょいっと信号のボタンを押す。「あぁ、また明日な」

「うん、あ、小谷くん。雑談ついでに豆知識。彼岸花の花言葉は、『また会うのを楽しみに』なんだって。また明日ね」

 青になった。水野は手を振ると、俺に背を向け真っ直ぐ進む。俺はその背中に軽く手を挙げ、信号を渡った。

 住宅地を少し進むと、顔に冷たい何かが当たった。雨だ。それからポツポツと空が泣き始め、家に着く頃にはバケツをひっくり返したように大泣きし始めた。アイツは大丈夫だろうか? 少しだけ心配したが塾の時間が迫っていて、水野の事なんてすっかり忘れてしまった。

だってまた明日会うのだから。


 泣いていた空も、俺が塾から帰る頃にはすっかり泣き止み、雲の切れ間から星がちらちらと見えた。水野が言った通りに明日は晴れだろう。

 家に帰ると、珍しく夜勤じゃなかった母が困ったような顔をして出迎え、そして水野の名前を出した。

「連絡網で回って来たんだけど、水野ちゃん家に帰って来てないらしいのよ。警察に連絡する前にって情報が回って来てね」

 アンタ、何か知らない?

 体が痺れたように動かなかった。ぞわぞわと冷たいものが体を這い回る。雨に降られた水野はどこに行ってしまったのだろう。


 水野が失踪してから、数日が経過した。

 警察は未成年の失踪捜索はあまり意欲的ではなく、事件に進展は無かった。失踪か、誘拐か、はたまた別の事件に巻き込まれたのか、何も解っていなかった。俺たちの街に川は無いから、流された、とかでは無いし、自然災害でないなら、自ら消えたか、他人によって消されたかの二つしか選択肢は無い。

 もし水野が自分から居なくなったのではなく、事故、事件に巻き込まれていたのなら、それは俺のせいではないか?

 悪い考えが頭の中を巡る。

 俺がちゃんと記事を書いて渡したり、手伝ったりしていたら、水野は部活に行ったはずだ。そうしたら、一人であの時間に帰ることは無かったはずだ。

 身近な人が行方不明になる、なんて経験をしたことがない俺達は、どうしていいか解らず、次第に誰も水野の話をしなくなった。

 まるで、水野なんか居なかったかのように、何事もなかったかのように、不安定な薄氷の上の日常が過ぎていく。

 ポカリと俺の隣の席が空いた。

 皆が水野の事を無かった事にするにつれ、反比例のように日に日にあの日聞いた、水野の持論を思い出す。

「人は三回死ぬんだよ」

 忘れられていく度、きっと水野は殺されている。


 九月末。俺は、居なくなった水野の代わりに委員会に出ていた。

 普通班は、一班六人だが俺たち広報班はクラスの人数の都合で一つだけの五人班だった。水野がいない今、たった四人で、しかも受験を抱えながら今後も同じように新聞を出せるかまだ解らないが、取りあえず来月号のテーマを決め、まとめた委員会ノートを教室に戻す為、螺旋階段を登る。

 他のクラスの奴らはそのまま部活に向かってしまい俺は独り、三階の俺等の教室へ向かっていた。螺旋の上の方から吹き抜けに陽が挿し込んで、防災無線の音に合わせて埃がゆっくりと舞っているのが見えた。

 静まり返った教室のドアを開けると、窓側の一番後ろ、角っこの席に誰かが居た。

 校則違反のほどけた長い髪に、見慣れた、三年間着て薄汚れたセーラー服。頬杖をついて、猫みたいな目を細くして、彼女は居た。

「お疲れ様」

 あの日から、失踪していた筈の水野は何事も無かったかのように自分の席に座っていたのだ。

「水野……? お前、今までどこに居たんだよ! 皆心配して!」

 驚きすぎて、頭が真っ白になる。

 生きていた、という事実に体がすっと軽くなった気がした。

「死んだんじゃねぇかって不安で……」

「……」

 水野は困ったように微笑んでいた。

「水野?」

「……ねぇ、小谷くん」

「なんだ?」

 この先を聞いてはいけない。と頭の中で誰かが警告をする。

「驚かないで聞いて、欲しいのだけど。私、幽霊になりました」

 世界が止まったように感じた。

「冗談……言うなよ。俺は幽霊なんて今まで見たことも」

「冗談、じゃないんだ」

 水野は俺に手を延ばす。俺は恐る恐る触れるが、触れられている感覚は無かった。無いどころか、俺の手を通り抜けて、見ていて気持ちが悪い。

 どんどんと焦る俺とは反対に水野は穏やかだった。

「奇しくも私は、君に私の持論を証明してしまったわけだ」

 あはは、と笑う。

 人は、三回死ぬ。

 二回目で死ねきれなかった魂は……幽霊になる。

 幽霊なんて存在信じられるわけがない。けれど、目の前の出来事を説明するには、水野が幽霊になったとしか言いようがなくて……。

「俺が、俺が、あの日、新聞を書かなかったから死んだのか……? だから、お前は俺の前に」

「違うよ」

 水野は即答した。

「君が手伝おうが手伝わなかろうが、私はあの日死んでいたんだ。だから、君のせいじゃないよ」

 違う。そんな穏やかな顔で、そんな俺に都合が良い事を言って欲しいんじゃない。

「んなわけねぇだろ! そんな俺に都合が良い事なんてあるわけねぇだろ」

 突然の大声に驚き目が猫のように丸くなった。それから厳しい目つきになって、水野は小さく息を吸って静かに言った。

「小谷くん、賭けをしよう」

「……賭け?」

「うん。私が君の幻覚か本物かを賭けよう」

  理解ができなかった。

「そんな賭けをしても証明しようがねぇだろ。そんなことよりももっと大事な事が」

 水野は言葉を遮って、

「出来るよ。私は私しか知らない事があるから」

 と呑気に言う。

「だから、それじゃぁ証明できねぇんだよ! 俺が知らねぇんだから確かめようがねぇ」

 俺が知らなければ、それが正しいことか判断は出来ない。しかし、俺が知っていたら俺の都合の良い幻覚の可能性を否定できないのだ。

「できる、出来るよ」

 しかし水野は自信満々に即答する。

「私が知ってて、君が知らない。そして、証明できる方法」

 それはね、と続け、

「私の死体がある場所を君に教える事だよ」

 と、悲しい事を水野は言った。

 それは、確かに、俺が知らなくて、そして、水野を水野本人足らしめる方法だった。だって場所を知ってるのは犯人と死体本人だけだ。

「それを出されたらどうやっても俺の負けじゃねぇか」

 けど、幽霊だということを認めたら、死体を見つけてしまったら、水野が本当に死んだことを認めてしまう。それは駄目な気がした。

「まだわからないよ。君が犯人の可能性も」「冗談言うなよ……」

「ふふ。君が犯人じゃないのは殺された私が一番知ってるよ」

 俺も知ってる。

 あまりにもいつも通りのやり取りで、ますます死んでいるなんて実感が沸かなかった。

「まぁ、私が幽霊か否かなんて今はどうでも良いか」

「生死以上に大切なことなんてあるかよ。……それにお前は何で俺の前に来たんだ」

 わからなかった。責める為でもないなら、なんで俺の前なのか。

 水野は俺と視線を合わせ、真っ直ぐ目を見てくる。

「君に叶えて欲しいことがあるんだ。君にしか頼めない」

「俺に、何を願うんだよ」

 と、震える声で問えば、水野はまるで舞台役者のように大げさな動作をしながら歩き出した。

「それはね、小谷君。古今東西さまざまな幽霊が望む事」

 くるりと回って此方を向いて怪しく笑い、

「私を殺して欲しい」

 と言った。

「殺す……?」

 成仏ならまだ解る。

「言葉は物騒だけど、自然に消滅しなかったものを終わらすには殺すしか無いでしょう?」

「そうかもしれねぇけど」

 幽霊を、触れられないモノをどうやって傷つけられよう。

「私が死んだということを世間に知れれば私は幽霊として成り立てなくなる」

「どういう事だ?」

 水野は机も椅子も無視して自由に教室を歩き回る。

「幽霊ってね、現世にとどまるのに凄いエネルギーが必要なの。多くの人間の『存在しない』という意識が働くとあやふやな存在は世界の理によって居なく成るから。幽霊はそのシステムから抗わないといけないの。だから『幽霊わたし』はここに居るっていう証をお化けたちは残すんだ。ナニかが居ると思われれば思われるほど負担が軽くなるから。そこまでして残りたがる恨みって怖いよね」

 じゃあお前はそんな恨みを?

「違うよ。私は今、世間的に死んでいると認識されてない。君だって私の死を決定的に知っている訳じゃないでしょ。君の幻想という可能性がまだあるしね。つまり、大勢の人の死んでいるかもしれないという意識と生きているかもしれないという意識の間に居るってこと。そんなグレーゾーンだからこうして魂の残りカス、幽霊としてらくーに存在できていられているってわけ。これが大勢の人に私は『死んでいる』と認識されると強制排除さ」

 だって決して存在する筈のないものは、存在する事すら許されないからね、と水野は言う。

 つまり水野は死んだと認識されてないから、人の意識のデットスペースに幽霊として存在できている。しかし水野の死が認識されてしまったらそのデットスペースが無くなり、幽霊のお前は存在できなくなる。だから俺に死体を発見させて、世間に認識させ、殺させたい。

「そーいうこと」

「自然に、自然に成仏することは出来ねぇのか、心残りを満たすとか。それかいっその事成仏せずに居ればいい」

 殺さずに済むならそれがいい。そんな責任負いたくない。

「無理だと思うよ。出来たらその方法を取ってる」

 無表情に水野は冷たく言った。

「……そう、か。……なぁ、俺がお前を死んだと認識したら、その、大丈夫なのか?」

「大丈夫だと思うけど……うん。出来るなら水野と幽霊わたしを別の存在だと思って欲しい」

 別の存在?

「行方不明なクラスメイトを水野。ここにいる私は……そうね、村雨とかリーダーとか普段呼ばない呼び名で呼んで。そうするだけでカテゴリーが別れるから大分違うと思う」「……」

 しぶしぶ頷くと、水野はありがとうと笑った。

「賭けをしよう。小谷くん。私が君の幻覚か本物の幽霊かどうか」

「それは」

 お前を殺すことでは、と紡ぐ言葉を遮り、

「だけど、その賭けは卒業式が終わった後にやろう」

 と、言った。今まで澄ました顔をしていた水野が、一瞬だけ泣き出しそうな顔をした。

「私に、私にさ、中学生活最後の日常を一緒に送らせて欲しい。皆から見えなくてもいい、認識されてなくてもいい。存在の証なんてもの無くても良い。けど、私が一緒に居たいの。ただ、一緒に居たい。教室の隅でいいから居させてほしい」

「私は……みんなと一緒に……卒業したい」

 その言葉を聞いて今まで遠く、得体の知れない存在に成りかけていた水野が、俺の知ってる水野になった気がした。否、今までだって水野だった。けれど、冷静に、理性的に見せようと取り繕っていただけなんだ。

 当たり前の日々を当たり前に過ごしたい。そんな誰しもが持っているありきたりで、幸せな願いを誰かに理不尽に奪われて。未来を失くしてしまった、ただの女の子が望む、最後の夢。例えそれがただの茶番に過ぎなくても。

「わかった……その賭け、乗ってやる」

 俺はその小さな願いを拾い上げた。

 班長は嬉しそうに微笑んだ。

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