第15話 魔界への入口

ギラギラと太陽が照りつける中、俺達はだだっ広い海の上で必死にカヌーを漕いでいた。


ミルテの魔法でカヌーは十万馬力の超高速ボートと化したはずなのに、なぜ俺達はオールを使ってせっせとカヌーを漕いでいるのか。


理由を一言で説明するなら、ミルテが三流・・の魔術師だからだ。


というのも、目的地まであとわずかというところで、突然魔法の効果が切れ、カヌーが死んだように動かなくなってしまったのだ。


カヌーを漕ぎながら、俺は不満を漏らした。


「なんであと少しって時にこうなるんだよ!…ったく…!」


ただでさえこの暑さでイライラしてるってのによ…!


「仕方ないでしょ!マジックポイントがゼロになっちゃったんだもん。言っとくけど魔力っていうものは使えば消耗するものなの。文句言ってる暇があったら黙って手を動かしなさいよ」


「ハッ!三流のくせに偉そうに説教してんじゃねぇよ」


「はぁ?!そっちこそ何様のつもり?」


オールを両手で持ち上げて、俺の頭の上に振り下ろそうとするミルテ。


生意気な。吸血鬼の俺様とやり合おうってか…?


いい度胸だぜ!


俺は自分のオールを放り投げ、吸血鬼の姿に変身しようとした。


ところがその時、


「ねぇ、あそこに何か浮いてるよ」


突然、ラズベルが上気した様子で数十メートル先の海面を指差した。


俺は変身するのをやめ、ミルテも掲げたオールを下に下ろして、すぐさまラズベルが指差した先に目を向けた。


「なんだ…?あれは…」


海面に浮かんでいたのは、一枚の姿見だった。


不思議なことに、底に沈むことも、波に流されることもなく、まるで見えない糸で固定されているかのようにどっしりとそこに存在している。


まさか、あれが…?


俺は懐からガーネットの手帳を取り出し、住所を確認した。


間違いない。ここがそうだ。


「いつの間にか目的の場所に着いていたみたいだな」


「じゃあ、つまりあの大きな鏡がガーネットのアジトへと繋がる入り口ってこと?」


ミルテは神妙な面持ちで鏡を見つめた。


「おそらくな。とにかく行ってみようぜ」


俺達は投げ出したオールをすぐさま拾い上げ、鏡の所までせっせとカヌーを漕いでいった。


「すごく嫌な魔力を感じるわ…」


この暑さにも関わらず、カヌーの上から鏡を見下ろして身を震わせるミルテ。


"魔力"というものは俺にはわからんが、淀んだオーラならひしひしと伝わってくる。


殺気、憎悪、怨み、加虐心…他にも色々な悪の感情を感じる。


「だが、どうやったらこの入り口は開くんだ?」


鏡の上に仁王立ちしながら、俺はミルテに視線を向けた。


「うーん…。たぶんこの鏡は、遠く離れた二つの空間をつなげる媒体みたいな役割を果たしているんだろうけど…今は扉がしまっている状態みたいね。まぁ、取り合えず魔法で開くかどうか試してみるわ」


ミルテは鏡の上に下り、杖を鏡に向けて呪文を唱えた。


「うっ…!」


とたんに鏡から眩しい光が溢れ出し、俺は思わず両目を覆った。


扉が開いたのか…?意外と簡単に開くもんなんだな…。


しかし、そう思ったその時―――


「駄目だわ…」


ミルテが大きなため息をつきながら鏡の上にぺたりと座り込んだ。


なんだ?一体どうしたんだ…?


「呪文じゃ開かないみたい」


呪文じゃ開かないだと…?


お前が三流だからじゃないのか…?


そんな言葉がつい口をついて出てきそうになったが、俺はなんとか堪えた。


「なら、力尽くで開けるまでだ!」


俺は吸血鬼に変身し、右拳を思いきり鏡に向かって振り下ろした。


ゴツッという鈍い音と共に、右手を襲う激しい痛み。


「痛ッてぇぇぇっ!」


情けないことに、俺は右手を骨折した。


鏡の方はというと、残念ながら1ミリのヒビすら入っていない。


くそ…無駄に骨折しただけか…。


「馬鹿ッ!扉を壊しちゃったら出入りができなくなるのよ!まったくもう!」


ミルテが怒りの声を上げた。


"馬鹿"だと…?それが怪我人にかける言葉か?普通、"大丈夫?"と気遣うだろ!


ムカついたが、あまりの痛みに言い返す余裕などなかった。


「呪文じゃなくて、何か秘密の合言葉があるんじゃないかな」


今まで黙って俺達の様子を見ていたラズベルが、急に口を開いた。


「なるほど、パスワードね。じゃあさっそく思い付く限りの言葉を鏡に向かって言ってみましょう」


ラズベルの言葉に大きく頷き、ミルテは声を弾ませた。


「そうだね…どんな言葉がいいかなぁ。ああ、そうだロム。君が拾ったっていうガーネットの手帳に何かそれらしいものは書かれてないのかい?」


「書いてあるわけねぇだろ」


ラズベルの質問に、俺は手帳も開かずに即答した。


人に知られちゃ困るパスワードを手帳なんかに書き留めておく馬鹿がどこにいるんだよ。


だいたい普段から使ってるパスワードなら暗記しているだろうからわざわざメモする必要はないはずだ。


「ウォルナッツさんのフルネームは、なんて言ったかしら?」


ミルテが考え深げに低く唸る。


「ウォルナッツの名前は絶対ないだろ。普通、パスワードに自分の嫌いな奴の名前入れるか?入れねぇだろ」


間髪入れずに俺は却下した。


「そんなのやってみないとわからないじゃない」


不満げに口を尖らせるミルテ。


「いや、やらなくてもわかる。お前もそう思うだろ、ロン毛」


しかしラズベルは頷かず、


「いや、必ずしもそうとは限らないよ」と曖昧に答え、さらにこう付け加えた。


「彼を呼称付きで中傷する言葉がパスワードだとしたら、その可能性は十分にあると思わない?」


「“くたばれ、ウォルナッツ”とか、そういった類いの言葉か…?うむ…まぁ、確かにないとは言えないが…。悪魔が考えるパスワードとしてはしっくりこないな」


「じゃあ、ロム、一体どんな言葉がしっくりくるって言うわけ?まぁ、どうせ何も思い付いてないんだろうけど」


俺は余裕の笑みを浮かべ、自信満々にこう答えた。


「実はいくつか候補がある。ひょっとしたら扉が開くかもしれないぜ」

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