第11話 一件落着
瞬間、ウォルナッツさんは弾かれたように後ろへと反り返り、そのまま床に尻餅をついた。
何が起こったのかわからぬと言った表情で、辺りをきょろきょろと見回している。
おかしい…。心臓を貫かれたはずなのに、なぜ生きているのだろう。もしかして、失敗したとか?
私はハッとしてラズベルに視線を移した。
「あれ?ミルテちゃんとロムじゃないか」
両手をローブのポケットに突っ込んだまま、彼は微笑みながら私達に近付いてきた。
「二人して、何をこそこそやってるんだい?」
いつも通りの呑気な口調。
私は戸惑うように両手をもみ合わせ、ロムにチラリと視線を送った。
「お前の方こそ、何をしてるんだ?」
眼光鋭くラズベルを睨み付けながら、威圧感たっぷりにロムが問い返す。
「え?別に何もしてないよ」
ラズベルは少しも臆することなくヘラヘラと笑っている。
「誤魔化そうったって無駄だぞ。俺たちはさっきお前がウォルナッツに向かってワイヤーを投げるところをはっきりと見たんだ」
ロムがラズベルに詰め寄る。
「お前がエルドの差し向けた刺客だってことはわかってんだよ。とっとと化けの皮脱いで正体現したらどうなんだ?」
「刺客…?」
とたんにラズベルは眉を寄せ、不思議そうにロムを見つめた。
「君達は何か勘違いしてるんじゃない?」
「ほう、まだとぼける気か。いい度胸だな」
ロムは両手の関節をバキバキ鳴らしながら、
「それじゃ、力尽くでも吐かせるしかないな」
ところが彼が吸血鬼に変身しようとしたその時だった。
「大変だ!私のバッジがない!」
ウォルナッツさんが悲鳴にも似た叫び声を上げたのだ。
彼は床に這いつくばり、必死で何かを探していた。
「なんなんだ、あいつ…」
ロムは変身することも忘れて怪訝そうにウォルナッツさんを見つめていた。
ふいにラズベルがくすりと笑みを溢す。
私は彼に視線を戻し、一呼吸置いてこう尋ねた。
「ラズベル、あなたはエルド王子の差し向けた刺客じゃなかったの…?」
しばし沈黙が流れる。
やがてラズベルは小さく肩をすくめ、ローブのポケットからそっと右手を出してみせた。
その手の中に握られていたのは、何やら得たいの知れない鱗模様の小さなバッジであった。
「もしかして、これ…」
私は背後にいるウォルナッツさんをチラリと見やった。
ラズベルはニヤリと笑って頷いた。
「そう、さっき投げた鋼糸で仕留めたんだ」
「一体どういうことなんだ?」
苛立たしげにロムが口を挟む。
「つまり…」と、ラズベルは気だるそうに話し始めた。
「僕のターゲットはウォルナッツではなく、彼が左胸につけていたこの“黒竜の鱗バッジ”というわけさ。黒竜の鱗は超激レアで、たとえ小さくても一億πは下らないと言われているほどなんだ。まぁ、今回は売るつもりはないけどね」
“今回は”?
ということは、普段からこういった盗みを働いているってこと…?
じゃあつまり、彼が持っているお金は全部、盗んだ物を売って作ったものだったのか…。
でもラズベルがただの泥棒でよかった。
勿論、窃盗も立派な犯罪ではあるけど、人殺しよりはずっとマシだ。
「ちょっと、そこの君達」
突然後ろから、誰かが私達に話し掛けてきた。
ウォルナッツさんであった。かなり慌てふためいた様子だ。
「どこかで私のバッジを見なかったかね?ワニの鱗…いや、蛇の鱗だったか――とにかく鱗のバッジなんだ。昔海賊のキャプテンの代打ちをした時、報酬として頂いたものなんだが、どうにもなくしてしまったらしくてね…」
「知らねぇな」
ロムが冷たく言い放った。
「あんたのことだから、どうせどこかに置き忘れてきたんだろ」
ウォルナッツさんはしばらく面食らったようにロムを見つめていた。
なぜ初対面の人にこんなことを言われなければならないのかと思っているに違いない。
しかしウォルナッツさんは言い返そうともせず、呆然としたままその場に立ち尽くしていた。
「さて―――」
ロムはくるりとラズベルに向き直り、狡猾な意地の悪い笑みを浮かべて囁いた。
「お前の悪事を黙認してやったんだ。後でそれ相応の礼は払ってもらうから覚悟しとけよ」
「やれやれ…参ったな」
ラズベルは両手を広げて苦笑した。
「だけど、ラズベルが例の刺客じゃないのなら、本物の刺客はどこにいるのかしら?」
「そんなの、あのホラ吹き女の作り話だろ。どうせ城の庭に魔糖石の成る木があるとかって話も嘘に決まってる」
「いいえ、本当よ」
どこからともなく、ロムの考えをきっぱりと否定する声が聞こえた。
聞き覚えのある上品な澄んだ声。
私はハッとしてウォルナッツさんの部屋に視線を移した。
案の定、部屋の中にはセリーズさんがいた。
右肩に一羽の美しいカナリアを乗せ、相変わらず毅然とした表情を浮かべている。
「セリーズ!なぜこんなところに?」
娘の姿を見てウォルナッツさんはかなり驚いているようだった。
セリーズさんは父親を無視してさらに続けた。
「お父様が刺客に狙われているという話は本当よ。さっき、ユベシが全部話してくれたわ」
彼女の背後から、一羽のコンドルがこわごわと顔を覗かせた。
ウォルナッツさんがあっと驚嘆の声を上げる。
「ユベシじゃないか!お前一体今までどこにいたんだ?」
「申し訳ございません…!ご主人様!全てわたくしが悪いのでございます!わたくしがエルドにご主人様の居場所を教えてしまったばっかりに…!」
ハゲた頭を床に擦り付けながら反省の言葉をわめきたてるユベシさん。
「まぁ、頭を上げんか、ユベシ。済んでしまったことは仕方のないことだ」
父親に同調し、セリーズさんも頷いた。
「でも…」
いったん落ち着いたところで、私はおずおずと切り出した。
「本物の刺客は、一体どこに潜んでいるのかしら?」
「大丈夫、その心配は無用よ」
セリーズさんはニコリと微笑み、部屋の奥の方を顎でしゃくった。
見ると、ロープで全身をぐるぐる巻きにされた男が床でうごめいていた。
「さっき、窓から侵入しようとしていたところを捕まえたの。問い詰めたら全て正直に白状したわ。彼がエルドの差し向けた刺客よ」
「そうだったんですか」
ひとまず私はホッと胸を撫で下ろした。
一件落着したところで、私はウォルナッツさんに魔糖石の箱を手渡した。
私がアマンド・バニラの孫娘だと名乗ると、彼はより一層嬉しそうに顔を崩した。
「そうか、君がアマンドの孫か!いやぁ、しばらく見ない間に大きくなったものだ。きっとおじいさんに似て、魔術の腕前も抜群なんだろうね」
とたんにロムが吹き出した。
私は適当な返事をしてから慌てて話題を変えた。
「ところで明日は決勝戦なんですってね。私、応援しています。頑張ってくださいね!」
ウォルナッツは親指を立ててにっこりと頷いた。
用件も済んだので、私とロムはシュクルブラン父娘を残してそそくさと926号室を出ていった。
ラズベルの姿が見当たらないことに気付いたのは、ちょうどその時だった。
「ラズベルったら、相変わらず神出鬼没ね。一体どこへいってしまったのかしら」
「さぁな」
無関心なロムの態度に、私は少々驚いていた。
「彼を探さなくていいの?さっき、お礼をもらうとか何とかって約束してたじゃない」
「ああ、それならもうとっくにもらったぜ」
ロムはニヤリと笑って懐から一枚の紙切れを取り出した。
『ダーメン・シェンケル 無料招待券』と書かれてある。
「ダーメン・シェンケルって何?レストラン?」
「んなわけあるかよ。ガールズバーに決まってんだろ?」
「あっそ…」
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