第四章 不香花の階段、現実へと降りる






 夢や理想を語るのは大事。

 けれど、そろそろ、現実性のある話をしよう。

 幸福というのはとてもアンバランスだ。少なくともクレリアにとってはそう。

 まずは足場や土台があり、積み重なった先で初めて成立するもの。

 継続というのは、とても難しい。

 幸せという空を見上げてばかりで、今いる場所で躓いてはダメたせ。

 その下で苦労をした過去があって今があるということ。加えてその維持には、途方もない苦労が必要だ。それが夢物語のような理想ならなおのこと。

 アンバランスでも、決して崩れないように。

 ようはロマンチズムの為のリアリズム。

 そういう意味で、確かにリゼは『与えられた存在』ではある。

 だからこうして、日常の維持というものに関わる他ないのだと、物語は舞台の裏へ、いや、深くへと下っていく。

「リゼ様にしては珍しい事で御座いましたね」

 足音は二つ。地下へ地下へと巡る階段をおりる、規則正しい旋律と共に言葉は流れる。

 いや、どちらも途切れさせてはいけないのだろう。先導するように階段を降りるのはヒビキだ。銀色の髪を揺らし、一定の距離で設置された松明の光を反射している。

 一方、後ろに引かれているクレリアの髪は、松明の色に塗れている。銀という括りでは同じなのだが、強い自己主張を持たない。

「ご友人を連れてこられるとはまさかのまさか。いえ、前例がない訳ではありませんが、それにしても珍しいことかと」

 そうだ。自己主張というものの欠如がクレリアの性質なのだと、ヒビキは思っている。あながち間違いはないだろう。

 完全に無かというばそうではない。ただ感情を自分から強く発することがない。穏やかに、緩やかに微笑む姿が一番、記憶に残っている。

 一方で他の顔はどうだろう。少なくとも、すぐには思い浮かばない。輪郭が曖昧な訳ではなく、印象に残るような感情に覚えがないのだ。少なくとも、クレリアとリゼがこの学園に来てからの三年間、向けられた覚えがない。そんな不自然あるのだろうか。

「そうだね。自習という事にして残してきたけれど、セレンに剣を教える、とは、正直驚きだよ」

「セレン様も災難で御座います。兎角、リゼ様は感覚で生きてらっしゃいますから……教えるのが下手なのに、求めるのが途方もなく高い」

 困った事だと袖元で口を隠すが、ヒビキは微笑んでいる。

 リゼとヒビキは実は同期だ。歳こそ違うが三年前にこの学園にやってきた。最初はリゼの協調性のなさに眉を潜めるどころか困惑していたが、今ではどこか妹のように思っている。

 あれだけ一途に思う姿は応援したくなるのだ。

 どこか幼く、けれど強く。鋭くも、危うい。思わず視線と意識を惹き付けてしまうリゼ。

 セレンもまたその一人なのだろう。

 学園都市の大賢者の集会として呼ばれたクレリアは、残る実技の授業を自己の鍛錬にといっていたが、体力も気力もぼろぼろだ。その上で苛烈なまでのリゼの剣術を学ぶなど、精神が焼き切れかねない。

リゼは炎だ。募る想いは増すばかりと、静かに何処までも燃え盛る。加減を知らないのはまず自分にで、それをコントロールしているのがクレリアの節がある。いってしまえば甘えているのだが、それが微笑ましい。

 対してクレリアは、どうだろう。

簡単に結論をいってしまえば、全ての物事に対して興味や関心をもっていないのだとヒビキは感じている。

 全くの無という訳ではない。だか、何処か醒めているような気がする。見透かされているような気配がある。大賢者なのだからそれぐらいはと考えても、少しチグハグなのだ。

 例えば今もそうだ。

 続く階段は都市の中央にある大聖堂の地下へだ。ここに呼ばれる意味を理解していない訳はない。

「リゼはリゼだからね。少し甘やかしてしまったかなと思うけれど、少しずつ変わってくれるなら嬉しいよ。ひとりきりだと、わからないことは多い」

「…………」

 僅かに灯った感情の濃淡。

 リゼという少女に対しては、ただ話題だというのに、ぬくもりがあるのだ。振り返れば暖かい、優しげな瞳があるだろう。 

 穏やかさは変わらない。落ち着いた調子は現実感の喪失。向き合っているようで、向き合っていない。視点が何処か噛み合わない。理由、原因は突き詰めれば明白なのだろう。

「しかし、求めるものが高いのはクレリア様の影響ではないでしょうか。貴方様の価値観は、偏っております故に」

 階段はまだ続く。言葉はまだ重ねられる。

 この人の抱くものを、確かめたい。

 それはどうでもいいようなものかもしれない。所詮、向き合ってくれない人間はそれまでだ。と切り捨てるにはヒビキの願いは清すぎる。

 向き合ってくれない相手に感情を向けても確かに無駄だ。が、それを重ねていけば届いてはくれないだろうか。今は無理でもいい。何度も何度も重ねていけば、必ず通じると信じている。

 いいや、信じたいのだ。

 ヒビキが冠する名は『不香花』。それを名付けたのは他でもない、クレリアなのだ。判らない筈がないのだ。

「クレリア様の基準、価値観は個が抱く想いの絶対量。多寡や質で御座いましょう。善悪の基準はそこになく、善し悪しとするのもクレリア様が感じたままに」

「珍しいね、ヒビキがそんな話を振るだなんて」

 この手の論では水と油なのがヒビキとクレリアだ。

 誰かの為にと綺麗な詩を響かせるのがクレリア。それは自分を含めて、『特定の誰か』以外をすべて下に見なすという事でもある。百や千のを積み上げて、たったひとりの為にと。

 逆にヒビキは誰かを導きたいと想う。共に在りたいからこそ、まずは自らが夢と理想を掲げて先に歩む。続く人がいてくれるようにと、暗闇を引き裂く光のようにありたくて。稲妻纏う龍の血はまるで天啓のようにも想えたのだ。

 クレリアが名付けた、二つ名を得るまでは。

――『不香花』だね、君は。

 その祈りを、その名に落とされた時、妙に納得してしまったのだ。

 それは雪の別称。ちらちらと、白い花が吹雪いていると想えど香りはない。ふと見上げれば、成る程、それは空から降り注ぐ雪だった。

 そんな由来の言い回し。花のような、雪のような、香ることなくとも、確かにある。

 淡く、繊細で、けれど、集えば銀世界を築くだろう。

 ひとりで出来ることなんて限られている。だからこそ、雪のようだと言葉に納得してしまった。自分が先んじてとはいうけれど、その後に続いてくれる人を信じている。願っているからこそなのだ。

 向き合ってくれない人間に言葉を重ねて、苦労する必要は本来ない。だが、『不香花』の名を、それこそ本当に誰とも向き合わないヒトが、ヒビキにつけるだろうか。

 雷鳴の龍人に、果たして、雪などと。

 だから熱を帯びるヒビキの声。結局、世話好きなのだろう。お節介なのだ。ただ、嫌がられたら引くけれど、出来ることはしたい。

「ええ、とても珍しい事に。何故でしょうか。本日のリゼ様はいつもと違う気かしております。三年もたてば変わるは確かに。が、それを見たクレリア様は、普段と何処か、そうどこかが違う」

 そう。これはキッカケがあるから口に出来る。

 点々と通り過ぎる松明。じりっと焦げる火の音、匂い。

「まるで、この世は総じて、ゆめまぼろし――泡沫の夢に過ぎぬと」

 クレリアはまるで水面なのだ。

 問題は、その本心に触れる事が出来ないというただ一点。

 綺麗な水面を撫でようが、腕で叩こうが、刃で斬りかかろうとも、しばらくすれば穏やかに凪いだ表情を覗かせる。

 こちらからどうやっても心の芯に響かないし届かない。

 一種、夜空に浮かんでしまった星なのかもしれない。空にまで届く手も、声もありはしないのだから。そして、その広さも。

 大地に立っているつもりで話しても、それが空に在るものならば、やはり感情は噛み合わない。クレリアからすれば視点は俯瞰で、ヒビキ達の想いを見つめることも汲むこともできる。が、見上げたら星空に影響など与えられないのだ。

「それが常。夢を描くように、現実を進む方がクレリア様。ですが」

 それこそ夜空を駆け抜ける流星。現実など触れれば壊れ、砕け散るだけなのかもしれない。大賢者というものは、人を越えてしまったものたちなのだから、人の常識で計るのは難しい。

 ただ一点の例外がある。

 理由は分からない。結局、クレリアの価値観は彼だけのもの。だからこそ、共通し共有出来る部分が彼の本人に触れる手段となる。

「リゼ様の歩みは、とても気にしていらっしゃる。ご存じでしょう、貴方様はリゼ様のことを話す時、少しだけ暖かい声になる。リゼ様を見る目は、少しだけ優しくなる。心配で驚くことさえあるのですよ」

「…………」

 確かに、リゼのいない場だと言葉が少し鋭くなると言われた気がする。

 いいや、きっとリゼといると口調が柔らかく、穏やかになるのだろう。

「意外でした? 違いますよね。指摘されないと想いました? どうしてでしょうか? クレリア様はまるで、最果てまで流れ着いて、擦り切れた星のようです」

 どのような人生を送ったのかは判らない。

 大賢者は世界の誇る、超越者たちだ。世界の先を、未だなかった可能性を切り拓き、紡いだものたち。そこまでの道筋が容易いわけではなく、心は削れていったのだろう。戦場を巡り歩き、まっとうな感情が壊れてしまったひとの話はよく聞く。それを更に突き詰めてしまったら、どうなるのだろうか。

 ただ水面や夜空と、綺麗で素晴らしいものに喩えた一方で、結局、クレリアも人なのだとヒビキは想う。

 だから何処かで限界は来るのだ。それを越えてなお、生きているモノがあるのだ。

「心が、感情が、情動が擦り切れて上手く動かない。いいえ、もしかしたら世は総じて夢幻であればよいと、諦観と達観している。ただ、想いだけがあればいいと、緩やかになる」

 強い自己主張がないのは、何も望まないせい。

 緩やかなのは走り続けた足がもう疲れ切っているから。

 それでもたったひとり。たったひとりを、どうしてそこまで思うのだろう。

「それでもリゼ様だけは例外なのですね。この世などどうでもいいと思いながら、リゼ様がいるからここにいる。成長して変わるリゼ様に視線を注ぐ」

「どう、だろうね。そうなのかもしれないし、そうだとしたら、酷い男になってしまう」

「自覚がある、ということでしょう」

 くすりと小さく、ヒビキが笑う。

「どうして。などと聞くだけ野暮なのでしょうね。どうして。リゼ様がクレリア様にとって特別なのか。まるで流れ星が、世界の最果てで見つけた一輪の花のように。それは私には判らないことでしょう」

 だからこそ、ようやくだった。

 軋むような気配。真後ろのクレリアが、心を軋ませた。

 音は嘘をつかない。言葉でどんなに誤魔化しても、音色に宿るものは決してだ。

「そう。誰にも判って欲しくないんだよ。リゼ以外には」

「……左様で」

 振り返ればクレリアはどんな顔をしているだろう。

 疑問は浮かんでも、ヒビキはそれを振り払う。それこそ、リゼ以外には知られたくないのだろうから。

 永遠に知ることはない。それでいい。

 誰かと共有したい、ひとつの真実。そういうものがあっていいのだ。

「たったひとつの希望。リゼ様は変わる、成長する。それがクレリア様の夢なので御座いますね。何とも、まあ。世界の導き手たる『大賢者』ならば、少女の手を掴んで導いてもよいでしょうに」

 それをしないのがクレリアだ。

 何処か殉教者めいた祈りと願い。

「例えば、そうだね。自分と、それを取り巻くものに絶望しているのに、どうして、その中へと手を伸ばせるかな」

「希望、絶望、変化。まるで、この学園都市のようで御座いますね」

「……気付いているのかい?」

 問いは穏やかながら、何処かぞっとするものがある。

「何に気付き、何に目を瞑るのか。例えば、クレリア様がハイランドでの戦争に加わっているのはよく知られていますね。見た目通りの年齢ではないでしょう。最初期から、あなたはあそこにいた」

「年齢や外見なんて、判らないものだよ」

「そう。だから――五百年前、私の祖国である東方諸国に、あなたのようなモノがいたという伝承がありもする。可笑しく御座いますね。東方諸国はその頃、まだ発見もされていなかったというのに」

 この星は流れ続けたのだ。

 世界を流離うように、まだ足りない。まだ何かを。そうやって求めて、けれど、決して表舞台には出なかっただろう存在。

「伝聞なんて、たかが知れている。ヒビキは、誰かがいったかもしれない、過去のお話を信じて、目の前のものを信じないのかな?」

「目の前のものを、それが肯定するのなら。ええ、ですが、それも無意味なことなのでしょうね。クレリア様にとっては、今が、幸せなのでしょうから」

「…………」

「お気づきでしたか? 私から見ると、今日のクレリア様は少しざわついております。いいえ、リゼ様が珍しいことをして、少し、不安にざわつている。だから、クレリア様もまた、それを見て同じようにかと」

 理解出来ない夜空の星。本心がどうなのかは分からないし、触れられない。それでも、リゼに対する思いだけはどうしようもなく不器用で、誠実で、隠し事が出来ないのだ。嘘をつきたくないのだろう。偽りを飾りたくないのだろう。

 たったひとつの希望であるなら、なおさらだ。

 苦笑するような、それでいて、さらりと笑うような気配。続く言葉は刃が閃くように鋭く。それでいて、弦楽器のように美しい。

 いいや、二つともそれは似ているのだ。本音を響かせる、強くも鋭き声。

「そんな君に、ひとつ教えよう。絶望しているというのなら、世界がだ。強さでは届かないものが、世界に病いのように根付いている」

問い返すことはしない。意味は分からないが、理解するのは今でなくともよい。

 気付けばもう、目的地は近い。

 歩みは長かった。だが、もしも五百年以上、それこそ戦いの中に身をおいていたのならどうなのだろう。

 どうしてそんなことを。判らない。きっと星の願いは人に理解出来ず、星になった人は、人の心を理解してしまう。

 クレリアに世界はどう移っているのだろう。百年も千年も生きても人は悟りになど辿り着けないのだとヒビキは考える。現実はどうしようもなく非常で、理不尽で、絶望ばかりなのだ。

 そこから這い上がろうとする人は、きっと、ひとりきりでは簡単が壊れてしまう。何があって、誰かがいて、理想を目指せる。

「そうですね。私は『不香花』。雪は積もり、世界を染める」

 ならばこそと口にする。雪景色は何も美しいだけではない。冷たく、寒く、凍えるそれは死の色彩だ。

 だとしても、生きていた人の思いが積み重なる。白く、綺麗で、優しい色にいずれなると信じている。まず、それを疑っては夢へと一歩踏み出せない。

 クレリアとてその筈だ。募る想いは生きた分だけ。絶望も悲しみも怒りも、きっと慣れてしまっているのだろう。

 だから、戸惑っているのだろう。

「セレン様の歓迎会を致しますので、どうかリゼ様を夕食にお誘いくださいね」

 見えた扉。そこで足を止めてヒビキが口にする。

 自分に出来るのはこの程度だ。今はまだ未熟で、至らず、もとより才能とて足りない。夢へと足を踏み入れても、その先など無理だろう。

 それが人であること。人のまま、多くの人を導くものでありたい。誰かの背中を追いかけるのは子供のようと笑われても、憧憬は天まで駆け抜ける強さで、輝きだ。

「リゼは、あまり人と食事を取りたくないんだけれどね」

「クレリア様の料理でなければで御座いましょう? そういう我が儘も少しはなおして頂かないと。ええ、まだ、先はあるのです」

 ヒビキはクレリアに憧れなんて抱けない。

 尊敬はまったくしていないし、特別な誰かの為がどれほど危ういものかと判っている。出自からしてロマンとファンタジーに彩られていたのだから、瑠璃の瞳はより、リアルを映し出す。

 迷っている暇はないのだ。

「ご武運を」

 すれ違い、遠のく背へとささやきかける。

 それを追いかけることが許されているのは、ただ一人の赤い少女だけ。




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