第三章 才能という理不尽、今という重力
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午後の授業は実技――つまり戦いだ。
確かに、案山子を模擬剣で切りつけるだけだとセレンも思っていないだろう。
だがまず最初に、神秘と驚愕があるのだ。
扉を抜ければ異世界。それがクレリアという存在でもあるのだから。
リゼはそれが、すこしだけ誇らしい。
…………。
変、なのだろうか。ふと、小首をかしげた。
そこは地底に作られた、長い時を刻むコロッセオ。
閉鎖された逃げ場のない空気が、染み込んだ戦いの時間と記憶が嫌でも意識を鮮明にさせる。
だが、決して不快感はない。むしろ、張り詰めた空気は精神と五感を研ぎ澄ませていく。
黒曜石に似た石組みで組まれた楕円形の階段も、その下の闘技場も、激しい戦闘を受けてか崩れかけ、朽ち果て始めている場所もあった。
だというのに、そこに宿る美しさは欠片も損なわれていない。まるで王宮、それも客品を招く舞踏会の会場めいた美々しさがある。
気を張り詰めないといけない。
此処に来て、立つのであれば。見るだけでも、格と力を問われる。
言ってしまえば当然のこと。戦いを美化するのは一瞬の必然で、この空間の使われ方はより先鋭化されているのだ。
そうだ。リゼにとっては特にそう。
クレリアに自分という炎を見せる瞬間。まるで恩を返そうとする雛鳥のように、懸命に自らの全てを動かす時。
「さて、午後からの、実技の授業だ」
姿は変わらず、けれど声だけは澄み渡る刃のように響かせるクレリア。
白と黒の衣装と、灰色のような銀の髪と瞳で舞台の中央にたつ姿。
それは魔術師というよりは、宣告を下す神官に近い気がする。もとより、そのふたつに大差などないのかもしれないけれども。
彼の声に合わせ、用意されてい松明だけではなく、階段や天井、そして床までもが仄かに光る。決して強くはなく、けれど弱くもない。
「君たちが『賢者』を目指すなら、例え、そうなれくても避けては通れない『世界の敵』がいる。ここにいるヒトの中には、それともう戦った経験のある者もいるかもしれないね」
空を見上げれば星屑の海のように。
足下は海の底に眠る、輝く珊瑚を敷き詰めたかのようで。
紡がれる声からリアリティを奪っていく。いいや、聞き手の精神から余分なものを取り除いていく。
一種の開眼、瞑想、座禅。精神統一。
声だけでそれを他者に行わせるものは、一流の秘術士か将。判った上で、すとんと納得する。疑問は余計だから、不要と心と頭が捨てていく。
「かつて世界を見捨てた神の眷属。滅びの元凶である『異灰』と、その片鱗が受肉した『異灰の災厄』たち。『災厄』と呼ばれる彼ら、彼女らとの戦いは、決して、決して避けられない」
それは神話に出てくるような、文字通りの天災の顕現だ。
鬼神、魔神、悪魔、死神。呼び方は幾らでもあるのは、神話の時代に現れた数と、ソレらが決して特定のカタチを持っていないからだ。
「討ち滅ぼされ、焼き殺され、四肢を捥がれ封じられてなお、怨嗟を叫ぶあれらは『異灰』を吹き出す。或いは完全に消滅する寸前に残した呪詛と憤怒が、塵に灰にと変わりながらも世界に滅びをと――災いを刻む」
かつて神が世界を見捨てたのだ。
それは優しい言い方。世界がこの世よ終われと唱えたということ。
終末と龍の神話の起源はそこだ。
神が見捨て、怖そうと『異灰』を放ったのに対して、立ち向かったのは龍と、十三人の人間。いいや、その人間たちだけが最初だったのだ。
脆く、儚く、弱く――だが、祈りと輝きに満ちたその命に魅了され、龍はそのうちのひとりの女性を愛し、子を成した。
子供を、愛するヒトを、そしてそれが過ごす世界の為にと灰の降り注ぐ夜空の穴を支える為にいまだ孤独に空を飛ぶという龍。
そして、既に降り注いだ『灰』を、もはや、この世とそぐわぬ異なる灰を討ち滅ぼした十二人の使途。続く賢者や剣聖、聖者にただの兵士と民草。
今の世が、世界が出来るまでのお話だ。お伽噺と共に聖書に記された事実。だが、灰はまだある。一度命じられたソレを、世界の破滅と命の断絶だけを求めて吹き荒れる『異灰の災厄』。なんの比喩もいらない、『世界の敵』だ。
「実際、この都市の地下には八柱の『異灰の災厄』が封じられている。それが残し、或いは封印から漏れ出したものが、僅かな欠片、それこそ一匙にも満たない灰となって地下迷宮の奥にはある。漏れている。判っている上で、それらを完全に封印することは出来ない」
だからこそ、賢者というものが求められる。
この学園都市がある。世界の滅びは止まっただけで、まだ終わってはいないのだ。もう爪痕を残す程の力しか残っていない、半ば以上が遺体のようなものであっても、災害を撒き散らす存在そのものだ。
意思持つ天災。それはこの世界のあらゆる場所に眠り、封じられ、あるいは残されている。
「もっとも、形をなしたり、新たなものを作る程の力はない。どのようなものであったのか、『異灰』たちでさえもう忘れてしまう程に憎悪に狂っているからね。それが吐き出した欠片が、時折、肉と結び付いて、『異貌の化生』、或いは『異灰の眷属』となることはあるけれど」
それらは形を結ぶことが出来ない。
灰は世界の何かに付着して同化し、支配する。
原型となり、支配した生命や死体を模倣しながら、或いはみたものを真似しながら蠢く、肉の塊だ。狼を元にしながらヒトを目指したものが人狼といえば否。腕の七本、脚の三つの人狼などありはしないのだ。
より効率的に、より確実に世界を滅ぼす為だけのナニカ。
呪詛と怨嗟の毒に焼かれた、灰。
「それでも、普通の魔物とは別次元だ。そもそも、生命体と思ってはいけない。心臓、脳、血液などアレらには不要なんだ。手足など、またはえる。いいや、作れてしまう。他とは全く違うもの。だから単に眷属と呼べばあれらを指すことが多い」
初めて顔と声に苦渋が混じる。
クレリアは『賢者』だ。そんな末端どころか、本物の『異灰の災厄』に立ち向かったことがあるのだろう。
僅かなノイズだが、今までが滑り流れるようだったから余計に、しみこむように判ってくる。恐怖、嫌悪、拒絶――生命として当然の反応が、聞く側に警鐘を鳴らす程に。
そう、クレリアはそういうものだと知っているし、それらと戦うものを育てる為にここにいる。記憶が、感情が、まるで深淵を覗いたかのように怪物の視線を感じている。
彼をよく知るリゼだから、だけではないだろう。この場が精神影響と伝播をしやすい場所というのはある。それらを差し引いてなお、『異灰の災厄』というものへの忌避が沸き起こる。
「核、となるものがあるものはまだいい。『異灰』がどこかにあって、まだ全てに及んでいない証拠だ。それがない程に浸食されていれば、もうそれは滅するしかない。浄化、斬滅、焼却に凍結と分解――方法がどれであれ、その力が消滅するまで、こちらも力で削って掻き消していく」
それはほんの一部。それこそが神話ではなく、今の世界で魔神や鬼神、悪魔と呼ばれるものたち。それほどの数はなく、また、出現しようとすれば、そこに至るまでに見つけて滅ぼすのだ。
だからこそ、とクレリアの声のトーンが元に戻る。
「今回の授業は攻撃と殲滅。かつて、ひとりの偉大な魔術師の作ったゴーレムを使うことにする。このゴーレムは単純で、今や誰でも作れる。コストもかからない。だが、この技術を開発しただけで彼は賢者の中でも最高位の錬金術師と名を連ね、ありきたりな素材ながらに、この名称は他のゴーレムには使われない。……先陣を人の代わりに立ち、異灰の眷属と戦い、命を救ったものを」
そもそも命かないから支配されない。
無理に灰によって支配されても即座に自壊させられるが、相手にはそれが難しい。何より、ゴーレムの製造が単純で素材も簡単に過ぎた。人類の壁といってもいい存在。
「泥人形(クレイ)」
その言葉と共に、クレリアが落としたのはゴーレムの核に使われる宝珠だ。ただ、それも木製のタリスマンという雑なもの。
だというのに異変はすぐさま。
主の声に従うかのように、地面に転がっていた石細工の欠片が集まり出す。
いいや、どろりと溶けて、集まり出すのだ。元は泥だが、凝固して固まり、黒曜石のような光沢を帯びて、ここにあっだけ。
そして呼ばれたのだからとずるずると動き、集まり、そして固まって形を成す泥の人形。
いいや、黒曜石のような質感を持つ、ゴーレム。
「材質は基本として泥。そこに混ぜたり、何かを合わせることでより強く、硬く、或いは武器を搭載も出来る。けれど、見た通り、これの恐ろしい所は元が泥で、素材はそこら中にあるものから作れる。なのに、核である護符を破壊しない限り、動きを止めない」
あ、と横にいるセレンが声を上げた。その通り。
異灰の生み出す異貌と同じく、核を壊さない限り動き続ける疑似生命。自壊の魔術でも組んでおけば、支配される恐れもないし、元は泥で製造はあまりにも簡単。だというのに。
「量産に加えて――これだ」
瞬間、クレリアの伸ばした指先が、虚空の何かを『掴む』。
それは――まるで本の頁が捲られるように、いくつものセカイが歪んで繋がり、繋がっては閉じられる様。
浅くも長く、決してこちら側へと驚異が及ばない場所へ。まるで異世界のグリモアを開き、中を読むかのように、ソレを指で掴んで取り出す。
「これが、クー、だよ」
唖然。呆然。同時、ひどい勢いで身体の底から末端へと走る悪寒と鳥肌。セレンは、自分の心臓を守るように手を動かしていた事、そして剣を引き抜きかけた事に気付いただろうか。
リゼは慣れているから何も感じない。いいや、純然たる力量差をまた知るだけだ。そこに並び立つにはどうすればいいのだろうと、小首をかしげるだけ。
空間干渉。次元封印。異界創造。この場、世界への干渉と窓口の制作。
魔術の神髄と最高位、アルス・マグナを星の巡りも知らぬと手元に引き寄せ、取り出したのは、漆黒の刀身を持つ長剣だ。
柄は白い獣の皮が巻かれ、金属の鍔代わりに骨と白くて長い毛皮が組み合わされている。蛮族が拵えたような装飾と扱いでありながら、宝剣もかくやというような美しい黒刃。
その中に幾つもの光の線が瞬くように走っては消える。瞬間ごとに刻まれた模様を変える様は、まるで絶えることのない流星。
何人が気付いただろう。
それが一秒ごとに魔方陣を描き、組み替えられ、次のものへと成れば別のものへと変わっていることに。無数のルーンが瞬いては零れるように散って、また紡がれる。
銘は知らない。知る必要がない。古代魔術刻印を突き詰めて打たれたこの剣は、常に変わる星の夜空。
だから、剣閃は音もなく、空さえも走るのだ。
身体強化。空間干渉による斬撃の伝達。音の壁を切り裂くことで産まれる真空の刃とその指向性の強化。
そんな言葉にすれば陳腐なものは、軽やかに腕だけで振るった剣の先、刀身は触れる筈がないほど遠くに立つゴーレムの右肩から腕を切り落とし、そのまま縦に膝をも断ち切っている。
自重を支えきれず、崩れる黒曜石のゴーレム。無論、それが見た目通りの堅さであるだなんて誰も思っていない。
超越の域に達したものの腕の一振り。指で探り、掴み、振るっただけでこれだ。鋼の強度を遙かに超えるだろうゴーレムを黒剣から放った斬衝で断ち切っている。
魔術師。そう言い表すのは決して適切ではない。
用いるのは魔術だが、ここまでくれば全く別のものだ。
それが『大賢者』。世界の誇る、世界の導き手。剣を持てば、それは空間をも切り裂く。
だが、異変はのみならず。
「このように、過剰なまでの魔力を乗せた攻撃でも、泥人形は動きを止めない。再生する」
その言葉通り、瞬く間に黒曜石から泥へと変わり、蠢き、元の形へと戻ろうとする。いいや、三つも瞬きしている間に脚と腕が繋がり、クレリアが再び空間を摘まんで開いた先に剣を納める頃には再生が終わっている。
「クレイの凄まじい所は、単純構造による再生能力の特化だ。内蔵も脳も肺も、核である護符以外は壊されても再生する。再生する魔力と式は雑多でいいから護符に込めていれば、それが尽きるまで再生しながら戦い続ける。複雑な命令は受け付けないが、術士を守る為の最前線の壁として投入するにはこれほどいいものはない」
そして、これが必要になったほど。
「異灰の異貌に近い再生力、で御座いますね。流石かと」
それはすると香るように、間へと入り込む少女の声。
清らかで優しく、透き通るようでいて、芯に響く不思議なもの。
リゼが声をと後ろを振り返れば、東方諸国の伝統衣装を着た銀髪の少女がいる。瞳は青く、瑠璃のよう。そして、耳の上、額の後方から伸びているのはか細くも、確かな龍の角。
龍と人の血の混じった、龍人の少女だ。楚々として物静かだが、揺るがない水面のような凜とした気配を周囲に漂わせている。
「ですが、授業の前置きとしては長く御座います。一日が有限であれば、必要な事をと思います故に」
携えているのは、東方諸国の大太刀だ。柄は長く、諸手で扱うにしても十分過ぎるが、少女の身で扱う為の拵えなのだろう。
リゼは記憶を辿る。基本として、他人に興味がなく、それは例え神話の系譜とでもいうべき龍人でも変わらない。要は強いか、弱いか。自分にとって影響や関係があるかないか。
そういう意味で、三拍ぐらい遅れた思考で思い出す。
東方諸国より、龍を奉る巫女の血筋としてこの学園都市へとやってきた次代の巫女頭。だというのに何故か、武の館へと身を寄せた少女。
繊細で、儚く、綺麗で物静かな佇まいは、確かに巫女と言われれば納得する一輪の花のよう。だが、リゼにとって見れば違うのだ。
「……貴女には、これが物足りないのね。ヒビキ」
「さて、如何でしょう。が、剣が鈍るのは存外怖きことで御座います。それはリゼ様もお解りでしょう。珍しくご友人は連れておられますし、そのご心配もあるでしょうが。――心配も過ぎれば、失礼かと」
少なくとも此処にいる以上、対等に扱うべきだ。
セレンは初めてで色々と知らないことや、この実技の本当の苛烈さが判らないだろう。それでも、同じ場所に立っているのなら、資格はある。
強さというものに目安は幾つもあるが、剣を持っているなら言うべきことは少なくていい。自らの武技で示す。ただそれだけでいいのだとヒビキは言っている。
過ぎた心配は、足りないのではという甘く見ている見積もり、つまり、見下しになる。
綺麗で繊細な姿とは裏腹に、ヒビキはその本質として剣士なのだ。
「あ、あの。私が心配とか、そういうのでしたらすみません。ありがとうございます。でも、お気使いなどなされずに、で、でで、ですよ」
慌てた声を出すセレン。そういえば、武の館の筆頭である上位三位は化け物として例外とし、それでも十指にヒビキは入っている。
有名人、というやつだろうと頷く。
袖元で口を多いつつも、隠しきれない溜息がヒビキから出るが、リゼにはその理由が分からない。それが、ヒビキより格上とされている自分の振る舞いに対してなのだが、自分に向けられる意識、感情に疎く、また、鈍感なのがリゼだ。
いや、ヒビキに言わせれば――周囲の雑音と思って、まともに受け取っていないのだっただろうか。
「私が申し上げたいのは、手抜きなどなされないで欲しいという事。無論、初めてのこの場では苦心も致しましょう。同じ所属として、セレン様は私と組むという事で」
「……?」
それにきょとんとするリゼ。どうして判らないのだろうと、ヒビキは瞼を落とす。実際の所、セレンの実力がどの程度かリゼは知らないし、先の通りに鈍くて計ろうとしていない。
今の言葉の並べもいわゆる授業における心構えなのだ。
先に間違いと正解を教えておいて、実際の実技についてこれるようにという配慮。ヒビキに言わせればそれは礼に欠けるが、セレンは少なくとも、この中で最も弱い。自覚しているよりひどく。
「少なくとも、それは今は、で御座いましょうが」
呟きは、隠した口元から零れた途端に淡雪のようにとけていく。
何人かは察し、殆どは意識を別に向けているか興味がない。新しい生徒が複雑骨折だろうと内蔵破裂だろうと、その場で治癒されてしまう恐怖――戦い続けるしかない事からは避けられないのだと思っていたからだ。
そう、ここはコロシアム。忘れてはいけない。
逃げ場のない地下の闘技場に、その足場や欠片から引き剥がすように生み出された泥人形。
「では、何時も通りの乱取りでいい、ということかな」
苦笑しつつ、クレリアが口にする。
そして、ローブの中から大きな袋を取りだし、紐を緩めて中を取りだした瞬間、セレンは気付く。
「え、あ、ちょっと。ちょっと待って、それは一度にばって、そう、ばぁって、周囲に投げる姿勢にならないで、なってもいいけど、全部は投げないでっ」
クレリアの掌が掴んだのは、三十を超える護符だ。先ほどとまったく同じものが、さらに袋の中にぎっちりと詰まっているのを確認し、その袋ごと上へとばらまき投げようとしている。
それが纏うゴーレムの素材は何?
さっきみたはず。このコロシアムの全てだ。
石材。床も壁も柱も、壊れて転がる石ころさえも、ゴーレムとなる。
ここはゴーレムと、永遠にでも戦い続ける為のコロシアム。
「諦めと、ご覚悟を。……リゼ様のご友人は少なく御座います。大抵、リゼ様についていけませんし、私とてクレリア様の厳しさはとても」
「いやいやっ、さっき、加減なしでっていいましたよね、ヒビキ様」
「――加減して欲しいといって、そのままの意味で通る方では御座いません」
ヒビキの抜刀は芸のひとつのように流麗にして見事。柄も含めれば自分の身長を超える大太刀を舞うかのような仕草で抜き放ち、しかし、そのまま片手で構えて鞘はもう片手に。
龍人の血筋は、今は薄まっても常人離れした身体能力と魔力を、それこそ龍の愛として引き継がせている。
「セレン、何を困っているの?」
一方、リゼは未だ抜刀さえしていない。生徒の多くが円陣、それも、セレンを守るように動き出したのに、だ。
「大丈夫、セレンなら」
「その、何処から来ているか判らない期待と信頼はヤメテ!!?」
心配は侮辱。
確かにそうだろう。もう戦う前どころか、剣を抜く前から、心が折れかけているが。
護符の数は、袋がひとつにつき五十として、三つはある。
「そういう方で御座います。そういう方の師で御座いますよ。加減して欲しいといえば、先より恐ろしいものが出てくるかと」
水面のような静けさで口にするヒビキ。一方で、ようやく学友を迎える言葉が、戦闘態勢を取った各自から飛び出す。
「まだ泥人形はマシですよ。攻撃力が低い。ミノタウロスの群れや、召喚された高位精霊、または大型の最新武装を整えたゴーレムに比べればですが……ともかく、リゼさんの呼んだ人の割りにはマトモで安心しました」
紫色の髪とマントを揺らし、装飾の懲らされたグレイブを頭上で一閃させるのは美しい少年。身の丈に合わない武器は彼もだが、線の細さと反対に、ブーツの靴先が地面を踏みしめる音もしない程の体捌き。
「まあ、なんだ。気絶したら即座に意識を覚醒させられて、それが凄く痛いんだ。まだ骨が折れたままが楽って程に。だから、無理はせずに乗り切ろうか」
「いいじゃないか。痛い位で覚えないと、本当に異灰、その末端の眷属にでも見つかった時はしゃれにならない。いや、これもしゃれになってないが、程度の問題でマシだろう」
セレンの横、茶髪の青年が抜刀。柄などは東方の刀なのに、刃は限りなく透明な水晶のよう。それと背を向かいで二本の長剣を引き抜いている荒れた黒髪の青年。
「さて、陣形はそれでいいんだね。じゃ、始めるよ」
「ん、大丈夫」
クレリアの声に応えたのはリゼだ。
他の生徒達は魔術を武具に施したり、術具に魔力を貯めている最中。誰かが溜息。同時、三つの袋が投げられ、空中で爆裂する。
仕込んでいたのではなく、炸裂の衝撃だけのピンポイントの魔術展開。即時発動の軽やかさ。そして護符がぱらぱらと雨のように落ちてくる。
落ちればどうなる。いうまでもない。
「ははは…………」
ようやく震える手で騎士剣を抜刀。こんなものにダガーなど無意味と、腰を落として両手が構える。
そう。周囲の黒曜石が蠢き、泥のような粘性をもって集まり、形を成していく百体を越えるゴーレム。
一体が客席から飛び降り、地響き。鋼の塊が着地したような衝撃と音を響かせながら、かすり傷ひとつつかない石畳と自分の身体を誇るように歩み出す。
「――バケモノだね」
すっと、感情が抜ける。
生死の境界線。授業で本来受けて感じるものではない筈だが、これも真実、本物の死だ。それが目の前に、無数に立ち並んでいる。鼓動が煩い。身体強化の魔術を過去、最速で展開し、刃にも術式を施していく。遅い。もう周りの全員は終わっていて、ゴーレムの動きもセレンを待ってくれているのだ。
戦いに余計なものが、ことり、ことりと頭と心から抜け落ちていく。
その分、余裕が出来て、視界が広い。そして、思考を澄み渡っている。どうしてといえば、死という絶望を感じて、人の取ることなどふたつにひとつだ。
逃げるか。戦うか。
セレンのそれは、決して現実逃避などではない。
むしろ、逃げ出したナニカの分だけ、胸の奥からゆっくりと起き上がるものがある。
「まったく」
舐めないで欲しい――ああ、ここまで来ると、加減なんかされたら、一ヶ月ぐらいはずっと悩み続けてしまうだろう。
暴れて、怪我して、痛みに耐えられず叫んでしまったほうが、きっといい。
叫ばせてよ。ねぇ、嘆くことも泣くことも出来ないから。
戦いの中なら、それも許るしてくれるでしょう。だから、叫びたい。呼吸で、身体で、この剣で、目の前の理不尽に対して。
きっと、そう思うセレンは騎士の血筋で、それは偽りようのない、真実。演技でもなんでもない瞳とともに、笑みがこぼれた。
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