「この、この……お前が、お前が!!」


 意識が戻ると同時、まだ万全ではない体は気力のみで跳ね起こし、持って生まれた本能的な力のみで即座に把握したかたきの場所を寸分違わず、住民の誰よりも赤い双眸そうぼうで睨み付ける。

 意識を失っていたとは言え寝起き特有の掠れた声であるのも構わず感情のまま憎悪を吐き捨てようとして、しかし喉が裂ける事も構わず発した怨嗟えんさは途中で適切な言葉を失い一瞬詰まる。代わりに口から出てきたのはあまりに粗末で、漠然とした二人称の連呼。


 ぬるい。

 己の生温さに嫌気が差す。

 眼前の男は確かに敵であるというのに、それでも歳の近い姉の様に接した時間が真湖まこに彼を異端児、不浄の鬼と糾弾させる事を戸惑わせた。

 しかしだからと言って男への憎悪が消えたワケではない。眼前の彼はかつて真湖の姉の様な存在であったかもしれないが、今は確かに仇であるのだ


「村長からの指令は無事果たしました。此れでワタシの願いも聞いてくれますよね?」

「無論だ。其の前にワシ等はキミへの数々の非礼を詫び、改めてキミを村の住人として受け入れよう」

「まあ!ワタシにとって最早そんな事はどうでも良かったんだけど。でもの方がワタシのお願いには都合が良いし有り難く此処ここの住人を名乗らせて頂くわ。ワタシのお願いは2つよ。先ずは1つ目。ワタシを真湖と結婚させてくれないかしら?」

「構わんよ。幾ら巫女としての力を宿したまま、美しさも微塵みじんも衰えていないとはいえ、“不浄の鬼”に触れた裏切り者の間者かんじゃであれば貰い手も付かぬしな。異端児が生まれぬ不安が無いと言えば嘘になるが、村が滅びぬ為に新たな子は必要であるし、思想に問題こそあれ美しさと能力に陰りが一切ない事を思えば子はまともになるかも知れぬ。汚れ物の処分を体よく引き受けさせる様ではあるが、キミが望むのであればめとってやってくれぬか」

「あら村長さん。ワタシ、結構真湖を好いているのよ?それは今でも同じ。そんなワタシの前で真湖を悪く言うのはちょっと頂けないわ」

「何勝手な事を!!」


 当人でもあろう真湖を置き去りに妙な方向へと進む彼等の会話に真湖は会話を遮る様に思わず叫び、しかし彼等はまるで真湖の言葉等聞こえていないかの様に和やかに談笑を続ける。

 特に村長に至っては真湖の方を見てさえいない。まるで其処に真湖がいないかの様に。

 己の抗議さえ通じぬ状況に苛立ち、しかし不思議と直ぐ真湖の頭は冷却された。


 ああ、考えれば当たり前の事だ。


 村長曰く歴代1の力と美しさを誇る巫女としての何もかもが衰えていないとはいえ、真湖は住人が“不浄の鬼”と表して忌み嫌う多種族と交流を持った。其れは彼等にとって裏切りそのもの。

 いくら強い力を持っていたとしても。いくら真湖が稀代の美少女であったとしても。

 忌み嫌う種族の間者であるやもしれぬ汚らわしい人間と添い遂げたいと思う者が居るだろうか。そんな人間を村を守護し、導く巫女にと望む者が居るだろうか。頭を悩ませる迄もない。物心付けば幼子であっても分かる事だ。


 いない。


 真湖は今や村にとって不浄な存在であり、扱いに困る厄介者だ。此の村を口外される危険が重々ある以上追放も出来ず、さりとて明確な不浄を巫女の目から見ても感じ取れぬ以上代々的な処刑も出来ない。加えて村が発展するには次代を担う子供の存在は不可欠であり、真湖を形成する強い巫女の力や美しい顔立ちを引き継いだ子供が生まれれば村の発展にも繋がる。

 子供が間者になる危険性等、生まれた後教育によってどうとでも潰してしまえば良い。

 そうなると真湖をただ捨て置くのは惜しいのだ。そんな厄介な不用品と成った真湖を今迄住人から疎外され、村に居ながらも村の住人と言うには相応しくない環境に置かれていた爪弾き者が真湖を娶りたいと言い出した。

 真湖の処分に困惑し、村の発展を考えれば真湖の要素を継いだ赤子は欲しい村長としては願ってもいない申し出だろう。其処に真湖が己の意志を挟む余地等ありはしないのだ。


 全てを理解して諦めた様に全身から力を抜きつつも、赤々とした双眸は変わらず男を睨み付ける。

 何があろうと、例え無理に婚姻を結ばれようが此の男だけは許すまい。何時か寝首を掻いてやるという復讐心を隠そうともせず、眼窩に血液を流し込んだかの様な見事な迄の真紅をした双眸に、憎悪の炎を滾らせて。


 その真湖の視線にか。

 先程迄村長同様に無視を決め込んでいた男が、うふふと笑みを零す。何処か恍惚とした、真湖とは対照的に幸福に満ちてさえいる様な笑みをうっとりと浮べたまま、彼はちらりと一瞬真湖を見る。

 幸福に潤んだ黒と憎悪に燃える真紅が一瞬だけ見つめ合う。

 しかし直ぐに男はまた視線を村長に戻せば、先程の視線の交錯等無かったかの様に途切れた会話を和やかな雰囲気のまま再開した。


「もう1つのお願いは、ワタシが真湖にする事を罪に問わないで欲しいんです。ああでも安心して?村長さんの期待には応えて、ちゃんと村の巫女に相応しい様な素晴らしい子供は提供するわ。だけどワタシ、どうしても真湖の体の1部で欲しい物があるの。でも人体損傷は罪に問われてしまうでしょう?だからワタシがソレを手にする行為を黙認してくれないかしら?」


 背筋に寒気が奔ったのは、不思議とほんの一瞬だけだった。其れも心が嫌悪や恐怖を抱いての結果ではない。人体損傷をしたいと語る男に、体の方が生存危機を本能的に抱いたが故の反射的な反応であって、不思議と真湖は彼の言葉に恐怖を抱きはしなかった。もっとも憎悪や嫌悪であればあの洞窟内で全てを悟ってから、真湖の華奢な体等食い破ってしまうのではないかという勢いで満ち満ちているが。

 村長が真湖を守ってくれる事には最早期待も何もしていない。今迄村長や巫女さえ真湖を目に見えて特別に扱っていたのは、真湖が稀代の巫女だと言われていたからである。其れを失えばただの少女であるし、“不浄の鬼”と接点を持っていたとなれば糾弾に値する裏切り者だ。そんな人間を守っても何の得にならない事は裏切り者本人である真湖にも分かる事であったし、そもそも真湖自身守って欲しいと期待はしていなかった。

 ただ何か1つを望むのであれば、いっそ人体損傷の許可ではなく、殺害の許可であったら良いのにという事くらい。

 危険思想を持った真湖に子供を育てさせるとは思わないし、あわよくば村の重役にと考えている子供を村の爪弾き者であった異端児に任せるとも思えない。真湖の役目など正に子を産むだけだろう。真湖の手が我が子へ触れる事さえ許さず、村の重役達が厳重に注意を重ねて育てるだろう未来は目に見えている。

 ならば子供に母親は必要ない。少なくとも産みの親である真湖は彼等彼女等の親には成り得ない。そうであればいっそ、ある程度の子供を産んだ後という条件下で殺害許可を請うてくれれば良かったのにと、そう思ったくらい。


 そうすれば全てから逃れられる。此の忌まわしい男に復讐を果たせない事が心残りになるが、仇の妻として暮らす事はなくなる。

 下らない差別意識で凝り固まった閉鎖的な村を脱出出来る。

 あわよくば其の先でリオに会えるかもしれないと望むのは、流石に虫が良過ぎるか。


 今の真湖にとって死の方が余程救いで、幸福で、あたたかい。

 しかし最早自分の意見が通る場でない事は理解出来ているし、此処で迂闊に死を望みでもすれば此の男は手厚く真湖をもてなし、些細な体調不良にさえ大袈裟な治療を施すだろう。

 此の男は恐らくそういった人間だ。

 此の事態は其れを友として、姉の様に慕っていた決して短くはない時間で見抜けなかった真湖の落ち度が招いた事である。


 真湖は村長の返答を予測して、そして諦観の息を吐き出した。最早此の場で抵抗しようと悪手にしかならぬ事は理解出来ている。

 其れでも何時の日にか此の男に復讐を果たし、此の可笑しな村に滅びを齎してみせようと真湖は内心強く決意して。

 村長が男によかろうと肯定を返すのを確認するより早く、真紅の目を閉じ、意識を闇の中へと沈めた。









 己の視野が欠けている事に真湖は直ぐ気が付いたが、だからと言って焦るでもなく、ただ自身の視野が欠けているのだという事実を事実として受け止めた。

 ほんの一瞬だけ動揺こそしたものの、我を失う程の物ではない。真湖の記憶にあの男が村長に請うた2つ目の内容さえ覚えていれば焦燥を抱く事ではない。あの男が損壊を望んだ真湖の体の部位が真紅の双眸、其の片側であったというだけである。

 最早真湖にとって見たいと感じる物は何もない。寧ろあの男の顔も、村にある小石1つでさえ見たくもない位だ。いっそ両側共抉り出そうと真湖は構わなかったのだが。

 1つ溜息を吐き出す。此処から先に待っているのは真湖にとっては絶望のみ。ただもしも其の果てにリオが居る事を夢見ても良いのであれば。ガタンとわざとらしい音を立て、襖が開かれる。真湖の夫となるのだから自然な事ではあるが、其処に現れにこにこと微笑みを浮べているのは件の男である。いくら諦観に似た心境に落ち着いたところで此の男への復讐心が微塵も薄らぎはしない。

 片側のみになった真紅の瞳に、しかしながら復讐の炎を消す事なく明らかに燃やしながらも真湖は口元だけに微笑みを形作った。

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