夜の上野駅

 話が脱線して申し訳ない。

 プロのお仕事と、会社のレクリエーションを同列に語るのもおこがましいが、私自身、会社の運動会で裏方の仕事を体験したため、撮影のためにいろいろ準備するスタッフさんのお気持ちも多少なりともわかるのである。

 話を戻すと主演様の撮影の間、看板の前で待ち合わせた時のように、屋台を中心に寸劇が繰り広げられる。

 

 登場人物は

 ・屋台の親父さん

 ・サラリーマンさんA(以下Aさん)

 ・撮影途中に勘定を払って屋台を出て行くサラリーマンさんB(以下Bさん)

 ・着物姿の俺様

である。


 言われたとおりに俺様は屋台へ向かい、暖簾のれんをくぐりながら

「よろしくお願いしま~す」

と、サラリーマンさんに挨拶しながら椅子に座ろうとすると

「へい! いらっしゃい!」

 黒のエプロンにねじりり鉢巻きをした、屋台の主人である親父さんから挨拶を受けた。

 まだ練習すら始まっていないのにこの掛け声。やはりプロである。


 そして! 今の俺様のお尻の下には、古ぼけた木製長いすがある!

 “ドスン!”とBMI30オーバーの俺様の尻の圧力は、長椅子にきしみとたわみと振動を与える。

 座れてよかったぁ~! もしこのまま撮影終了まで歩かされたら、返りの車の運転すらどうなるかわからなかった。


 この寸劇における位置関係はこうである


    親父さん

    【屋台】

 [俺様 Aさん Bさん]←長椅子


    <駅の通路>


 話の流れとしては

 一、屋台の親父さんがAさんと俺様にむかって一升瓶に入った清酒をついでくれる。

 二、AさんBさんと俺様が乾杯をする。

 三、親父さんがねぎまが載ったお皿をAさんの前に置く。

 四、頃合いを見てBさんがお勘定を払って屋台から遠ざかる。

である。


 さすがに清酒は水だが、ねぎまはなんと本物である。

 しかも、焼くコンロは家庭で餅を焼くような陶器製ではなく、黒い鉄板をただ組み合わせたような、年代物を思わせるススまみれの長方形の七輪。

 さらに、その中に入っているのは、所々赤く燃えた炭!

 屋台の七輪一つににここまでやるか! NHK!


「え!? これって本物ですか!」 

 思わず叫ぶ俺様の問いに親父さんが答える

「そうですよ。でも、どうせあっしもこいつも、カメラには映りやせんけどね」

 確かに……。長椅子は大人三人でいっぱいで、しかも後ろは俺様の首の辺りまで暖簾のれんで隠れている。

 たとえカメラが屋台の方を向いたとしても、親父さんが映ることは時空が歪まない限り無理であろう。

「でも、あっちなんかもっと写りやせんけどね」

 親父さんが指さす俺様の左手奥、トイレのそばと言っていいほどの場所には、もんじゃ焼きの屋台がある。


 そこにもねじり鉢巻きに茶色の板前法被はっぴを着た、親父さんよりちょっと若めの人が立っていた。

「おう! そっち(カメラに)映るか?」

 親父さんがもんじゃ焼きさんに声をかける。

 どうもこの親父さん、未だお上りさん状態でフラフラ、フワフワしている俺様と違い、どっしり腰のわった雰囲気や場慣れしている口ぶりから、プロのエキストラさんの中でも古参に思える。


「映るわけないでしょ! ここトイレの前ですよ! てか寒! そっちの方が映るんじゃないですか?」

「馬鹿野郎! こっちも同じだ!」

 二つの屋台の間で交わされる苦笑とメタ発言。

 ……さすがに監督さんとかはいないみたいだけどいいのか? 一応スタッフさんの前だぞ。


 ちなみに他のエキストラさんは帰宅するため夜の駅構内を歩いたり、ベンチに座っていたりしたが、あるサラリーマンさんは三人で組まされ、互いに肩を組んでふらふらになりながら酔っ払いの役を任されていた。

 なるほど、同じ上野駅でも昼の顔と夜の顔とがある。

 昼間の駅は多くの人間を目的地まで運ぶ役だったが、夜になると一転し、疲れた人々を無事に家まで送り届けたり、つかの間の憩いを提供する場へと様変わりする。

 

 そして、昼間は日本の高度成長期をになっていたサラリーマンも、夜になれば酒を飲み疲れた体を癒し、酔っ払って千鳥足を踏む人間へと変わるのである。

 

 そこで俺様は気がついた。朝に見かけたホームレス役の人も、丸めたゴザを抱えながらこの情景にいることを!

 というか、今までこの方どこにいたんだ? 

 まさか、今の今まで完全に気配を消していたとか?

 実は誰かを監視、いや暗殺するために、某国によって送り込まれたスパイでその標的は……まさか、この俺様?


 などと中年二次元病全開させた俺様だが、何のことはない。

 昼間、この方がいたのは主にベンチや靴磨きや大きなのっぽの古時計がある場所だ。

 片や俺様は眼鏡を外しあっちこっち、それこそカメラが写らない場所をうろうろ徘徊していたのである。

 そう! 今ここで両者は再び相対したのである。

 ……だからといって、何も起こりませんです。はい。 


 俺様は長椅子に座りながら体をひねり、背中で繰り広げるであろうそんな夜の情景を指示するスタッフさんとエキストラさん達を眺めていた。

 親父さんには悪いが、今の俺様はたとえ映らなくても座れるだけで幸せなのである。

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