初声優!? そして帰路……。

 スタッフさんが説明する。

「それでは平日昼間の声をりますので、そうですね……何か探していたり、誰かと待ち合わせしていたり、お仕事だったり、そんな声をお願いします」

 ふむ、最初は平日昼間の声か。


「ではいきますよ。あ、皆さん、顔はまっすぐではなく、上のマイクの方を向いてください。

 俺様も顔を上げる。

(俺様親父ごえ砲! 発射用意! 上下角じょうげかくプラス45度。ターゲットは収録用マイク!)

 脳内オペレーターが、俺様の口と声帯、そして首の筋肉と骨に指令を伝える。


「用意! スタート!」

『え~と、○○はどこ?』

『あ! ここ! ここよ!』

『まぁ、お久しぶりでございます』

『遅刻だ!』

 そんな声をワイワイガヤガヤと奏でる我らエキストラ。

 スタッフさんも輪の中に入って一緒に声を出している。


「ハイ! カットォ! どう?」

 スタッフさんが音響さんに確認する

「オッケーです!」

 ふぅ。声を出すのも体力勝負だ。


 学校の運動部で”ファイト!”と声を出しながらランニングするのも、無駄に酸素を消費させて心肺機能を高めるためだと聞いたことがある。

 演劇部でも

「アメンボ赤いな赤とんぼ」

「赤巻紙青巻紙黄巻紙」

「あえいうえおあお」

とか叫びながらランニングをしているのだろうか?

 とはいえ、朦朧とした俺様の脳細胞にとって声を出すことは、水の中で貴重な酸素を吐き出すに等しかった。


「いやぁ完璧! 皆さんすばらしいです!」

 少なくとも俺様はいつ倒れてもおかしくない人間だが、それを察してか、気を使ってくださるスタッフさん達。

 しかし甘い言葉には罠がある。

「では次は、ラッシュの人混みをお願いします。『押すな押すな!』とかです」

 駅の顔が時と共に移り変わるように、声もまた移り変わる。


「ではいきますよ。用意! ハイッ!」

『うわぁ~!』

『おい! コラ! 押すなよ!』

『押さないでぇ~!』

『痛い! 痛い!』

「ハイ! カット!」

「オッケーです!」

「いやあ一発でオッケーなんて、皆さんさすがです」

 ゼェゼェ! 今の俺様は、えさを欲しがる池の鯉の役をやらせたら、アカデミー動物賞筆頭候補だぜ……。


「次は、夜の様子をお願いします。酔っ払いとかです」

 もう倒れるまでやってやる。

「いきますよ、用意! ハイッ!」

『おうら~もっと酒もってこ~い』

『乾杯~!』

『課長! もう一件いきましょうよ』

『酒は~飲め飲め~飲むならば~』 

「ハイ! カット!」

「オッケーです!」


「さすがつい今し方までやっていただけのことはあります。ではこれが本当の最後です。休日の上野駅をお願いします。どこかへ行楽にいく様子ですね」

 ちょ! 名古屋民の俺様に向かって、いきなり上野駅周辺の行楽地だとぉ?


「ではいきます、用意! ハイッ!」

『動物園はどっち?』

『東京タワーへ行く汽車はどれ~』

『象さん楽しみだね』

『うわ~いい天気』

「ハイ! カットォ!」

「オッケーです」


「本当にお疲れ様でした! 以上を持って本日のすべての撮影を終了させていただきます。ありがとうございました!」

“パチパチパチパチ!”

 皆にあわせて、力のない拍手を己のすべてを絞り出して行う。

 もう、終わっただの帰れるだの、そういった人の心を持っていない、シンバルを叩くおもちゃのサルと化した俺様。


 解散して階段へと向かうエキストラ一行。

 ”うおぉぉぉ!”と心の中で叫びながら、三階の展望席まで一歩一歩、足と体を持ち上げる。

 小道具エリアで風呂敷包みと羽織紐を返し、おっと、財布とスマホをちゃんと取り出さないとな。

 荷物置き場でプラスティックの雪駄からスニーカーに履き替え、荷物の整理をする。


 ここでスタッフさんからハンドマイクの連絡事項が流れる。

『東京……エキストラ……派遣……からみえた方はバスの準備ができております』

 すまない、もはやこの時は何を言っているか聞き取れなかったのだ。

 つまりエキストラ会社さんから派遣された方は、バスの準備ができているということだ。

 ん? 今から東京までバスで帰るのか?

 いやいや、撮影は明日も明後日もあるんだ。おそらく宿へ向かうバスだろう。


 スタッフさんの連絡事項は続く。

『一般参加された方はあちらで記念品をお渡ししております。忘れずにお持ち帰りください』

 せめてものご苦労さん代と思い、鞄を持った俺様は、記念品を配っている机に向かう。

「一般の方ですか?」

「ハイ、そうです」

「サイズはLとMしかないんですが……」

 係員の人は俺様のバディを眺めながら、申し訳なくつぶやく。

 ちなみに記念品とは、『ひよっこ』のロゴが前面にプリントされた白いシャツであった。


「あ~そうですか、じゃあLでいいです」

「はい、お疲れ様でした。ところで明日”も”来られますよね?」

 へっ!? ……なるほど、年配ご夫婦がおっしゃていた通り、本当にエキストラ不足みたいだな 

「すいませ~ん。今日だけ何ですぅ~。じゃあ、お疲れ様でしたぁ~」

 チンピラに絡まれて脱兎のごとく逃げた主人公一行みたいに、危険を感じた俺様はすぐその場から離れる。


 いやね、できることなら協力してあげたいんですが、今から家に帰って、そしてまた朝の六時にここへ来い! なんて言われたら、俺様の睡眠時間はどう見積もっても3時間。

 そこから今日と同じ、地獄のエキストラ三昧なんてやられたら、脂肪が落ちるより意識がちますって!


 駐車場へたどり着くとすぐさま着物を脱ぎ、荷物と一緒に車の中へ放り投げる。

 フリース姿で車に乗り込むと、着物を脱いで楽になったのと、自分のテリトリーに入った安心感からか、大きく深呼吸をする。

 体が固まってしまいすぐには運転できない。しばし休息を取る。


 ようやく落ち着くとエンジンを始動させ、一路浜松北インターへ向かう。

 東名高速道路に乗ったら……やばい! 眠気が!

 すぐさま近隣のSAサービスエリアに飛び込み、真冬にもかかわらずエンジンを切り、車に積み込んだブランケットを毛布代わりにして泥のように眠った。

 四つの使い捨てカイロがここで役立つとは……。


 そして翌日午前四時。

 俺様の体は二十四時間ぶりに、自宅のベッドの感触を味わうことができたのである。

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