第4話
二人はその爆音の方向へばっと振り向いた。
二箇所から煙が立ち上り、炎の輝きが見える。
鳥が飛んでいる。しかし、その鳥はあまりに巨大だ。
「魔物……!」
ミシマネルト市はその周囲を巨大な壁と、地脈を利用した結界で覆い魔物の侵入を妨げている。それらが破られたとしたら、警報が鳴り響くはずなのだ。
星司の脳裏に、朝のソウシとの会話が過った。
魔物の違法取引業者。特殊な魔道具を使って市の結界をすり抜け、魔物を街に持ち込んだのか。
(カーバンクルか何かだと思ってたがあんなのまで取り扱ってやがるのか……!どうやって街に持ち込んだ。魔道具か、空間魔法か、それとも……。いや、こんなこと考えてる場合じゃねえ、今は!)
「クレア!」
クレアはすでに変化の魔法を解き、その下半身を大蜘蛛に戻している。そして近くの建物に登り、その八つの目で騒動の場を睨む。
「ホーク系三、ベアー系六、ウルフ系多数!魔物の発生箇所は大きく分けて二つ!ここから視認できるのはこれだけです!警察の方々が戦っておられますが数が多すぎて対処しきれていないみたいです!そして」
ここでクレアは少し唇を噛む。
「あそこは、居住区です」
「わかった。クレアは市民の救助と避難を中心に頼む。俺は騒動の中心に向かう。一匹付けてくれ。」
星司は即座に指示を下す。
弓を持っておらずともクレアは強いが、それでも戦闘力は落ちる。戦闘に参加させるよりも救助活動にあたってもらった方が良い。彼女は種族特有の鋭敏な感覚と何より、使い魔作成スキルを持っている。蜘蛛は全て彼女の目となり耳となる。彼女ならば、建物の下敷きになった人も見つけ出すことができる。
「わかりました!」
クレアはその指示を受けて屋根から屋根へ、飛ぶように移動していく。その姿はすぐに見えなくなった。
「……さて」
星司は腰に挿していた一本のナイフを抜く。『
魔力を体に満たし、身体強化をかける。
姿勢を低くし、構え、真っ直ぐに騒動の場を見て、言う。
「誰も死なせねえ……!」
星司は、一陣の風となって消えた。
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「ヒイッ、誰か助けてくれえ!」
「怖いよお母さん」
「し、死にたくない!」
何人かの市民が壁を背に、彼らが剥製や毛皮、映像でしか見たことがない魔物に囲まれていた。彼らとて無抵抗だったわけではない。護身術として修めていた魔法を使って倒そうとしていた。
無理だった。魔物は彼らが思っていたよりもはるかに素早く強靭で、ほとんどの魔法は避けられ、当たってもほとんど無傷だった。それらの魔法は魔物たちを怒らせるだけに終わっていた。
彼らを囲んでいた魔物が、今にも飛びかからんと姿勢を低くした。
市民の誰もが己の死を予感した。彼らの顔が一様に絶望に染まる。
そして、ついにその時は来た。ほぼ同時に、百八十度から魔物が彼らを襲う。
誰もが目を瞑り、もう逃れようのない現実を遠ざけようとした。
しかし、彼らが逃れられないと思っていた、事実彼らではどうしようもなかった現実は彼らの元には訪れなかった。
風。一陣の風が吹くのを彼らは感じた。彼らが恐れた爪も牙も、感じない。
恐る恐ると、誰ともなしに目を開けた。そして、その光景に息を飲む。
先程まで生きていたものの残骸。彼らの命を奪わんとした魔物は首を切られ、地に伏していた。その中に一人、両手に同じ形状のナイフを握った青年が立っている。そのナイフには一滴の血はおろか、わずかな油すら付着していない。
「皆さん、お怪我はありませんか」
「あ、ああ。き、君は」
「育成校所属、正狩猟者の聖野星司です。皆さんの保護と避難に来ました」
ああ、息を洩らす。狩猟者。魔物狩りのプロが助けに来たのだ。自分達は助かったのだと安堵した。
「じゃ、じゃあ早く安全な場所まで誘導してくれ」
「そのことですが、私は皆さんを誘導することはできません」
星司の言葉に、市民は騒ついた。その中の一人の男が星司に怒鳴りかかる。
「どういうことだ!緊急時の市民の保護はお前ら狩猟者の義務だろうが!」
「魔物の数がだんだんと増えています。魔物発生の元凶を止めることもできず、討伐の手も足りていないということです。それに、逃げ遅れている方が、まだいらっしゃいます。私はそちらに向かわなくてななりません。それに、私が誘導できないだけで皆さんを安全に誘導する手段はちゃんと用意してあります。肩を見てください」
「なん、うおっ⁈」
星司の言葉に男が肩を見ると、一匹の蜘蛛が乗っていた。蜘蛛はその場の市民全員に付いている。
一人が蜘蛛を払い落とそうとするのを星司は慌てて止める。
「払わないで!皆さんの肩の蜘蛛は私の仲間の使い魔です。その蜘蛛が皆さんが魔物に遭遇することなく安全な場所まで誘導してくれます。万が一魔物に遭遇しても蜘蛛を介して魔法を放ち、皆さんをお守りします。ですので、どうか私が皆さんから離れることをお許しください」
そう言って頭を下げる星司に、男は少し悩んだ末に頷いた。
「……わかった。俺たちは蜘蛛に従って逃げる。だから、早くこの騒ぎを終わらせてくれ」
「ありがとうございます。皆さんも、どうかお気をつけて」
そう言って、星司の姿が消えた。彼らの目には追いきれないほどの速さで、彼が言った通り魔物を狩りに向かったのだろう。
肩に乗っている蜘蛛がピョンピョン跳ねている。どうやらここから早く離れろと言っているらしい。
誰からともなく立ち上がり、蜘蛛の指示に従って避難を始める。
角を曲がり、その光景を見て絶句した。
魔物が死んでいる。決して少なくない数の魔物が、その首を切られ死んでいる。中には、四肢も全て切り落とされたものもいる。
これをやったのは、おそらく先ほどの……。男は、自分達を助けた少年が予想をはるかに上回る強さを持っていると理解した。
そして、彼が事態の収束に動いたならば、もう大丈夫ではないか。そう思った。
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「フッ、ハッ」
迫り来る魔物の群れを、深緑の髪をなびかせながら槍で斬りはらう美貌の少年がいる。鏑ソウシだ。
魔物たちは彼の間合いの内側に入ることなく、その命を散らしている。
傷一つない彼だったが、その表情に余裕はない。違法取引業者の男が転移の直前に置いていった魔法陣から現れる魔物の数があまりにも多い。周りの警官たちには住民の避難を頼んだが、圧倒的に手が足りない。このままでは被害は拡大する一方だ。
そして、問題はそれだけではない。空から降る風の刃がソウシを襲う。そこには巨大な鳥の魔物が地上を睥睨していた。
他の魔物はただ暴れているだけだが、空の怪鳥は違う。魔法陣に近付くものだけを攻撃している。どうやら、業者の男の使い魔らしい。
今はまだ周囲の魔物を捌きながら空からの攻撃にも対応できているが、それもどれだけ続くかはわからない。ここの彼がやられれば討ち漏らす魔物がさらに増える。
(ミーナは向こうの魔物の対処を自分としている。向こうにはあの鳥が二羽もいる。すぐには来られない。警察の護衛に割いているのを一人減らして来させるか……駄目ですね。自分だけでは空を飛ぶあれを仕留めることは難しい。ここは増援が来るまでなんとか耐え切って……む)
気づくと、ソウシの肩には一匹の蜘蛛が止まっている。その蜘蛛は自分の後方を指し示し、その後に脚を上にあげた。
ソウシは蜘蛛の合図を受け、探知の範囲を広げる。そして、自分の後方から高速で接近する、親友の魔力を感知した。
「ソウシ!」
「セイ!」
ソウシは接近してきた鹿のような魔物の脚を刈りながら、地面スレスレの低さに槍を滑らせる。
そして、槍を手に百八十度回転した時、そこには星司がいた。
星司は槍の柄を踏みしめて腰を下げ跳躍の姿勢をとる。それに合わせて、ソウシは槍を跳ね上げる。
星司は空高く打ち上げられ、怪鳥に迫る。その周囲には何本ものナイフが浮遊している。
いくら速いと言っても、ただ直線に打ち上げられただけの星司を避けることは怪鳥にとってあまりに容易いことだった。
なんの危なげもなく星司を躱し、風の刃を放とうとすり。だが、攻撃を放とうとする直前、その目にナイフが突き刺さる。怯む怪鳥をナイフが次々と襲う。
一定時間だけ実在を保つ、本体と同じ複製品を無数に生み出しそれを自在に操る。これが星司の得物、魔道具『千刃』の基本能力だ。
ナイフ一つ一つは怪鳥を倒すには至らない。だが、魔法の詠唱時間を稼ぐには十分なものだった。
「〈疾風、翼無き身、押し流せ〉』
風に乗り、怪鳥に迫る。
そして一閃。怪鳥の首から血が溢れ、怪鳥が地に堕ちる。星司も一緒に落ちるが、その速度は途中で急速に遅くなる。怪鳥もそうだ。減速しながら方向を変えて落ちて行き、一切の被害を出さずに着陸した。
遠くの屋根に銀の影が見える。星司は着地すると肩の蜘蛛に礼を言い、すぐさまソウシの元へ駆け出す。
ソウシはすでにその場にある十の魔法陣のうち七つを破壊していた。怪鳥による妨害さえなければすぐにそうできるだけの実力がソウシにはあった。
魔物たちが接近に気づかずソウシに気を取られている隙に、星司は素早く残りの魔法陣を切断する。
「セイ、ここはもう大丈夫です!これ以上増えないのなら自分一人で対処できます。向こうの増援に行ってください!」
「わかった!ソウシ、無茶すんなよ!」
それだけ言い残し、星司はもう一箇所の魔物発生の現場へ向かう。
事態は少しずつ収束に向かっている。だが、まだ終わってはいない。
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