残骸が語る終わり
僅かに滲み出した、欲望の一滴が杯の中に落ちる。
甘く、辛く、苦いが、とても懐かしい。時の流れが枯れ果てる程の暗闇で、瞼を開いた。
がらんどうの世界は、かつての持ち主の残影をなぞっていく。
善悪は彼岸において。愛憎は同時にある。生きるも死ぬもそれにとっては同じく混ざっているものだ。
空間は静謐さをそのままに、在り日の大聖堂を作る。神聖性に満ち溢れながらも音はなく、質素で堅実。煌びやかさなどまったくないのに、常人が入れない程の緻密な黄金律で組み上げられたもの。
罪人が一歩、そこに踏み入れば床は硝子のように砕け散るだろう。
「大丈夫だ。地獄はここにある」
だから踏み入ってもいいのだ。生きていようが死んでいようが、黒い瞳は何も思わない。聖人と咎人の差など、もはやどうでもいい。
彼は杯だ。注がれるものは混濁。決して清いものなどではない。が、これが美しいとヒトは讃えるのだ。
十歳程度の少年は身の丈に合わないぶかぶかの法衣をきて、傾くほどの大きな冠を乗せている。身を預けるのは、巨大な玉座。
長い黒髪がぞろりと床まで伸びきっている。生涯、切ったことがないのではと思うが、さて、どうだろう。
今はそれはどうでもいいだろう。ようやく注がれた、真実の事を話たい。だから、さあ、微睡む夢の中へ、ようこそ。
「さあ、ボクはキミの人間性の話をしよう」
杯は感嘆の声を上げて、ひっそりと笑う。罪の味はとても甘い。恋の味はとても辛い。夢見る程に焦がれたそれは、苦い記憶を伴っている。
だから銀の瞳は焼け爛れるように沸騰している。
何時も見せている灰色は熱を喪ったくすんだ色だ。安堵と幸せで青みを帯びるなら、怒りや憎悪で今は輝くような色合いへと変わっていく。
「退屈な話を、今更に」
こつ、と白亜の床を踏みならしてクレリアが少年の前へと踏み出していく。これは夢。これは残骸。それでもなお、呼び戻してしまったものだと、敵意が溢れ出す銀の視線が注がれる。
「いや、決して退屈な話ではない筈だよ。キミはボクを呼び起こしてしまった。それはとても、とても、楽しいことだ。お茶は如何かな。感情の紅茶はいい。記憶のお酒は文字通り、妖精の見せる夢の雫だ。天女の甘露はどうだい――欲を思い出したキミ。杯のボクは、ヒトの持つものなら何でも持っている。いや、持つことが出来る」
「魂や命さえも」
「預かるように。注がれるように。そして、また、注いで流す」
小首を傾げながら、指先を顎へと添えて笑う少年。
幼さはそのまま、浮世離れした雰囲気がゆるりと舞うように流れていく。きっと、俗世というものに触れず、大事に育てられてきたのだろうと、見る者に信仰の輝きの元で育った御子のようだと思わせてしまう格があった。
もっとも、クレリアにとっては唾棄すべきものだった。
白亜の床が踏み砕かれる。轟音は空間を震わし、音のなかった世界を淀ませていく。
「ボクはニンゲンが大好きだからねぇ。キミはニンゲンじゃなくなってしまって、とても寂しかったよ。全く、キミは願望と祈りを叶えるだけの道具になってしまっていたから、ボクはずっと眠ったままさ」
「ずっと眠ったままでも良かったのだけれどね」
「そうならなかったのが、キミという存在さ。キミという中に眠る、ボクという魂さ」
くすくすと笑うのは無邪気に過ぎる。
過去にあったその顔。クレリアも思い出したくないが、見れば思い出してしまう。夢に出るという事はそういう事でもあるが、同時に、封じていた残骸を呼び起こしてしまったのだ。
けれど、怒れない。いいや、敵意や怒りはあっても、それを昔のように即座に実行に移せない。躊躇い、迷い、揺れて――話したいと思っている自分に気付いて、クレリアは僅かに驚愕した。
呼吸が詰まった。鼓動が跳ねる。リゼに、口付けされた時と似ているから、きっと『驚愕』なのだろうと。一体、何時ぶりなのかと想い出そうとして、何も浮かばない。思い出せない。
見開かれた銀の瞳に、黒い瞳が問いを投げかける。
「そうさ。キミは人間じゃない。人間と呼べる部分を踏破し、超越してしまったひとつの到達点。ひとつの流星なのだとボクは思うよ。素敵だ。素晴らしい。でも、バケモノで人間じゃないから愛せないし、理解出来ない」
少年のボーイソプラノは、聖歌を諳んじるように響き渡る。
「そもそも、世界を護る龍を殺せる存在なんて、世界が始まってからボクの知る限りでは二十人程度しか産まれていない。それらを人間って呼んでいいのかい。ボクは違うと思う訳だ。そんなの怪物だ、バケモノだ。人間の領域を遙かに超えてしまったものたち。ま、ボクもソレのひとつなんだけれどね」
誇らしげに語る姿はやはり幼く、危いからこその神聖さ。
だが語る言葉は何処か不吉だ。命と死と、戦いと平穏と、愛情と憎悪と、憧憬と侮蔑を混ぜて均一にしたような、不可思議な美しさがある。
理解不能。これは人間と呼んでいいものではない。クレリアがそうであるように、自分でいったのだ。龍を殺せる存在が、人間である筈がないと。
「ただ、今、世界で生きているのはキミだけだね。ボクは知っているよ。何しろ、ボクはキミに殺されてしまったからね? 同胞たちはみんな殺されて、キミの裡に。だから知っている。キミが最後。終着点。キミを越える存在は、この世界に産まれていない」
死んでいる。殺している。
クレリアという存在は、ある女性の願望の通りに生きて、殺して、世界を巡ったひとつの巡礼の流星。
「だから、何だい。判っていた事だろう。与えられた権能がそういうものだったのだから。杯は杯、そうであるように」
「ボクが杯の権能、だからねぇ」
くすくすと笑うと、光がゆっくりと少年の玉座を照らす。
「知ってしまう。理解してしまう。キミ以上の可能性が、この世界から産まれたりしない事を。産まれなかったことを。既に停滞したこの世界は、後はただ朽ちるだけ。龍なんて殺してしまえばいいのにねぇ?」
だが、これは絶対にしない。
クレリアという存在を過小評価した。だから、杯は彼に殺されてしまった。
そう願われ、祈られ、信じられたのだから、愛と信仰をもって流離うのだ。そこに揺らぎなどない。そこに躊躇いなどない。
問題なのはその時の長さ。自分は救われず、幸せなどなく、続く道の長さに比例して人間性は削られていく。道具になっていく。そこに気づけない杯達は、まだ、人間の側にいたのだろう。
幸せを求めた。光を願った。少なくとも生きている中で、いずれ終わるのならば、その中で求めるものを追い続けた。
間違いなどないだろう。
杯が、人間ならばこそだ。
間違っていると殺意を持った。
クレリアが狂信のバケモノだからだ。
だから、それに気づけなかった愚かさに、少年は視線を落とした。
ある意味、極端に言い切れば自殺したのだ。杯の少年たちは。
「栄光も栄華もいらない。幸福を否定する。望めば手に入るだろう国も、もう終わっていいのだという棺さえも。いや、ボクとあろうものが申し訳ない。殺された事に恨みのひとついえはしないさ。ただね。ただ。――キミが一滴、たった一滴」
するりと上がる、少年の視線。その瞳。
それは余りにも暗く、黒く。夜よりもなお深い。
だというのに安堵する。安寧を抱く。それが還るべき場所だと、魂が知っているかのように。
だからクレリアはこの少年が嫌いなのだ。
「キミは、欲望を抱いた。それは人間性だ。愛という、欲望が、願望が、自分が救われていいのだと、救われたいと――少女を求めた」
「悪い、といいたいのかな。今更だと」
「いいや、いいや。頑張れ、頑張れと応援したいだけだよ。キミに殺されてしまったボクがキミを全力で応援しよう。頑張れ、頑張れ、あと少しだよ。欲望の何が悪い? 愛している事の何が悪い? 綺麗で可愛らしい少女が欲しいと、抱いて自分のモノにしたいと覚えて、それが悪いというのなら、ボクは――ボクはそれこそを、許さない」
最後の言葉は爛々と熱を帯びている。
まるでタールのように濁った、まるで別人のような声色で許さないという。混濁、混沌、杯という少年の中身は混ざりすぎて、決して誰も理解出来ない。自分自身も、理解していないし、内面の把握など放棄しているだろう。
「そういうもの、だったね」
「で、数百年ぶりの色欲と、交わりはどうだった? 少女を自分のものにしてしまうのはどんな気持ちで快楽で、欲望が満たされたかな」
「……っ…」
瞬間、沸騰するように怒りを露わにするクレリア。一歩、二歩と詰め寄る。靴底に触れてヒビ割れ、砕け散る白亜。
「いやいや、初心な所は変わらないというか。生まれ変わったみたいで楽しい、愉しい。でも、支配欲も独占欲も人間の恋で愛だ。否定はしてはダメだよ。キミが彼女を求めるように――彼女は、彼女だけのキミという『人間』でいて欲しいのだから」
指を唇にたてて、しっ、と怒りに沈黙をと投げかける杯の少年。
「喰えない、奴だよ。お前は」
「そうだろうね。そうだろうさ。キミは何時だって、純情だからね。きっと怖いんじゃないのかな。求めて、求められる。欲望が」
「…………」
「支配欲ではないよ。独占欲は近い。でも、色欲とかじゃないさ。……キミの人間性、人間としての当たり前だよ。キミはそれがすり減って、削りきれていた。優しくて頼りがいがある? そうだよね。でも、相手を傷つけないように、求めすぎないようにしていた」
聖歌は、ヒトの欲望が愛だと詠う。
「…………」
「すれ違うぐらいの距離で。決して傷つけないぐらいの強さで。ねぇ、それって、優しさではあるけれど、愛じゃないよね。何、少女へ献身しているのさ。キミはペットじゃないし、彼女はキミのペットじゃない」
「うるさ、いな……」
「でも、怖いんでしょう。人間としての当たり前の欲望で傷つけるのが。激しく愛して、相手を傷つけないか。強く求めすぎて、傷つけないか。……馬鹿だねぇ、獣だって爪と牙を持つんだよ。じゃれあって、傷つけあって、舐め合って、それでいいんだよ。傷つけられて、キミは、実は嬉しかっただろう。首筋に走る赤い糸は、何処に結ばれたのだろうね」
くすくすと笑っていく、神聖なる御子の残影。
ずっと人間としてではなく、よく分からないモノとして流離ってきた。
数百年、或いは、千年を超えているかもしれない。ただ歳月に意味がない位に、ただひとりで。たったひとり。そして、ひとりと、出逢って。
「救われなよ。幸せになりなよ。そうでないと、キミに殺されたボク達が報われない。いいじゃないか、世界なんて箱庭なんだ。壊れてしまった箱庭で、キミが最後の愛を飾るといい。キミが最後だと、あのヒトも笑っていた。……どうせ、この世界は地獄さ。ただ、煉獄でもあなたとなら、って歌もある」
「……昔、なら」
「うん?」
首を傾げる少年に、銀の瞳が刃の鋭さで突きつけた。
「彼女の言葉をなぞるだけで、殺していだろう、な。……それだけ、リゼが、好き、なのだろう。愛している、んだよ。胸の奥、今までやってきたことが、全部、どうでもいいと、思ってしまう」
「はははは、殺された奴に、殺したことがどうでもいいって言われちゃった。人間っぽくて、ボクは今のキミが、そういうキミが好きだよ。だから、力は貸してあげよう。何、今や杯の権能はキミのものだ。ただ、扱いやすいようにしてあげよう。それぐらいは魂の残骸でも出来る。注いであげよう、キミの愛と一緒に、あの赤い少女に、断罪と審判の権能を」
長い長いセリフは、けれど、ふう、と溜息と共にだ。
芝居がかっているが、実際、ひとつの戯曲めいて言わないとやっていられないのだろう。少しのけだるさが滲み出て、黒い瞳の表面に憂鬱さを表す。
「……いや、やっちゃダメなんだけれどね? 誰が誰を裁き、何が何を罪といい、誰がどうやって、それを罰するのか。殺し、殺される理由と、その力を一緒になんて」
「それでも、もう僕のものだろう。それとも、まだ反抗するかい?」
「むーだーはーしなーいのさー。ボクはね?」
そう、ボクは。そう呟いた瞬間、床まで垂れる黒い髪が、ざわりと動く。影となる。残響と残照が、ひとつのカタチを成していく。
ああ、とクレリアが肩を竦める。そういえばそうだった。断罪を司る彼は、詩人だが、余りにも俗で、融通が利かない、親友だったのだ。
だから彼のことはよく覚えている。
「雛鳥は産まれる為に卵と戦う。卵は世界だ。産まれ欲するものは、ひとつの世界を壊さないといけいない。戦えと、いうのかな」
「そうだよ? あんな少女に俺の剣を渡すなと、渡すならその愛を刃で叫べといって聞かないのさ。負けるの判っているのに無駄だよねぇ」
影は青年のカタチを作る。それは黒から、白金へ。朝日を受けて輝くギロチンの刃を思わせる、断罪の色彩へ。
これは強い。怖い。罪を抱かない魂がない以上、振り下ろされればどうしようもない。畏怖と信仰。それを持つものへと、変わっていく。
いいや、もっとタチが悪いのは、罪の記憶と感情を持たない存在はいないということ。それを意識せすとも、持っているだけで、断罪の刃は絶対性を以て執行される。
「無駄なことなど、ひとつもないよ。……きっとね」
だからこそ、クレリアは己が権能の一切を使わない。
おやと少年が驚き、青年の虚像が誇らしげに笑う。空間を掴む指先は、みしりと夢の世界を軋ませ、狂わせ、それを呼び出す。
何もない虚空。そこから出されるものこそ、クレリアの力。旅を続けた中で、与えられたものではなく、身につけたもの。
それは本だ。いいや、正確には本だったものだろう。綴じられた紐は千切れてばらばらと白いページを撒き散らす。
いいや、それは白いのか。灰のような色合いではないのか。そこにより黒く、或いは真っ白なインクで文字が描かれている。
魔導書。それも特級を超え、人間の扱っていいものではない――龍さえ殺す灰色の聖書。
それは無数の聖人と賢者と、『異灰』をもって紡がれた書物。
紙はまさか人肌を剥いで使っているのでは。インクは髪の毛や骨や爪、歯を砕いて溶かしているのか。見るモノの感覚、感性、思考をぐるりと狂わせる程の、魂の重力がそこにある。
これは、無数の魂をひとつに圧縮した、本。もはや綴った使い手さえ、綴じることのできなくなった、聖なる遺物にして遺物の書。魂が、感情が、恐ろしい密度で広がっていく。どうやって隠していたのか、何処に封じていたのかなど、判りたくもないほどに。
はらわたを自ら吐き散らすように、綴じ糸が千切れた本からページが舞う。
「凄いね、キミ。凄い……」
だから杯は感嘆どころか感激を露わに喜んでいる。
確かに呪詛、憤怒、憎悪の量はすさまじい。空間が歪み、魂を奪うような灰色の重力の穴だ。そこから、一瞬だけ見えるのだ。
文字の描かれている筈の紙から、眼球がぎょろりと。指が何かを掴もうとひたひたと虚空を爪掻き、舌が喋るように流れて、歯が打ち鳴らされる。声にならない何か。叫ぼうとしている。
「――凄い。キミは、本当に人間の終着点だ」
だが、それが悪いもの。邪悪だけではないのだ。
凄まじい密度のせいで感じ取れないだけ。大量の『異灰』を封じたものがベースのせいで、世界に撒き散らす呪詛、災厄の質が魂を凍り付かせるだけ。
眼球だけになっても、そこに浮かぶのは優しい感情。
ひたりと指先が虚空を滑っても、それは撫でるように。舌は祈りを紡ぐようで、打ち鳴らされる欠けた歯は、祈りを、繋いでくれと願うかのようで。
「灰色の聖書。『異灰』も、『賢者』も、全てを収めてしまったもの、か」
青年が呟く。魂の残骸が、悲しそうに、虚しそうに。
クレリアという存在を知っているから、どうしようもないのだ。本人が思い出していって、それこそ、人間性とでもいうべきものを取り戻したら壊れはしないのかと。
何も感じないように生きていた。道具のように。願望を叶える流れ星として。それは奇跡のようなものだろう。
だが背負ったものはどうだ。思い出して、親友である自分を殺したことに罪悪感は。赤い少女を支配したい、縋りたいと泣き叫んで、共に堕ちたりしないか。それは、幸せではない。
クレリアを越える可能性など、なくていいのだ。
「剣も書も捨てればいい。クレリア」
もはや、死を待つようにゆったりと、木漏れ日の中でふたりきり。
「ふたりきりで幸せになっては駄目なのか、親友よ。クレリアよ。お前に殺されたことに恨みはある。が、最後が幸福で、何が悪い。なあ、なあ、俺は死んで、もう幸せになれないのだ。戦いの中で、血の中で、ギロチンと共にある幸せなど、ないと、断罪たる俺は、信じている」
少女と一緒に。愛と平穏で過ごせないか。
もう全て捨てていいだろう。我儘になっていいだろう。欲望と願望が優優しすぎるからこそのクレリアで、だから、狂信なのだ。救われないのだ。
という青年の主張は、死んでいるからこそ、生きている親友のクレリアに否定して欲しい。生きるものの特権がそれだ。選び、定め、どんな困難にだって立ち向かう。不条理を覆すのは、命の本質。
「男は、愛している人を救うもの。と、お前は言ったような気がする。野郎がうだうだしているぐらいなら走れと、笑っていた気がるすよ」
故に、ばらばと、舞う灰色の聖書。
――びらびららららぁぁっ
と、数えきれない程のクレリアの聖書が、罪の描かれたページが舞い散り、彼を包み、その手に白い骨で飾られた、黒曜石のような長剣を握らせる。
刀身は白い光が線として流れている。幾筋もの流星が描く光の模様。
魔術陣。複雑怪奇で、瞬間で変異するそれは、組み立てられていく膨大な数の術式。アルス・マグナをこの一本で成立させてしまうほどのものがある。
「これは、断罪を司った親友の骨で装飾したものだ。こういう戦いには、相応しいだろう」
「……は、ははは」
つまり、つまり。
なあ、クレリア。お前はと、赤い少女の持つサーベルによく似たそれを、青年の影が構える。
「俺が戦うのが好きだったのを、断罪を超えて生き残ることを願っていたことを、いまだに覚えてくれているのか。俺の断罪の剣を、俺の遺骨の剣で砕くと」
「…………」
沈黙。呼吸。そして。
「さて、ね」
クレリアが、一歩踏み出す。
それは、落下する鳥のように――身と想いを散らしながら衝突する。
「すまないと思っている。お前達の、名前さえ忘れたことを。断罪ならば、そのことこそ、殺してしまった親友たちの名を忘れていることを、裁かれるべきなのだろう」
感謝の言葉は、剣戟に打ち鳴らされて、掻き消された。
そんなものは不要だと、断罪と杯が、瞳で訴える。
だから。
「けれど、僕を裁いていいのは、リゼだけだ。赦しも、断罪も、リゼ以外に刻ませない」
それは鏡合わせのように。
よく似た動き。太刀筋。舞うように、けれど、光のように刃は走る。
舞い踊り、奏でられる剣閃。切り結べば輝きが散り、響きとなって走る旋律と光たち。心の欠片。涙の一部。或いは、魂そのもの。
けれど、長く生きた分だけ、クレリアの剣は美しく、精密に、勝利へと傾いていく。
断罪の権能は罪と認めたものを、必ず、触れずとも『罪の執行』を行うのに、クレリアには何も起きない。
いいや、衣服の下で赤い痣は出来ている。
本当ならば受けた剣の下、そのまま身がギロチンにかけられて両断されている筈の、罪の身と魂が。
「――ああ」
そうだ。これでいい。
死んでいるものが、生きているものを、裁き、罰していい筈がない。
敗北という納得を、くれよ。断罪の親友は、クレリアに笑う。
「好きな女にだけ傷つけられたい、変態が」
「中々、そういうのを理解してくれる人がいなくてね。結果的に強くなって傷つかないようになったら、お前くらいになっていたよ。僕を傷つけられるのは」
それは、ああ、一体、どれだけ昔の話だろう。
走る黒曜石の刃。それが、影を斬り裂いて、存在そのものを削り取っていく。眠れと歌う。願う。
「――それも昔」
「だから、越えてくれよ。なあ、お前が好きになったんだろう。その女は。クレリア」
「男がうだうだいうなよ、愛の事で」
「――越えてくれるのだろうな、その女は。ギロチンと共にある呪いなど」
「越えてくれるさ、あの少女は。だって、リゼ、なのだから」
少しだけ、笑った二人は、ついに。
そのサーベルが雪のように、千にと砕け散って終わりを告げる。
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