罪を世界は求める
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そうだ。確かにそうなのだ。
リゼとの出逢いを救いと思うから、こうして笑っていられるのかもしれない。
午後の日溜まり。その優しさ、ぬくもりをずっと忘れていた。
叶うならずっとそこでゆらゆらと、ゆるゆると微笑んでいたい。膝にかかるリゼの重さは、ここにいるという証だ。クレリアと、リゼが。
ただ、それはやはり奇跡的なバランスで成立している。
もう手にする事が出来ないだろうと、諦めるのではなく忘却を選んだぬくもりがここにはある。
だとしたら守りたい。失いたくない。
この先がどんなものであろうと、リゼと一緒なら。少なくとも、あの少女の先を見たい。綺麗な想いはクレリアを惹き付け、優しいぬくもりを思い出させる。
だからこうして、また、崩れないようにバランスを取るのだ。
ごんっ、と空間を震わせる音が響く。
「これより、『星辰』の大賢者。クレリアの審問をはじめましょう」
声は瑞々しい花のような女性のものだ。優しく、繊細に、けれど漂う気品は間違いなく貴族のもの。象徴として、そして神秘性をもって地下の、広い一室に響き渡る。
クレリアの知っている声。それも知人というよりは、共犯者といったほうがいい関係の存在が開始を告げた事に眉を潜める。
呼び出された部屋は中央が底辺となった円状の地下室。段々となっている席を含む石材は、白い燐光を放っているが、それはかえって地下室の影を増すばかり。そこに座る者達の輪郭をしっかりと捉えさせない。
先の言葉通りなのだ。
ここは、裁判の為の場所。
それも法律や論理といった規律のものではない。
より酷く、より残酷で、価値観の偏ったもの。宗教という匂いが満ちている。最初から決定されている判決を、理由を乗せて述べるだけだ。
つまり、これは宗教裁判じみたもの。吐息をひとつ、またかと吐き出す。価値観は偏り、厳正さや公平さなど微塵もないが、集った者達に共通の世界観はない。だから、彼ら、彼女にが気に入るかどうかが全て。
気に入れば残すし、気に入らなければ排除する。
集うのはこの学園都市に住まう大賢者達だが、その視線はすべてクレリアへと注がれている。
クレリアは有能か、それとも、害悪か。
二つにわけてしまうと渦巻く想念はそういうものだ。右と左しかなく、間の中間や折衷案など存在しない。
好奇心が大半。無関心が残り。そして僅かな、疑惑。向けられるそれらに、クレリアは溜息をついた。
「審問といった所で意味がないでしょうに。これだけの数が集まって、ようやくひとつを問いただすと」
「ええ。そうですよ。残念ながらクレリア、あなたの行動は目に余る。……というよりも、私たちをもって判らない」
くすくすと花びらのように笑う声。続く言葉はまるで詩を諳んじるかのようだ。
「どうしましょうね。どうなっていたのでしょうね。私たちは世界の真実に、真理に至って、更に先に踏み出してしまったものたち。狂っている。結構ですよ。壊れている。あれを知ってそうでないほうがよっぽど怖い」
結局の所、これは劇なのだ。
大賢者の中でもクレリアを問題視しているものは少なからずいる。正確に言えば危険視だろうか。
どのみち、それらを納得させる必要があるのだ。
その為の寸劇、茶番だと女性の声は語っている。
だから余計に質が悪いのだ。あくまで共犯者でいたいが、この女性もやはり狂っている部分がある。
「クレリア……あなたは何年生きているのでしょうか。大賢者ともなればそれこそ、寿命というものが半ば存在しない。魂の劣化という、魂の寿命というものはありますが、外見など影法師。姿形など幾らでも変えられる」
外見通りの年齢であるものの方が少ないのだ。他からどう見られるかと歳を重ねているものも多いが、外見年齢など簡単にいじれてしまう。
「それこそ、問題にもならないでしょうに。時間の浪費をしたいのなら、また別の機会にお願いしたいですね」
「そうですね。名を変え、姿を変え、冠する称号を変えて、何度、同じものが別の大賢者となっているかさえ判りませんもの。……だって、世界はあまりにも理不尽ですから」
要領を得ない言葉が続く。何故、この女性がこんな事を語っているのか判らない。
だが、それは次の言葉に集約される。
「――返り血の記憶は如何です? 戦場を渡り抜いた、殉教の星」
「出来れば忘れ去りたいもの。といえば納得して頂けますか」
それは浴びた量ではなく、どれだけ記憶に染みこんでいるかが問題なのだ。拭い去れない血液の粘性、温もりが冷たさへと変わっていく感触は時間とともに。記憶と心、精神に染みこんだそれは、薄れたとしても消えたりしないのだ。
「鮮血は人肌の暖かさに似ているものですからね。だって、肌と肉を裂けば、そこに流れているものは同じなのですから」
だから、かつて人に触れるのが怖くなっていた。
事実、それは今も変わらない。たった一人を除いて。ここまでくれば逆に、そのひとりを中心にクレリアという世界は回っている。
だとすればとここに疑問が起こる。大賢者ともあろうものが、何を求めたのだ。
「ね、クレリア。あなたは幸せですか? だとしたら可笑しいですね。最低、五百年は生き続けただろうモノが、今更、幸せを求めてここにいるということになる」
まるでこの地、学園都市を安住の地のように定めている。
たったひとりの少女を連れ、微睡むように。それが可笑しいと、部屋に満ちる視線がクレリアへと注がれる。沈黙は、下手な返答は致命傷になりかねないと感じているからだ。
「世界は絶望している。それが真実であり、真理。そう、世界は自ら滅びようとしている」
ぽつりと零れるような言葉。今までの華やかさではない、透明な声色で紡ぎ続かれる。
「私たち大賢者はそれを知り、それを踏み越え、超越してしまった存在。それでも人なのです。何故? 簡単です。大賢者の死因の八割以上は、自殺なのですよ」
それこそが魂の寿命。真実を知り、その先へと至り、なお絶望から抜け出せずに、心を病む。いや、この場合は世界が病んでいるのか。
だが、そんな事実を公表など出来る訳がない。
「この学園都市の設立を考えれば判ること。『この世界に未だない可能性』を? それは希望を求めているということ。そう、この世界に未来の希望なんてないのです。超越してしまった大賢者でさえ――自分はどうにか出来ても、世界はどうにもできない。絶望という孤独、孤独からの破滅。私達はそれを、自らの鼓動のように知っている。知っているから、子供や他人の鼓動に、未だない希望という可能性を、求めている」
くすくす、くすくすと優しく、透けるように、声は続く。
「だから――知りたい。クレリア、あなたの存在は大賢者たちもよく掴めなかった。黒獅子公直属の部下であり、教会とも親しいあなた。争いあった銀狼公からも推薦状を得ていたあなた。さあ、あなたの連れてきた希望は、なに?」
聞いてはいけない魔性の声だ。答えてはいけない、魔性の歌だ。
だとしても、言っている意味は分かる。何より、これがこの女性の優しさでもあるのだ。
何しろ、大賢者となる為には、そして入学する為には、大賢者かそれに準ずるものの推薦状が必要だ。
黒獅子公、ならびに銀狼公はハイランドの戦から放り出すのに丁度いいと想ったのだろう。教会――つまる所、龍信仰の者達も、クレリアに首輪をつけたかったのだ。
だが、そんな中で、気まぐれに手を差し伸べたものがいる。
それは愛を尊び、愛に殉じ、愛を求める深紅の花だ。世界の絶望を知り、それでも、愛だけはと手放さなかった赤い闇。それが、クレリアを自らと同じ大賢者へと推薦した最後の一押し。
当時は判らなかった。ただ、そう、気まぐれなのだと思ったし、だからこその共犯者だ。その程度で済むことに感謝していた。
「あなたはもはやいい。調べ尽くして判るのは、無数の戦場と歴史の裏で流れ続けた星があったということだけ。それが同一人物である証拠はなく、同じでも違っても実は変わらない。それは『龍が月を支える世界に必要だった』ということが歴史が証明してしまっている。ならば言い換えましょう。……そんなあなたの連れてきたリゼという少女は、一体、何なのですか?」
だから今になって、その感謝は深くなる。愛を詠う声は、クレリアとリゼを愛でている。可愛がっている。
その果てを知りたくてたまらなく、そういったもので絶望から逃れようとしている。だからこそ、しっかりと言葉にしないといけないだろう。
「北の国、孤児院で見つけた、奇跡ですよ」
思い出すだけで嫌になる。考えるだけで身体が震える。
リゼと出逢う前の自分がどんなものだったのか。思い出すことさえ、怖い。
寂しかったのだ。
世界の果てを見たこの大賢者たちならば判るだろう。
いいや、判って欲しいのだ。
たったひとつの為に殉じていた。たったひとつを信じて、その為に生きて、殺して、戦っていた。
この世界の真実は絶望しかない。
だから子供達に新しい可能性をと、夢を託したこの学園都市があるのだ。それが未だ何の結果も残せていない事実と共に。それでもある。あり続ける。
「彼女に理由なんて、きっとない。世界の真実は絶望。そうでしょうね、リゼはそんな子だ。そんな産まれだ。――そんなの、どうでもいい」
くすりと笑う。それがとても好ましいのだろう。
問い掛けは、だから、残酷だった。
「もう一度、聞きましょう。リゼという少女は、一体、何なのですか?」
聞く必要などないだろう。
もう調べはついているだろうし、敵対するのならばこの後で必ず起きる。守ってみせるし、リゼの想いを濁らせたりなどしない。
誓おう。
「リゼは、奇跡です。……例え世界が、滅びを望んで、その因子を持っていたとしても」
リゼと過ごす日々は暖かい。
「望みたい。そう思えた。生きたい。そう願った。……そう思わせてくれる存在が、どうして、破滅だというのでしょうか」
ふわりと、それはかつては燃え盛る星だったものが笑うように。
不安はある。こんなどうしようもない男が、あんな綺麗で危うい少女を守れるのだろうかとか。
ふとした拍子に傷つけてしまうのではないかと、古ぼけた記憶を頼りに、たどたどしくしか触れられない。
泣いたらどうしよう。いや、リゼがだけではなく、クレリアが。
そんな顔は見せたくないのだ。
幸せだと、それだけを伝えたい。
「そうやって出逢えたことが、奇跡。それなら、その先は希望といっていいのだと、信じているから」
掻き毟りたくなるように、胸は疼いた。
未来の希望性といった時点で、クレリアは世界の敵なのだ。
そう。リゼと同じように。
「――『異灰』の血を継いだからというだけで、彼女の全ては決まらない。可能性をというのなら、この学園で、リゼの可能性を、希望をみつけたい」
彼女の想いを知らないものに、石など投げさせない。
かつて自分にあったことを繰り返させない。
泣かせたくないのだ。寂しい思いをさせたくないのだ。
「同じになるなんて救えない。幸せと思えない。だから、世界を導けたとしても、少女のひとり導けないから、あなた達に縋る」
よって走る動揺。戦いも視野にいれていたものも少ないが故に、頭をたれ、許しをこうように膝をつくクレリアが大賢者でも判らないのだ。
自尊心。矜持。投げ捨てるなんて簡単だ。本当に求めるのはそんなものじゃない。
「例え、滅びに身を焼かれても、彼女に、希望を。奇跡をくれた彼女に。英雄なんて、なれなくていいから」
同じ思いをさせたくない。その為なら、何でもしよう。
「そう。であれば――あなたは『異灰の災厄』と『滅び』を知るのですね」
故に、花は微笑む。
無数の色彩は鮮やかに、血を注ぐ程の心を見つけたのだと。
絶望などずっとしていられない。とまってはいられない。そうだ。そういう意味でクレリアと彼女は共犯者。
言質は取らせて貰った。即興でアドリブ。だが信じていたのだ。
この世界には『異灰』の血を継ぐものがいるということを。そして、それが滅びへと繋がらない事を。
「これでご理解頂けましたでしょうか。『異灰』では世界は滅ばない。それ以上のものが、ここにある。この世界に。いいえ」
それは真実と想われていたことへ、罅をいれる、病みだった。
「世界は死病におかされている。決してそれは『異灰』のせいではなく、リゼという少女の強さは、そこにあるのかもしれません。いいえ、『異なる灰』とは……元々は何なのでしょうね」
「ひとつだけ、訂正させて欲しい」
それは思わず口から滑った失言のようなもの。激しく、鋭く、熱を帯びて、言葉を紡ぐ。
「リゼはリゼだ。『異灰』の血なんて、関係ない」
「あなたが、私が、何であったとしても関係ないように?」
「そう。どんな産まれだからと、決められた命はない。定められたものはない。滅びたがっている世界が、まだ滅んでいないのがその証拠。全ては、産まれながらに罪を抱く――生まれ落ちた『原罪』が、どうしようもなく足掻き、受け継いでいるのに」
だからこそ、求めるのだ。
いずれ壊れて、なくなってしまうのなら。
小さな、小さな鼓動を、失いたくない。
それは願いで、祈りで、信じるたったひとつの。
変わることで壊れるのが、何より恐ろしい、クレリアにとっての世界(すべて)。殉教めいた旅の果て、辿り着いた、小さな楽園なのだから。
たったひとりの為の世界。それがあって、いい筈だ。
罪だというのなら、その罪に焼かれてしまおう。
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