第4話 捨てる人、拾わない神

 本日二度目の巨大なオーロラクリスタルの反応を見過ごさなかった軍の部隊がやって来て、今度こそ連行されてしまった。猛スピードで基地へ向かう航空機の中でぼんやりと窓の外を眺める。

(シスター、あのままにしてきちゃったけど、大丈夫だったかな……)

 今は大きな問題を考えたくない。隣で手錠と腰縄を付けられ座っているミグがこれからどういう待遇を受けて、彼がどういう行動に出るかなんてことは。


 軍基地内の一室、緊急に開かれた会議で半円状に配置された机に向かい、一同を眺める。

 よくもこれだけ集まったというくらいの豪勢な顔ぶれだった。事務方まで含めて軍属のお偉方がぞろぞろと並んでいる。既に宇宙へ逃げているからか、モニターとスピーカーが設置された机もあって、壁際には立ち見まで出ている。

「――以上。小官としては最善を尽くしたつもりです」

 事情をすべて説明した。

 と言っても話は難しくない。古代の勇者が蘇って人類を滅ぼそうとしたのでそれを止め、飛来天体を破壊してもらう為現代に愛着を持ってもらえるよう促していた。そして失敗に終わった。難しくはない。信じがたいだけだ。

「結局、彼にも飛来天体はどうにもできないと、本人が証言しています」

 本当にあの少年が勇者であると信じるかはともかくとして、只者でないことはすぐに伝わった。あらゆる検査の結果、ごく普通の人間であると同時に彼の意思次第でその計測結果が覆ることが判ったからだ。おばさんが送ってくれた今朝の戦闘データと折れた剣核もダメ押しになった。

 ミグは不気味なほど大人しく従っていて、今も検査へ連れて行かれたままになっている。軍部に任せれば最終兵器か永久電池にされてしまうだろう。神以外の命令に不快感を示す彼は今何を思っているのか。

 報復に出るかもしれない。彼がその気になれば現代文明なんて一瞬にして消し炭だ。飛来天体の到着を待つまでもない。

 そんな想像をしても、もう悪寒は来なかった。

(どうせ滅んじゃうんだもんなあ……)

 自分を置いてきぼりに紛糾する会議を眺める。

 方針はやはり勇者を飛来天体にぶつけるか、それとも拘束しておくかの2点に絞られていった。

(どっちも現実的じゃないんだって……なんでわからないかな)

 結局自分への処遇も含めてすべては〝保留〟と決まり、退室した。もう二日しか残されていないのに、のんびりしたことだと胸中で吐き捨てる。

 廊下に出るなり、走る。

 目指すはミグが囚われている場所。機動腹帯コルセットは取り上げられたので位置を検索してもらうこともできない。

「はーい。こっちこっち」

 廊下の先でおばさんが手を振っていた。軍基地内なので兵器開発主任のおばさんは余程の機密エリアでなければ自由に通行できる。

 近くまで走っていくと、迎えに来られて抱き締められた。

「守ってあげられなくてごめんなさい」

 いつでも優しいこの温もりに、いつだって心は救われる。

 しかし今は安らぎに浸っている場合ではない。

「いいから、それより勇者さまはどこ? っていうか、なんでその人がココにいるの?」

 おばさんはシスターメイアイを連れていた。軍基地内に入り込んだ過激派狂信者はニコニコしている。

「初めて中に入れましたわ」

 表までは来たことがあるらしい。とりあえず火炎瓶を持っていないかが恐い。

 とりあえずおばさんの説明を聞く。

「ハルが捕まったって聞いて急いでここに来る途中、基地の外でずっと祈ってるのが気になって話しかけたら、『勇者』がどうとか言うじゃない? それで話を聞いて役に立つかもと思って連れて来たのよ。私たちよりもずっと彼には詳しいんだし」

 おばさんは学者としてすべての知識に敬意を払う。それでも彼女を招いたことが正解なのか自信が無いようで気まずそうに頭をかいてから、廊下を先立って歩き出した。

「へえ、基地外にいたんだ」

 横目で顔を見ると、笑顔のまま凄みを出してきた。

「なにか含みのある物言いですわね?」

「ううん、別に……」

 彼女のせいで今の状況に陥っていることは事実ではあるけれど、それは多分いつか起きることだった。彼女を責めるのは八つ当たりと変わりない。

「じゃあふたりとも、ココにいるっていうことは『全然諦めてない』ってことでいいの?」

 これにはふたり同時に頷いた。

「対消滅エンジンをこのまま使っていたら危なそうだってわかったらね。気化トータルアモルファスが自然分解しないなら人工的にどうにかする装置を――もう次のことを考え始めているわよ。気化オーロラクリスタルと混合して、対消滅エンジンの燃料に戻せたら満点」

「神の使徒たる勇者ミグ様に不可能などありませんわ。この危機を乗り越えた先に、我ら信徒の復権があるんですもの。諦める要素が一体どこに?」

 なるほど、と頷き返す。ふたりの想いはわかった。

(あたしは……どうなんだろ)

 ミグと戦って、自分とは絶望的な差があることは身に染みてわかっている。その彼が飛来天体を更なる絶望だと言ったのだから、どうもしようがないのではないだろうか。

 神に祈りたい気持ちが少しだけわかった。


 ミグが囚われていたのは研究フロアだった。つまりおばさんのホーム。匿ってくれていたのかと思ったら、彼は檻の中に入れられていた。

「ああ! なんということを! 不敬を働く人類に災いあれ!」

 膝を床について嘆くシスターメイアイに、今ばかりは同調する。

「ちょっと、彼は別に罪人じゃないのよ?」

 一方おばさんは冷静だった。

「猛獣だって監禁するでしょう? 制御できない力はこうするしかないのよ。……ここの様子はカメラで幹部連中が見ているんだから、言動に気を付けなさい」

 そんなことでは納得がいかない。シスターメイアイと一緒に手当たり次第檻に物をぶつけるのもいいけれど、それよりも中から破ってもらったほうが早い。

「ねえ、さっさとそんなトコ出てきなさいよ」

「……どこへ行けばいい」

 何よりもこの状況に怒りそうなミグは見るからに落ち込んでいた。床に腰を下ろし、膝の間に頭が入りそうなくらい俯いている。

「我は神の兵。次なる災厄の為に封印された救済だ。だがこの世界を救うことはできない。あれは無理だ。本当に無理だ」

 すべてを諦めたその姿が今朝の自分のように思えて、尚更腹が立った。

「勇者が何を諦めてんのよ! あたしたちはアンタに期待してんのよ?」

「いかにも我は勇者だ。だが貴様らの勇者ではない。……そうはなってやれない。すまない」

 危機を払って世界を救う、アイデンティティを失って心が折れてしまっている。

「そう……。じゃあ別に、救わなくてもいいよ」

 言うと、周りが動揺した。

「ハル! アンタ言ってること違うじゃ――」

「なにも違ってない!」

 大声で制した。

 今の言葉は勇者を慰めたくて言ったわけではない。本心だ。

「あたしはアンタにこの時代を好きになって救ってもらいたかったの! 好きにならないんだったら救ってもらわなくていい!」

 さっき祈りたくなった神を今は呪う。

(あたしたちはこれでも一所懸命生きてるのに……神様が本当に要るんなら、どうして救ってくれないの?)

 自分の信徒がこれほど落ち込んでいるというのに、手を貸す様子がない。そんな物は実在しないも同然だ。

「この時代はあたしが救うから、アンタは好きに過ごせばいい。この時代にいっぱいある楽しいこと、全部体験しなさいよ」

「……嫌だ!」

 勇者が檻にしがみ付いた。瞳から力強さが消えて、見た目相応の子供らしさが表に出る。

「我は英雄だ。そうでなければどうして生きているのかわからぬ。生きていいのかわからなくなる。だから、嫌だ! 我に英雄をやらせてくれ!」

「そうですわ! 神の兵は天命に従うべきでしてよ!」

 安易に歓声を上げるシスターメイアイを睨む。

「生まれたときから勇者だったって言うならそれでいいけど、そうじゃないから人間の部分はあるでしょ。押し付けられた役割だけしかやっちゃダメなんて、神が許してもあたしが許さない!」

「貴様、神に背くようなことを――」

 檻の隙間から手を突っ込んで、顔を挟んで黙らせた。

「アンタ本当にやりたいこと何もないの? 『人類を粛正するんだ』って言うんならそれでもいい。何かひとつでも夢叶えて幸せになってよ。あたしはそういう人がいる世界を守りたい。義務感じゃなくて、この世界は命を懸けて守る価値があるんだって、思わせてよ」

 語気を強く語りかけても、勇者の瞳から弱気が出ていかない。

「無論、我は世界を救いたい。だがあれは無理だ。……無理なのだ。空の向こうから来る脅威は神の手中を超えている。この星の力を集めた我では歯が立たん」

「できるかどうかじゃなくって、やりたいことを聞いてるの。ねえ、ミグ! あたしと――」

 隣でハラハラした顔で様子を見守っていたおばさんとシスターメイアイを捕まえて、強引に肩を組む。

「あたしたちと世界を救う気がある?」

 現代と神代の力を合わせて協力すればどうにかなるかもしれない。そういう算段があるわけではなくても、ただ彼に奮起してほしかった。

 このまま落ち込ませたままにしておくなんて我慢ならない。神に期待はしない。今ここにいる、目の前の勇者を信じる。

 けれど、ミグは応えなかった。小さな声で「我は」「神が」と呟きながら、世界を支えるなんてできるはずもない小さな掌を見つめている。

「……よし! じゃああたしたちだけで考えよう」

 落ち込みに付き合っている余裕はない。振り返って机を囲む。

「あ、って言っても勇者さまが動かないなら通訳の信者は要らないか。お疲れぃ!」

「のけ者にしようったってそうはいかなくってよ? 私だって信徒を動員するくらいはできますもの。様々な組織に少しずつ、その影響力は侮らないでいただきたいわ」

「とんでもなく大きくて固い物が降ってくるだけだから、対策と言っても難しいのよねえ……。あ、新しい混合剣核は準備させているわよ? 幻燈織機なら製造はすぐだから、何かアイディアがあれば間に合うわ」

 早速頭を切り替えて話が進んだ。

「実際落ちてきたらどうなるかな?」

「アンタ資料読んでないの? 地球ごと、粉々」

 拳をパッと開くジェスチャーは笑えない。そして信者はもっと笑えなかった。

「大丈夫ですわよ! 神がきっとお守りくださいます!」

「あのねえ、それで大丈夫ならなんにも心配ないでしょ? アンタやっぱり帰りなよ」

「おっと、除け者にしようったってそうはいきません」

 話し合いは実は不毛でしかない。明後日奇跡を起こす方法を、それこそ奇跡的に考えなくてはならない。

(ダメだ。やっぱり勇者さまがいないと……)

 奥歯を噛みながらミグを見れば、さっきまで丸まっていた小さな背中が伸びて立ち上がっていた。少しだけ力が戻った目に見つめ返されてドキリとする。なにか確信めいたものを感じる顔つきだ。

「……なに、どうしたの。やる気になった?」

「それはまだわからぬ。よってその意を確かめようと思う」

 なにを言っているのか、こっちこそわからない。

「丁度いい。貴様は村娘ではなかったのだろう? ならば付き添いを許す。我と同じく人に選ばれた英雄にはその資格がある」

「付き添いって、どこへ?」

「……神に会う」

 勇者の掌が目に映る。瞬間、視界が白んだ。



 そこは、この世の果てのような光景だった。見えるすべてが青一色で、昔遊んだVRゲームで景観のデータが読み込めなかったときのことを思い出す。上下の区別がつけられずに平衡感覚が乱れた。

「うぅっ、気持ち悪い……」

 地面すらない足元にうずくまりそうになると、急に肘を掴まれハッとした。隣にミグがいる。

「飛んでいるつもりになれ。元より飛べる貴様なら容易なはずだ」

 機動腹帯コルセットもない状況で指示通りの自己暗示は難しい。それでも掴まれている肘を起点にして自分の重心を思い出せた。

「……ありがとう。落ち着いた。ここがその……天国なの?」

「なんだそれは」

 ひそめた眉にカルチャーショックの気配がする。

「えぇっと……神様が人の為に創った楽園と言うか……」

「神が拓いた大地なら今までいた所だろう。なにを申すか」

 蔑みの目で見られた。

(楽園なら巨大隕石に怯えたりしないっつうの! 宇宙のことも知らないくせに……!)

 もう少し宗教について詳しくなければ、神が実在するとしたうえでの世界を受け入れるのは難しそうだ。撃っても響かないこの有識者への反論はきっと虚しい。

「……それで、神様はどこ?」

 言葉を発した瞬間、頭の中で閃光が瞬いた。

 言葉にできないイメージのようなものが押し寄せ、吐き気がこみ上げる。胃液が口から垂れて、そう言えば今朝のたまごサンド以来何も口に入れていないことを思い出した。

いたずらに苦しめたね。君たちのスケールで接するのは久しぶりで勝手を忘れていた>

 意識がハッキリしたところへ声が聞こえた。

(ううん、声じゃない……?)

 頭の中へ直接響いてくるなにか。見回しても誰もいない。

 いつの間にか隣でミグがうつむき顔を伏せている。

「お懐かしゅうございます。……我らが神よ」

 戦慄する。

<ああ、ひさしぶりだねミグ君。でも違うよ。もう君たちの神ではない>

 声は聞こえるのに、言葉の意味は知っているのに、理解できない。

「ちょっと待って、私にもわかるように話してよ。まず姿を見せなさいよ!」

 何ひとつ掴めない状況に苛立って、つい言葉が荒れた。

「控えろ。神の御前である」

「あたしは信徒じゃない。アンタの神に敬意を払う必要なんてない!」

「神でないとしても、貴様は死に瀕した者の前で喚くのか」

「……へぇっ?」

 意外な言葉に、一気に動揺が冷めた。

 神が、死ぬ。

<事実だよハルハレミア君>

 そのときになって頭に響くこの〝声〟が一切の感情を含んでいないことに気が付いた。

(……空と、話をしてるみたい)

 このひたすらに青い空間がそう思わせるのかもしれなかった。

<ミグ君が言った通り死にかけの身だ。そして君は信仰心を持たない。だが応えよう。『姿を現せ』だったね。そのくらいはまだ叶えられる>

 次の瞬間、目の前に男の姿が現れた。それで、それが神だということを信じられた。

 突然そこに湧いて見せたからではない。その姿は、子供の頃に亡くした父だったからだ。

「なんて、悪趣味……!」

 これは神だ。もしも人間だとしたら、こんな酷いことをできる奴はクズだ。

<いくらなんでも言い過ぎじゃないかな>

 オマケに心まで読んでくる。

<残念に思うだろうけれど、君たちのような情緒に共感はできない。とは言えハルハレミア君が最も安心できる姿をと配慮したつもりだったのだが、失敗したようだね>

 よく見知った父の顔が無表情で語る。そこにまるで人間味が無いことに胸が抉られる。

<君たちが何を求めているかはわかる。でも望み通りにはできないよ。ハッキリと失望するまで、質問に答える程度だ>

 歯を擦る音が聞こえた。勇者の顔色が苦痛に染まっている。

「ではやはり……ファニエル様は」

 そう言えば、神はふたりいるはずだった。教会で見た石像の女神を思い出す。

<ああ、もういない。この星を棄てて旅立ってしまった。人類が信仰を棄てたからとも言えるし、そうでないとも言える>

 勇者が強烈な眼光を向けて来た。「貴様らのせいか」と瞳が責めている。

「し――知らないわよ! だってそんなのずっと昔のことでしょう? あたしに言われたって困るのよ!」

 魔物を滅ぼしたこともそうだ。とっくに葬られた時代の出来事で、自分たちの歴史と地続きには感じられない。

<そうだよ。それに人類が自分たちを支配するものを恨むのは自然なことだ。だってこっちは平気で君たちを滅ぼそうとするんだからね。ミグ君、君だってその仕組みの一つだってことを忘れたわけじゃないだろ?>

 意外に同情的と思った次の瞬間には突き放す。この危機から救ってほしいと願いをかけるには、神は初めから筋違いな存在だった。

 これ以上は顔を見ているのが辛くて瞼を閉じた。声だけにしてしまえば無機的な音は記憶にある優しい父とは結び付かない。

 冷徹でも非情でもなく、ただただ残酷な言葉。

<基本的にはなるがままを見守ってきたけれど、それでも大きくバランスを崩すときがあった。そのたび人類に祝福を与え、或いは魔物から魔王を生み出し、或いは災厄を引き起こすことで調整をしてきた。それが人類には辛かったんだろうね。ある時代から『自分たちを常に救わない神は要らない』と言い出した>

 神に人間的な感情が無いことは幸運だったかもしれない。もし違っていたら、荒ぶる上位の存在として信仰を棄てた人類に怒りが向かっていた。

「何故、それをお許しになられたのか。本来ならその折に人類を打撃することこそ我が主命であったはず。だのに何故」

 勇者が憤っていると声の調子でわかった。やり場のない怒りで震えている。

 彼のアイデンティティが崩された瞬間は、多分その時だったはずだ。神によって与えられた使命を果たせなかった。

<もうそのときに結論を出したからだよ。〝創造主の喜び〟とでも呼ぶべきかな。人類がこの手を離れるなら、もしかするとそのほうがうまくいくかもしれないと考えた。彼らを我々の失敗から解放してあげようと>

 それが願いに似たものなら、神は神らしく人類を愛していたのかもしれない。

<だからこの星に溶けて混じることにした。今はその途中なんだ。魔物さえ滅ぼした人類がいつか真の調和にたどり着くまで、永久に共にあろうと思ったんだよ。ハルハレミア君、君たちが〝新鉱石〟と呼ぶ物はその結果だ。調和とは程遠い使われ方をしてしまったがね>

 何の申し開きもできない。魔物が絶え、神話が終わりを告げたあとの時代でも人は人同士で戦乱の連鎖から抜け出さなかった。

<我が妻ファニエルが正しかったのかもしれない。神を欲しがる別の誰かを求めて旅立った彼女が今どうしているのか。ああ、それだけは気がかりだ>

 声にほんのわずか、感情らしいものを聞いた気がした。

 しかしすぐそれも無機質に戻る。

<さて、話すことはこれですべてだ。君たちはごく近いうちに滅ぶ。それを防いであげることはできない。神の愛も祝福も惜しみなく、とうに枯れ果てた>

 捨てておいて、今更頼るなと言われている気がした。どのみち願いは叶えられないという答えも聞いた。それでも喉を裂いて溢れ出しそうな「助けて」という言葉を飲み込んでいられるのは、言わば現代人の意地だった。

 人類がこれまで歩んできた歴史を、築き上げた進歩を否定して縋りつくなんてまっぴらだ。ここで神に解決されたら神話時代以降の出来事はなんだったのかわからなくなる。だから「救ってほしい」とは絶対に言わない。

 ただし、そこで苦しんでいる彼の信徒には言葉をかけるべきだとは思う。

「神よ、あなたが下すった祝福では世界を救えませぬ。なれば我は、どうすればよいのです」

 ミグが自身の無力を悟る苦しみは現代人よりも深い。なぜなら彼は単に力及ばず滅ぶのではなく、彼が信じる神から貰った力を証明できないことになる。自己嫌悪が自らを背信者にしてしまう。だからずっと消沈していた。

 なのにその想いを汲み取れるかもしれない相手は達観してしまっている。

<どうも、しなくていいよ。ミグ君が粛正しなくても人類は滅ぶ。この期に及んではすべてが無意味だ。神も人も、一度に運命を共にする>

 励ましも慰めもない。

 なら、もうここには用は無い。

「ミグ、帰ろう」

 名前を呼ぶと、こっちを向くのが気配でわかった。瞼を開いてその顔を見つめ返す。

「そんな顔してるんじゃないの。言ったでしょ? アンタは別になにもしなくていいって」

 もう一度目を閉じて神へ一礼する。

「今まで色々やってくれてたみたいで、どうもありがとうございました。あとは人間がなんとかしますんで、まあ見ててください」

 神も勇者も解雇して、何をしても生き延びようとする人間の業を思い知らせてやりたい。

<君にはなんのアイディアも無いようだけれど?>

「でも、生きる意欲があります。絶対死にたくない、っていう」

 きっとそれは神には無い。

 瞼の内側が白んで、最後に<楽しみにしている>と聞こえた。心の底から「なにくそチクショウ」の悪癖が湧き出して来る。



 はっと気が付くと、研究室に戻って来ていた。ミグ檻の中にいる。瞳は相変わらず熱意を消した絶望色で。

 おばさんに肩を揺すられた。

「ちょっと、大丈夫?」

「へぇっ? 大丈夫って、なにが?」

 見れば机に置かれていた様々なものが壁際まで吹き飛んでいる。どうやらいつもの如く、気化オーロラクリスタルの風を浴びせられたらしい。

「アイテールの濃度を上げ神域に似せることで神の御前へと繋げただけだ」

 ミグの説明におばさんはキョトンとする。シスターメイアイは付いて行けるようで、「神に会われたのですか?」と目を輝かせた。

「あー……もしかして、全然時間経ってない?」

 頷くミグを見て、神話時代上の常識に驚かされるのはこれでもう最後にしたいとため息をついた。


 体験したことをまとめて話した。

「神様はもう諦めてる。でも力は新鉱石として健在。……どうすればいいと思う?」

 頼れるおばさんは眉間に寄せた皺に人差し指を挟んで唸る。

「……リンゴの樹を植えたい気分だわ」

 相当追い詰められている。現実逃避から戻って来てほしくて机を叩いた。

「ダメ! リンゴ植えて世界が救われるなら手伝うけど! もっと他にできることがないか、それを考えようよ!」

「ああ……でも、とにかく戦力を結集するしか方法は無いでしょう? 都市機能を麻痺させる覚悟で世界中から対消滅エンジンと新鉱石を集めなくっちゃ」

「うん。バトラー、手配をお願い」

『ですがミレディ、その為には世間に真実を通知する必要があります。その情報を開示する権限を持ち得ません』

 公式情報では軍が――というより自分が飛来天体を撃破することになっている。それが不可能だと言うことを世間は知らない。

「丁度良い。やっちゃ――」

「待ちなさい! パニックになって対策どころじゃなくなる! バトラー、絶対ダメよ」

『はい、マスター。すみません、ミレディ』

「ぐぬぬ……」

 機動腹帯コルセットの管理権限はおばさんのほうが上位に当たる。命令を覆すことはできない。というかそもそも、その情報を開示する権限はもっと上の認証が必要になってくるはずだった。

「じゃあどうすんのさ! 他に方法無いんだよ? ミグはこんな感じだし」

 アイデンティティを回復できなかった勇者は檻の中で神に会う前と同じようにうな垂れてしまっていた。心の芯となるものを失って、再起する様子が無い。

 同じ信徒であるシスターメイアイも同様かというと、それはなかった。神に会ったことをひたすら羨ましがったあともずっとニコニコしている。

「……アンタはどうして落ち込まないの?」

「どうしてって、何も悲観することはありませんわよ? ――これは神が与えてくださった試練なのです! ワタクシたちの魂が善である限り、必ずや乗り越えられますわ!」

「……うわぁ、これだから宗教家って奴は」

 話の流れで軍の発表が嘘だということも伝わったはずなのに、まったく動揺していない。

「世界は神の愛で満ちています。新鉱石さえその片鱗であるならば。対消滅エンジンを主要とするあなた方もまた神の兵。ですからワタクシは勝利を信じています」

 その論は残念ながらちょっと否定できない。確かに新鉱石は使わざるを得ないからだ。

 それでも戦うのは人間の意思だ。だから勝利も人間ものだ。それを神の偉大さの証明にはしたくない。

 そう言うつもりが、言葉が引っ込んだ。ミグが動いたからだ。金属の軋む音を聞いたかと思うと、雑草でも払うような無造作な動作で柵を曲げ檻から出てくる。

「なるほど、試練か。神は『滅びよ』とはおおせにならなかった。試されている、神の御力のその真価を問われている。そう考えるべきであったか」

 スッキリした顔で呟いて、大きく深呼吸を一度。燃えるような眼差しが蘇った。彼の心に火を着けるのは、やはり信徒の言葉であったらしい。

「この時代を生きる者どもよ。貴様らが我と等しく神の兵であるならば、共に戦おう。我は無限なる神の祝福と四界の加護、三十五万の宝玉を身に宿す英雄ミグなり。神の拓きしこの大地を砕かせはせん」

「もちろん、そうですわよ!」

 シスターメイアイが歓喜の声を上げて卒倒した。

 釣られてジンとしてしまっていた気持ちを、頬をはたいて落ち着かせる。

「で、肝心の方法はどうするの? アンタでも飛来天体には敵わないんでしょ」

「ああ、我には無理だ。我だけならばな」

「でも私たちが協力したって――」

 さっきまで打ちひしがれていたはずの、絶望を捨て去った熱意の眼差しに打たれて言葉が止まる。そこには諦めも虚勢も感じない。確信のみがある。

「ねえ、それってまさか……」

 おばさんが期待に浮かされた声で話しかける。

 ミグは頷いた。

「我の他に封印された歴々の英雄を蘇らせる。神の奇跡をひとつに束ねて、我々が勝つぞ」

 失われた神話の時代には多くの災厄があった。それはおばさんからも聞いている。ここにいる勇者が倒した魔王がそのひとつに過ぎないのなら、同じ数だけの英雄が存在することになる。

 希望が見つかった。

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