木漏れ日の空、卑怯なイト


 扉の先は小さな庭だった。

 きっとかなり高い位置にあるのだろう。風は強く、思わず髪の毛を抑えなければ流されてしまいそうな程に強く吹き抜けていく。

 けれど、それらをすり抜けるように流れる赤。リゼの歩み。

 たった一本の樹木の下で本を読む、灰色の青年の元へと、猫のようにしなやかに、静かに、音もなく近寄っていく。

「クー」

 囁きは、今までの中で一番小さかった。

 けれど、それで十分。灰色の青年は本を草むらの上におくと、ゆっくりと微笑んだ。

 言葉は柔らかかった。

「こら、駄目だよ。いつもより遅い。ちょっとだけ心配したからね」

 口調に反して、兄が妹の悪い癖を叱るような。いや、それだとその通りなのだろう。

 表情も変えず、声色も変えず、リゼはつづけた。

「大丈夫。クーがご飯作ってくれたら、それは、たべるから」

 さらりと、甘えのような、我儘のようなことを口にするリゼ。

「……僕が病気になった時を考えると、その我儘はとても不安だね。本当にリゼは、食べるのに無頓着だから」

「うん。クーが作ってくれたのじゃないと、美味しくないもの。だから、身体は大事にして」

「身体を大事にして欲しいのは、僕も思うんだけれどね」

「でも、どんなに大変でも、クーは料理を作る。優しいから。知っている」

「……優しいからじゃなくて、本当にそうしたから、知っている、だね」

 くすりと笑う灰色の青年、『星辰』の大賢者、クレリア。

 それにとても穏やかに、けれど赤い硝子のような、脆いものが壊れないようにと繊細な動きで傍に寄る少女、リゼ。

 恋人同士の言葉での甘噛みのような、それでいて、何処か歯車がかみ合っていないような。午後の陽だまりが、二人の姿から、陰りを消していた。消したかった。きっと。

「それで、そちらは友達?」

 本の横においていた木で編んだ箱をクレリアが持ちながら、セレンの方へと視線を向ける。

 大賢者。世界で二十数名しかいない最高峰の存在。その中でも最年少の希代の魔術師。先ほどまでの授業が、それが全て真実だと語っていた。

 なのに、それらが全て、どうでもいいことに思えた。

 そこにいたのは、とても普通の青年だった。心配性で、少しだけ頼りなさそう。なのに、見ていると安心してしまう。

 横に座ったリゼの兄のように見えてしまう不思議。いや、その保護者といったほうがいいのだろう。リゼは鮮烈で鋭く、綺麗だ。対して、クレリアは何処か柔和で、穏やかに過ぎた。

 調子が狂いそうになる。

 だってそれは、リゼが安心できるようにとしているようで。

 呼ばれたことに対して、ほんの少しの間、セレンは気付かなかった。

「は、はいっ。セレン、ですっ」

「セレン・レヴィ・ユリアス。剣の館の所属の子。クーの授業を聞きたいっていっていた」

「成程。初顔、だしね。座って。……バスケットの中のサンドイッチは、全部、リゼのものにしないと拗ねるから、何もご馳走できないかもしれないけれど」

 思わず、剣の館の、騎士としての敬礼を取ったセレンが馬鹿らしく思えてくるような、柔らかな物腰。クレリアの何処か特別なのか、よくわからなくなってくる。何処にでもいる青年のような気がしてしまう。

 横にリゼという綺麗な少女が並ぶと余計にだ。

 いや、というより――リゼに似ているのだ。

「私、そんなに、たべないよ?」

「……食べなさい? 時々、僕がいない時、リゼは何も食べない時があるって、知っているからね。ちゃんと食事は習慣づけて、だよ」

 食い意地は張っていないといいたかったのだろう。流し目で冷ややかに見つめたリゼに、変らず柔らかな笑顔で返しているクレリア。

 恋人であればいいのにと思うのに、ちょっとだけ、その雰囲気は似すぎていた。

 その瞳は、うっすらと青みがった灰色。削りだしたばかりで、磨かれていない水晶を思わせる。それにおや、と思う。瞳の色彩が僅かに、授業で見た時と違う気がしたのだ。

 だが錯覚だろうか。鋼の色彩は失って、柔らかさがじんわりと青色となって滲んでいる。

 どんなに物腰柔らかく、丁寧で、そして優しくても、この青年も浮世離れしているのだ。歳の分だけ生きて積み重ねた年限津から現実感がうまれても、この二人は何処か似通っている。

 それは浮かべる表情だったり、瞳の奥から感じる感情だったり。

「クーがいたら、それは大丈夫」

「それは甘えるというんだけれどね」

 小首を傾げるリゼ。その髪を仕方ないと撫でるクレリア。

 その流れが、リゼムが、ゆったりと同調している。殆ど同じだ。

 何より、感じてしまう。


 胸の奥底から、抱いた感情でこの二人は作られている。


 かくあれかしと、祈りを立てて、ふたりは、ふたりでいる。

 秘める想いが強いのだ。リゼの情動が揺れる炎だというなら、クレリアは刃のような矜持を持っている。

 決して変わらない。揺るがない。安心して欲しいから、不安は全て斬り払うとでもいうかのように。

 穏やかな旋律は、鼓動に秘めた願望から流れ出してた。

 他人にどう思われても、それを切り裂く強さ(イノリ)がある。

「セレン、だっけ。この子は、どうしても僕に甘えすぎているから、ちょっと注意して欲しいかな」

 陽だまりの中、バスケットをあけようとして、撫でられるままにしているリゼと、優しい動きで手櫛でリゼの髪を梳くクレリア。

 そんな、とても幸せ日常の一幕。青空を被せても、光で覆っても、優しい声と仕草でも、その真実は隠せない。

 このヒト達は、何処か、違う。

 違うものになってしまうぐらい、何かを抱いている。



 だから――。



「は、はあ…………でも、そうやって慕うクレリアさんのいうことを聞かないリゼに、私がいってどうにかなるものと想えないのですけれど」

 別にそうあることを求められた訳ではないと、言った後に気づいた。

「こう。リゼとは付き合いとか短いですけれど、うん、クレリアさんの言う事なら聞くけれど、リゼの我儘をクレリアさんが聞くってわかっているから、歯止め、聞かないんじゃないかなーって?」

 後から思い出して、どうしてこんなことをいったのだろうと思う。

 判りました。出来るだけ頑張ります。

 そんな聞き分けの良い子のフリをしなかった。加えていえば大賢者に頼まれたのだ。だというのに、どうして断っているのだろう。何をしたいというのだろうか。疑問は浮かぶが、それより先に言葉が流れる。

「というリゼもリゼで、何かしら困らせて、構って欲しそうな雰囲気ありますし。卑怯だと思いますよ。……そういうの、理解して合わせているクレリアさんのほうが」

 リゼの唇から、鋭い抗議の声。

「クーは、卑怯じゃないわ」

「……女の子にそういわせている時点で、男は卑怯なんです」

 そうなのだ。

 こんな日常が、もしかして欲しいのかもしれない。

 この輪はとても悲しくて、切実で、きっとふたりきりでしか作れないものだから。

「リゼはそんなクレリアさんをよくみておいてください。クレリアさんは、リゼが心配なら、しっかりみてあげてください。兄と妹ではないのでしょう? だったら、余計にですよ」

 何故だかむしょうに怒りたくなった。

 すんっ、とそっぽを向きながら、草むらの上に座る。日差しが心地いい。

 吹き抜ける風が、何処までも走り抜けていく。

「そうだね」

 リゼの髪を撫でるのをようやくやめたクレリアが、微笑みを消した。

「……僕は、卑怯で臆病ものだから」

 そう口にするクレリアの瞳は、とても、リゼのそれに似ていた。


 恋でなないと信じたいと、夜に呟いた、あの瞳に。


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