第7話 緑色の目の怪物 ー 中編
その金髪の男の瞳は、まるで宝玉のように美しい緑色をしていた。
古来、緑はあまり良い印象をもつ色ではない。だから天才やら神童やらとほめそやされても、多くの大人たち(それは彼の両親を含む)は彼の持つエメラルドのように透き通ったグリーンを掬い見ては畏怖したものだった。男は、そんな日常に幼い頃こそ寂しさを覚えたが、有り余る才能と実力をもって、成人する頃には歴代最高の天才魔術師として名を轟かせるまでになった。それは彼の血の滲む努力だけではなく、ただ一人の理解者が側に居たことも力となったに違いないだろう。目蓋越しに触り異色のその瞳をいつも美しいと褒めてくれたのは、幼馴染であり、恋人であり、婚約者である一人の女性だ。もっとも、その亡骸も結婚式のひと月前に、上流貴族特有の欺瞞や謀略にかかり屋敷諸共燃え尽きてしまったのだけれども。
「……まずは小手調べからだ」
ぶわり、と肌をさわる冷気はその緑の瞳の魔術師ーーーーハロルド、と名乗った青年を取り巻きうねる。彼はスネークウッド製のステッキを大きく掲げると、カン、と足元に突き落とした。それが合図だったのだろうか、地面が大きく揺れたかと思うと波のようにうねり始め、そして遂には、まるで粘土のようにビル三階ほどの高さをもつ人型へと姿を成した。その生まれたばかりの巨人は大きな咆哮をあげると穴が三つ空いただけの顔を涼子に向ける。
「ゴーレムだなんて。随分と古い魔術を使うのね」
「……」
主人と同じく無表情の土の巨人は、空虚であるはずの顔を悲しそうに揺らして大きな拳を涼子へと振り降ろす。そうしてそのまま彼女の顔面が潰れる、はずだった。実際は、巨木よりも太く岩より硬いその拳は、彼女から腕一本離れた場所でミシミシと音を立て止まっている。涼子が口の中で何事かを呟くと、パァンーーと弾ける音がしてゴーレムは後ろに大きく仰け反り倒れた。
ゴーレムの分が明らかに悪くとも、ハロルドは微塵も動じなかった。元よりこれはただの戯れにしかならないことを知っていたのだ。その間彼は淡々と自身の足元に描いた魔法円に力を注ぎ続けていて、路地に彼が現れ描かれた時は淡かったその円光が、今は煌々とその存在を主張している。ゆらりゆらりと輝き続け、そうしてオレンジ色の灯が辺りを照らすまでに強くなった頃、ようやく息をひとつ吐いて、彼は改めて杖を突き鳴らした。
「行け」
その言葉と同時にゴーレムはロケットがついたかのように勢いよく立ち上がると、再びその大きな拳を撃ちつけんとする。ひらりひらりと蝶のように舞い避ける涼子を追って、辺りの壁やらアスファルトの地面やらは亀裂だらけだった。粉々に砕けて粉塵が舞っても、ゴーレム、もといハロルドは止めようとはしない。寧ろ、その様を傍観してすらいた。
「まったく、野蛮だこと」
涼子はひらりとワンピースの裾を揺らして飛び上がると、己の髪を一本抜いて息を吹き込んだ。そうして一振りの刀と姿を変えた彼女の黒髪は、ぬらりと妖しく瞬いて太く硬い腕を一閃で切り断ってしまう。まるで、嗤うかのように刀は彼女の手の中でひとつ光った。
やった、と後方で機会を伺いながら見守っていた真矢は、妖しくも美しく事を為すわが家の神にガッツポーズを送った。もしかして自分の出番はないかも! と嬉々としていたが、落ち崩れたゴーレムの手がまた動き始めるのを見ると、がっくりと一人肩を落とす。
「ゴーレムは所詮、土人形だわ」
「……何が言いたい」
ぐしゃりと泥のように崩れた巨人の手は、ずるずる這いながらまたゴーレムの手の型へ戻っていく。その姿を尻目にして、憐れむようにハロルドの緑眼を見射て涼子は言った。
「あなたのそのマント、知っているわよ。かつて世界を震恐させた、英国王室付き魔術師。殊に金の刺繍が入っているそれは直属の、更に位が高い者しか纏うことは許されなかったはず」
「…………」
「けれど、十八世のある頃にたった一人の天才魔術師の離反によってその『魔術師制度』は無くなったのでしょう? 恋人を同僚に殺された恨みと共に」
「違う」
ハロルドは帽子を目深に被って表情を隠し答えた。
「同僚ではない。“彼” の師だ」
腕を整え終えたゴーレムが再度涼子の前に立ちはだかるが、彼女にとってはやはりそれは土塊でできた人形の他なかった。涼子はゴーレムの額に隠すように埋められた札を認めると、今度は刀の一振りで風を起こす。かまいたちのようなその鋭い風はいとも簡単に札に書かれた文字を切り落とし、ついでと言わんばかりにハロルドの頬を掠めて行った。
土人形、と彼は口の中で呟く。誰よりも自身が一番理解していたのだろう。だからこそ、今彼はここにいる。
要となっていた札を失い、その土人形は呻きながら崩れていった。
「こいつらが人形だなんて、そんなの俺が一番分かってるさ」
杖を大きく前方に振るい、ただの土の山となったゴーレムを払いて彼は言った。
「だからこそ、あんたの肉体が必要だ」
「…………」
「一度死に伏した筈のあんたが今こうして生をつないでいる。その、死しても蘇ることのできる、再生の身体が要るんだ」
「……死んでいなかっただけだとしたら?」
「それでも瀕死から蘇ったその身、器とするには充分だろう」
「…………!」
ざわり、と空気が震えたかと思うと涼子の足元には生気のない真っ白な手がしがみついていた。刀で払おうと切っ先を向けるが、異様な力をもってその刀身を捻じ曲げられる。危機を感じて飛び跳ね逃げれば、そこには朽ちかけた身体を引きずる屍がアスファルトを這っていた。眼球の無い空いた眼窩で涼子を追うそれは、ハロルドと同じ、濃紺に金糸の刺繍をあしらえた外套を纏っている。
「あなた、まさか……」
「死して尚、世を彷徨い続ける苦痛とは如何程か」
カン、と乾いた音を立ててハロルドは杖を鳴らした。
「俺は、例えどんな代償を払ったとしても、彼女にもう一度会いたいだけなんだ」
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