第二章 流れる星に宿る、地の底で夢を見て



 こつっ、とリゼの靴音が高く響いた。

 後ろについてきているヒトがいるのか、確認するように。

 学園都市の地下深く。無数に走る洞窟の中のひとつを歩いている。

 地下迷宮の表面層。ランタン代りに魔術で火を浮かべて歩いているが、時折、この辺りでも敵はいる。それを心配したのか、後に続く

「あのね、リゼ。少し、周囲に気を使ったほうがいいよ?」

「大丈夫。周囲に敵になる化け物はいないわ」

 それは気配という曖昧な言葉で括られるが、確信だ。聴覚であり、視覚であり、肌で感じる風の泣かれに魔力、それら察知する為のものになにひとつかからない。

 だから安心して靴音を鳴らして、後方の少女、海のような青い瞳を不安に揺らすセレンへと振り返りながら流し目をおくるリゼ。

 赤と青。対照的な二つは、高く、広く、長々と続く洞窟の中で印象強くある。

「これぐらいの表層でも、コボルトやオークのような亜人、『異灰』の眷属が出ることはあるわ。魔物というべきものも。それでも、それはとても珍しい話。出て亜人や獣人の成りそこない、気配を隠すだけの知能がないものたち。――逆に、私が気づかれない位のだと『異灰』の眷属だから覚悟が必要だけれど」

 するりとルビーのような瞳を戻して前の暗がりへと。

 つられて、橙色の炎球が、リゼの周囲を照らす光となる。

 手には何もない。腰に吊るされたサーベルはそのまま、鞘の中で眠っているように静かなまま。逆にセレンは長剣を抜き放ち、構えるまではしないが周囲を見ている。

「……そういえば、セレンは腰のダガーは使わないの?」

「あ。ええ。本来ならマインゴーシュやショートソードに切り替えるべきなんでしょうけど、どうも片手で剣を振るうのは苦手なんですよね。練習中の付け焼刃なら使わないほうがいいかなって」

「そう。確かに、そうかもね」

 洞窟の暗がりの中、セレンはやや怯えているようにリゼには思えた。

 気配も緊張しているし、視線も鋭く、周囲へと走らせている。そんなことせずとも、リゼという『脅威』を理解できるものはみな、遠くへと逃げてしまっているのに。

 力の有無ではない。存在として、生物としての『脅威』。近くに獅子がよれば兎は逃げるだろう。

 いってしまえばそういうものだ。

 弱い存在ほど、圧倒的上位のものには、逃亡か、決死で自殺じみた特攻をする。

「…………そうね」

 そういう意味で、セレンの恐れはリゼの雰囲気にもあるのかもしれない。

 神秘的で、儚くも鋭く――そして、揺らめく火のように、心に映る。無視できない。物静かさは、逆に、動き出した時の激しさを予感させるのだ。

 自分がそういうものだと認識しているから、余計にそれは強く周囲に広がるのだろう。

 どういうものにありたいか、何を理想とするか。己の願望は、その強度が一定を超えれば『居る』だけでまわりへと影響を与える熱や、重力。心や感情がが星だなんて、綺麗な言葉で飾ったクーの事を思い出して、ただそれだけでくすりと笑ってしまった。

 無性に引き付けられるのだ――強い想いには。

 どうしても逃れられないのだ――自分より強い輝きに、焼かれても。

 それは自分という想いが、願望が、どんなものか判らなければ余計にそうだろう。

 夢見るように、祈る。願う。凄く、当り前に、夢に浮かぶ位に。


 けれど、それはとても難しいらしい。

 

 何かに成りたいのに、何かなんて判らない。

 当たり前なのだ。どんな夢を見たいかなんて、起きている時には判らない。

 眠っている間でも忘れられない、感情に焼き付いたものが夢となる。願望とは、目覚めながらも強く夢見続ける祈りに他ならない。

 自分がどうありたい。どうなりたい。

 明日、どうなっているかに似たそれは、文字通り、夢みるようなもので。

「あ、でも、リゼ。どうしても私が二刀使いだって?」

「それ、ハイランドの家紋でしょう? 長剣の造りもそう。彼らは盾を誇りとしない。騎馬での疾走で槍と共に使っても、盾で受けるより、剣撃で相手を制する。絡めとる。誇り高き旋風――その名は伊達ではないもの」

 問いに答えながら、用意された型に嵌るという簡単さを思い出す。

 最初からかくあるべしと用意されたモノ、形に収まるのなら簡単だ。師に倣い、同じように修練を積めば、ある程度はそうなる。ただ完全ではないし、求められたままの人形だ。

 かくあれかし――それを己へと確かな祈りと出来るのは、どれだけいるのだろう。

 だが、それが求められているのが、この学園都市なのだ。賢者とは、自分なりの世界への答えを見つけた存在に他ならない。

 この世界にないものを、作るものこそ希望。

 希望を求める、空。

 ふと、瞼を閉じた。

「ただ、セレンはきっと、諸手で一本を振るった方が強いわ。体格の問題もあるけれど、刃へのセンスね。詳しい理由は、色々と後で教えられるかもだけれど――クーなら、しっかり、もっと確かに教えてくれると思う。

 そう、クーこと、クレリアの行う授業の為に二人はこの迷宮の表層にいたのだ。

 大賢者と称されるものの数は限られ、その席と称号は多くない。決して占術をもっとも得意としている訳ではないクレリアが『星辰』の称号を得ているのは、ひとえに他に空席がないから。

 のみならず、まるで、その人物の『宿星』を見つけてしまうかのような慧眼にあるという。実際は判らない。何しろ、授業が何処が行われているかさえ、普通のままでは判らないのだ。

 だからこそ、セレンはリゼに、友達になってといい、その際の最初のお願いでクーの授業の場所へと連れていってとしたのだ。が、まさか迷宮内とは思わなかっただろう。

 事実を云えばさらに驚くだろうし、それは後々でいいだろうとリゼは思う。

「さて、ここね」

 そう告げたのは、真っ白な壁だけがある突き当りだ。

 二人ぶんの影が投げかけられた、鍾乳石のような、それでいて大きな壁。

 壁画の為に削り、磨かれたような印象は受けるが、なにも描かれていないし、ずいぶんと放置されているのか、凹凸や欠けができている。場所によっては、時間の経過でぼろぼろと半ば砂のようにもなっていた。

 一体何で出来ているのかと大半の人は思うだろうし、実はリゼも知らない。

 地下に用意されて迷宮は、学園都市の賢者を目指す生徒たちの『実戦』や『実技』の訓練として成立している。が、用意されているというのは半分しか正しくない。

 そこの表層部に放たれた魔物、亜人といったものは外からいれたものだ。が、それが生息できる『迷宮』は過去から、学園都市となる前、この山岳に遥かな過去から存在するものだ。

 それが何故、作られたのかは不明。増設された部分などは『実技テスト』で利用されているが、中層以下は、文字通りの『迷宮』。単独で潜ることは禁止されている。

 ただ判っているのは幾つか。

 ここには『異灰の災厄』が眠っている。

 魔神、生きる災厄と呼ばれた、世界を滅ぼすモノが。

「…………」

 いや、と首を振るったのはセレンだ。

 それらに対応する為に大賢者と認められた実力者が多数ここに集まっており、封印を施し続けている。そこから零れた『残滓』とでもいうべきモノを討つのが、学園の上位実力者の証拠となっているのだ。

 世界の敵。陳腐だが、賢者が相対するのはそういうもの。

 その卵ならば、その影ぐらいは祓ってもらわねばならないのだろう。

「ここね」

 そういって壁を手でなぞっていたリゼが、何かをみつけたように動きを止める。ちりんと鈴を鳴らし、ポケットから取り出したのは古びた鍵だ。

「セレン。あなたが合格なら、この鍵は、あなたも貰えるから」

「え」

 という問いかけも無視して、壁の真っ白な部分へと鍵をぶつけるリゼ。

 そう、ぶつけたのだ。何とも無造作に、壁か鍵が壊れるのではなかという勢いで。けれど、ずるりと、音もなく泥に沈むように鍵は壁の中へと埋まっている。

 そして手首を捻れば、ガチャン、と何か、金属同士が噛み合って動くような音。

「クーの授業は、見つける所からはじまっている。みつけられないなら、受けるだけの力もないの。そして、力はひとつとは限らない」

 不可思議な言葉を唇でなぞるように囁くと、身を壁と預けるよう前へと踏み出すリゼ。

 とぷんっ、とまるで壁が元から白い水で出来ていたかのように脈打ち、リゼの身体を包んで、そして通り抜けさせていく。

 いや、これは幻影なのだろうか。

 壁は水面のように波打ち続けている。けれど、魔力の欠片など感じない。

 同時、リゼの残していた橙の火球がうっすらと消えていく。何も見えなくなる。

 あるのは白い壁。いや、白く波打つ、何か。

「…………もう……っ…」

 目の前で起きた不可思議に身をすくませながら、それでも暗闇の迷宮にひとり、残されるのを怖いと思った瞬間、セレンの胸の中で何かがはじけた。

 理不尽に何度も出逢ったからこその怒りだったかもしれない。

 或いは、何か。自分を止めていた理性や、常識、感情というものが弾き壊れたものかもしれない。

 そもそも真っ当ではないのだ。

 あのリゼが常識で測れる訳がなくて、不思議を、不思議と思ったままに足を踏みこまないといけない。

 それは、そう。夢だと判りながら、その夢(リソウ)の更に奥へと一歩踏み出すように。

 壁へと走り、肩からぶつかるように、その中へと入り込む。一瞬の浮遊感。階段を踏み外したり、ジャンプして落下する直前に感じる体重を支えるものがない感覚。

 だが、次の瞬間、セレンの意識はがらりと変る。

 それは五感全てに及ぶ変化。目に映るものも、耳で捉える音も変われば、精神状態さえ変わってしまう。


「え」


 瞬きひとつした覚えはないのだ。

 だが、ここはどこだと、『夕焼けの赤橙色に光に染まった通路』に、困惑さえ追いつかない。

 真っ直ぐに続くのは学び舎などに見られる廊下。左右両方を硝子窓に閉ざされ、そこから斜陽の色が差し込んでいる。

 耳朶は何も拾わない。先ほどの洞窟の、閉ざされた空間特融の張り詰めたものではない、ただ、ただ、静謐な――まるで教会の礼拝堂に満ちた空気のようなものに、自分の呼吸さえ塗りつぶされそうだった。

 赤い祈りの場。

 確かにこの通路の先には、まるで礼拝堂の入り口のような大きな木製の扉がある。

 そう遠くない距離。だが、そこまで歩いていけるのか、いや、足を動かしていけるのか、と疑問が浮かぶ。そも、歩く、とはどうするのだったのだろう。思い出せない。

 鼓動だけが、胸の中で痛い位に早く動いていた。

 綺麗で、幻想的で、なのに、自分という存在が満ちる赤い光に溺れて、消えてしまいそうな場所。

 神秘的で、神聖さを感じるのにどうしてだろう。

 どうして、怖いと、思えないのだろう。



「セレン」



 横手から呼掛けられた声にはっとする。

 この色彩の中、何の違和感もなく、まるで此処の主であるかのように立つ、赤く、綺麗で、幻想的な少女。リゼ。

 小さな声は、それでも澄んだヴァイオリンのように響き渡る。

 けれど、彼女をもってしもここの支配者ではなかった。

「ここは、そういう場所。しっかり気を持って。クーは優しいけれど、甘くはないの。ここで立ち止まるなら、何も教えてくれない」

 そういうと、こつんっと一歩。そして、ちりんっ、と鈴を鳴らす。

 こちらよと誘うように。決して圧迫する訳ではないのに、そこにいるものの心と存在を塗りつぶすような光の中で、リゼはするりとセレンの手を握る。

 リゼの瞳が見たのは、困惑に、不可思議に、感情も思考も何もかもが追いついかずに視線を揺らし続けるセレンという少女の青い眸。

 ここにくればそうだ。確たる自分、というのがなければ人形のようになってしまう。自分の瞳の焦点があっていないことにさえ、セレンは気づいていないだろう。

 重力に喩えるなら、あまりに強烈さに自分という自我が砕ける場所。

 熱に喩えるなら、ランタンの火で、どうして鉄をも溶かす灼熱の火口に飲み込まれずにいられるだろうか。

 どちらも星さえ呑み込むものがこの場を作っているのだから。

「クーは、優しいけれど、厳しい。意地悪、しないけれど」

 ぼうっ、とするのは仕方ない。

 ここはクレリアという希代の魔術師の用意した、特別な空間なのだ。

 願望の為に、現実をゆがませ、そこにいる存在をも変化させる。魔法、ひきいては奇跡の極致とはそれだ。武芸も磨き続ければ、剣は現実の戦場に広がる絶望を、敗北を条理を覆す一騎当千のモノとなるだろう。理想と現実の境目が曖昧で、それらの条理を覆すものたちが『大賢者』と言われている。

 かつて、神が見捨てた世界を、それでもと龍と共に守ろうとした人達の名を受け継いだ、規格外の超越者。

「……それでも、厳しい」

 それで頬が綻ぶのは仕方がないのだ。

 リゼという少女は、そういうもの。クレリアという憧憬はすぐそばにいて、沢山のモノを貰って、ようやく産まれた雛鳥。

 クレリアの歩んだだろう苦難の道も、リゼにとっては並び立つ為にはもっと早く、もっと軽やかに進まないといけない。

「セレン、覚えておいてね。クーは、とても、優しいけれど……とても、とても悲しいの」

 ぼんやりとしたままのセレンは、それでも資格がある。

 引っ張られれば歩き方を思い出した小鹿のように、よろよろと力なく、それでも少しずつしっかりと自分の足で立ち、そして歩き出す。

 本来なら、ただ入り込んだだけで立ちすくむどころか、その場で座り込み、動けなくなるだろう。

「自分はこうありたい、こうしたい。そういう願いが強すぎて、それを必死で抑えないと、誰も近づけない。それこそ、空に登った、龍みたいに。……強すぎて、優しすぎて、ちいさな優しさや強さだと、空に手を伸ばすだけの、意味のないことになる。翅を手に入れても、まだ、空の月に届く蝶はいない」

 それこそ、リゼだから判るのだ。

 クレリアの傍にいたから。クレリアの傍にいれたから。

――クレリアが、どうしても守りたいと思った、卵だから。

「でも、セレンは龍に触りたいわけではないわよね。だったら、どう。どうしたい。何になりたい。あなたの胸を満たすのは、この赤い光? ただ、すごく綺麗で、静謐なだけの……そんなもの?」

 繋いだ手からでも感じるほど強い鼓動。どくんっ、と、たった一度だけ、セレンの鼓動が否定を示した。

「ここは、ただの通り道。何かに成りたいモノの為の、通り道。帰る時に、『同じである』必要なんて、ないの。変っていける、先に進める、生きているものは。その想いの通りに」

 ゆっくりと先導する、リゼ。

 それは信仰と月の塔に所属する、祈祷めいた言葉。

 一月に一度だけ咲く、月下美人と月が出会う瞬間を、銀細工のブローチに懲らしている。たった一度でいい。奇跡を求めて、千の夜をゆく。

 赤い世界で、揺らめく緋の髪とケープ。赤の中を、違うと進む紅。

「私、クーみたいになりたい。でも、クーと一緒じゃ、嫌」

 ではと、問いかけるように、セレンの瞳を覗き込む。

 片手はその手を握りしめ、もう片方の手で扉をゆっくりと推しながら。


「じゃあ、セレンは? アナタは、あなた。他の誰かに決められていいものじゃないし、自分で決めないといけないもの」


 そうなのだ。

 魂というのは、自分で決めるもの。

 命に何の意味があるかとか。産まれた理由とか、後付けでいい。

 誰かに与えられた価値観。そういう存在というラベル。そういうもので満足できるならいい。

 でも、違うのだ。違うから、ここにいる。

 必要とされたい。ならば、どのように――ダレに。リゼという緋は、夕焼けの中でも、己の色を失わない。損なわない。見失わない。

 それを決めていいのは、自分だけ。もう定まり切った想いと魂は、何処か切実な程、鋭い刃のように綺麗だった。

 そのルビーの瞳は、火のように揺らめく。


「――さあ、それをみつけましょう」



 ぎぃっ、という音とともに、木製の扉は開かれる。



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