セレンという日常、仮面と衣装
セレンは交易都市の宿屋の娘だった。
物流の要となる都市は少なく、海と草原、そして河を使った物流の中心点。
西の国、高原の地域ではとても重要な場所で、商人のキャラバンやその護衛達がよく行き交う。
色々なものが、人種が行きかい、金貨と物資が交換されていく。
少なくとも物の豊かさでは中々のものだっただろうし、仲介の業者を挟まず、自分で仕入れることで安価に済ませようとしていた商人や、そうなろうとしている者たちが多かった。
平和だった。
割と最近まで続いた戦争の影響も、あまりなかった。
同時に、余りにも人が行きかうせいで、人種や、突然、ひとがひとり増えても、誰も気にしない。
それがセレンの母であり、宿屋に勤め始めて、すぐに看板娘となった女性だ。
きっと何かがキッカケで故郷を捨てたのだろう。美人で品がよいのは、貴族の出だったのかもしれない。別段、そういう生きる場を失った人が辿りつくのは珍しくなく、宿屋の主人もその働きぶりに満足していた。
――例え、すぐに妊娠していることが分かっても、誰も詮索しなかった。
ただでさえ美しい容貌をしているのだから、どこかで誰かとの関係をもっていたのかもしれない。
その上で働きぶりの上品さは貴族の使用人だったのではと推測するには足りる。が、それを根掘り葉掘りした所でどうにもならないのだ。何かになるならば別だが、それで、別の誰かの『傷』に繋がってしまったら困る。
ようは、セレンの母は妊娠してお腹が大きくなり、働き辛くなっても、宿屋に、そして、周囲に受け入られていた。
だから平和だったと思うし、平穏だと考えている。誰の子か知らないセレンを受け入れ、何一つ暗い視線を向けない周囲は、優しかったと思う。
ただ、それは風土、街のせいが大きかった。誰かが、過去に何かしらの影を追っていることが多いのだ。金貨と物資のように、銀貨と罪がまた、交わされている街だった。
振り返れば何かにつかまりそうで、みんなして笑っていた……ようにセレンは思う。
同時に、とある事実に気づいてしまっていた。
幼い頃に棒切れを剣と言い張って、男の子も女の子も交えて遊んでいた頃に。
その時から、セレンは強くて、女の子たちからのヒーローだった。ヒロインになれないけれど、男の子たちからのお姫様だった。
誰より強くて、その理由を考えてない『ごっこ遊び』の中にふと、不安の泡は浮かぶ。
――受け入れられたからといって、必要とされた訳じゃない。
そう感じ取る聡明さも、周囲の子供と一線を違えていたのだろう。
誤魔化すように笑う事は多くなった。
求められたら、それ以上の結果を出すようにと必死になった。
受け入れられたのだから排斥はされないのだろう。だが、それは必要とされていない以上、確約などされていない。
セレンを求めるのは、誰だろう。
何かしら影を背負っている人が多い街だ。ふとした拍子に、受け入れられていたけれど、変りがいるからと、排除されるのではなかと、ただの予感として、想いとして、不安がぽこり、ぽこりとセレンの胸の奥から湧き出していく。
「ね、お母さん……お母さんは……」
――私を必要としてくれる?
母子という当たり前の関係。
だが、そのアタリマエの関係は、父親という存在がいない欠陥を抱えている。
どんな人が父なのか知らない。
ただ母よりセレンは身体は優れていたし、物覚えはよかった。
それが余計に不安を生み出しては、胸を満たして圧迫していく。問いかければ、受け入れられた世界から放り出されてしまいそうで、行動と働きの手伝いで必要とされる存在であろうとする。
母と、娘。宿屋の経営はそのふたりの働きぶりと、少しお茶目な娘をたしなめる、少し上品な母親のふたりを看板に、よく客と食事の乗った皿とお酒の入ったコップが回る。空になった回収して、水につけて洗う。不安ごとよごれを消すように。
手伝いは必至だった。
求められる以上の仕事を、手の上に乗せた皿の数だけこなしていく。
一度、転んだらどうなるのだろう。
不安はより、くるくるとセレンを回す。恋、友達、何も信じられない。セレン自身、ルーツを判らない。
最初に価値を、あなたが大切だといってくれる親が――いない。
自分の価値がどんなものなのか――よくわからない。
そう。
一度でも母親に、セレンは大切な娘だといわれた事はあっだろうか?
記憶にはない。自分がいったことはあっても。セレンは求められたことに対しての演技は得意だったけれど、それは今思うと、母の見様見真似だったのではないだろうか。
疑問は、無数の泡となってセレンの瞳に浮かぶ。
それをひとつの瞬きで消して、消して、消していきながら、
何かしらのキッカケで零れる本音を期待した。言わなくても伝わるものだと、それが家族だと信じた。
だったら、ねぇ、私の不安も伝わっている筈でしょう。
そういう想いは、やはり、黙殺して。水で洗い流す。
そんな日々の中、誰かに必要とされたいけれど、自分の価値が判らない中……母に、親に、ルーツも価値も与えられずに。私の愛しい子と、たった一言あればよかっただろうに。
それすらなく。
ある時、貴族のお迎えが来たのだ。
周囲は喜んでくれた。
これが、永遠の別れだというのに、涙ひとつもない明るい笑顔で。
――私、いなくなるんだよ?
ユリアス家といえば、黒獅子公に連なる家で、と誇る宿屋の主人と、その妻。
まるで知っていたみたいに。何をいっているの。
これで、さよならなんだよ。
二度とあえないのに、元気で。幸せに。ううん、きっと幸せになるよと喜び、はしゃぐ周囲。まるでお姫様のようだと。
お姫様ではなくて、友達だよね?
これで、さよなら、なんだよ?
「さようなら、セレン」
嬉しそうに、さよならと歌うひとがいた。
喜びはまるで苦労を知らない令嬢へと、娘がなる夢物語のように。
でも、もう二度とあえないのだ。
怒ることも憎むことも、悲しむことも、触れることさえできないのだ。
今まで、一度も怒ったことのない母親が、笑っている。
「さようら、セレン。元気でね」
銀貨が掠れる音がした。
沢山の袋の中に、罪と引き換えに手に入れた銀貨がみっちりつまっているような。
――そうであって欲しい。せめて、私は銀貨と引き換えにされる程度の価値はあって。
「さようなら、セレン。……二度と逢わないわね」
伸ばした手は空を切る。
沢山、頑張った皿洗いで、料理で、硬くてざらざらした指が。
お母さんのために頑張った、この指先は届かない。この手は、ただ、ただ、水とともに流れていただけだった。
「お母さん?」
笑みが変わらない。
まるで仮面だと思った。
そうなのだ。ずっと母はそういうもので――セレンに、価値などなかった。
手には銀貨の詰まった袋なんてない。
ただ手紙のはいった封筒一枚で、娘を渡す母がいた。
それを親子だなんていうのだろうか。
「私は、あなたの娘、ですよね」
「私のセレンは、セレンだけよ?」
そう。この最後の時まで。
絶叫を、悲鳴、慟哭と涙を、絶望を堪えて喉が閉じてしまった瞬間まで。
周囲に笑みを求められて笑ってしまうセレンは、母に、娘と呼ばれたことがないのを気づいたのだ。
「……私は、誰の娘なの?」
それが、セレン・レヴィ・ユリアスの産まれだ。
与えられる価値なく、求められるままに動くマリオネット。そういう風に思考できるのは、父親の貴族の血だろう。そういう風に振舞えるのは、あの母の血だろう。
でも、セレンの鼓動で身体に巡る血は、セレンのものだ。
名札をつけられた人形になりたくない。
笑って、お茶目して、必死で剣を振るう。賢者の学園都市で埋没しそうになりながらも、ひたむきさは足りない経験を補い、『真似る』ことと『望まれるものを理解する』才能を開花ざせていく。
それは模倣にて道歩き、望まれる事象への本質へと迫り、それより先へと自らの剣を届かせるもの。
悲劇に笑った。
海のようにキレイな人に、不安は、波のように打ち寄せる。
沢山の泡を中にいれて。
「私を、誰が、必要としてくれるの?」
足を怪我した猫をみつけたのは、剣を振るってもなにみえなくなった頃。
夜だと、何も見えなくて、安心した。
自分で何でもなくても、夜の黒は、受け止めて抱きしめてくれる気がした。
………………
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