第8話 純潔の魔術師

「残念ですが、両親に黙って会場を抜け出すわけには参りませんわ」


メローネ嬢は俺の腕からスルリと抜け出し、慌ててどこか別の場所へと立ち去って行った。


――――くそ…!これで三人目か…!


貴族のお嬢様ってのは、こんなにもガードが堅いものなのか…。


どいつもこいつも、別の場所へ行こうと誘ったとたんにそそくさと逃げていきやがる…!


これじゃあいつまでたっても血にありつけねぇ。


尻軽なお嬢様はこういう場所には来ていないのだろうか…。


チッ…!せっかく遠くからわざわざ来たってのによ…。


ふと大広間の振り子時計に目をやると、時刻はちょうど九時を指していた。


舞踏会が何時に終わるのかは知らねぇが、早いとこ獲物を見つけないとな…。


俺は次なる獲物を探すため、会場中に全神経を集中させた。


「お…?あんなとこに、中々の上玉がいるじゃねぇか」


俺の目に止まったのは、人の少ない隅の方で誰とも話すことなくただ一点を見つめたまま壁に寄りかかっている女だった。


薄紅の長い髪に澄んだルビー色の瞳を持つ彼女は、勿論美人ではあるのだが、他の貴族の娘とは異なる一風変わったオーラを放っており、それがまたそそるのだ。


よし、決めた。


今夜のディナーはあの女だ。


俺はさっそく女に近付いていった。


ところがこのあと、予想だにしなかったことが起き、俺は思わず立ち止まる。


「それ以上私に近付くと、聖なる光であなたを溶かしてしまうわよ、吸血鬼さん」


こちらに一瞥もくれず、ダンスフロアの方を見つめたまま、女は俺に警告した。


正体を見破られていた…。


しかも、聖なる光って言ったな…。


ということは、こいつはミルテと同じ―――


「魔術師か…?お前」


その場に静止したまま、俺は女に尋ねた。


淡々とした口調で女は言った。


「勘がよろしいんですのね。わかっていらっしゃるのなら私の方からはこれ以上何も言うことはありませんわ」


――――ハッ!気取りやがって…!この俺様が大人しく引き下がるわけがなかろう!


俺は瞬時に女の背後へと回り、杖を握らせまいと彼女の両手首をつかんで動きを封じた。


「あら、私の背後に回るなんて、中々やりますわね。吸血鬼さん」


女は身じろぎ一つせず、至って冷静な様子だ。


「澄ましていられるのも今のうちだぜ、お嬢さん。魔術師ってのは杖がなけりゃ魔法が使えねぇんだろ?」


俺は得意げにニヤリと笑った。


これは魔術師であるミルテ本人から聞いた情報だから確かだ。


「詳しいのね。ひょっとして魔術師のお知り合いでもいらっしゃるの?」


相変わらず女は余裕の表情を浮かべている。


気に食わねえな…。別の場所へ連れて行こうと思っていたが、もう我慢ならねぇ…。ここでガブリと噛み付いてやる…!


俺は女の白い首筋に牙を立てた。


ところがその時、突然両手が焼けるように熱くなり、俺は思わず女の両手を離してしまった。


何が起こったのかさっぱりわからないまま、ふと自分の両手に視線を落とす。


瞬間、俺はぎょっとした。


「な…なんだこれは…!」


両手の肉が一部溶け、削げた部分から白い骨が剥き出しになっていたのだ。


――――この女…杖なしで魔法を…?


「相手が悪かったわね、吸血鬼さん。一流の魔術師は杖なんかなくても魔術が使えるのよ。ついでに言うと私は純血の魔術師で、他の魔術師よりも格段に魔力が強いの」


流し目で俺を見つめながら、女はふっと嘲笑を浮かべた。


純血…だと…?


「それを言うなら俺だって純血の吸血鬼だ。俺が変身して本気を出せば、お前なんかイチコロだぜ。なんなら今からサシで勝負するか?」


両手の皮膚を再生させながら、俺は女に戦いを挑んだ。


しかし、女は何も答えず、先ほどと同様に黙ってダンスフロアの方を見つめている。


一体、さっきから何を見ている…?


「おい、お目当ての男からダンスに誘ってもらえるように念でも送ってんのか?」


女の眉がピクリと反応した。


「うるさいわね。あなたには関係ないでしょう」


ふむ…怒った表情もなかなか美しい。


見れば見るほどうまそうだ…。


「ちょっと、ロムったら!またナンパしてるの?」


背中を小突かれ、ハッとして俺は振り返った。


「なんだ、ミルテか」


だがいつにもまして不機嫌そうな様子だな。


「はーん…。さては誰からもダンスに誘われなかったからってむくれてるんだな!」


俺の言葉にミルテは頬を膨らませて怒った。


「失礼しちゃう!これでもさっき超イケメンの貴公子からダンスに誘われたんだから!」


「ムキになるなよ。悔しいからって強がってるんだな。お前みたいな色気より食い気のガキを、どこの貴族がダンスに誘うんだよ」


「あんたって本当に嫌な奴ね!」


拳を振り上げて飛びかかってくるミルテを、俺は余裕の笑みで華麗にかわして見せた。


と、その時だった。


突然、近くで邪悪な気配を感じ、俺は笑うのをやめて神経を研ぎ澄ませた。


このオーラは―――


「まずいわ…」


傍にいた自称純血の魔術師の女も、このかすかな気配に気が付いたようだ。


そして三流魔術師のミルテも、振り上げた拳が空中で止まっている様子からして、おそらく気付いているだろう。


「来るぞ…!」


俺が身構えた次の瞬間、窓ガラスを突き破って何千羽ものコウモリが大広間へと侵入してきた。


会場内に、悲鳴とどよめきが響き渡る。

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