第2章・人ならざる者

大通りから住宅街を抜け、線路を見下ろす橋を渡り、街灯もない田園地帯を抜けるといっきに人っ気は消え森林の香りがしてくる。


僕は原付のヘッドライトをローからハイに切り替えた。


運転途中、暗がりの中に川の流れる音がしてきた。それは小さくも豊富な水が流れる用水路、芝川の支流、見沼代用水だ。


その用水路の水は、広大な芝川水田を潤し川口自然公園に流れ込んでいる。


目的地である思い出の湖は この川口自然公園から原付で3分てところにあるが、その存在と入り口は意外と知られていない。


僕が運転する原付はそんな人っ気のない真っ暗な田園地帯の細道を照らし進んでいく。


時刻は夜の9:16分を表示しているが対向車もなければ すれ違う人などいなかった。


目的地に通じる最後の橋を渡ると僕はエンジンを切り目を閉じ耳を澄ませる。


まだここからでは湖は目視できないが、お爺ちゃんはいつも こうやって自然界の気配を感じていた。


水辺ならではの虫の音色、低音自慢のウシガエルの声、夜の水面を叩き鳴らす何かの気配、風が草木を揺らし鳴らす音…


僕は静かに目を開けると空を見上げる。


【…星…綺麗だな…】


よし!とヘルメットを脱ぎ原付から降りるとふと気がつく、この暗さの中に僕の影が見えたのだ。


影を作り出す夜の光は背後に大きく浮いた満月だった。


白銀色の美しくも妖艶な満月にしばし見惚れたが、僕はヘルメットを原付のフックに引っかけてカメラ袋を取り出すと舗装されていない砂利土道を歩き出す。


少し歩けば1メートルほど盛り上がる土手道があり、土手道に上がれば湖が一望できる。


僕は、土手に上がると芝川第一貯水池を見渡した。


緩く優しい風、夏の暖流が体を通り抜ける。

都心からほど近い場所でありながら本当に田舎に来ているようだ。


大きな満月の光はとても明るくて、湖の水面を綺麗に映し出し、煌めく星々はまるで絨毯のように水面を装飾している。


やっぱり広いな…。確か、東京ドーム4個分だったっけ?


僕は、カメラ袋を片手に湖を一周する土手を左回りで歩き出した。


…昔は隣にお爺ちゃんがいたな…


そんな思い出が頭に湧いた時だった…。

脳裏で感じたことの無いフラッシュの強い光を感じる!三半規管が一瞬弱くなり僕はよろめいた。


【…なんなんだ!?…】


僕は顳顬を右手でおさえながら体制をととのえると何とか顔をもち上げる。


霞む視界に人らしい者が立っている。


【誰だ!?】


突然殴られたのだと思った僕は、大声で誰だ!!と叫んでいた。


すると霞む人物は僕の口に大きな手を当て話しかけてきた。


霞む人物【…勝、お前は立派な写真家になれるな…】


その声を聞いた途端涙が頬をつたう…。


霞む人物は口から手を外すと話し出す。


【三脚は対岸の水門が良いかもしれんな…】


…お爺ちゃん…


【お爺ちゃ!!……ん?…】


目の霞が晴れた時、そこには誰もいなくなっていた…。


僕はその場で周囲をぐるぐると何度も見回しその姿を探したが、影も形もなくなっていた。


対岸の水門…


霞む人物…多分お爺ちゃんが言っていたであろう水門は迷わず見つけ出すことが出来た。


月明かりが水面に僅かに太い光の道を作り出し、その先に 水門があったからだ。


まるで、水門というトンネルに通じる光の道のように見えて とても神秘的な光景に見える。


僕はさっきの不思議な現象に臆する事なく対岸に向かい歩き出した。


30分くらい歩いたであろうか、ようやく対岸の水門に到着すると僕は驚いた。


【…嘘だろ…】


そこには銀色の三脚がポツリと設置されていたのだ。


近づいてから咄嗟に辺りを見回す…


【…これを使えって事?…】


誰も見えないが僕はやはりお爺ちゃんに対して話しかけていた。


その三脚をよく見ると僕は笑みを浮かべた。


だって…その三脚は何度も何度も僕が運んだお爺ちゃんの三脚そのものだったからだ。


それは銀の装飾が施された星柄の三脚で、全て銀で作られているのにとても軽く、僕が手に持つお爺ちゃんのカメラしか適合しない唯一無二の三脚だった。


【…お爺ちゃん!…お爺ちゃんは生きていたの?…ねえ!!出てきてよ!!】


僕は、お爺ちゃんの存在を確信して大声で叫びだす!

その声は芝川第一貯水池に大きく響くが何の返事もなく虚しく消えていく。


そして、もう一度叫ぼうとした時だ。


湖の真ん中に何か光る物が目に入る!


【…なんだあれ!?】


月明かりが創り出す光の道の上に光の球体が浮いているのだ。


もしかして…お爺ちゃんなのか…。


そう思った僕は、咄嗟に黒いカメラ袋を開けて最新式の一眼レフカメラを構えた。


最大倍率に切り替え、レンズを覗き込む!


…あれ?…


月明かりの道は見えても球体は発見出来ない。


何度もピントを合わせるが球体だけはカメラに写らないのだ。


レンズではなく肉眼で見れば球体はそこにあのに…。


【…クソ…】


そんな時、古いカメラ袋が視界に入った。

それは お爺ちゃんのカメラだ…。


僕はそのカメラに手を伸ばし銀のカメラを取り出すと球体に向けてレンズを覗き込んだ。


光の道が見える…もっと上か?…。


しかし…見れば見るほど体の力が入らなくなってしまい片膝を地面に落とした。


なんなんだ…このカメラ…レンズを覗き込むと体の力が抜けるみたいだ…。


僕は、フラつきながらも立ち上がり銀の三脚にカメラを固定する。


すると脳裏にまたフラッシュの衝撃がはしる!

僕は左目に火傷の様な強い痛みを感じ手でおさえた。

【…ウッ!…】


その時…不思議な事に気がつく。


…僕の左眼の視線がレンズの視線となってる様に感じるのだ…


上手く言えない不思議な感じに驚き、僕の額は汗を流す。


僕はレンズを覗き込む事なく光の球体に視線を向けた…。


すると 左目とシンクロするレンズの視線も球体にめがけて動きはじめた。


【…これは…これはいったい…】


しかもその視線は倍率が高い低いとかの比では無い…望めば望む分だけ近くにも遠くにも見えるのだ。


【…凄い!…】


僕はあっという間に球体を捕らえる事に成功する。


…右目の肉眼では球体を、そして左目の不思議なレンズに写るのは!?…


左目に写されるレンズの視線がソレを見た途端に僕の呼吸が荒れはじめる…!


【…う。うそだろ!?…】


光の中に…しかも水面上に…女が波紋をたてて浮いているのだ。


その女は白銀色のツインテールにグレーのスエードパーカーを着て頭にパーカー帽をかぶっている。

そのパーカー帽から長く緩やかに巻いた白銀色のツインテールが風になびき揺れていた。


パーカーの下にはブレザーの紺色ミニスカートが少しだけ見えている。


僕は、その子の顔が気になりスカートから顔に視線をゆっくりと戻す。


その瞬間だった。左眼に大きく映し出されたのは紫色の瞳だ。パチ…パチパチっと瞬きする彼女はこちらを既に見つめていたのだ!


…見つめているというより…睨んでいる様にも見えるのだが…


僕は何故か夢中で彼女の全てを見つめ続けた。


幽霊かもしれないし…魔法使いかもしれないし、もしかしたら妖怪かもしれないが…単純に彼女は…僕から見て、とても美しかったのだ。


【…美しい…】


その時、その瞬間…僕はシャッターを切りたい衝動にかられる。


壊れていて撮れない お爺ちゃんのカメラ…今なら絶対に撮れる気がしていた。


僕は大きく深呼吸をすると、銀のカメラレンズを右目で覗き込んだ!


両目で見る彼女の姿はレンズを通して見ているのではなく 手を伸ばせば触れるほどに近い肉眼で見ている様だった。


【僕は…君を獲るよ…いいかな?】


彼女はにっこりと笑うと、左右6枚、黒と白の翼を大きく広げた。


満月を持ち上げる様に広がる雄大な翼と、妖艶な彼女が満ち溢れた最高の瞬間、僕はシャッターを切る!


その時僕は何故か お爺ちゃんと心が重なり二人でシャッターを切ったように感じた。


僕はその瞬間視界が真っ白になり この世界から消えていく感じがした…体の力が底抜けに抜けていく…僕は…死ぬのだろうか…。

























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