万華鏡の関係性
怖い。喪いたくない。
寂しいのは嫌で、誰かといても、寂しさは消えないのだ。
下手に幸福を知ってしまったから、もう一度、あの世界に戻りたくない。
あなたでなければ。
君とでなければ。
この世界と、触れ合う意味なんてないのだから。
それでも、しあわせの歩幅を、壊すように飛び退く。しあわせから、
「それがクーにとって嫌ならどうしようって――セレンが、演技を続けるみたいに」
だから腕を取って欲しい。
我が儘な少女の、我が儘な舞踏会。
黄昏はふたりを祝福したりしていない。それでもはじめよう。
行き交う人々とどうしてぶつからないのだろう。ふたりきりで勝手にしていないなと、赤と青の月が呆れ顔の瞳のように見ているだけだ。太陽は知らないふりをして、橙色の中にゆっくりと赤い光を灯していく。
だって、関係性という世界はとても簡単に変わってしまう。壊れてしまう。硝子細工なんてより脆くて、儚く、ずっと気をつけていないと歩幅が合わなくように距離は変化するのだ。
たった一歩で壊れてしまう距離。
リゼはそんなこと気にしていない。だったら、しあわせの歩幅を気にしているのは、クレリアなのだ。
この関係性はまるで万華鏡。ちょっとしたズレで、景色と形を変える硝子の光景。綺麗に思える今も、道行く人々が避けていくのが現実。何かの劇の一幕だろうかと、首を傾げている。
演技しているのはダレ。
セレンを見て、感じたのはそれだ。
「変わっていないフリをし続けて、演技を続けて――変わっていることを、本当に忘れていたのね」
ちりんっ、と鳴る。
それがはじまりを告げる。道をみつけられますようにと、祈られた鈴の音は、澄んだ音色を奏でていた。
これが恋だとは想わない。
これが愛だなんて言わせない。
ただ、私が願ったひとつめのこと。
クレリアに届かなければ、絶対に出来ないこと。
「……っ…」
だから、舞い上がる風の清冽さに、ゆっくりと微笑んだ。
それはあまりにも一途で、衝動的で、何より、激しかったから。
包み込むように。優しく、守るように。その在り方は変わらないのに、内面の激しさが表れている。
腕は絡めるように握られている。逃げられないように、もう片方の腕は背へと回されて、まるで本当の舞踏会のよう。そんなもの、物語の中でしか知らないけれど。
「早いね、クー」
しあわせの歩幅。その三歩を、瞬く間もなく踏み込んでいたクレリア。
大賢者というのは天の理さえ壊すという。なら、こんなことは簡単なのだろう。地面に落ちていく紙袋と中身。パンが落ちて、果物が砕けて。
しあわせの距離も、簡単に消えている。
からんっ、とリゼの引き抜いた短剣も、路地に落ちて、澄んだ音色を立てていた。
抜いてくるりと回すだけ。ただ、意味の分からないそれに、廻った切っ先がリゼの首に向かうようにとしただけ。絶対にクレリアは止めると信じて、刃は舞う。
その腕は絡めるように抱きとめられて、短剣は落ちている。あれ、と思う間も、何をされたのかもわからない。
こんなに簡単に。そして、初めてクレリアの怒声を聞いた。
いいや、何をされたのかわからないのはクレリアだ。
「リゼ!」
セピアの世界が壊れる程の大声がクレリアの喉から出ていた。
この世界は、ふたりきりの関係性は万華鏡。硝子の敷き詰められたそれは、あまりにも脆く、儚く、壊れてしまう。
それがどんに幸せでもかちりと触れただけで形を変えて、砕けるように変わってしまうのだ。セレンがそうだったように。クレリアとリゼもそう。何かに変わるというのは今が壊れるということ。
もしかしたら、硝子の卵をつつく、雛鳥なのかもしれない。滅びを呼ぶ声と、翼を広げようとしている。
それを必死で抑えようとしていたのが、クレリアなのかもしれない。変わる。壊れる。喪う。それを怖がって不安になっていたのは、では、ダレ。
クレリアは賢い。強い。リゼの誇りだ。そんなひとか、そんな単純なことに気付かない筈がない。
だから灰色の瞳は不安に染まっている。いや、それで爆発している。泣きそうな顔だと、どうして気付かないのだろう。いいや、リゼもまた、泣きそうな顔を幾度となくして、きっと気付かないフリをしてきた。
ちょっとしたことで壊れてしまいそうな程、張り詰めた関係。ぴんっと、糸が限界まで張り詰めて保たれた距離。何処かでリゼがいなくなるかもしれないと、クレリアの不安と恐怖は内面に渦巻いていた。
だと思う。少なくとも、リゼもそう思っていたから。そんなことないと、緩やかな、変化に気付かない時を重ねた。三歩の距離はリゼの歩幅だ。五年前なら、クレリアが振り返れば腕が届いたぐらいの。今は、そうじゃない。そうでないのに、歩幅も変わろうとしないから遠ざかる。
互いに、互いを、騙して。――そんなの、恋になっても嬉しくない。
ふたりきりの不思議な世界はそこで途切れたのだろう。砕け散ったのだろう。判っている。知っている。だから、リゼはリゼのユメを告げるのだ。
誰だって、何かになろうと想い描く。
綺麗な焔だって褒めてくれたひとの為に、何が出来るだろう。
そんなのずっと昔に決まっていたのだ。ただ、それが嫌で、悲しくて、避けたくて、どうしようもなく幸福を求めていただけ。
笑っていて欲しかった。だから笑っていようと思った。
でも、そんな関係がいいものなのだろうか。まるで、演技じゃない。
落ちた短剣に今更気づき、なにごとかとヒトの流れがざわめく。揺らぐ。大きく波打ち、けれど、二人を遠巻きにと円ができる。世界の中心はここだった。少なくとも、そういうことがいい。リゼにとって、クレリアの傍が世界の原点。
他のだれかなんてどうでもい。
世界の中心で、まったく動かず凍り付いた時の針を動かそう。それで何が変わるか、どうなるのかなんて判らない。それでも、リゼの思いは決まっているのだ。
「クーには笑っていて欲しい。でも、演技と嘘に、くすんで欲しくない」
だから手を伸ばす。怒鳴ったことで戸惑って、想像より遙かにどうでもいいことに表情をめちゃくちゃにしているクレリアへ。ただの気まぐれにこんな衝動的なことをしてと、手で触れる。
不安が爆発した、後悔と悲しさと、何より寂しさで痛そうな顔。
失うのが怖かったのだろう。傷つくのが怖かったのだろう。今なら判る。クレリアは、自分がリゼを傷つけ、濁すのが怖かったのだ。不安でどうしようもなくなるほど。
背に回された手の爪先は、ケーブごしに肌に食い込む程に強い。痛い。でも、そうでなければいけないのだ。
「不安だった? 怖かった? どうして。私はクーの傍にいたいから。クーが言ったら、きっと傍にいるよ」
誰かの為に。君の為、貴方の為。
極めつけていえば、それは自己犠牲。
命じてしまうほど強いもので結べば、相手はそれを喜んで受け止める。鎖でも荒縄でも、茨の蔦であってもだ。
だから一線を越えてはいけない。奇跡のような幸せの日だまりを守るように。いずれ壊れてしまうなら、一瞬でも保ちたい。
クーが笑ってくれるなら。ほら、笑っている。こうして幸福は維持され、その先は進まない。まるでよく出来たお伽噺だ。
お話の最後にはいつまでもしあわせに暮らしました。そうして本を閉じて、また最初から読んで、最後にまた。
「しあわせは、痛いんだよ?」
教えてあげる。爪先で頬から喉を伝い、その皮膚を素早くひっかいて朱線を描く。描いた上で、愛しそうに指先でその赤いラインを撫でるリゼ。
「……そう教えたのは、クーだよ。忘れてしまっているフリをして、ついつい、忘れてしまった」
鮮やかな血の雫は、リゼの瞳に似ている。
決して結び付かない。何故だか結び付かなかったそれに、今はどうしようもない同一性を感じてしまう。この少女の本質は赤。焔。それは他者あっての存在なのだ。
「だって、永遠に続かない。永遠なんてない。永遠は、いらない」
「リゼ」
困ったように、痛みなど気にしないというようにクレリアは少女の名前を口にする。だというのに、まるで魔法をかけられたように言葉が出ない。
それは真実を前にしたよう。抱き寄せるようなカタチで、けれど、硬直している。
「五年は長い。ね、クー。五年、私は沢山泣いたよ? 沢山、笑ったよ? でもね。クー。私は、クーが泣いている所は一度も見たことがないの。寂しそうな顔は見ても、殆ど笑顔ばかり」
抱き寄せるような形は、それこそ五年という歳月を嫌でも実感させる。そして、どうしようもない虚偽がここにある。
短剣をくるりと回して首筋へ――それに反応出来たのは、そうなるかもしれないという可能性と不安があったからでは。或いは、何時か、何処かで見たのではないだろうか。ソレを。自己犠牲という名のもの。
ああ、それはクーに抱きしめられた時もだった気がする。確かあの時は腕に荒縄を絡めていたけれど。
そんなもの、もういらない。
「私はクーの傍がいい」
焔のように揺らめく少女が、そこに届きたいと緋色の翅を伸ばす。
思ったより傷つけたのか、触れる指と喉の間から、つぅと赤い筋。それを目指すように、言葉を続ける。
それだけはきっと、偽りなんて含まないから。
「笑顔だけなんてありえない。困ったフリはやめて。さっきのように怒って。寂しくて不安なら、横にいてあげられる。手を握って、話を聞ける。……何より、泣いて。本当の気持ちを、私には見せて」
「…………」
「寂しいがないなんて。悲しいがないなんて。不自然でありえない。困ったように笑って、我が儘を許し続けてどうするの?}
「…………」
「寂しそうなに視線を落としているのに、気付かないフリをいつまですればいい? 分かち合いたいって傲慢で無意味。共有と共感なんて悲劇」
ありきたりな話、不幸をわけあっても数が減るのではないのだ。
共有して共感して、同じく絶望することだってあるだろう。そもそも、共感とはそれだ。
「それでも、私はクーの傍がいて。寂しさに、孤独に、ぽっかりとあいた穴を埋めてあげたい。それが私に出来ることだと思うの。傍にいれば、寂しい気持ちを、少しだけでも消せると信じている。孤独のままに、クーをしておきたくない」
半ば抱きしめ合うリゼとクレリアの思いを、雑踏の誰も拾ったりしない。どれだけ切実でも、決してだ。ただ、リゼとクレリアの間でだけ、思いは響く。
「でも、それに、私も立ちたい。クーが立つ場所なら、その横がいい。そうじゃないと、あなたに口にした言葉が、最初の最初から、嘘になる。その後が全て、叶わない気がしてしまう」
そう。そうなのだ。
「悲しさがないなんて嘘。寂しさと苦しさがないなんて命はない」
出逢った時、リゼは凍える雪の中で、口にしたのだ。
血で赤黒く染まり、固まってこびり付いた手を包まれながら。食い込んだ荒縄を優しい炎で焼かれて、解く事の出来なくなったものを消しながら。
「私は、綺麗なクレリアだけじゃない。悲しくて、苦しくて、不安なクレリアも欲しい。そうじゃなきゃ、優しくて暖かいだけじゃ、嘘。半分しか、ほんとうがないもの。わた、しは……」
その姿は逆だろうに、リゼは、誓うように言葉にしていた。
出逢いの言葉を、なぞる。
「あなたを、救いたい」
どうしてだろう。
悲劇と惨劇は自分の身に起きて、全てを喪ったというのに。
目の前の存在が、どうしようもない可愛そうに思ったのだ。助けてあげないと死んでしまうと感じたのだ。寂しさは心に穴をあけ、孤独に終わらない悲鳴が続きながら、決して誰ともふれあえない。たとえ死んでも、救われない。そんなクレリアを何より、救いたいと、魂が嘆いたのを覚えている。
百万回、出逢いを繰り返しても、きっとリゼは、クレリアをみつけたらそういうのだろう。どんな場面でも、するりとそんな言葉を紡ぎ重ねる確信が。まるで星が流れた瞬間に、言葉にするものが決まっているかのように。
理由は分からない。
因果関係なんて、考えたくもない。
もしもそれが欲しいなら、助けてくれた王子様への、愚かなな少女の一目惚れにでもしておいて。
恋じゃないといいながら、恋に落ちていたのだと。
愛であって欲しくないと歌いながら、愛を求めていたのだと。
悲劇のヒロイン気取りでけっこう。
あなたが、誰かが、誰もがそう思ってくれてかまわない。リゼにだって判らないのだ。
「ようやく判ったの。クーに何かできる、与えてあげる方法。クーを救う方法。ううん、判っていたのかも。でも、クーは演技が上手いから騙されちゃう。私も嘘が得意になってしまっていく」
「まるで、僕が悪いみたいに」
「そうだよ、クーが悪い。抱きしめるか、突き放すか、そろそろ決めたら?」
「…………」
それでも、強ばったクレリアの腕は動かない。震えている。恐怖に縛られているように。声もかすれている。虐めているようで嫌だ。だから、早く、早く、クレリア。助けてっていって。
そうすれば、リゼは救いの為に、踏み出せる。嘘も偽りも、真実と現実も跳び越えられる気がする。
ロマンチスト?
そうかもしれない。けれど、現実は絶望しかないのだと、身をもって知っている。
クレリアの傍、以外は。
地獄なのだ。この世界は。
神が見捨てた世界を、それ以外の何と表現すればいいのだろう。
「私もそう。――救われなくていい。なんて言っているから、きっとダメなんだと思う。クーも、救われなくていいって思っている」
「根拠は何かな?」
「泣きそうな眼をしているよ?」
「嘘つきのリゼ」
「嘘つきのクー」
くしゃりと、クレリアの顔が歪んだ。
嘘つきがどちらか、知っているから。潤んだ涙は、お互い様。言葉のように。
「私じゃ、クーの辛さを、痛みを、受け止めてあげられない? 私はクーの傍でそれを感じたい。あなたの、涙を知りたい」
それがクレリアというヒトの救済だと、感じたのだ。
「だから、強くなりたかった。私は愚かで、弱くて、脆いから」
このヒトにとってはそうだろう。世界を見渡して、自分の苛烈さについてこれるヒトがいない。孤独な流星。きっと産まれる世界や時代、環境も間違えてしまったもの。
だとしたら、リゼもそうなのだ。
この世に生きていると思えない。現実を奪う幻想性。そこはクレリアとリゼの類似点。胸に抱く想いが強すぎて、現実をねじ曲げて薄れさせてしまう程に。
そうだ。そうなのだ。現実は――――絶望しかない地獄のだから。別の何かを作ろう。
ふたりだけの箱庭だっていいかもしれない。砕けた世界の硝子と欠片を集めて、家を作ろう。嘘も真実もなく、永遠も終わりもない、ふたりだけの。
今更、絶望なんてしない。
だからと、甘く、恋を囁くように。
リゼは恋慕に染まった少女の声色で、するりと囁く。蝶の翅が、ふるえるように。自覚なく。意識なく。ただ、何も飾らない本音を。
「クー、あなたを救う為に――あなたの涙をください」
だから言ノ葉も、紅葉のように。
どんな絶望。激痛。そして痛みを抱えているか、判らないよ。
判らないから似合わないぬるま湯の幸福にひたって、維持することに必死になっている。そんなの、ふたりとも幸せになれない。
笑っている。微笑んでいる。困っている。悪戯と我が儘。それだけではこの先に踏み込めない。いいえ。踏み込んだのは、あなた。
絶対に逃がしたくないと、腕を掴んでおいて――そう瞳は緋色に燃える。
そして、それはクレリアにとっては。
「……ぁ…」
懐かしい絶望に、ぽろりと、涙が零れる。
それは絶対の懇願(メイレイ)。かつて味わったそれを、上書きされたことに、嗚咽じみたものが零れそうになる。
そこから世界は壊れていったのだ。
そこに破滅はあったのだ。
何もいらない。何も許されなくていい。幸せなんて身に受けるべきではなく、所詮、この身に宿したものには似合わないだろう。
ほら、世界は黄昏。真っ赤に燃えさかる。
何もかも儚く、脆く、焼けて灰になるのだ。銀の髪も、月のようだった瞳も、そう変わってしまったのだから。
だからリゼをそれから遠ざけたかった。違うものになって欲しいと、違うものだと認めてながら、そこに踏み込むのを怖がった。
リゼが壊れるのが怖い。リゼが狂うのが怖い。リゼを喪うのは、そう、まるで最後に垣間見る夢のようだったから、それだけは嫌なのだ。
けれど、クレリアの魂は、リゼの想いと魂を綺麗だと視線を外すこともできない程。綺麗で、儚く、揺らめく火は、必ずクレリアの所にまで来てしまう。
似ているのだ。似ている上に、クレリアはリゼを奇跡だと思い、膝を屈した。だから、これはある意味の当然。
絶対の呪いを、絶対の祝福に変えてしまう、赤い少女。
「痛い? 苦しい? 悲しい? でも、どんなに怒っても、嫌われても、私は我が儘だから口にし続ける。クーは、許してくれるって、知っているから」
心の傷口から、きっと透明な血は流れている。
流星を傷つけるような刃なんて、リゼは持っていない筈。
ただ、まるで塞がっていない昔の傷口を抉るような、リゼの優しい熱を帯びた声が続く。
「大丈夫、ひとりじゃないよ。……クーを、ひとりにしない」
胸に埋もれるように抱きつく。ひどく早い鼓動。それが収まるまではと、ぎゅっと抱きしめる。ここにいる。傍にいられる。
ヒトの視線なんて気にしない。あなた達に何が出来るのと、リゼは思い、クレリアは考える余裕はないし、そもそも他人に関して無頓着なふたりだ。
「私は、ここにいるよ。クーは、ここにいる」
嫌なことが何もないなんて、悪い夢だ。
無残で不幸で、理不尽で。そういうものに満ちているから、世界に望むものが出来る。リゼに足りないのはそれ。いいや、それもまた、この瞬間に。瞼を閉じる瞬間、斜陽の鮮烈な、最後の赤が瞳に混じり込む。
浮かぶ涙が、瞳の赤と、夕焼けの色を混ぜたように。
「クーの涙を灼く程の、焔が欲しい。――それを持って、『断罪の剣』を。あなたの涙が、裁きの刃を導くと、決めた」
あなたの涙は罪ではない。そう決めた。価値観は元から似ているし、クレリアを断罪するリゼなど、決して思い描けない。
「決めたの。独断と偏見に満ちたもので、いい。私は、私の思う罪に、形なんてない。クーの涙が、罪の基準。それでいい。それが、いい。あなたがいない世界なんて、すれ違った未来なんて、考えたくない。嫌」
縋るような指先。絡みつくような言葉。
「泣いている顔も知らないでは救えない。寂しい時に一緒にいなくて、幸せとはいえない。孤独な時、その心に触れあえなくて、暖かさなんて、ない」
それは。
それは。
「だからクー。私を、もう、ひとりにしないで」
最悪の魔法。
クレリアとリゼのような人種にとって、破滅の言葉。
時よ止まれと歌うように。心をひとりにしないでと繰り返す。
ずっと寄り添いながら、幸せを演じた関係の砕ける音色(コトバ)。
龍の神話は、愛の為の自己犠牲と孤独。
遠いのだ。遠ざけていたのだ。
我武者羅に、爪を立てる。痛みを与える。泣いてと懇願する代わりに。
賢者というものが何であるか。世界が何なのか。うっすらと理解し、到達した今。もとより魂と感性は拾われた時からアレと結び付いている。
「だから……手を、握って。離さないで。ずっと抱きしめられていたら、顔も表情も、涙も見えないから。泣いてることに、気付いてあげられない」
それでなおと、衝突を避ける。致命的な契約を、沈黙と涙で濁す。
ただ、信頼も友情も忠誠も仁も信仰も、誇りさえも濁されては美しさを喪うのに。
ソレは決して、濁った程度で美しさを喪わない。
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