螺旋階段のその先に
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気付いてしまえば連鎖的に繋がる違和感。
それは登っていた螺旋階段のようにぐるりと繋がっている。
振り返っても、全ては見えない。ただ過去は巡って廻って、何処がはじまりなのかさえ判らなくなる。
「そう。それが、私とクー」
湯上がりで、少し湿った髪の毛を払いながらリゼが呟いた。
棲むには何とも不便な場所だ。教会の用意した大図書館に併設される形で作られた住居。ひとつの尖塔といってもいいだろう。
日常で過ごす為の。研究の為の。鍛錬の為の。そういう意味では『大賢者』が住む場所だ。
当然のように教会が誇る希書、古代の文献、禁忌とされたモノもある。盗み見たいものは多いだろう。それだけの知識が、力がここには眠っている。
「けれど、それはクーがさせない」
が、此処に住まうは希代の『大賢者』だ。クレリアという存在は、百人の僧兵よりも畏怖を与え、教会に属するものたちに安心をもたらす。
いいや、神聖を穢されず、禁忌に触れられない安堵か。まるで邪悪たる鳥を堕とす守り人のように、この学園に、世界にいる。いつの間にか。
「クーは凄い。クーは賢い。クーは強い。……クーは凄い」
では、それは何故?
例えば『異灰』を葬り、封じた数では現状、最多の『大賢者』。
だからこそ『異灰』に関する第一人者であり、『星辰』。空にある道標として、クレリアは知られている。
「では、どうして?」
紅の瞳がすっと細められた。
それはふたつの意味。どうして、そんな存在が知られず、リゼを連れてきた途端、いきなり『大賢者』と認められたのか。最多を葬ったという記録は、事実は、何処から。
仮にひた隠しにされた真実だとして――。
そんな大賢者が、どうしてリゼを拾って育ている?
純粋な好意。かもしれない。だとすれば嬉しい。が、それで止まってしまうからリゼは自分を愚かな少女だといっているのだ。
愚かであればいい。賢くなければ、世界の不自然さも気にならない。
リゼという少女。その価値について、リゼ本人が知らない。
「…………」
吹雪の荒れる孤児院で拾われたのは覚えている。
それは顕然した『異灰の災厄』であり、そこから生き残ったのだからと拾うこともあるだろう。それでも直接、その手で育てて、教え、鍛え、導くなどあるのか。
後継を育てたい。あるかもしれない。
確かにリゼはそれだけの才覚はあるだろう。が、偶然が重なり過ぎてはいないだろうか。順番で考えると大分可笑しいのだ。その辺りが曖昧で、理解しようとしなかった。
自分は愚かだから――才能があるから拾われているのに。
才覚は賢者の後継――なのに、愚かと自分への思索を止めている。
それは幸福を形作る為の無知。そういう設定。
クレリアに連れられて旅をしたのは一年とすこし程度。気付けば、クレリアは『大賢者』としてこの学園都市に招かれ、そして、リゼはその学生に。
「可笑しい、わよね」
つまり、クレリアが『大賢者』と認定されたのは、リゼの入学に合わせて。それこそ、入学させる為になったかのようなのだ。『異灰の第一人者』などと、判っていたのならは、リゼと出逢う前から『大賢者』だっただろうに。
隠れながら世界の端から端までを駆け回っていたかのように。その存在は、リゼと共に現れた。
「なぜ。どうして。いいえ」
こつ、こつと靴音を鳴らして、登っていく螺旋階段。
答えは見えそうで見えない。振り返ってもぐるぐるとまわる過去。
「……よく、覚えていない」
唇が零した声が、リゼの真実だった。
クレリアとの出逢いがリゼの起点で、その前のことは殆ど記憶がない。
思い出そうとすると鈍い痛みがある。だから思い出さなくていい。と、誰かが優しく、優しく、悲しそうに笑ったのだ。
思い出さなくていいのだと。
こんな時間が欲しかったのだと、淡い青の混ざった銀色の瞳が。
「そん、なの」
では、クレリアと出逢ったキッカケは、どうだろう。
ルビーのような瞳の奥底で、何かが揺れる。だが、どうしても、事件は事件。そこで生き残ったから願ったことしか浮かばない。
誰に。それはクレリアに。
ではその後は。クレリアとずっと一緒。
思い出そうとしても、気付いたら学園にいたようなもの。全ては断片で、ちりぢりに斬り裂かれたように破片が舞う。かき集めようとして、頭痛。思い出す必要なんてないと、優しい、声。
だから小さな温もりは覚えている。優しい記憶はランタンのように。ヒビ割れた、あの部屋に飾るステンドグラスの。
なのに、どうして。というクレリアの理由が分からない。好意、愛情。似ている。リゼのそれと。違うと否定したかったそれと。――だったら、そう、だったら。否定する理由は、何処にあるのだろう。
救いたいのだ。救われて欲しいのだ。それが、貰うばかりで奪うばかりの姿から、変わるためのものだと判ってしまった以上は。
奪うばかりを恋とも愛とも言えないのだ。
変わりたいと思ったのは、つまり、胸を張って好きだといいたいということ。
こつ、こつと登る階段。もう下る訳にはいかない。
前に進みたい。進まないといけないのだ。ひとりになりたくない。ひとりにしたくない。無理、させたくないのだから。
幸福の形はとても複雑で、螺旋を描いている。幸福の歩幅がなくなった今、次へと繋げないといけない。
「だって」
記憶はふわりとしている。暖かい。
微睡むようなそれは、何時もクレリアと一緒だった。
だからこそ、気付かないといけないことに、気付かない。
「私は愚かだから。愚かだから、そのままで、だなんてダメ」
こつっ、と靴音が止まる。リゼの部屋のドアの前。
最上階の一室。自分の部屋なのにノックをして、ドアノブを廻す。ちりんっ、とドアに結われた鈴の音色。
――リゼが消えてしまわないように。
そういって微笑んだ青年がいた。どんな気持ち、だったのだろう。
その時と同じ微笑みが、出迎えてくれていた。
「お帰り。……まったく、散らかしてばかりだろう」
「でも、クーが片付けてくれるから」
するりと、部屋に入るリゼ。それがふたりの、ごく普通の日常だ。
部屋はリゼひとりで暮らすには広すぎるくらい。
食事の為のテーブルと、ふたつの椅子。リビングにあるようなふかふかの長いソファ。
床には絨毯。壁側には沢山の本棚。が、それは半分くらい中身を零して、部屋中に落ちている。
「まったく」
そういいながら、ソファの上に散らばった本を片付けていくクレリア。
視線は部屋の奥。窓硝子の天蓋から、月灯りの差し込むリゼのベッドのある場所に。
何もかもを求めるように、ベッドには本が積まれている。零れている。
クレリアに追いつこうとして、願いを叶えようとして、積み重なった本立ち。でも、それはクレリアに与えられたもの。
そう。ずっと、そう。
「座りなさい。ちゃんと、髪の毛、乾かすから」
「ん」
魔術師らしい白と黒のローブを脱いだクレリアの身体は意外と引き締まっている。決して筋肉質という訳ではないが、剣士や前衛として動き回ると云われても、何の不思議も抱かない。
実際、リゼの剣の師はクレリアだ。魔術、剣術、知識。全てにおいて最高峰の存在――という歪つさ。
年齢は二十歳の前半頃に見える。
それは外見の年齢だろう。きっと、リゼとはとても歳が離れている。
リゼとの五年は、クレリアにとって短いのだろうか。
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