第9話 奇襲

コウモリの大群は会場の人々を襲いながらダンスフロアの方を目指して突き進んでいた。


そちらに目を向けると、ある一人の貴族の男の周りにだけ、異常なほどコウモリが集まってきていた。


俺の両手の肉を溶かしたあの自称純血の魔術師の女は、迷いなくその男の方へと駆けて行った。


「ノアゼットさん、伏せて!」


女はダンスフロアでコウモリに取り囲まれている男にそう呼びかけると、右手を前に出し、短く呪文を唱えた。


男を囲うようにドーム状の光の結界が現れる。


コウモリ達は光の結界に恐れをなし、次々と撤退し始めた。


「すごい…!」


ミルテの感嘆の声を上げる。


「杖なしで魔術を操れるなんて…あの人、只者じゃないわ」


「みたいだな。俺もさっき油断して肉を溶かされた。さすが純血の魔術師を名乗るだけのことはあるぜ」


俺は先ほどの女とのやりとりをミルテに話してやった。


「純血…?」


なぜか瞠目するミルテ。


「純血の魔術師とやらはそんなに珍しいものなのか?」


「ええ…昔は沢山いたみたいだけど、百年前の戦争を境に急激に減ってしまったの。それでも純血主義を家風とする魔術師の一族がまだいくつか残っていてね…。中でも有名なのは、大陸の最東端に位置するこのオペラ王国の王家一族スフェンダミ家と、最西端に位置するミルクレープ王国の王家一族カソナード家」


ほほう。ではあの女の出身は、それら一族のうちのどちらかというわけだな?


「ねぇ、それより、あのコウモリの大群…ひょっとして…」


言いかけたミルテに、俺は「ああ」と深く頷いた。


「ガーネットの仕業だ。コウモリ達がやってくる寸前、一瞬奴のドス黒い邪悪なオーラを感じたから間違いねぇ」


「やっぱり…。私も何か嫌な魔力を感じたの。でも、もうおさまったみたいね」


ミルテは窓から逃げ去っていくコウモリ達に視線を移した。


ふと、疑問がよぎる。


なぜガーネットは舞踏会会場をコウモリ達に襲わせたんだ?


まさか、ここにウォルナッツがいるのか?


そういや、コウモリ達はあの貴族の男の周りに群がっていたよな…。


「ひょっとしてあの男、ウォルナッツなんじゃねぇか?」


しかしミルテは俺の考えを否定した。


「それはありえないわ。ウォルナッツさんは今、月餅王国のテンシンタワービルで開催されている麻雀選手権に出場中のはずだもの。じいちゃんがユベシさんからそう聞いたらしいの」


何…?麻雀選手権だと…?


じゃあ、あの男がコウモリ共にピンポイントで狙われていたのは偶然だっていうのか…?


「いや…。あの男はウォルナッツだ。きっと麻雀選手権に早々と負けて帰って来たんだろ」


「違うわ、彼はノアゼットさんよ。それと、私の父の名を軽々しく口にしないでくださる?」


突如聞こえてきた冷ややかな声に、俺達はハッとした。


いつの間に戻ってきたのか、あの純血魔術師の女が目の前に立っていた。


「は?父親だと…?」


女は無表情のまま頷いた。


「そう。ウォルナッツ・ノチェロ・シュクルブランは私の実の父よ」


衝撃のあまり、俺もミルテもしばし言葉を失っていた。


この女が、ウォルナッツの娘?


しかも今、こいつは何と名乗った?


スフェンダミでもカソナードでもなく、“シュクルブラン”と名乗らなかったか?


俺は訝しむように横目でミルテを見た。


「そういえば…」


ハッと思い出したかのようにミルテが口を開いた。


「前にじいちゃんからちらっと聞いたような気がする…。人知れぬ小さな僻村でひっそりと暮らす、純血の魔術師一族がいるって」


ミルテの言葉に女は頷き、しかつめらしい口調でさらにこう続けた。


「あなた方がお父様とどういう関係があるのかは知らないけど、あまり大きな声で父の噂を流さないでいただきたいものね。なにしろ父は―――」


「"姪に命を狙われているから"――でしょ?」


すかさずミルテが口を挟んだ。


女が面食らったような顔をする。


「ええ…そう…。あなたの言う通り」


咳払いを一つしてから、女は俺とミルテに鋭い視線を向けた。


「でも、なぜそんなことを知っているの?あなた達は、一体何者なの?」


しばし、その場は沈黙に包まれる。


それを破ったのは、今まで黙って様子を見ていたノアゼットであった。


「あのう…こんな所で立ち話もなんだし、よければ私の自宅で落ち着いて話さないか?ちょうど都合よく妻も子供達も実家の方へ泊まりに行っていて留守なんだ」

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