第10話 悪魔の落とし物

ロムはしばらくの間、目をつむって床に胡座をかいたまま、自己回復を行っていた。


知ってはいたけど、実際に生で見るとやっぱりすごい。驚異的なスピードで傷が治っていくんだから。


説明をすっかり忘れていたけど、吸血鬼という生き物は、生まれながらにして優れた自己治癒能力を持っているのだ。


しかし、だからといって決して不死身というわけではない。大きな傷や、致命傷であれば、治すことはできないのだ。


まぁ、この情報はじいちゃんから聞いたんだけど。


「待たせたな。やっと全回復したぜ」


ロムは床からすっくと立ち上がると、首を左右に傾けてボキボキと関節の音を鳴らした。


「ねぇ、あの女の子誰なの?ウォルナッツさんのことを探しに来たみたいだったけど」


さっそく私はロムに質問した。さっきからずっと気になっていたのだ。


魔術を使っていたし、背中に黒い翼もあったから、悪魔だってことはわかるけど…。


「ああ、あの女――ガーネットはウォルナッツの姪で、ウォルナッツのことを殺しに来たらしい」


ロムは事も無げにさらりと言った。


「ウォルナッツさんの…姪…?!」


確かに去り際に、ウォルナッツの首がどうのこうのって言ってたけど…まさか姪だったなんて…。


でも、どうして自分のおじさんを…?


考えているうちに、ふと私はもっと重大な事実に気付いてしまった。


ウォルナッツさんが悪魔であるガーネットのおじさんであるならば、すなわち――


「ウォルナッツさんは…悪魔…!」


自分で言いながらも、私はまだ信じられなかった。


よりによってじいちゃんのマブダチが、私達の宿敵である魔物だったなんて大ショックだ…。


それも、河童とかゴブリンじゃなくて、魔物の中で最も冷酷で残忍といわれる悪魔だなんて…!


「何もそんなに悩むことはないだろ?ウォルナッツが悪魔でよかったじゃねぇか」


私の肩を叩きながら、ロムは呑気にそう言った。


「“よかった”って、何が?」


「魔物はお前らの敵なんだろ?敵に忘れ物を届ける必要あるか?」


確かにそれはもっともだ。


でも…。


「たとえウォルナッツさんが悪魔だとしても、じいちゃんから頼まれたお使いを途中で投げ出すなんてできないわ…」


私の言葉に、ロムは呆れたようにため息をついた。そして、ふいに思い出したかのように、


「そういや、お前なんで俺を助けたんだ?」と尋ねてきた。


「えーと…それはね…」


私はこの部屋に入ってくるまでの流れを説明しはじめた。


「別に助けるつもりなんてなかったのよ」


そうよ。人間が吸血鬼を助けるなんて、あるまじき行為だもの。


1003号室へ来たのは、他に寝る場所がなかったから。


鍵が掛かってるかもしれないとは思ったけど、魔術を使えば壊せないこともないしね。


でも部屋の前まで来たら、誰もいないはずの部屋から男女の話し声が聞こえてきた。


男の声がロムのものだということはすぐにわかった。


だから私はてっきり、ロムが若くてセクシーな女性を連れ込んで、血を吸おうとしているのだと思ったのだ。


でも、なんだか様子がおかしいような気がして…。


迷ったあげく、私はドアを開けてしまった。


そして、なぜだかロムを助けなきゃって思って…気付いたら、体が勝手に動いていたのだ。


「変よね…。私、ロムに腹を立てていたはずなのに…」


「そうだな。ずいぶん口汚く俺を罵ってくれたしな」


え…?聞こえてたの…?


急に恥ずかしさが込み上げてきた。


「ごめん…。ロムがあんまり勝手なものだからつい…」


俯いたままぼそりと謝ると、ロムは口の端を吊り上げて小さく笑った。


「ガキの言うことなんざ別に気にしちゃいねぇよ。あの時は俺も悪かったしな。それと…」


ロムはいったん言葉を切り、咳払いをする。


「一応、お前には助けに来てくれた礼を言っておかねぇとな」


「えっ…?」


信じられない。常に上から目線のロムが、人に感謝するなんて…。


何か企んでいるのかしら…?


うーん…。まぁ…いっか。ここは素直に喜んでおこう。


「しかし、お前は来ない方がよかったかもしれねぇな。結局お前が来たせいで、魔糖石も奪われちまったわけだしな」


「はァ…!?」


ゲラゲラ笑うロムに、私は殺意を覚えた。


「ロムなんて、もう二度と助けてやらない!今度こそ絶交だから!」


そう怒鳴ったとたん、ロムが意地悪い笑みを浮かべた。


「いいのか?俺様と絶交したら、魔糖石を取り返せなくなるぜ」


「どういう意味よ?」


するとロムは、得意満面の表情でこう答えた。


「俺はあの女の居場所を知っている」


「は…?」


私が怪訝そうに顔をしかめると、ロムは懐から小さな黒革の手帳を取り出した。


「それ何…?」


「あの女が落としていった物だ。ほとんどのページは空白だったが、最後のページに奴の家の住所が書いてあった」


説明しながら、ロムは最後のページを開いて私に見せてくれた。


確かに何か書いてあるようだ。


しかし、見たこともない言語で書かれてあって全く読めない。


というか、そんな大事な手帳を落とすなんて、さすがウォルナッツさんの姪。血は争えないわね。


「ふっ…この文字はお前には読めねぇだろうな。なんたってこれは魔界語だからな」


「魔界語…?じゃあ、ロムは読めるのね?」


「まぁな。俺は奴の家まで仕返しに行くつもりだが、お前も行きたいって言うんなら、ついでに連れていってやってもいいぜ」


え…?それってつまり…魔糖石を取り返してくれるってこと?

仕返しとか言ってるけど、本当は私のために…?

ふぅん…ちょっとは人間らしい所あるんだ。


「行くんなら、なるべく急がねぇとな。奴の右手が完治しちまう前に。まぁ、あんだけ骨が粉々になりゃ、しばらくは治んねぇと思うけどな…!ククク…ガーネットの奴、今頃右手に箸が持てなくて、食事に苦労しているだろうよ!」


満足気な表情を浮かべながら、狂ったように高笑いしている。


やはり彼は冷酷な魔物なのだと私は思い直した。









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