自然な倒れ方とは?

 ※検索エンジンからここへたどり着いた皆様へ。


 このお話は2017年1月に浜松オートレース場で行われた


NHK朝の連続テレビ小説 『ひよっこ』


のエキストラ体験談をつづったお話の途中です。


 演劇、芸能にたずさわっている方には物足りない、当たり前の内容かもしれませんが、興味ある方は第1話よりご一読下さいませ。


     ※

『ハイ! カット! オッケーです』

 こうして屋台での寸劇が終わった。

 最も撮影のメインは主演様なのだが、この駄文はあくまで俺様視点で描かれていることを、今更ながら了承して欲しい。


 実は夜の上野駅における主人公一行の撮影は三段階に分かれており、第一のシーンは、屋台に座る俺様の後ろを通り過ぎて、上野駅へやって来るシーン。


 俺様視点な為、あえて書き表さなかったが……ごめんなさい、今思い出しました。主人公一行は行方不明になった女の子の名前を叫びながら上野駅へやって来るのである。


 そして第二のシーンは、名前を叫びながら突き当たりを右に曲がろうとしたところ、別のサラリーマンの一団にぶつかり、助演の女の子が転倒するシーンである。


「どうぞ皆さん、こちらへ来てください」


 スタッフさんのハンドマイクでエキストラさん達が第二のシーンの撮影場所に集まる。


 さすがにこの時は主人公一行とサラリーマンの一団とがメインになるため、我らエキストラも高みの見物となるのである。


 そして、第二のシーンの撮影が開始された。


 まだ見知らぬ所がいっぱいの、東京という街は少女達にとって未知の世界。


 いかに天井から明かりがともされようが、夜の上野駅というのはさながら一寸先は闇のダンジョン、訪れたものを惑わすラビリンスそのものである。


 しかも同僚が行方不明になり、主人公一行は軽く動揺しながら名前を叫んでいるため、もはや他人が眼に入らない。


 それは目の前に立つサラリーマンさえも……。


”ドン!”


「おおっとぉ!」

「きゃっ!」


 地面に倒れる助演さん。

 まさに体を張った演技である。


 ご安心ください。地面にはちゃんとマットが置いてあります。


 しかも小学校で体育の時間に使うような、白い長方形の、四隅と横に取っ手がついたあのマットである。


 当然、女優さんが倒れるシーンで使うんだ。


 漂白したワイシャツよりも真っ白である。


 まさか三十年前と変わらぬお姿で、再び白いマットとご対面できるとは、ちょっと感慨深い。


 俺様が手に持つ風呂敷包みの小道具もそうだが、こういったマットも準備してあるとは。 


 コロンブスの卵ではないが、実際使われている現場を見て初めて

「あ~確かに必要だな」

と思わせる道具でもある。


 とは言うものの、これってマットが思いっきりカメラに映っとりゃせんか?


 助演さんが倒れるシーンと、地べたに倒れてから起き上がるシーンとの二段階で撮影するかと思いきや、記憶によると助演さんはマットの上に倒れる演技をした後、マットをどかして地べたには寝転がっていなかった。


 でもまぁ、最近は容易にデジタル処理でマットだけを消すこともできるそうだから、俺様がここで危惧することもないだろう。


 実際どういうシーンになったのかは、本編をご覧になって確かめてください。


 しかし、助演さんが倒れるシーンはなかなかオッケーが出ず、何度も繰り返された。


 どうも監督さんが納得のいく倒れ方ができないみたいだ。


 挙げ句の果て、監督さん自らマットに倒れ始める。


 いくら撮影場所に近いとはいえ、カメラに写らないよう多少離れているため、監督さんの具体的な指示は聞こえないが、


”ここをこう!”

”こうやってこう!”


と、マットを”パンパン!”と叩きながら、声は聞こえなくとも体全体がそう叫んでいるように、監督さんは何度もマットの上に倒れ込んだ。


 いくらマットがあるとはいえ、その下はコンクリートである。


 女優さんといえども、コンクリートの地面に倒れるのは少なからず抵抗があるだろう。


 俺様みたいに天然肉襦袢じゅばんの体ならいくらでも転がることができるが、あいにく女優さんはスレンダーな体である。


 かといって柔道の受け身のように“スパーン!”と気持ちのいい音を出しながら倒れるわけにもいかない。


 ”自然な演技”というのは、俳優という職業が誕生してから多くの人間が追い求め、未だ到達していない究極の演技かもしれない。


 何度も倒れ込む女優さんに、俺の心にも思わず熱が入る。


 上から目線だが、年少者が頑張る姿を見て年長者ができることは、心の中で応援しながら見守ることである。


 サラリーマンにぶつかり、“きゃっ!”と叫びながらマットの上に倒れる女の子。


 サラリーマン一団に謝りながら主人公ともう一人の女の子は、倒れたこの手を引っ張り立たせると、慌ててその場を走り去る。


『ハイ! カットォ! ……オッケーです!』


”おおっ!”と俺様の心も思わず叫んだ。


 これで彼女は女優という階段に、新たなる一歩を踏み出したであろう。 

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