ある屋台の情景

『はい! 練習いきます!』

『練習!』

『練習!』

『用意! スタート!』


 俺様は空のコップを親父さんに差し出すと、親父さんは清酒の一升瓶をかかえ注いでくれる。

 う~ん、さすがNHK。

 親父さんが手に持つ一升瓶は何もラベルが貼られていない、ただの飴色をした一升瓶だ。

 公共放送のNHKゆえ、民間企業の商品を映すのは宣伝とみなされニュース以外ではタブーとされているが、そもそも当時の上野駅の屋台で注がれる清酒なんて三倍増醸清酒の、等級でいえば二級酒がほとんどで、その頃の瓶やラベルなんかまず残っていないとみるべきであろう。


 Aさんにもお酒がつがれ、我ら二人は乾杯する。

 練習を重ねるうちBさんも杯をかかげたため、いつの間にか三人で乾杯するのがデフォルトとなった。


「「「かんぱ~い」」」

「お疲れ様です!」

「お疲れ様」

「ホントおつかれ」


 何に対してお疲れ様なのか、言葉を交わすのも野暮ってもんだ。

 ここは撮影現場という戦場で、俺たちは撮影という死線をくぐりあった、いわば戦友。

 顔も名前も知らない、まるで屋台と言う名の塹壕に逃げ込んで、初めて顔を合わせたような俺たち三人。

 しかし、”屋台の長いすに座る”というなんでもない一瞬が、赤い糸よりも太い絆となって俺たち三人をつないでいた。


「ヘイ! おまち」

 そんな俺たちの永遠ともいえる挨拶が終わる頃合いを見計らって、Aさんの前に皿に乗ったねぎまが一本置かれる。

 死線をくぐり、いろいろな役を、演技に振り回され、己が何者すら忘れかけていたエキストラと言う名の兵士たち。

 その灰色に染められた心を癒すのは酒でも食い物でもない。

 疲れた俺たちを、ただ見守る親父さんの想いだ。


「ごちそうさん」

 Bさんは席を立ち、お金を置く(ふりをする)。

「毎度あり! ありがとやんした!」

 元気のいい親父さんの声に、Bさんは振り返らない。

 その視線の先にあるもの、目指しているものはBさんにしかわからない。

 長椅子から立ち上がった瞬間、Bさんは俺たちや屋台のことすら忘れているだろう。


 だが俺様とAさんは、そんなBさんに向けて手を振る。

 Bさんの行く末を見送る人間が一人二人いてもいいじゃないか。

 そして俺たちも……たとえカメラに映らなくても、編集でカットされても、背中の後ろで誰かが自分を見ていると信じているからこそ、エキストラをやっていけるんだ。


「ハイ! カット!」

 何でもない屋台の寸劇を脚色するとこうなります。

 俺様が監督ならこのシーンだけで、一話十五分使いたいぐらいの自画自賛だ。

 ちなみにコップに注がれた清酒と言う名の水は、親父さんが漏斗ろうとで一升瓶に戻し、ねぎまも七輪の網の上に置かれ、次の出番まで遠赤外線のシャワーにさらされる。

 体を動かしていない分寒いため、俺様は七輪に手をかざし、遠赤外線の恩恵をその手のひらで受ける。

 う~む、じんわりと脂肪が焼かれる暖かさは、石油ストーブとはまた違った趣がある。


 こうして何度も寸劇を繰り返された後、再び主演様のご登場である。

 こんな酔っ払いがうろつく夜のシーンでも主人公が関係するのか?

 しかも、今回は同じ年代の女性二人と一緒に現れた?

 どうやら上京する時に汽車の中で出会った子が行方不明になり、主人公と寮の女の子達とで夜の上野駅に探しに来たシーンの撮影である。

 当然、監督さんもいらっしゃる。


 そして、地面に置かれた二本の鉄の棒。

 おお! まさかあれは?

 そう! ここで映画撮影でお馴染みの、移動する俳優さんや対象物を撮影するカメラスライダーさんのご登場です!

 うおぉぉぉ!

 いいねいいね! いかにも撮影ってアイテムだ。


 最近はリモコン操縦のドローンに成り代わりつつあるが、風の影響で本体がぶれることがあるため、やはりしっかりした撮影にはまだまだカメラスライダーさんは欠かせないのである。

 また最近では動画サイトやSNS用の映像を撮影する時に、小さいカメラスライダーを使うアマチュアカメラマンさんもおられる。


 共通しているのは朝の連続テレビ小説の撮影だろうと、アマチュアカメラマンさんの撮影だろうと、カメラスライダーを動かすのはもちろん人力。

 この撮影現場でもスタッフさん達のマンパワーと細かなスピード調整が求められます。


 重ねて書き記すが、やはり演劇と撮影は体力勝負。

 学校の部活動でも演劇部は体育会系に振り分けてもいいのではないだろうか?


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