第4話 カプチーノホテル

時刻は午後五時を過ぎていた。


私、ミルティーユ・バニラは今、町の中心部にそびえ建つカプチーノホテルのロビーへとやって来ていた。 そう。あの吸血鬼の男と一緒に。


人混みにまぎれて姿を眩まそうという私の浅はかな作戦は、見事失敗に終わったのだ。


「おい、ここにお前の話していたグラマーなマロンがいるのか?」


「違うわよ、ここはホテル。マロンさんはたぶん雀荘にいると思うわ。ねぇ、ロム、頼むから大人しくしててくれる?」


ロムというのは、吸血鬼である彼の名だ。


本名はロムヴェーレ・マートン・ソーレンスというらしいが、長すぎて呼びづらいため、略してロムと呼んでいる。


「どういうことだ?俺様を騙したのか?」


ロムは、今にも吸血鬼に変化しそうなくらい怖い顔をしている。


こんな所であの姿に変身されたら大変だ。


私はすぐさま事情を説明した。


「はぁ?じいさんの使いだと?チッ…!仕方ねぇな…」


不機嫌そうに眉を吊り上げてはいるが、なんとかわかってくれたようだ。


「あの、すみません。ウォルナッツさんという方がこちらのホテルに泊まっていると聞いたのですが、どちらのお部屋にいらっしゃいますか?」


私はさっそく受け付けの綺麗なお姉さんに尋ねてみた。


すると彼女は小鳥のように澄んだ可愛らしい声で、「ウォルナッツ様は、ついさっきチェックアウトなさいましたよ。なんでも五時半の船にお乗りになるのだとか」 と、優しく教えてくれた。


「嘘でしょ…」


頭の中が一気に真っ白になった。


まずい、早く港に行かないと!


私はくるりと踵を返して走りだした。


「待て、ミルテ!どこに行く!俺をマロンのところへ連れていく約束はどうした!」


ロムが後ろから追ってきて文句を言う。


「仕方ないでしょ。急がないと船が出ちゃう!」


「チッ…仕方ねぇな」


突然ロムが私の前に背中を向けて立ちはだかった。


急いでいるというのに、邪魔をするつもり…?


しかし、彼は黙ったままその場に片膝をついた。


そして振り返り様に、 「俺の背に乗れ!」 と、力強く命令した。


そうか。吸血鬼の姿に変身すれば、彼は空を飛べるんだ。


魔物に背負ってもらうなんて、魔術師としてあってはならないことだとは思うが、緊急事態の今となってはもう、四の五の言ってられない。


「じゃ、お願い」


私は両手をロムの首へ回し、体をその広い背中に預けた。


「任せろ。五分で着く。ただし、用事が済んだらすぐさまマロンのところに連れて行ってもらうからな」


はぁ…仕方ないな…。 でもマロンさんは男だし、ゴツいし、少しくらい血を吸われたって、へっちゃらだよね…?



ロムの言う通り、およそ五分ほどで港へと着いた。


幸運にも、まだ船は出港していないようだ。


私達はすぐに乗船口へと向かった。


「なんだね、君達は?」


切符もなしに船に乗り込もうとする私達を、係員の男が呼び止める。


「怪しい者ではありません。この船に乗っているウォルナッツさんに渡す物があるんです。どうか通してください」


私は必死で係員の男に懇願した。 しかし…。


「駄目だ。この船は豪華客船サントノレ号。切符もなしに勝手に入られては困る。だが安心しろ。その届け物とやらは、私が代わりに渡しておいてやろう」


男はうっしっしと悪そうな笑みを浮かべ、届け物を渡せと右手を差し出した。


あの顔は、間違いなく何か良からぬことを考えている顔だ。


こんな男に、ウォルナッツさんの大事な魔糖石を渡すわけにはいかない。


仕方ない。こいつには少し眠っていてもらうか…。


私は杖を出そうと懐に手を入れた。 が、その時―――


「野郎!さっさと通しやがれ!」


突然、ロムが男の首の後ろに手刀を食らわせた。


「うっ…!」


低い唸り声と共に、ドサリとその場に崩れ落ちる男。


驚いた…。手刀で簡単に倒しちゃうなんて…。 こんな漫画みたいなことがあっていいの…?


というか、この人死んでないよね…?


急に心配になった私は、一応息があるがどうか確かめてみた。


「ああ、よかった…生きてた」


取り合えず、殺人の共犯にはならずにすみそうだ。


「おい、もたもたしてないで、早く行くぞ!」


ロムは私にそう呼び掛けると、足元に横たわる男を跨ぎ、何の躊躇いもなく船の中へと入っていった。

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