流れ星は、夢の欠片に~クレリア~


 

 

 リゼの想い(ホノオ)は綺麗だ。

 何より大事で、この鼓動に意味を持たせてくれる。もう少しだけ、君の為にと呼吸を続けていたくなる。

 熱(ツヨサ)なんてどうでもいい。そんなものに惹かれた訳じゃない。

 出逢いは雪に凍える孤児院。その中で、誰かが為に、鐘を鳴らし続けた赤い少女は、あまりにも美しかった。

 そのままでは消える火だから、庇護した。でも、一緒に過ごすうちに、そのぬくもりが、優しさが、困らせていく言動が、ゆっくりと、心にしみこんだ。

 暖かい。そんな気持ちを思い出させてくれたリゼ。クレリアにとって、誰より大切なヒト。

 それでも告げることができないのは、きっと、クレリアという青年の魂が、心が、何処までも――。

そう、きっと、何処までも救いを求めていないから。

 自分勝手な欲望を叶えて、それが理想だと言えるのだろうか?



「いいや、あの出逢いで、もう救われているのだろうから」



 だから授業の最中、ゴーレムと共に。いや、ゴーレム達はついでと放たれた炎に、穏やかに笑う。悲しいと感じても、それを表す上手い方法が判らない。

 寂しげに、悲しげに。そんなそぶりを見せたら、リゼが傷つくから。それだけは、怖くて仕方ない。幻滅されるよりも、なお深く心に刺さる。

 そんなクレリアに迫るリゼの劫火。断罪を求めた炎の剣が流れた。

 斜陽に似た鮮烈さ。深紅に染まる景色。

 それを赤い涙のようだと思うのは、クレリアがリゼの想いに気付いている証拠だ。そして、また気付いていないフリをして、掌を翳す。

 瞬間、無数の赤い糸へと解けていくように霧散するリゼの炎。どんな道を辿っても結ばれないように。けれど、千切れてなお、結び付こうとする諦めを知らない熱。

 消えてなお、風を巻き起こす。

「大丈夫。届いているよ……あたたかい」

 唇に乗せた言葉は、リゼに伝えるべきものだ。

 クレリアの頬が緩むのは、指先を撫でる暖かな風。まるでリゼの髪を撫でる時のようなぬくもりを届けて、余韻に残していた。

 判っている。理解している。リゼの想いは、一途で綺麗だ。

 その優しさもぬくもりも届いている。触れている。この指先に、絡まる見えない糸のように。すぐに消えるぬくもりは、けれど、心に染み渡る。

「リゼは傍にいてくれている。ちゃんと、一番、近くに」

 だが、紡ぐその声は届かない。届かないようにか細く、火と共に消えている。いや、果たして音になったのかさえ判らない。

 抱きしめて伝えるべきなのだろう。

 何時だってクレリアにとって大事な真実はひとつだけ。

 世界の果てまで見てしまった中で、たったひとつ、見つけた輝きのカケラ。



――リゼの炎(オモイ)は綺麗だ。



 ならばと、その炎に全てを擲つことに躊躇いなんてない。

 だが、だからこそそれはダメなのだ。リゼの感性は鋭く、純粋で、何より危うい。本人が無意識で気付いてしまう程に。

――与えられるばかりでは、奪うのと変わらない。

 違うのだと否定したい。何も貰えていないのなら、どうして料理を作ったりするのだろう。食べる姿が可愛いだなんていったりしない。

 ぬくもりなら、触れ合わなくても呼吸で伝わる。膝の上で眠る姿は五年たっても可愛いままだ。指で触れる。赤い髪の毛。白い肌。届いている、ぬくもり。

 世界の果てを、深淵を見てしまったが為に、クレリアの魂とでもいうべきものは歪んで捻れている。大賢者と呼ばれる超越者たちはは皆そうだ。人間の領域を越えてしまったせいで、魂か精神か、心か肉体が悲鳴と断末魔を交互に上げ続けている。

 ヒトに触れる事に恐怖していた、なんて、リゼは知らないだろう。

 クレリアがヒトに触れられるようになったのは、リゼと過ごしていくうちにだ。ひどい血の匂いがした。死の気配が纏わり付いて離れない。触れた人間がどうしようもなく脆く、弱いから、それが焼け爛れて灰となって散るのを連想してしまう。

 だから、今はどうしてリゼには触れたいと思うのか判らない。それを幸せといっていいのだろうか。

 きっといい。

 誰かの笑顔を思い浮かべて料理する。そんな些細な日常、もう戻れないと思ったのだから。愚かなリゼ。可愛いリゼ。綺麗で、そして鋭いリゼの為に。

 誰かの為に。それが自分の夢。そう誇るのはリゼとクレリアの共通点。ただ、そこにおいてリゼは、無自覚のうちにクレリアを越えている。誰かの為ならば、星火燎原とまで。

 ただ、それは特定の誰かの為に、君に、あなたに、となった瞬間に優しい燈火と揺れる。

 本人は奪っていると思い込んでいる。そして、クレリアも否定はしないから勘違いは加速する。全てはただ一点に、強さや想い、夢だとか、そんな曖昧な定義ではない所に焦点を合わせる必要がある。


――奪うばかりを愛だなんて呼ばないの。


 そうだ。それこそが最大の問題。

 曖昧な定義や、世界だなんて広いものが焦点ではないのだ。たったふたりだけの関係に、そんなものは無用。

 クレリアはリゼの想いを、何より綺麗だと出逢った時に思ったのだ。

 だからこそ、全てを与えることは出来ない。昔ならば、求められるままに全てを差し出すだろう。今、抱く想いさえなければ。

 奪われるように全てを、リゼという炎に捧げている。

 それでリゼが幸せになるなんて、思えないから、今こうしている。

「まったく」

 だから戸惑うし、悩むし、実の所、とても苦しい。

 リゼの想いは綺麗だ。それを誰にも穢させたりはしない。

 そうだ。そうなのだ。クレリアの全てを捧げたとして、それがリゼの想いを濁らせないなんて、何故思える?

 リゼはリゼ。クレリアはクレリアだ。ふたりは違うし、だから、綺麗だと思う。足して混ぜて、プラスマイナス、ゼロの体温。誤差のないものからぬくもりなんて感じない。自分の色に染め上げて、それが美しい。そういう鏡を抱きしめる趣味はないのだ 

 それこそ、リゼの想いを穢すということ。ましてやこの世界の果てを、世界の死病を見て知ったクレリアは、リゼに何を伝えればいいというのだろう。

 ただ、それでもクレリアは微笑む。

 こつ、と一歩踏み出し、自分へと炎を向けた少女へと歩み寄る。

 神の見捨てた世界で。龍の愛で支えられた、天の下で。

 ああ、だから、何だというのだろう。

「リゼ、君は全く、我が儘だね」

「クーが甘いから。……時折、ひどく、痛い」

 澄んだルビーの瞳の奥。閉じ込められた情動が濃淡の波となって、火のように揺れる。

 怜悧な美貌に似合う知性とミステリアス。反面、二人きりになるとひどく精神年齢が幼くなるアンバランスさは、炎の揺らめきに似ている。

 それは自分の灰色の瞳もだろう。うっすらと青みを帯びるそれは、月のよう。世界を流れた星は、たったひとりの少女の為に、まだ空を走る。

 そう。そう。そうなのだ。

「クーが手を抜くのは嫌。クーの事を知りたいし、何だか、とても……」

「とても?」

 こくんと小首を傾げるリゼ。ただ言葉は続かず、クレリアの指先が頬に触れる。赤い髪を撫でて、ぬくもりに吐息をつく。

 鋭く、綺麗な眸。唇は何度か迷うように揺れつつ、表情と視線はクレリアに注がれている。

「とても、クレリアが、遠い気がする」

「とても、近くにいるよ」

 いいや、我が儘を言おう。リゼの近くがいいのだ。クレリアは。

口にしないから勘違いはすれ違いになり、衝突を伴わない触れあいは優しい痛みを疼かせるばかり。だとしても、リゼには自分で成長して欲しい。自分で答えを出して欲しい。

 下手をすると、少し前なら恋している。好きだ。恋人になってといったら、何もいわず頷いていただろうリゼ。『クーがいうのだから、それが正しい』のだと、一も二もなく。

 だから、迷って欲しい。戸惑って欲しい。揺らめいて、その色と輝きを見せて欲しい。

 真実は無明の病み。絶望が最果ての答え。そんなもの、教えたくない。跳び越えて欲しい。

 ここは揺籃の花籠。

 世界は――――たがっている。

 だとしても、それに従う必要なんてない。

「迷ったら、鈴を鳴らして。判らない道を、鈴が教えてくれるから」

 それは贈った臙脂のロングケープに、後から結ったもの。

 ケープは暖めてくれますように。守ってくれますように。リゼの想いは綺麗だから、身を焼くほどに激しいから。

「君を守り、暖め、導く燈火を、その臙脂の翅に」

それは祈りの言葉。

 リゼという少女の願いの過酷さを知るからこそのもの。

 そして、鈴はもっと切実だった。

「道を見失っても、鈴の音が、君の瞳の代わりに、道を見つける」

 迷い、戸惑い、揺れて何が悪いのだろう。

 自分だけの道を見つけて欲しい。それは突き放すより残酷で、一緒にという意味ではない。

 だって、そうなのだ。

 本当は掻きむしるように抱きしめたい。奪うように、腕の中へ。募る想いは、より重く、熱く、激しくなっていく。

 それを止めたいのだ。

 与えられるばかりでは奪っているのと変わらない。

 そう感じるのは赤い心だ。自覚の有無や、そういうものを知らなくても、何かをしてあけだいと思うからこその心の動き。

 どうして言い切れるのか。クレリアだってそうだから。

 与えるばかりでは、また、その人を奪うようなもの。その人の未来を。輝きを。綺麗だと思った、その願いと魂を。

 ただ、この身は世界の死病を知っている。絶望というべきものが何たるかを、理解してしまっている。

「……クー?」

 最後の喧噪と乱闘騒ぎが収まりつつある中、リゼが見上げる。クレリアがするように、リゼもクレリアの頬に掌で触れる。

 腕は交差するように。似た想いを、すれ違わせるように。

「痛いの? 悲しい? それとも……私、我が儘が、過ぎた?」

 掻き毟りたくなるような疼き。

 赤い瞳が、深く、静かに、揺らめいた。何かしてあげられるだろうと優しさと、希望と、夢をみつけて。

「私は」

 全てを捧げて、リゼの願いが叶ったとしよう。

 けれど、全てであれば、クレリアの見た世界の絶望という病みを知ることになる。それで、この少女の道を閉ざしたくない。いずれ知るだろう。だが、今じゃなくていいのだ。

 頬から手を離す。指先を額に、ぴとっ、と。

「リゼ、授業中。そろそろ怒らないといけないかな」

 笑う。泣き方を忘れたのだから、微笑むしかない。

 世界の真実は病んでいる。

 その上でリゼが答えを見つけることだけを、祈っている。

 


 この恋が、叶わなくてもいいから、リゼには幸せになって欲しい。



 既に救われた、幸せだと吟ずる星が夜空で瞬く。

 深い海の底で赤い人魚が詠う夢に気付かずに。いいや、知っている気になってしまっているのは、お互い様。

 どちらも、まだ触れ合うことを避けている。絡み合う想いから逃げている。言葉は、焼け落ちるように吐息となって、崩れていった。

 どちらも深く、遠い。でも、同じ調べがゆるゆると流れた。

 ひどい願望をその裡に秘めながら。


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