第5話 魔王様、たこ焼きを食べる

 弥勒が克也の軽トラに逆ヒッチハイクされから十数分の時間が経っていたが、車内はいまだに大騒ぎだった。

 まずラジオを付けると一騒動が起き、次にカーナビが道路案内をするとまた一騒動。

 克也の携帯端末に連絡が入ると――ちゃんと路肩に車を止めてから内容を確認している。交通ルールを守りましょう――更に一騒動といった具合で、次から次へと好奇心を刺激された弥勒が克也を質問攻めにしていた。


「はあ、ロクちゃんよくそれだけいろいろと疑問が思いつくな」


 弥勒の質問はシステムの根本的な部分を突いたものもあり、それがあって当たり前の生活を送っていた克也には答えられないことが多々あった。

 ちなみに克也は〈弥勒のあんちゃん〉を略して〈ロクちゃん〉と呼ぶことにしたようだ。


「様々なことに興味を持つのが若さを保つ秘訣だからな。そして世界は不思議に満ち溢れている。カツも一緒にどうだ?老いている暇などなくなるぞ」


 一方の弥勒の方は〈カツ〉と呼んでいる。

 略称という点から見ると元々三文字しかなかったものをわざわざ一文字減らすことに意味があるのかは微妙な所ではある。

 しかし愛称という点では効果があったようで、二人の距離は確実に縮まっていた。


 もちろんごく一般的な友人同士という意味であり、腐ったものではないのであしからず。

 そしてまさか本当に数百年に渡ってそんなアンチエイジング方法を実践しているとは思わず、克也は「機会があれば」とだけ返していた。


「うわ、いい場所にありやがるなコンチクショウ!」


 ふと目に入った看板に悪態を吐く克也の言葉に釣られて弥勒が前方を見やると、そこには蛸と思わしき生き物の絵が描かれていた。

 克也はかれこれ数十分弥勒の相手をして口を動かしていたので、何となく小腹が空いたような気がしていたのだが、その看板を見ることによって自分が空腹であることを完全に理解してしまったのである。


 しかもその店は道の左側にあり、しかも駐車場まで完備してあった。先程の悪態は本来なかった出費に対してのものであり、そして同時にそれを抑えられないであろう自分へと向けられたものだったのである。


「ロクちゃん、たこ焼き買うけど食うだろ?」

「食ってはみたいが、金がないぞ。一応金目の物ならいくつか持ってきているが……」

「いいよ。ここは俺が奢るから」


 既にたこ焼きを食べるのは決定事項になっていた克也は、そう言って弥勒の言葉を途中で遮った。

 数千、数万円ということなら考えるが、高々数百円だ。気の合った相手に奢るのは何の問題もない。

 むしろそういう時の為に普段の節約をしているのである。


「奢ってくれるのはありがたいが、蛸というのはあの足が何本もあってうねうねしている奴だろう?食べられるのか?」


 看板の絵は大分デフォルメされているようだが、実物をまじまじ見ると結構不気味なものがある。

 さらに元の世界だと体長数メートルから数十メートルにもなる大蛸――もはや怪獣か魔物である――が棲息している為、蛸を食用にする文化は殆どなかった。


「ん?たこ焼きも食ったことがないのか。……へへ、それじゃあきっと驚くと思うぜ」


 弥勒の疑問に克也は人の悪い笑みを浮かべるだけで、明確な答えを返すことはなかった。

 車を停めると二人は連れ立って店の前に向かう。その場で食べる人用になのか、大きめのひさしの下には小さなテーブルが一つと数脚の椅子が置かれている。

 店の中では大きな鉄板の向こうに老婆が一人座っていた。


「ばあちゃん、たこ焼き二つ頂戴」

「はいよ。たこ焼き二個だね」

「何でだよ!?普通は二パックだろう?」

「ふふん、甘いね。うちのは舟形の容器だから数え方は二舟さ」

「知らねえよ、そんなこと!」

「あっはっは。いいツッコミだね。それぞれ一個おまけしておいてやるからちょっと待ってな」


 克也と軽妙な会話を繰り広げたかと思うと、老婆はその外見に似合わぬテキパキとした動きで準備を始めた。


「カツ、彼女は一体何者だ?」


 その流れに一人乗り遅れていた弥勒が問う。


「あのばあちゃんはここの名物店主さ。本場のオサカ出身らしくて、隙あらばああやってボケを入れてくるんだ」


 と紹介をしてから、先程のやり取りについても説明する。


「つまり普通は入れ物単位で数える所を、彼女は一個単位で数えた、と?」

「そうそう。それで次に入れ物の形で呼び方が変わることを利用して更にボケたっていう訳だ」

「ちょっとちょっと、馬鹿丁寧に分析するなんて止めておくれ。そんなのノリと勢いで笑っておけばいいんだよ」


 苦言を呈しながらも老婆の動きは少しの乱れもない華麗なものだった。

 いつしか二人はその手捌きに見入っていた。


「はいよ。たこ焼き二舟お待ち!出来立てで熱いから気を付けて食べな」


 老婆に代金を払い店先のテーブルに陣取る。

 湯気と共にいいにおいが立ち込めていく。


「これは……何ともいえない香りだな」


 たこ焼き本体の粉物が焼けるにおいにソース、マヨネーズ、青のり、鰹節のにおいが重なり混ざり合い、複雑だが食欲を刺激するものとなっている。


「冷めないうちに食っちまおう」


 においをかいだだけで幸せそうな顔をしている弥勒を余所に、克也は爪楊枝が刺してある一個を口に放り込む。

 火傷をするのは論外だが、たこ焼きは出来立ての熱々を食べるのが一番だと思っているので割ったりはせずに一個丸ごとである。


「はふっ!はふっ!」


 口の中で冷やしながらソースなどの表面の味を楽しむ。

 そして多少口の中がこなれてきた所で噛みしめて本体とその中に隠されている蛸を存分に味わっていく。

 久しぶりに食べたが、相変わらず美味い。


「あー、俺もその食べ方をしなければいけないのか?」

「口の中を火傷するから止めときなよ。割るなりして少し冷やした方がいいね」


 ほふほふと口の中に空気を送り込みながら咀嚼している姿を見て、呆れたように尋ねる弥勒に答えたのは店主の老婆だった。


「そうか。……ああ店主、一つ聞きたいのだが、蛸は一体どこに行ったのだ?」

「それも割ってみたら分かるよ」


 老婆の言に従って一個を割ってみると、


「これか!ほうほう、吸盤があるということは足の部分を小さく切っているのか」


 たこ焼きの名の由来である蛸の足の切り身が出てくる。


「うちは大きめにしてあるから食べ応えがあるよ」


 その言葉通り、口に入れた蛸は抜群の味と触感を持っていた。

 そして残った粉物の部分も外はカリっと焼かれているのに中はふんわりトロトロとしていてまさに絶品だ。


 それからはもう食べることに夢中になっていた。二個目はばらばらに食べた蛸と粉物とを同時に食し、三個目はソースたっぷりで、四個目はマヨネーズ増し増し、五個目は……しかし、至福の時間は唐突に終わりを告げる。


『ずるいっす!旦那だけ美味しい物食べてずるいっす!オレもたこ焼きが食いたいっす!!』


 ふと眼を上げるといつの間にかテーブルの端に一羽の雀が、いや誤魔化すのは止めよう。ジョニーが居座っていた。

 大声で喚き立てていたので、内容が分からない克也と老婆の二人も何事かとジョニーを見ていた。


「ロクちゃん、この雀ってさっきロクちゃんの肩に止まっていた奴か?」


 克也は軽トラに乗る時に飛び去ったジョニーのことを覚えていたようだ。


「そのようだ」

「気のせいかもしれないけど、たこ焼きを要求しているように見えるんだが……」

「そのようだ」


 そして会話が途切れる。

 克也の方は余りに現実離れした状況に頭が付いていっていなかった。

 一方、弥勒はというとどうやってこの場を収めるか思案していた。


 他に人がいなければジョニーにたこ焼きを分けることは、若干ムッとはするものの何の問題もなかった。

 しかし、今は目の前に克也がいて、店の中には老婆もいる。

 一先ずここはジョニーに我慢させるというのが一番いい手なのであろうが、さてどうしたものか。

 悩んでいると、予想外の人物から助け船が出された。


「他の野良がやって来ると困るから餌付けは禁止しているんだけど、落っことしてしまった物はどうしようもないよねえ」


 振り返ると老婆はいい笑顔でサムズアップしていた。


「ばあさん、かっけえ……」


 そして老婆の男前っぷりに克也が恋する乙女になっていた。


 弥勒は小さく頭を下げると、自分のたこ焼きに向き直る。

 正直に言うと残り少ないたこ焼きに未練はあったが、彼女の厚意を無駄にする訳にはいかない。

 それにここで駄々をこねては魔王の威厳にかかわる。


「おおっと!?」


 口に運ぶ途中で少々大袈裟にたこ焼きを落とすと、ジョニーが慌ててテーブルの下へと飛び降りていく。


『美味い!美味いっすよー!』


 がつがつと一心不乱にたこ焼きを啄ばむ姿に誰からともなく笑いが起きる。


「ロクちゃんさあ」

「何だ?」

「演技下手だな」

「やかましい」


 ニヤニヤと笑う克也を眼の端に追いやり、残るたこ焼きに舌鼓を打つのであった。

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