番外編 スーツアクター(下)

 準備ができた着ぐるみ集団は二列になり、左手でお子様の手を引いて入場門で待つ。

 しかも俺様が先頭だ。

 ていうか、正面を向くとお子様の顔どころか姿さえわからない。さらに俺様はド近眼

 無理矢理、顔ではなく上半身をねじり、覗き穴からお子様の姿を確認する。


『それでは入場で~す』

 アナウンスの合図によっておそるおそる第一歩を踏み出す。

 初めてのスーツアクター。

 ド近眼。

 さらに案内人もおらず、お子様の手をつなぎながら行進する。

しかも、歩くだけの衝撃でパンダの頭がテクノブレイクするもんだから、覗き穴があっちこっち動き回る。

 仕方がないから右手で常に頭を押さえなければならない。


 こうして、左手にお子様、右手は頭を押さえ、さらにお子様の歩む速度に合わせながら上半身をひねり、一応スタート地点に旗が立っているからそれを目印……見えない……に行進する。


 もし俺様の駄文をご覧になっている方で、スーツアクターをやられた方がおられたら、この状況がどんだけ無理ゲーかおわかりいただけるであろう。

 勇者の血を引く主人公が、故郷の村から一歩出たら魔王が現れたぐらいの難易度だ。

 さらにこれから、お子様の手をつないで一緒に走るんだぜ!

 まだ自分一人、着ぐるみ着て100メートル走やれといわれた方が全然ましである。


 やっとこさ、スタート地点までたどり着く俺様たち。

 横にいる着ぐるみはトラかネコか、そんなのはもうどうでもいい。

 先頭を歩くと言うことは、俺様が第一組である。

 まだ自分の前に誰かいれば、走り方の参考になるのだが……。

 なにやら場内放送が流れているが、パンダの被り物の中でハウリングを起こしてしまいよく聞き取れない。


『位置について!』

 横に立っているスターターの声が聞こえる。

(ちょ! まだ心の準備がぁぁぁ!)

”パ~ン!”

”♪~チャカチャ~ン、チャカチャ~ン、チャカチャカチャン!”

 ドイツの作曲家ヘルマン・ネッケ(Hermann Necke)が作曲した『クシコスポスト』が奏でられると”それいけ!”とばかりに走り出す俺様とお子様。

 俺様の仕事はいかに転ばさず、手を離さず、お子様をゴールにいるママのもとまでまで送り届けるのみ!

 フッ! いかにもプロフェッショナルな言葉だぜぃ。

 どのみち一位だろうが二位だろうが、俺様には何も賞品はもらえないのだぁ!


『ゴ~~ル!』

 お菓子を持ったお母さんに抱きつく子供。

”終わったぁ~”と脱力する俺様の向かって、ゴール地点にいた準備委員長の声が飛ぶ。

「宇枝君! 早くスタート地点に戻って戻って!」

 そう、先頭を歩く俺様は気がつかなかったが、着ぐるみは四体、それに対するお子様の数は……おわかりいただけただろうか?

”ぬおぉぉぉぉ!”

 落ちないようにパンダの頭を両手で押さえながら、再びスタート地点へ走る俺様、いやパンダともう一体。


”パ~ン!”

 すでに第二組のスタートが開始された。

 何とかスタート地点まで転ばずたどり着いた俺様。

「誰? どこ? 誰? どこ?」

 翻訳すると「次のお子さんは誰なの? どこにいるの?」と鼻の下の覗き穴からおっさんの声をはき出すパンダ。う~ん、シュ~ル。

 スターターの人が

「この子! この子!」

と指さしているように見えるが、すまない、あんたの指とお子様の距離が離れているため、こちらの視界では二つ同時に見えないのだ。


 再びスタート地点に立つパンダともう一体。

「ねぇ! 手つないでる? 手、つないでるよね?」

 もう俺様一人でゴールまでダッシュしてもよかったのだが、隣にいるお子様がどこかのお偉いさんのご子息かもしれない。

「大丈夫! いくよ! よ~い!」

(ちょ! 早い!)   

”パ~ン!” 

「パンダ! ……いきたくな~い!」

 呼吸を整える暇もなく、ブースターの推進炎を背中とふくらはぎから勢いよくはき出し、カタパルトから射出されるパンダ。

 目指すはゴール地点にいるマダム。いや、隣のお子様のママ。


 ここで予期せぬ事態。

 あろう事か俺様のパンダ組は隣のマダムへ突っ込んでしまったのだ。

 ……ちょっと語弊があるな。一応全年齢向けに書いているつもりだが。

 俺様率いるパンダ組は、隣のママの場所へゴールしてしまったのだ。

「○○ちゃん! こっちこっち!」

 わが子を呼ぶママの呼びかけを背中に受けながら、再び俺様はお子様かけっこのループへとダイブする。


 こうして繰り返されるお子様かけっこと言う名の輪廻。

「この子で最後だから」

 もう、自我も意識も魂も抜けきり、パンダの着ぐるみと一体化した俺様。 

”パ~ン!”

(パンダだ! お前はパンダになるのだ!)

 動物園のパンダのように、えっちらこっちらと歩を進めるパンダ俺様

『ゴ~ル!』

 おわったぁ!

「宇枝君お疲れ様、もう帰っていいよ」

「え?」

 覗き穴から潜望鏡のように辺りを見渡すと……準備委員長以外トラックの中には誰もいない。


 どうやら最後のお子様は俺一人でかけっこしたみたいだ。

 普通、競技が終わってもその場所に残って、みんな揃って退場するのだが、お子様もママもお菓子をもらったら、とっとと自分のキャンプシートへと戻っていた。

 ……全く、現金な奴らである。

 一人寂しく、とぼとぼと入場口へ向かうパンダ俺様

 

 着ぐるみなんて、二度と着るもんかぁ~!  


 お子様かけっこが終わるとちょうどお昼休憩も終わり、午後の競技が開始される。

 俺様は一人寂しくお弁当を掻き込み、再び午後の競技の準備にこき使われたのであった……。

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