流れ星の歯車、選択という特権






 白と黒のローブに身を包んだ青年が、黒板に板書を続ける。

 髪の毛は灰色。或いは銀を思わせるそれが流れるように動き、黒板に術式の方程式を書き上げていく。

 それは基礎中の基礎。

 身体能力の強化。恒常的に発動させているものだ。

 筋力、瞬発力、体力に五感の強化。治癒の促進。大小はあれど、誰だって戦いに身をおくものは使っている。

 だが、ここまで複雑に、緻密にも精密に組み上げられた術式など知らない。

 いうなれば、常識の中に秘められた非常識。突き詰めた基礎ほど恐ろしいものはないし、簡単に一般常識を壊してしまう。

 唖然と、先に説明された理屈と合わせて、受け止めきれずにセレンは口を開いていた。

 無駄がないのではなく、どれか一つが機能不全、あるいは使わなくても十全に発動する。基盤がしっかりとしているからというのもあるが、それぞれの特性を理解しているから巡る歯車。ほんの一部を切り出して使っても十分に過ぎる。断章主義という言葉があるが、そのままだろう。断章と切り出して、好き勝手な使い方をしても、筋が通るし術式は恐ろしい精度で回る。

 その根幹は人の多様性の理解。が、単純だからこそ驚愕としかいいようがない。

「さて、はじめての参加の人がいるから、おさらいからいこうか」

 礼拝堂を思わせた扉の中は、ごく普通の教室だった。

 人数はまばらだが、殆どが学園の中で名の通っている存在ばかり。特に、龍人の血を引く巫女の系譜にあたる少女を見たときは、セレンは文字通り来るべき場所を間違えたと思った程だ。

 天上人、というだけではない。

 彼女は『剣と菖蒲』の武の館において、十指に数えられる『無香花』。優雅で、淑やかに――リゼとは違う物静かさと共に挨拶されたが、纏う雰囲気に圧倒された。

 他の四つの学び舎からでも名高い学生ばかり。自分だけ場違いなのではと目をぐるぐるとさせたのは、授業が始まるまでの、ほんの少しの間だけ。

「現在、純粋な戦士。例え魔術に適正がまったくないものでも身体強化のだけは特化させて、自分に施している。逆に、術士が魔力の操作、行使を身体強化に振っている例もないわけではない。その中で一般的に普及しているのが、マナの利用。生きるものが生み出す、生命力の側面。自然界から溢れ出したものもかき集め、それを利用するのはとても一般的で、意識せずに行っているものも多いね」

 ただし、と口にするのは穏やかなで丁寧な口調だが、決して教師と思ってはいけない。

 恐らくは師として見るべきもので、自分の授業のラインを、誰もが修めて習得できるものとなどしていない。

大賢者、『星辰』のクレリア。

 すべてはこの、優しくも穏やかな声。

 この程度は越えられるだろう。と、生徒に対して信頼を寄せている。

 薄っすらと青みを帯びた灰色の瞳は、教室で動く全てを捉えていた。

「さて、このように、前衛でも後衛でも、どんなスタイルで戦うものでも身体能力の強化、という術式においては共通だ。生命線といってもいい。これがどれだけ無駄なく、効率よく発動し続けられるか、という点は、他の魔術や術理に転用できるだろうね」

 かかかっ、とチョークが解説のように走らせるのはマナという概念を包んだ枠と、肉体の能力を強化し続ける術式だ。

 灰色の髪と眸。そして、白と黒のローブに身を包む姿は、確かに占い師めいた雰囲気がある。

 底知れず、しかし、決して人を不安にさせないなにか。

 それは板書された術式が物語っている。

「事実、最も有名な四大エレメンタルのマナで自分に適合するものを使用する。古代刻印魔術であるルーンを用いて、扱うのが難しいマナに指向性を与える。精霊との契約で、身体能力の強化を彼らに任せる、などなど」

 四大エレメンタルのマナ。火、風、水、土は、自分の生命力や魂との属性の相性がある。

 すべての生命力から生み出され、自然界中にも漂っているというこれをかき集めるのは魔術師の基本だが、自分の体内に蓄積されたものは、いわば無色透明、無臭のもものだ。が、それを練り上げて操ろうとすると、精神や肉体の『性質』を帯びて、属性へと変じる。情熱的なヒトは火に、冷淡なヒトは水に。

 よって無属性とでもいうべきそれを直接、精度と純度をあげずともそのまま使うのが基本だが、それを非効率だと断じている。

 いや、そのマナの扱いが難しく、自分に適合するのがどの属性なのか――と知って活用できるのが魔術師にとって一流の証と言われているのだ。剣士や騎士の、最低限のそのレベルを求められても、本来ならば辛いしジャンル違いだ。

 古代刻印、ルーンは行使自体は簡単だが、組み合わせによって効果が増幅する反面、その組み合わせ次第では自滅もありうる。自分の属性を理解せずとも色や性質に方向性は与えられるが、矛盾した意味合いは暴発と暴走の結果しかもたらさない。

 膨大な知識が必要とされるものだ。単純なものを魔術のブースターとして使われるのがせいぜいなのだが。

「ルーンが難しい、という認識はあると思う。ただ、これを簡略化させたのは幾つもあるんだよ。例えば、宝石魔術。サファイアは水、ルビーは火と、見立てに近いけれど、属性に近いものに魔力を封入し、それを引き出して利用する。これは、自分達で宝石をルーンに見立てて使っているものに限りなく近い」

 事実、魔術具にルーンや宝石を施すことは多いのだ。

 だが宝石魔術とて、ひとつの流派であり、極めるとはいかなくとも、一流に成るまでは難しい。それこそ、相応の才と、年月がいる。

「ではと代用されたのが、魔導器(アーティファクト)だ。特定の魔術を先に込め、込める為の容器を先に用意しておく。宝石魔術も元をただせば付与呪術(エンチャット)のひとつなのだからね。特定の動作で、特定の魔術を。……魔剣、聖剣などはこれだし、これを模して造られたといっていい技術だ。ただし、最近などは『短剣』や『矢』に封じて即座に使用する例もあるし、宝石を流用して、最近作られた『銃』というものに『弾丸』として込める場合もある」

 一時的であれ特定の物質に魔術を宿す付与術士(エンチャッター)もまた、魔術師の流派の一つ。アーティファクトに至っては、それを造れるものは国でお抱えとなるのが基本であり、それぞれの国が抱え込み、技術の流出を警戒している。

 ただし、これらの問題は莫大なコスト――程度を落とせば、身体強化の魔術効果を与える腕輪などはある程度の数は高価な武具、術具や、その上位の魔導器として流通する程度には生産できるし、また、そこそこの時間と知識と才能があれば自分で作ることもできるだろう。

 ただ『銃』に限っては、造れるものがひとつの都市に集められている。この学園都市で学ぶことも出来るがも、禁忌と指定するべきか考慮されている段階だ。ただ、おそらくはこの口調から、クレリアは『銃』の製造、そして、『魔術を施した弾丸』の精製も出来るのだろう。

 出来るのだろうと、するりと確信してしまう。何故だろうか。

「そして、最近の東方では符というものがあるね。独自の思考のもと、ルーンに近いものを聖別した符に自ら魔力を込めながら呪印を描き、簡易詠唱で発動できるようにした――これは宝石魔術に近いけれど、自分のものを利用するのは、結局、最初のマナの行使だ。自分の地で刻印を描くのはベルセルク達のに似ているね」

 加えて、東方では『気』というものもあると口にする。体内の生命を活性化させ、練り上げ、一時的に身体能力を強化されるもの。

「ただ、これらは結局、手段と方法に過ぎないんだ。マナを操るのが得意な人がいれば、魔導器を造るのが得意な人も。精霊と親しくなるのが得意な人もいるだろうし、才能から宝石やルーンと相性がいい人もいる」

 だからこそ、と黒板に記された術式を出す。


「あくまで覚えるべきは基盤だ。そして、自分が何を得意として、何が苦手か。無理をして使うよりは、自分に見合った手段を使うのが最も適しているか。いいや、そもそも、人に倣って出来た程度のモノなど、その人以下の模造品に過ぎない」



「…………」

 セレンは絶句するしかない。

 基盤と記された魔術の身体能力強化は、どれかひとつ、可能なら二つ以上の、先にあげた『力』を使って組み上げ、発動させるものだ。

 だが、それは数を増せば増すほど強力になるわけでもない。

 ひとつでも成立し、それを突き詰めていく為の、欠落した基盤。常識外の精密さで編まれた、成長の余地のある術式論理。歯車は足りなくても回るが、そもそも足りない前提で動くように作られている。そこに自分が改良を加える余地として。

 これは才あるもののに編まれたもの。更なる高みへと飛躍する為のもの。

「自分は何が好きか。何が嫌いか。そんな極端じゃなくてもいい。でも、何が好ましいか、親しいか、どういう色や音が好きか。まずは自分を知ること。自分の特性を、成長や先をみつけること。手段は沢山ある。方法だって。この学園都市では、全てを知ることが出来るだろうね」

 穏やかに、けれど、明らかに異端――この世の術式の殆どを理解し、行使できると、この灰色の魔術師は語るのだ。いいや、そうでなければ、あの『赤い通路』など無理だろう。

 指が震えた。背筋にびりびりと何かが走る。

「世界は広い。自分で自分の可能性を、未来を閉ざすことなんてない。確かに、『自分を知る』なんて『深淵の覗く』ことに等しくて、そんなの賢者と称されるものでないと、なかなか出来ないだろう」

 それは、期待。

 歓喜、興奮、そして不安と焦燥。

 出来るのか。出来るのだろうか。いいや。

「ただ、君たちはこの学園都市の学生だ。賢者の候補生で、この授業に来るだけの何かを持っている。才能? 凄い。 もう力がある? ならもっと伸ばしてあげよう」

 教壇から降りて、生徒たちの間を歩く姿は、教師や魔術師、占い師というよりは、まるで聖職者のようだ。それだけの信仰に似た確信がある。いいや、信じさせるだけの力を感じてしまうのだ。

 知識の精髄。自分の産まれた星に宿されたものさえ、この灰色は白と黒に分けて見つけてしまうだろう。

 或いは極端なその二色で、塗り替えてしまう。

「だが、見つけるのは君たちだ。 ここを見つけられたのは運? だとすれば、それがまず第一歩だ。幸運に勝る才能はない。 誰か友の力を借りた? 友情という縁を信じるのは、とても大事で、それが重なり、絡まって世界は廻っている。龍と聖女の愛が、今のこの瞬間を作ったように」

 白と黒の間に立つ、灰色の魔術師。

 星の動きと運命さえ読んでしまうだろう。なら、人の才能だってそうだ。



 だが、自分で見つけろと――この希代の魔術師は突き放す。



 それで奮わないモノなど、所詮そんなもの。

 誰かに言われて成ったモノなど、模造品の劣化品。

「この世界に未だにないものを見せてみるといい」

 そんな声が、恐怖と勇気を揺さぶる。

 破滅と成功。白と黒の重なるローブを翻して、教室の後ろへと。生徒のその背を押すかのように。

 さあ、成功と失敗。生きるも死ぬも、『自分で決めていい』のだと。

 生きることを漫然と続けるのは動物にも出来る。だが、この為に生きると決められるのは人の特権。絶望の上に自殺できるのもまた人だけだ。

「明日いる君たちは、今日、この世界にいない君たちだ。明日のある君たちは、変りつづけていいんだ。その為に、過去の、私のようなものは力を貸す。既にあるものに、それが決められた、運命のような決めつけるものだとしても、それは変えていい。変えることはできるし、君たちはの明日は決して、ダレかに決めつけられてはいないんだ」

 マナを操るエレメント。或いは、純粋な魔力による魔術。

 精霊との契約魔術。

 ルーンによる古代刻印。

 そこまで語りながら、何かしら、誰かしらの作ったものを利用してもいいという。誰かの造ったアーティファクト、或いは、自ら造ったそれで、自分やダレカを。

 果てはは東方の異端ともいえるものを語り、可能性を説く。


「では――自分の願みを心に、魂に刻もう。全ては、その為なのだから。決して、この世に今、見つけられないものを、みつける為に。――絶望するなんて、必要はない」



だけれど、そうだ。

 高揚と期待。想いは交差とながら、螺旋を描いて落下する。

 不安に。いいや、恐怖に。高く登る気持ちと、急速落下する心。矛盾。軋む心。

 セレンは、一歩踏み出したら、どうなるのだろう。




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