カメレオン・イケジョ
「間違えた」――そうはっきり思ったのは、ついさっきだった。
私は、自分で言うのもなんだけど、人生におけるいろいろなシーンを実に上手に乗り切ってきた。
もともと主体性なんてなくて誰かの真似しかできない性格だから、小、中、高とそこそこのグループに入り込んで、目立たず騒がず。ずばり私の名前を言っても首を傾げられることは少なくなかったけれども、グループのなかで一番目立つ子の名前をあげて、仲良くしてもらっているんです、と言えば、「ああ、そういえば」と思い出してもらえる。それが私のポジションだった――大学に入るまでは。
隣の県の、Fランまではいかないと信じたい私大。「人間」と「社会」と「文化」と「コミュニケーション」と「科学」を名前に入れておけばいいだろうと、そんな安易なノリっぽい理系とも文系とも言い難い学科ならば、たぶん、目立たず騒がず、でも、強調はされない程度に目立てて、いい大学生活を送れるのではないか。私の選択は、間違えていなかったと思う。
だが、私は「間違えた」。
原因は、しいて言うならば、かなり遡っちゃうけど、私が生まれた家だ。
入学式のあとのオリエンテーションで、強制的に学籍番号順に座らされた席。学籍番号は姓の五十音順だ。私がカ行で始まる名字の家に生まれていなければ、こんなことにはならなかった。
そう、カ行の家に生まれなければ私は、隣に座った“親友”に声をかけられることもなかっただろうから。
高校、何高校? え、隣の県? じゃあ一人暮らし? どこ? あ、うちんちの近くだ!――ちょっと派手めだけれども、きれいな子だと思った。きれいだけれども、ざっくばらんで、おっさんみたいなところがあるのにすごく女だった。
きらきらしていて、ほがらかで、美人。
地元の子だから同じ大学に来ている友達がたくさん、うちの学科はもちろん、それ以外にもいて、ほどなく親友はそういう地元の女子グループの中心メンバーになった。そして、親友に親友として認められた私も、そこに。
――ところで、私は最近よく思い出す。
『ローマは一日にして成らず』
まったくだ。まったくもってそう。
親友がいったいいつから「きらきらしていてほがらかで美人」として台頭したのか知らないけれども、ちっちゃなころからの本当にちっちゃな積み重ねが親友をつくったのだ。
親友は本物だった。
ファッションもヘアメイクもメイクも、さりげないアイテムもコスメも、かわいいお店もおいしいお店もドリンクもフードも、親友のマイブームはすべて世のなかのブーム。しかも親友はぜんぶ先取りだった。
ネコもシャクシもどころか、私のまわりのブームは親友がすべてつくる。
私はそんな親友の真似を後追いで、世のなかの足並みにそろえてしておけばよかったのだ。
今思えばネコでもシャクシでもよかった。ネコの何が悪い。シャクシの何が悪い。ネコはかわいいし、シャクシは……シャモジだよね。シャモジもいいじゃあないか。
なのに私は、親友にほめられたのをきっかけに「間違えた」。
――マーちん、それ、めっちゃよくない? グロス、その色めっちゃきれい! マーちんアイラインうまくてめっちゃあこがれだけど、だいたいどことってもいいチョイスだよね! あたし好きだわー、マーちん。
メイクなんて、ぜんぶ適当だった。コスメコーナーのきれいな店員のおねえさんたちの真似を適当にしていただけだった。私は、真似だけはうまいのだ。
親友にほめられた私は、どうしてか、俄然やる気になってしまった。
漠然と見ていたコスメコーナーのおねえさんたちを徹底的に見つめて、研究して、とことん真似るようになった。当然、親友にほめられるために。
マーちんめっちゃかわいい! 服のカラー合わせたらもっといけるよ!――メイクの次は服だった。
そういえばコスメコーナーのおねえさんたちは制服で、じゃあ、服は何をどう合わせればいいのか、と、さらに研究した。
私は、真似だけは本当にうまいのだ。
先取り、先取り、先取り、先取り。ブームを先取り。
私は親友とともにグループの中心となった。ちやほやされた。
それを楽しんだかというと、私は同時に起こっていたやっかみのような陰口の方が気になって気になってしかたがなかった。だって私はもともと目立たず騒がずが信条だったのだ。
親友をやめることはできない。だから、先取りもやめられない。親友にほめられるように、少しでも聞えよがしな陰口が減るように、上手に上手に上手に、そっと。
大学の四年間、私は必死だった。
周りにあるのは親友からのほめ言葉と陰口。視界に映るのは少しずつブームを先取りしたものをまとったショップのきれいなおねえさんたちの姿。
就活の時ですら私は見栄えを気にしていて、それでもなんとか就職できて、無事大学を卒業した。
卒業式、解散の瞬間までグループの中心にいて私と並んでいた親友は、謝恩会が終わったその足で、「これから入籍! 行ってくるねー!」と、いつの間にかできていた年上のカレシとともに役所へいき、その翌日には、夫となったカレシとの新居へ引っ越していってしまった。
いつだって私をほめちぎっていた親友は、いったいいつの間にカレシなんてつくっていたのだろう。
私は首を傾げながら、ほとんど帰っていなかった実家に帰り、社会人になった。
社会人になったところで私は変わらなかった。
週一で親友に連絡して、インスタ越しに自撮りをほめてもらって、評価を気にしながら働いて。もちろん、ブームの先取りに余念はない。
毎日毎日目立たず騒がず、周囲の目を気にしながら、前と先を見る――
「どいて」
――鏡に映った顔から目をそらして、映り込んだ顔を見る。
誰? 私?
「どいて、って言ってるの」
振り返る。
見慣れた制服。いや、ずっとずっと前に見慣れていた制服を着た……私、か。
重たい真っ黒の髪。額を大きく出していてあらわになった抑揚のない地味な顔。高校生になりたての私は、ただ、清潔さだけが取り柄だった。目立たず騒がず。
「なにやってんの? どいてって言ってるでしょ」
「どいてって……」
「いつまでも鏡の前に張り付かないでよ。もう顔つくれたでしょ」
「つくれたって……」
うつろに応える私に高校生の私は、到底私らしくない聞えよがしのため息をついて、鏡見なよ、と言った。
「まだ肌寒いのに、なんか寒々しい薄着で白っぽい顔つくって、バッカじゃないの? おねえちゃん」
おねえちゃん?
「……サト、ちゃん?」
妹。そう、私には妹がいる。
でも、十歳も下で、高校生じゃあ……いや、ちがう、高校生だ。高校生なんだ。そういえばそんなことを言っていた。母が、私をあきれたような目で見ながら――もう、あなたも子どもじゃあないんだから、ちょっとは落ち着いたら? 仕事もしているのに、いつまでも大学生のような顔をして、これからどうするの? サトコの方がよっぽど落ち着いているでしょ。あなたより十も下で、まだ高校生になったばかりなのに。
鏡に視線を戻す。
かつて見慣れていた私よりも近いところに、むしろ真っ正面に、知らない女の顔があった。
“私”よりもずっときれいかもしれない。でも、とてもみっともなかった。
確かに“私”が言う通り、肌寒いのに、夏の初めのころかと思うような優等生的オフィスカジュアルをまとった、つくりもののような女。
だいたい今日は何月何日何曜日?
「いい加減どいてくれる? おねえちゃん。部活に間に合わない」
「部活……」
「陸上部。運動部はだいたい日曜日も部活だって。おねえちゃんも休みの日まで仕事に出て何しているのか知らないけど」
日曜日。休み。そうか、今日は日曜か。でも、日曜でも私は職場に出て、仕事をしているような気がしている。
だって、誰もが休んでいるならばともかく、半数くらいは出勤しているのだから出ないわけには……どうしてそう思うのだろう。
目立たず騒がず、多数派の輪からはみ出ないように、そのなかで常に中心でいられるようにブームを先取りして、そこそこイケてる女でいられるように。
いったいなんのために?
「……間違えた」
「は? おねえちゃん? どうしたの? おねえちゃん? おねえちゃん!――ちょっと母さん、おねえちゃんが!」
私が私から離れていく。
やっぱり私は間違えていたのだ。
私がなりたかったのかもしれない女が鏡のなかで薄っぺらく笑っていた。
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