家族ができたよ

暁烏雫月

第1話

 僕が生まれたのは、たくさんの家族が暮らす家だった。家族が多いからご飯はいつだって争奪戦。トイレも水飲み場も全部、強いもの勝ち。弱い僕は、いつも争奪戦に負けていた。


 ご飯もトイレも水も、何もかも足りてなかったんだ。仕方ないから僕みたいな争奪戦に負けた家族は、床に直接排泄して。おかげで僕達の暮らす家は糞尿と毛玉にまみれていたっけ。


「お腹すいたよ」

「喉乾いた」

「こんな汚いところ嫌だ!」

「体が痒いよ」


 どんなに鳴いても、誰も助けになんか来なくて。ご飯をくれる人はいつしか姿を見せなくなって。飢えた僕達はただ鳴き叫ぶしか出来なくて。それでも、家族の数はどんどん増えていく。


 家のあちこちに抜け毛や糞尿があって。家で暮らす僕達はみんな、あっという間に糞尿まみれになった。体の弱い子達は、家具に隠れたまま出てこなくなった。


 誰か、タスケテ。

 僕達を、ここからダシテ。

 まだ、死にたくない。生きたいよ。


 何度同じことを思ったんだろう。ご飯をくれる人がいなくなってから、どれくらい経ったんだろう。そんな日々が変わったのは、突然のことだった。






 ある日突然、見たこともない人がたくさん入ってきたんだ。いきなり現れた人に隠れちゃう子もいた。襲いかかる子もいた。でも僕は、体に力が入らなくて、床に座って息をするのがやっと。


「うわっ、すごい匂い。まず猫の数を数えて! 状況を把握しないと何も出来ないから」

「ここに死体があります。うわ、嘔吐物もそのままになってる」

「とりあえずご飯をと水あげましょうよ。この子達、このままじゃ……」

「うん。で、子猫、重症の子から保護してって。可能なだけ保護するよ」


 何言ってるのか、わからなかった。すごい環境らしいっていうのはわかるけど、あとは言葉の意味がわからない。でもこの人たちは僕達を殺しに来たんじゃない。そう、なんとなく思った。


「一時預かりが出来るか、知り合いに確認します。来れる人にはここまで引き取りに来てもらうよう頼みますね」

「お願いします。死体は可哀想だけどとりあえずゴミ袋にいれよう。何匹いるの、これ」


 たくさんの人はあっという間に家の中に散らばって、僕達家族の数を数え始めた。ある人は家具に隠れたままだった子を見つけては袋に入れて。ある人は大きな容器にご飯や水を入れて床に置いてくれて。


 たくさんの家族がご飯と水を求めて一箇所に集まる。でも、僕は動けない。もう、立って歩く力もないんだ。お腹、減ったなぁ。喉、乾いたなぁ。


 そんなことを思っていた時、だった。知らない匂いのする人が急に僕を抱っこしたんだ。糞尿にまみれて汚い僕を優しく撫でて、顔を見てくれる。


「良く頑張ったね。もう大丈夫だよ。辛かったね、苦しかったね。もう、大丈夫だよ。綺麗になろうね。ご飯も水も、もう大丈夫だからね」


 その人は、僕にそう話しかけてくれて。その黒い目から水が何滴か流れた。「水だ」って思って舐めたら、すごくしょっぱかった。久しぶりに飲んだ水は美味しくなかったけど、ちゃんと喉を潤してくれる。そんな水だった。


 この日、僕はそれまで暮らしていた場所から救い出されたんだ――。






 僕が連れてこられたのは、僕みたいな保護された猫達が暮らす場所。助けた人達は「一時預かり場所」とか「保護所」なんて呼んでいて。僕はそんな場所で、ケージに入れられていた。


 ここに来て最初にされたのは身体を綺麗にすることだった。暖かい水を全身に引っかけられて、あまりの気持ち悪さに暴れたなぁ。「シャワー」ってやつらしいけど、あれだけは大っ嫌い!


 でも、ここは綺麗な水と美味しいご飯が毎日貰えるんだ。お腹一杯になるまで食べたのは人生初めてだと思う。トイレもあるし、ちゃんと掃除して貰えて。ゲージには綺麗な毛布が用意されていて。


 来たばかりの頃は昔の癖が抜けなくて。ご飯を急いで食べて、その後に食べすぎて吐いたりしてた。でも、ここにいる人達は吐いても壁をガリガリしても離れなかったんだ。前の人は、途中からいなくなったのに、ここの人達は違うんだ。


「シロター、おはよー」

「シロター、可愛いねぇ」

「大好きだよ、シロタ」


 ここに来てから「シロタ」って呼ばれるようになった。最初は僕が呼ばれてるって分からなくて、返事も出来なかったな。でも、何度も何度も呼ばれるうちに「シロタ」が僕の名前なんだってわかるようになった。


 それに、ここにいるのは僕だけじゃないんだ。下のゲージにも両隣のゲージにも仲間がいる。でも、この場所に一緒に来た僕の家族は二人だけ。他の子とは助け出された日を最後に会ってない。一緒にいるはずだった二人も、今はいない。


 一人は、ここに来た翌日に急にぐったりしちゃった。そのまま病院に運ばれて、それっきり戻ってきてない。「尿路結石」とか「血尿」とかって、世話をしてくれる人が言ってたな。それがどんな状態なのかは僕にはわからないんだけどね。


 もう一人はここに来て少ししてから急に苦しそうに息をし始めて、そのまま死んじゃった。段ボール箱に花と一緒に入れられて「葬儀」っていうのをされてたよ。世話をしてくれる人は「もっと早く助けていたら」って泣いてたっけ。


 パパとママはどうなったのかな。妹と弟と兄ちゃんと姉ちゃんと。叔父さんに叔母さんに、おじいちゃんとおばあちゃんに……。また、会えるかな? 妹は確かタンスの後ろに入ってから出てこなくなったままだったはず。


「ねぇねぇ、何でそんなところに入ってるの?」

「一緒に遊ぼうよ!」


 この場所にはゲージの外にも猫がいる。僕より先に保護された猫達なんだって。いつもゲージにいる僕に話しかけてくるから、覚えた。でもまだここから出ないよ。だって、ゲージの中が一番安全なんだもん。他の猫に誘われたって行くもんか。




 ご飯をくれるからって、水をあげるからって、信じたりしないもん。掃除してくれても、信じないもん。だってまた、ご飯くれなくなるかもしれないでしょ? だから信じない。


 美味しいおやつくれても、信じない。ぬいぐるみとかクッションをくれても、信じない。猫じゃらしで遊んでくれたって信じない。何をされても信じないんだ!


 「シロター」って甘い声で僕を呼ぶ声がする。保護主だ。「保護主」って人が僕を撫でようとする。でも、その目付きが嫌で、思いっきり手に噛み付いた。


 そんな目で見るな!

 可哀想可哀想言うな!

 僕は、可哀想なんかじゃない!


 信じない。助けてくれても、信じない。世話してくれるのは嬉しいよ。でも、そんな見下した目で世話するうちは信じない。ずっと一緒じゃないんでしょ? 僕、信じないからね。


「そんなんじゃ家族、出来ないよ? いい子になったら、きっと家族が見つかるから。それまでここにいようね」


 ほら、この人はずっと一緒じゃないんだ。僕は、悲しそうな顔で話しかける人は信じないよ。だって、最初にご飯くれてた人もそうだったもん。悲しそうな顔で話す人は、絶対に離れていくんだよ?


 家族は、あの家にいたみんなだよ。信じるもんか。お世話してくれるからって信じるわけじゃないんだぞ! きっとまた離れていくんだ。僕にご飯と水を出すことも忘れて姿を消しちゃうんだ。


「シロタが人に攻撃しなくなったら、新しい家族を探しに行こうか。それまではダメだよ」


 保護主がわざとらしい甘えた声で僕に話しかける。新しい家族? そんなの信じてないよ。その新しい家族だってきっとまた、消えるんだ。僕は、信じてた家族が離れていく悲しさを知ってる。だからもう、人なんて信じない。




 信じてるわけじゃないよ。ここじゃない所に「新しい家族」ってのを探すためだよ。いい子にならないと「譲渡会」っていうのに出さしてくれないらしいから。譲渡会に出るために、初めて保護主に噛みつかないようにしてみた。そしたら、保護主が嬉しそうに笑って撫でる。


 でも、長い。撫でるのが長過ぎる。ベタベタ触るなー。いい加減撫でるのをやめろー!


 噛みつかなかっただけだよ。たくさん撫でるのは許してないんだから。保護主がなかなか撫でるのをやめてくれそうにないから、ついに僕は怒りを態度に出すことにした。シャーって保護主に威嚇して手首に噛み付く。ついでにキーック!


「痛っ! シロタ、噛むのはダメだよ」


 そんなの、長く撫でる保護主が悪いんだ。僕はそこまで保護主に心を許したわけじゃないんだぞ。猫だからって簡単に懐くわけじゃないんだぞ!


 僕にだって、人を選ぶ権利があるんだ。僕は、僕の認めた人以外認めないし信じない。そんな人、いないだろうけどね。僕の知る限り、人間なんてみんな一緒だもん。


 若い猫の方が好きで、可愛いものが好きで。手間がかかるようになったら簡単に僕達を棄てて。面倒くさい世話をしたくないんでしょ? そんな人間なんてこっちから願い下げしてやるんだ。






 譲渡会は保護猫と新しい家族の出会いを作る場所。大きめの部屋を借りて、行うんだって。でも僕達保護猫はゲージから出られない。ゲージに入った状態でテーブルの上に置かれてる。そして、そんな僕達をゲージの外からたくさんの人が見ているんだ。


 ほとんどの人が同じ目をしてる。可愛いものを求める目。その証拠に、子猫にばっかり集中してるもの。この人達はあくまで若い、可愛いさかりの猫が欲しいんだ。そうじゃない猫は要らないんでしょ?


「うにゃ?」


 譲渡会に来ている似たような目的の人間にうんざりしてた時だった。突然、猫の言葉が聞こえてきたんだ。僕にはそれが「こんにちは」の挨拶だってわかるよ。でもその声は猫じゃなくて、目の前にいる人間が発したものだった。


「シロタって言うの?」

「にゃ」

「人がたくさんいて、疲れちゃうね。ユウも疲れちゃった」

「にゃー」


 年齢だけ見れば他の来場者と変わらない。なのになんでだろう。このユウって人は他の来場者と違う気がして。ユウの言葉に、僕の拙い鳴き声で相槌を打つ。言葉が伝わらないのが辛い。ううん、違う。僕はこの子ともっと話したいんだ。


 そうか、他の人間は自分の要求優先なんだ。猫の疲労よりお目当ての猫を見つけるのが大事なんだ。でもユウだけは違う。ユウだけは、最初に僕を心配してくれた。だからなのかな。ユウの近くは心地いい。


「シロタ、なんか似てるんだよね」

「にゃ?」

「昔飼ってた子に、似てるの。あの子はメス猫だったんだけどね。シロって名前だったんだ。名前も似てるね」


 ユウの言葉になんでか、懐かしさがこみ上げる。僕、ユウにあったのは初めて。なのに何でこんなに嬉しいんだろう。なんでこんなに懐かしいと感じるんだろう。


「ねぇ、シロタ。一緒に来てくれないかな?」

「にゃお」

「絶対に寿命以外で死なせなんかしないから。なんて、伝わらないよね」


 伝わってるよ。僕、ちょっとなら人の言葉の意味がわかるもん。なんでかな。ユウなら、新しい家族になってくれる気がした。この子は、死ぬまで一緒にいてくれる気がした。前にもそうしてくれた気がするんだ。


 パパ、ママ。お兄ちゃん、お姉ちゃん、ほかの親戚のみんな。僕には、みんな以外の家族が出来そうだよ。初めて会ったのにどこか懐かしい、ユウって人が僕を見つけてくれたんだ。

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