第14話 もう一人のターゲット
昨夜は本当についていなかった。
結局ウォルナッツを仕留めることはできなかったし、あの吸血鬼に右手の骨を砕かれたせいで食事もまともに取れやしないのだ。
しかも悪いことはそれだけでは済まない。
あたしは今すぐ魔糖石の効果を試したくて、待ちきれずに玄関で箱の蓋を開けようとした。
が、まさにその直後、悲劇が起こった。
あろうことか玄関のタイルの溝に蹴躓き、箱を落としてしまったのだ。
魔糖石は無駄に広い玄関の床一面に散らばってしまい、どう頑張っても三秒以内に全て回収することはできなかった。
別に潔癖症ではないが、人並みに衛生的な生活をしているあたしにとっては、床に落ちて三秒以上経過した食べ物は完全アウトだ。
しかしこのまま廃棄するのはもったいなさすぎる…。
ということで、オークションに出品することにした。
とくに目立って汚れた所もないし、玄関の床に落としたなんてバレやしないだろう。
さて、そうと決まったらさっそくオークション会場に出品の予約を入れておかなければ。
あたしは引き出しから羊皮紙・羽ペン・インクの三点セットを取り出し、予約の手紙を書き始めた。
利き腕じゃない左手で文字を書くのは食事をするよりも大変だ。
こんな尺取り虫がのたくったような文字、読んでくれるだろうか。イタズラだと思われたりして…。
誰かに代筆してもらおうか。
そんなことを考えながらペンを走らせていると、突然玄関でチャイムが鳴った。
――――こんな時間に誰だろう?
羽ペンを置いて席を立ったその時、若々しい青年の声が玄関の外から聞こえてきた。
「おい、ガーネット!
巨大な鍋を抱えて家を訪れて来たのは、従兄弟のレザンだった。
善哉作りが趣味の彼は、毎日のように善哉をこしらえ、こうしてあたしの家まで持ってきてくれるのだ。
「その右手、どうしたんだ?」
レザンは包帯の巻かれたあたしの右手に気付き、さっそく尋ねてきた。
「ああ、昨日はちょっと予想外のことが起きちまってね…」
あたしは昨夜のことを彼に詳しく説明した。
「ハハハ!なるほどな。じゃあ、ウォルナッツ抹殺作戦は大失敗に終わったわけか」
話し終わるやいなや、レザンは大口を開けて笑いだした。
人の失敗がそんなに可笑しいのだろうか?
「あんた、ずいぶんと嬉しそうだね。その口、二度と開かないようにしてあげてもいいんだよ」
冷ややかにそう返すと、レザンはとたんに笑うのを止め、一つ咳払いをしてから真面目な口調でこう切り出した。
「なぁ、ガーネット。これを機会にもうウォルナッツを許してやったらどうだ?一応お前のおじさんなわけだし…」
「そうだねぇ…。骨になったら許してあげることにするよ」
レザンは呆れたようにため息をついた。
相変わらず悪魔らしくない男だ。
「そんなことよりレザン、ノアゼットの居場所はわかったのかい?」
あたしは話を変えた。
腹立たしいおじの話など、いつまでもしていたくはない。
レザンはまたため息をつき、お椀を静かにテーブルに置いた。
「ああ、わかったよ。都会の町で、家族と楽しく暮らしているようだ。子供は二人。男の子と女の子、一人ずつだ」
ふぅん。生きていたのか…よかった。
それにずいぶんと幸せそうじゃないか。
ふふふ…そんなに幸せな生活なら、壊し甲斐があるってものだね。
"ノアゼット・ヌッテラ・シュクルブラン"
復讐処刑リストNo.4に、奴のその名が刻まれている。
遡ること今から三年前、あたしは復讐を果すためにリスト五名全員が暮らすスノーボウル村まで足を運び、そこで奴らの血肉を散乱させてやった。
だが、あたしがその日持ち帰った首は三つだけ。
なぜならウォルナッツはすでに雀荘巡りの旅に出ていたため村にはおらず、ノアゼットにはすんでのところで逃げられてしまったからだ。
「それで?ノアゼットは今どこにいるわけ?」
なかなかレザンが言い出さないので、仕方なくあたしの方から尋ねてみた。
しかし、彼は質問に答える代わりに、信じられない言葉を放った。
「なぁ、奴には家族もいることだし、ここは見逃してやったらどうだ?」
「は?」
呆れた。悪魔の身でありながら、人間ごときに情けをかけるなんて…。
「確かにノアゼットは殺されて当然のクズ野郎だ。だが、奴が死ねば何の罪もない家族が悲しむ…」
悲しげな表情を浮かべるレザン。
どういうつもりなんだろうか?
「そうだね。じゃあ、彼を殺すのはやめるよ」
―――なんてあたしが言うとでも思ったの?
ふっ…おかしいったらないわ。
あたしは心の中で彼を嘲笑った。
ついでにちょっとからかってやるか。
「そんな心配は無用だよ。あたしが家族もろとも殺してあげるから」
「な…!なんだって…!」
とたんにレザンは真っ青になった。
おやおや…本気にしちゃって…。
あたしは堪えきれずに失笑した。
「冗談だよ。あたしは無駄な殺しはしない主義だ。それより早くノアゼットの居場所を教えな」
あたしは机に体を乗り出し、威圧的な口調でそう命じた。
「………っ」
しかし、レザンは俯いたまま口を開こうとしない。
「そう。教えたくないってわけ。じゃあ、仕方ないね…」
あたしはレザンの足下に向かって短剣を投げ付けた。
刃の先端が、床にグサリと突き刺さる。
勿論、今のはわざと外してやったんだ。左手だから外したというわけではない。
「さぁ、どうする…?これでも口を割らないのなら、少なくともあばらが二、三本折れるよ」
レザンをしっかりと見据えながら、あたしは冷たく微笑んだ。
やがて、レザンは諦めたようにため息をもらした。
「はぁ…。わかったよ。拷問されるのは勘弁だからな…。ノアゼットは、オペラ王国の城下町に住んでいるよ」
"オペラ王国"…?随分と粋な名前の国に住んでいること。
まぁ、それはどうでもいい。
そうとわかったらさっそく…。
あたしは椅子から立ち上がり、支度を始めた。
「おいおい…!まさか今から行くつもりか?まだ鍋に善哉たっぷり残ってるんだぜ」
レザンは鍋の蓋を開けて中身をあたしに見せた。
あたしは見向きもせずに、
「いらないよ、そんな虫歯になりそうなもの。見てるだけで歯が腐りそうだよ。それより留守番の方よろしく頼んだからね」
と、一言だけ言い残して家を出た。
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