平和編

 村の隅にひっそりと出来た洞窟の奥深くへと入ったところで真湖まこは小さく息を吐き出すと同時に、掴んでいた侵入者の手を放した。

 薄暗がりの中、不躾だろうと自覚しつつも思わずまじまじと少年の顔を見つめる。他の住人であれば即座に“不浄の鬼”だと嫌い、罵声と共に石やら農具やらをぶつける所だろうが幸か不幸か真湖にはの村に生まれた以上誰しもが持つ差別意識が完全に欠如している。

 そうした事に生来の好奇心も相俟あいまって真湖は今迄昔話や戒めの中だけであった“不浄の鬼”ことアルビノ以外の種族に、隠しようもなく興味深々だった。

 真湖の真紅の双眸がそうした内心に輝いていたからか、単純に凝視される気まずさからか。少年は困った様な苦笑を浮べると、照れ臭そうに頬を掻いた。少年の金色の双眸そうぼうが露骨に泳ぐ。


「えーっと、間抜けな質問っすけど、アンタもアルビノなんだよね?」

「そうだ。と言うか此処がアルビノ村だって分かって来たんじゃないの?」


 先の少年の物言いから考える限りでは噂か何かで聞いたアルビノ村を探し出したという様に思える。れだけの前知識と行動力があれば此処にアルビノ以外が一切住んでいないというのも知っていそうなものだが。

 確かに数年前から1人、真湖が其の中性的な顔立ちや物言いから兄と言うよりは姉の様に慕っている例外の少年が暮らしてはいるものの、今少年と顔を合わせている真湖は白髪に白肌、真紅と言える程深い赤色の双眸と広く語られる、分かり易いアルビノの外見をしている。

 わざわざ確認する程だろうか。少年の言葉を疑問に思いつつ肯定を返してから、疑問を添えれば少年は少し言い淀み、何処か冷たい印象を抱かせる金色の双眸を気まずそうに伏せた。


「いやぁ、なんつーか。アルビノを迫害したって歴史や今でも消えないアルビノへの差別意識がそうさせてんのは分かるけど、アルビノの方はアルビノの方で自分達以外を酷く嫌ってるって噂は聞いたからさ。……だけどアンタはまるでそうは見えない。まあ、こんなひっそりとした洞窟に連れて来て、こっそりオレを食ってやろうって算段なのかもしれないっすけど?」

「確かにアルビノは鬼や悪魔と語られてるけど実際に人喰いはしないし、此処の住人がアルビノ以外に偏見を持っているのは確かだけど、私にそれはない。それでキミは何故此処に?」

「そりゃあ村の伝承でアルビノについて興味を持ったからに決まってるっすよー。オレの住む村にも付近の村にも生憎とアルビノは住んでない。伝承で語られる通りの力があるのかとか、本当にそんな外見をしてるのかとか、そーいうのに興味を持っちゃうオトシゴロなんだよね」


 少年があっさりと明かしてみせた目的はあまりに単純で、何処か馬鹿げてさえいた。彼と相対したのが真湖でなければ信じる信じない以前に相手にもされないだろう。もっとも少年を最初に見付けたのが真湖でなければ此の少年は弁明の暇すらなく殺されていただろうが。

 いくらアルビノが他の人間よりも虚弱体質であり、仮に此の少年が頭も切れ、強さにも秀でていたところで数の暴力には敵うまい。まともな反撃も出来ずに処刑と称した殺戮行為に敗れるのは明らかだろう。

 しかし其れはあくまで“もしも”の話であり、事実として少年を最初に見付けたのは真湖だ。だからこそ他の住人に気付かれるより早く、彼等には目にする事の出来ない隠業の術を施した洞窟へと連れて来たのだが、まさか己の逃げ場所秘密基地を余所者を匿うのに使う事になるとは稀代の巫女と期待される真湖にも予想外だった。

 少年の言葉に嘘が無い事は明らかで、だからこそ真湖は思わずという様に溜息を漏らした。少年の無鉄砲な迄の無邪気さと好奇心に呆れ、しかし実際其れを行動に移してしまえるだけの行動力と実直さに羨望を感じつつ。

 そんな真湖の溜息を小馬鹿にされたと判断した少年はむっとした表情を浮かべ、平時でも冷たい印象を抱かせる鋭い目を細め、更に其の角度を鋭利な物にする。幼い子供であったら大泣きしてしまうだろうし、大の大人であっても怯んでしまう様な、迫力のある表情だが、まだ少女と言える年齢の真湖は微塵も動じる事なく、寧ろ穏やかに微笑んだ。


 いくら真湖が好奇心に溢れ、アルビノ以外に対する差別意識が死滅していると言えるレベルで持ち合わせておらず、やさしい性分であったところで村を滅ぼそう、住人を殺害しようとしている人間に対してまで微笑みを浮かべ、安全な隠れ場所を提供する様な、底抜けのお人好しではない。

 巫女が人の邪気を視認出来る様に、稀代の巫女だと期待される次期巫女候補の真湖にも其れは出来た。現巫女よりも容易な手順で、現巫女よりも正確に。

 出来たと言うよりは何となく其の人の気配から邪気迄感じてしまうという方が近いだろうか。真湖にとって誰かの姿形を真紅の双眸が捉えるのと同じ位の自然さで、誰かの邪気迄捉えてしまう。

 だから少年が穢れや邪気を全く持っておらず、彼の言う通り純粋な好奇心だけで此処を探し当てたと言うのは本人の説明がなくとも理解に至れたし、そんな彼が凄んでみせても真湖に恐怖を与えるだけの威力はない。

 寧ろ自分達以外を“不浄”だという住人だが、少年と比べて穢れを擁している人間は少なくない。ただ外見が白いだけで心根迄純白だとは言えないのだ。


「ああ、ごめん。別にキミの事を馬鹿にしたワケじゃなくて。確かに少しは呆れもしたけど、自分が殺されるかもしれないとは考えなかったのかな、っていう疑問だよ。興味を持つ年頃っていうのは理解出来るけど、其れで命を落としたら元も子もないだろう?」

「……まあ伝承に聞くアルビノは凶悪っすけど、オレ本人は其処迄凶悪だと思ってないっつーか。鬼の力とか悪魔の力とか、あんましっくり来ないんすよねぇ」


 かと言って少年にずっと睨まれているのもあまり心地良いものではない。それに何時迄も怒らせておくのも申し訳ない。

 真湖は軽く頭を下げ溜息の理由を述べれば、少年も少し解せる部分があったのか真湖を睨むのは止め、それでも腑に落ちない部分はあるらしく呟いた。

 少年の呟きに真湖も納得してしまう。確かに今やアルビノは伝承でしか語られない存在である上に其の脅威が、悪魔や鬼と言った此れ又伝承でしか語られない物であったら、危険性の理解は難しいだろう。好奇心を持った10代半ばの少年少女となれば尚の事、輪郭のぼやけた脅威よりも自らの好奇心を優先してしまう可能性は低くない。

 しかし此の場合前提が間違っている。真湖は少年の言葉にゆるゆると首を横へ振った。


「悪魔や鬼の力と言われれば確かに漠然とした物で、身近な脅威とは言い難いし、そんなに危なくないだろって判断したくなるのは分かるけど。残念ながら此の村に於ける他者への排除方法は、そんな漠然とした物じゃないんだよ。……そもそもアルビノ自体鬼の血を引いているワケでも悪魔の手先でもないんだけどね」


 巫女には確かに他の人間より力があるが、其れはアルビノでなくとも同じ事であるし、今此の場で話す事ではないだろうと先に其れを告げる。

 其れは少年の恐怖を煽ると言うよりは却って好奇心に火を着けたらしく、冷たい印象を抱かせる少年の金色の双眸が其の色に相応しくきらきらと輝いた。


「え!?マジで!?じゃあ此の村の余所者の追い返し方ってどんな方法よ?」

「……追い返すと言うか此の世から追い出されるけど」


今度は真湖が気まずそうに真紅の双眸を伏せる。

 こうも輝いた目で見つめられてしまうと言い難い。ましてや此の少年は本来であれば住人達が其れを執行する対象の部外者張本人なのだから尚の事。


「村の力自慢を筆頭に追い返す対象である部外者を取り囲んで袋叩き……か?石や農具が飛んでくるのは当然で」

「ちょっとタンマ!……なんつーか、……大分直接的な方法っすね!?」


 流石に聞いているのに堪えたのか少年は真湖の言葉を遮り、本人なりに言葉を選びつつ真湖に言い返す。真湖にとって眼前の少年こそ初めて目にするアルビノ以外の人間であるのだが、其の反応は至極真っ当だと思う。他の人間に言っても同じ様な反応をするだろうし、殺られる前に殺れとばかりに村中で暴れる可能性だって否めない。

 真湖は少年の言葉に溜息を吐いてから苦笑し、小さく肩を竦めてみせる。


 村が出来てから生まれた真湖にとって白い肌、白い髪、赤色の双眸という外見は何の変哲もない当たり前の物だが、かつて鬼や悪魔と糾弾されていた歴史から察せる様に他の人間の中では悪目立ちする外見であっただろう。其処に魔力めいた物を感じたとしても不思議はない。

 同種族だけの村を作って以降時間の流れと共にアルビノと他種族の接点は絶えたが、現在に於いても歴史に残る外見からアルビノに魔力めいた物を感じる人間が居る事についても此れ又無理のない事だ。


 しかし実際にアルビノにはそんな力はない。

 歴代の巫女や真湖が持つ力はアルビノでなくとも擁している類の物で、寧ろアルビノは他の種族よりも体が弱く欠点の方が目立つのではないかと思われる。


「白髪赤目。不思議な力を警戒されるに十分な容姿だと思うけど、そういう不思議な力は持ってないんだ。だから敵を見做した相手を追い返したければ、武力に出るしかない。ただ此の村の人達は追い返す度合いが桁外れだからね。村から追い出すだけじゃ満足しない。その結果、此処の人達が振るう暴力は過激になるって事。まあ記録に残っている限りじゃ村に来た部外者は今迄1人も居なかったみたいだけど」

「ひぃ~、おっかねぇ。……ところでアンタはさ、どっからどうみても素晴らしいまでにアルビノだけど、こんな事部外者のオレに話しちゃって良かったの?」


 大袈裟に自分の体を抱きしめて震え上がってみせた少年は、しかし次の瞬間意味深な微笑みを浮べる。分かり易い程に悪事を企んでいますと言わんばかりの声音迄ご丁寧に添えて。

 しかし真湖は己の失態に顔を顰めるでもなく、ただ少年に対して微笑んだ。


「心配ない。キミから悪意は感じないし、此の村を滅ぼすつもりならもっとやりようはあるだろ。キミは信じるに値すると思ったから此処に連れて来て、村の事迄話してるんだよ。私だって誰彼構わずぺらぺら話す様なお人好しじゃないさ」


 真湖としては己の思ったままを正直に語っただけに過ぎないのだが、眼前の少年の顔はみるみる内に真っ赤に染まる。

 浮べていた意味深な微笑みは既に名残りすら残さず、何やら口篭りながら金色の双眸を忙しなくあちらこちらへ動かす。其の目に最早冷たい印象はない。歳相応に無邪気さを湛えた目だ。

 時間にして5分には満たぬ数分間くらいそうしていただろうか。徐々に落ち着きを取り戻したらしい少年は視線を真湖へと戻すと気を取り直してと言う様に咳払いを1つ。頬こそまだ赤みを残しているものの幾分落ち着いた声音で言葉を切り出す。


「なんつーか、本当はっきりとした物言いをする人っすねぇ。それにオレの事を此処迄信じる人って初めてだよ。……自分で言うのも虚しいっすけど」

「まあ其れは分からなくもないけど」

「酷い!?」


 少年はわざとらしくコミカルに驚愕と落胆を全身で示してみせるが、金色の双眸の奥底が言外に語っている。此方の言葉の本質は全て見抜いているし、仮に見抜いていないどころで今更己への非難の言葉等何とも思わない程に聞き飽きていると。

 そうした少年の立ち居振る舞い。

 ただでさえ一見には大人びて見える顔立ちをした少年の双眸は、よく見れば見る程鋭い形と冷たい瞳といった印象を強める。

 出会って1時間にも満たぬ真湖でさえ特別な観察眼等持たずとも、子供らしかぬ少年があまり周囲に馴染めていない事は想像に難くない。

 此れで言動が無邪気な子供其の物であればまだ変わったかもしれないが、此の少年の言動は少年の外見を良くも悪くも裏切らない、何処か人を小馬鹿にし、何事にも冷め切った、子供らしさの欠片も残さぬ物だ。

 好奇心の儘に動いてしまうという子供染みた面は残している様だが、少年の性分を推測するに、そうした己の興味を寄せる部分については多くを語らない、或いは絶対に言外しないだろう。


 そうした人間が取っ付き難いという印象を抱かせるのは必至。

 取っ付き難い人間の性分を理解するのは難しいし、理解に至らぬ人間を信頼するなんて無理な話である。


 其の為少年が信頼を抱かれる性分でない事、加えて言えば本人は其れを気にしていない事は推測に容易い。

 だが其れはあくまで一般論であり、一般論から逸脱している真湖に一般論が適応されるワケもない。

 だからこそ真湖はそうした少年の外見や立ち居振る舞いから感じられてしまうだろう第一印象による偏見に引き摺られる事なく、少年の本質を正しく汲み取る。


 確かに真湖には稀代の巫女と呼ばれるに相応しい持って生まれた能力があり、双眸が対峙した相手の本質を見透かしてしまう。どれ程悪人ぶっても、どれ程善人ぶっても真湖の前には無意味で、其れは周囲から誤解され易い此の少年や、其の外見故村人に異端児だと嫌われている姉の様な存在についても同じ事である。

 外見からしか判断の出来ぬ要素は真湖にとって、眼前の相手を判断する参考材料にさえ成り得ない。

 もっとも少年を信頼出来ると思ったのは、そうした特別な能力とは関係無く此の僅かな接触で少年は信じられると、少年を信じたいと思ったからだが。


「だけど私はキミとこうして話してみて、キミの言葉に嘘が無い事は分かったつもり。キミが好奇心だけで此の村を探した事。アルビノに敵意は無い事。此処の住人が村から侵入者を追い返す方法があんな直接的で野蛮な物だとは想像さえしていなかった事。私には特別な能力が備わっているけど、何となく嘘を吐いてる人って分かるの。だからキミが嘘を言っていないのも分かるし、何より私はキミと短い間だけど言葉を交わしてキミは信頼出来ると思ったんだよ。外見だけから与える印象なんて私は信じていないもの」


 きっぱりと言い切った真湖の顔を少年が目をぱちくりさせつつ見つめていたのは、時間にして一瞬。

 少年は其の後直ぐにぷっと吹き出すと、面白くて堪らないと言う様に腹さえ抱えて笑い出した。見ている真湖の方が其の儘勢い余って洞窟の石の床に頭を強か打ち付けてしまわないかと心配に思う程に、少年は身さえ捩って、けらけらと楽しそうに声をあげて笑う。

 少年の底抜けに明るい声が石の洞窟に反響して、普段であれば真湖が寂しく膝を抱えるだけの場所であった洞窟に、洞窟本来の鬱蒼とした雰囲気と、真湖が作り上げた鬱屈とした空気さえ吹き飛ばすかの勢いで明るい空気が広がっていく。

 釣られた様に真湖もにっこりと微笑んで。

 微笑みを浮べた事で何かのスイッチを押したのか、真湖の中で箍が外れ、真湖も少年の様に声をあげて笑った。


 そうしてひとしきり笑っていただろうか。

 少年も真湖も笑い過ぎて目の端に浮かんだ涙をそれぞれ拭いつつ、少年は息を整えながら唐突に切り出した。


「あー、面白い。こんなに笑ったのは生まれて初めてかも。ねえ、オレはリオっていうんだけど、アンタは?」


 生まれて初めてこんなに笑った。リオと名乗った少年の言葉は真湖にとっても同じだった。

 真湖もリオと同じ様に涙を拭い、乱れた息を整えつつ、リオに言葉を返す。先程聞いたばかりのリオという名前を胸の中で大切に抱きしめ、噛み締めながら。


 初対面の人間を相手に。

 其れも多種族の、住人達が“不浄の鬼”と呼ぶ種族を相手にして、しかし真湖は此れが幸せというのかもしれないと漠然とではあるが、そんなあたたかく穏やかな気持ちを抱きながら。


「私も此処迄笑ったのは生まれて初めてだ。私は真湖だよ、リオ」


 互いの種族が互いの事を悪魔の化身であるかの様に話している事を、真湖もリオもよく知っている。子供達はよくよく其の危険性を聞かされ、きちんとした差別意識を持つ子供に育つ様教育されるのだ。効果こそなかったが真湖とリオも例外ではない。

 つまりはリオの村でも真湖が暮らすアルビノ村でも、未だ互いへの差別意識を通り越した嫌悪感は根強く残っている。

 少年少女と呼べる年齢のリオと真湖であってもそうした環境下の中、金色の髪と双眸を持つリオと、白い髪と真紅の双眸を持つ真湖が接し、あまつさえ好意的に自己紹介を始めた此の現状がどんな意味を持つか理解していないワケではない。

 寧ろリオも真湖も賢い子供である。自身がしている事の重要性を理解し、どれ程の禁忌に触れているかを理解した上で其れでも此の時間の続行を少年少女は望んだ。

 其れこそまるで遠い昔から魂が深い部分で繋がってでもいたという様に。漸く欠けていた何かが当て嵌まったとでも言う様に。

 リオは真湖と、真湖はリオと居る此の時間が特別な物の様に思えたのだ。


 もっとも幾ら賢い2人とは言え、此の時ばかりはそう深い事を考えていたワケではなかった。


 禁忌を理解し、露見すれば如何なる罰が待ち受けているかを存分に想像した上で。

 しかし其の上でただもっと相手の事を知りたいと願い、共に過ごす時間を渇望した。

 此の時のリオと真湖はリスクこそ理解していたものの、心が声高に訴える渇望に応えただけであった。

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