百見(ひゃっけん)は一役(ひとやく)にしかず
俺様の完璧なアドリブにスタッフさんから特に指摘もなく、いよいよ本番を迎えることと相成った。
『ハイ! 本番いきます!』
『本番!』
『本番です!』
四、五回、練習という名の荒波を渡りきった俺様は、もはやいっぱしの俳優のオーラを纏っていた。
いや、言ってみたかっただけです。ごめんなさい。
だがしかし、もうカメラやマイクに臆していたあの頃の俺様じゃないぜ。
エキストラにとって百聞は一見にしかず!
そして
いくらエキストラとして撮影現場を百往復したとしても、たった一役、任されるだけで俺の役者魂に新たなる翼が授けられ、より高見へと飛び立てるんだぜ!
いや、ちょっと中二病してみたかっただけなんですよ。本当すいません……。
『用意! スタート!』
先生方に挨拶する俺様。
集団就職生をカルガモのように引き連れてゆく俺様。
屋台の影に隠れる俺様。
……決まった! 完璧だぜぇ。
『ハイ! カットォ! オッケーです!』
よし! オッケーが出た。
♪~テケレテッテテー!
《宇枝一夫は10の経験値を手に入れた。エキストラレベル2まであと9990です》
フッ! まだまだ俺様の役者への道のりは果てしなく遠いって訳か……。
とは言うものの、このシーンは主人公含む集団就職生がそれぞれの会社へ移動するのがメインの為、やはり主人公中心の撮影となる。
主人公が就職する会社の
舎監の女性は確認の為席を外してしまい、不安になる主人公。
ちなみに主人公一行の後ろは壁になっており、その壁には確か
『成功させよう 東京オリンピック』
の垂れ幕が一面に貼られていた気がする。
よって、完全にフレームの中は主人公一行と引率している担任の先生しか映らず、我ら通行人のエキストラはしばしの休息を得る。
このように主人公がフレームの中心となるシーンの時は、我らエキストラは蚊帳の外となり、カメラに写らないように遠巻きで撮影を見守ることとなる。
……まぁ、寒いことには変わりはないのだが。
しかし、誰よりも早く俳優さんの演技をかぶりつき……いや、この表現は誤解を招くから、砂かぶり席で観ることができる。
俺様のような素人には正に猫に小判……いや、この表現は俺様の体型に誤解を与えかねないから豚に真珠といっておこう。
よし! 珍しくパズルのピースのようにぴったりはまった表現だ!
あれ……鼻にゴミが入ったせいで目からよだれが……。
何度も言うようだが、もし演劇、芸能を志す、またはすでに門をくぐった方は、こういった撮影の雰囲気を感じるのも勉強になる。
素人の戯れ言として聞き流して欲しいのだが、テレビやスクリーンをレストランのテーブルにたとえるのなら、そこに映し出されるスターの演技というのは、いわばテーブルに置かれた、一流シェフが丹精込めて作った料理である。
この料理”だけ”をみて、同じ料理、同じ味を作ってみろといったところで、先ず不可能だろう。
だが撮影現場という名の厨房に来ると、演技と言う名の料理がどのようにしてできあがるか、少なくともその
最近は映画でもドラマでもDVDやブルーレイの特典としてメイキング映像が収録されている物もある。これも十分参考になるのではないか?
テレビやスクリーンではバストアップで映し出される映像が、メイキング映像においてはスターの全身、それこそ指先の一本、足の踏み込み一つまで映し出される。
演技とはバストアップ、顔のアップだけでは完成しない。
スポーツ選手が一つのスイング、一つのスタートダッシュに己の肉体すべてを使うように、演技もまた己の肉体、精神すべてを使って表す芸術なのである。
話を戻す。
結局主人公の名前が確認でき、ここで三人と担任の先生との別れのシーンとなり、このシーンは終了する。
余談だか、後で確認すると舎監役で現れた女優様は、実は芸能界に疎い私ですらお名前を拝見したことのある御方なのだ。
こう言ってしまうと主演様や主人公の母親役の方に申し訳ないのだが、ここは正直に話して第三者からの非難の石つぶてを甘んじて受けようぞ。
いやしかし、本当に舎監、寮長をなさっている地味な女性にしか見えなかったから、俳優様とは恐ろしい御方である。
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