第26話 ジャン=クラウド編⑨ 最後の願い

 今日は、二人でジャンが出演している映画鑑賞をしながら部屋で過ごすことにした。ジャンは終始、私の体調を気遣い世話を焼いてくれる。そして何より、仕事への理解を示してくれ、彼が、部屋でくつろいでいる姿の撮影も許可してくれた。食事する姿やお茶目な顔のジャンが、カメラのファインダー越しに微笑んでいる。


「ジャンは、どんな時に幸せを感じるの? トレーニングしている時? それとも映画の撮影をしている時? 」


 カメラをジャンに向けながら、記事作成のためにちょっぴりプライベートな質問を投げかけてみる。


「……今。今が、人生で一番幸せだよ。こんな風に誰かとゆったりとリラックスした時間を持ったのは、初めてだからね」


「ハハハ……ジャン……。記者として、真面目に聞いてるのになぁ〜。それじゃ、困っちゃうよ」


 世界のハリウッドスターは、リップサービスも上手すぎる。もう、本気にしちゃいそうだよ。ダメだ……。ダメ・ダメ! これは、リップ・サービスと苦笑いしながら自分に言い聞かせる。


「カレン、僕は小さい頃に両親を亡くしたんだ。まだ幼なかった兄妹達の面倒を見るために、僕は必死で生きてきた。兄妹達を守るため、喧嘩けんかに強くなりたいと思いトレーニングを初めて、必死にトレーニングしてきたのさ。トレーニングすることで、両親を亡くした辛さや寂しい気持ちを閉じ込めてきたのかもしれない。そんな日々を送って、兄妹達も大きくなり、自分へのご褒美として旅行でアメリカへ来たんだ。その時、夢だったあのマッスルビーチでトレーニングをしていたら、スカウトされたんだよ。それからは、たくさんの映画に出るようになった。今度はこの世界で生き残るため、必死にトレーニングの日々を送ってる。くつろいだり、ホッとするような時間さえ、自分に許さずにね。そんな時間を持ったら、自分がくずれてしまいそうだったからね。でも今……、こうして君とくつろいでると自分がくずれるどころか、すごく幸せを感じるよ。だから、今……こうしてカレンと過ごしている時間が幸せだ」



 えっ……。それって、どういう意味なんだろう。リップサービスにしては、すごく個人的だし具体的すぎて、ドキンとしちゃうよ。


「……ジャン。そう言ってもらえて嬉しいです。ジャンは、私の命の恩人だし、色々と教えてくれて感謝してます。でも……」


 私には、アンソニーがいる。そう言おうとした時、ドアをノックする音が聞こえてくる。





トン・トン……。


 ジャンは、さっと席を立ち、叩かれたドアをあけた。ドアを開けるとそこに立っていたのは、アンソニーだった。


「ジャン、カレンは無事なのか?」


アンソニーの心配そうな声が聞こえ、私はドアの方に走り寄っていく。


「アンソニー!」


 アンソニーの姿をみつけ、思わず飛びついてしまった。アンソニーは、そんな私を大きくハグして、優しく受け止めてくれる。


「カレン、大丈夫かい? 仕事の邪魔をする気はなかったんだけど、どうしても君が心配で……。アリーから写真が送られて来たんだ。何度も君にメールや電話をしたんだけど繋がらなくて……。デビットの友人があのパーティに参加していたと知って、何が起こったのかを聞いてもらったら、カレンがプールで溺れて、呼吸が止まったと教えてくれたんだ。そう聞いてしまったら……、いてもたってもいられなくて、ここへ来てしまったんだ」


 二人の様子を静かに、壁にもたれかかりながら、見ていたジャンは、

「アンソニーもカレンも部屋の中で話したら……。色々と事情の説明をしなきゃならないだろうし……。週刊誌に写真を撮られてもこまるしな」




 アンソニーが、リビングに入ると、カレンとジャンが鑑賞していた、ジャン主演の映画が大きなスクリーンから流れている。ヒーロー役のジャンが悪役を倒している映像が映し出されている、クライマックスシーンだった。



 ジャンは、アンソニーをリビングルームに招き入れると、動揺しているアンソニーに冷蔵庫から氷を出し、棚においてあったスコッチをコップに注ぎ……手渡した。


「落ち着けよ。ほら、アンソニー。スコッチでカレンの無事を乾杯しよう。……カレンは、まだ病み上がりだから、ジュースで我慢するんだぞ」


 子供に言い聞かせるように、私の頭をポンポンと優しくでるジャン。アンソニーは、にらみつけるようにジャンをみているが、気を取り直してジャンに話しかけ、スコッチを口にする。


「ジャン、カレンを助けてくれてありがとう」


「カレンの無事を祈って……乾杯!」


 アンソニーとジャンがスコッチを飲み干す。


「えっ……? 二人とも一気飲み? 大丈夫なの?」


 心配してみたものの、二人は無言で飲み干し、スコッチの後味あとあじを堪能するかのように深い深呼吸をしていた。


「はぁーっ。このスコッチうまいな!」


 最初に言葉を発したのは、アンソニーだった。


「カレンを助けてくれた上に、大切に扱ってくれてありがとう、ジャン。カレンがなぜここに泊まっているのかも、康代から事情は聞いている。でも、カレンの看病はもう心配いらない。ナパの別荘で療養させるよ」


「お前にお礼を言われる筋合いなどないな。それに、カレンの仕事は後二日あとふつか残ってる。彼女の意見も聞いたらどうなんだ」


 アンソニーの別荘のあるナパに帰るか、ここで残りの二日を過ごすか……。選べってことだよね。う〜ん。どうすればいいのかな。悩んでしまう。





「カレン、マッスルビーチ撮影の時にした約束を覚えてる?」


 ジャンの言葉で思い出した。


 お互いのお願いを聞く交換条件。残り二日間をここで過ごしてほしいというのが、ジャンのお願いってことか……。


 そうだよね。せっかく、トレーニングも休んで取材させてくれているのに、今、ここでさよならなんて、やっぱり言えないな。アンソニーは、心配して来てくれたけど、ちゃんと事情を話せばわかってくれるよね。私は取材を続けよう。



「アンソニー。心配してくれてありがとう。でも、残り二日間、ジャンの取材を続けるね。私の仕事だし、約束だから……」


 

アンソニーは、少し戸惑いを見せるが、

「わかったよ、カレン。最後までやり通すのが筋だよね。仕方ないな。でも、この仕事が終わったら一緒に過ごそう。一週間の休暇を康代に許可もらってるから、二日後に迎えにくるよ」


「アンソニー、ありがとう!」


 やっぱり、アンソニーはわかってくれた。ナパに行ったらちゃんとお礼しなきゃ。


「じゃ、仕事の邪魔になるから、お引き取り願おうかな。カレンは、病み上がりだから、ここでお別れして」


 ジャンが、二人の会話に割り込むように告げる。


「わかったわ。アンソニー心配させてごめんね。そして、わざわざ来てくれてありがとう。仕事が終わるまで、待っててね」


「わかったよ、カレン。愛してるよ」


 抱きしめながら、アンソニーがカレンのおでこにくちづけを落とし、笑顔でジャンとともにリビングを立ち去る。




 外の廊下へ出たジャンとアンソニーは、ドアが閉まると同時に笑顔が消え、渋い顔つきになり、お互いに言葉を探している。沈黙を破ったのはアンソニーだった。


「ジャン、お前を信用しているからカレンを預けて帰るんだ。忘れるなよ」


「アンソニー、お前と友達じゃなかったら、よかったのにな。お前より先にカレンと出会いたかったよ」


「ジャン……。お前……」


 アンソニーは、それ以上、言葉にするのをやめた。




「カレンを頼む」


 アンソニーは、そう言い残し……その場を離れた。

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