第3話 過激派と和解せよ

「へぇ、結構きれいな所なんだ」

 街外れにある大きな船をひっくり返したような建物。それがシスターメイアイがの居所でもある教会だった。今時木造建築なんて珍しくて、新造の統一都市ではありえない歴史的建造物に見えてしまう。もちろん来たのは初めてだ。

「ほほう、これは創世記を参考にしたものだな。神は創り出した生物を一度に船へ乗せ、それぞれあるべき地へと送り、最後に降ろした人間の為に船を逆さにして彼らの家とした」

 身綺麗になった勇者がサイズの合わない服の袖をまくった腕で教会を差し、観光ガイドのように解説する。

「うむ。これぞまさしく神の家だ」

 現代にまだ自分と同じ信者が残っていることを喜んで活き活きとしている。

 良い傾向のはずなのに、心の中では未だに「馬鹿馬鹿しい」と思う自分がいる。

「……じゃあ、とりあえず会ってみようか」

 火炎瓶を投げる間違いない狂信者に会うのだからどうしても気分は重い。

 敷地に入ってアプローチを歩き玄関口に着いたところで、突然重そうな扉が派手な音を立てて開き、中から男たちが溢れ出してきた。地方治安局の制服だ。

「神の家から出て行きなさい! この不信心者ども!」

 例のプラカードを振り回しながら例のシスターが躍り出て来た。

 羨ましいサラサラの長髪に顔以外一切露出のない服。なんともまあ、「シスター」と聞いて思い浮かぶイメージそのままだ。年齢はあまり違わないように見える。

 察するに、ここまで護送されてきて最後に「もうやるなよ」と釘を刺したところで暴れ出したんじゃないだろうか。似たような常温で揮発する手に負えない劇薬を今朝からずっと相手にしているのでよくわかる。

「なんと素晴らしい!」

 唐突に、勇者が歓喜の声を上げた。

「神の息にみだりに触れてはならない。厳正に教えを守っているな、この時代の同志!」

 このやり取りだけでうんざりする気持ちを抑え、状況に付いて来れずにいる治安局員たちに階級章を提示する。

「司令部直属特殊攻撃隊所属、ハルハレミア中佐です。以後のことはこちらで預かります」

 釈放されたとは言ってもこのシスターが無罪になったわけではないはずだ。また暴れたことで再逮捕もあり得る。そうなればきっと勇者は怒りだすだろう。

「軍事作戦の一環です。機密事項ですので説明はできません。……お疲れさまでした」

 統一都市では警察機構も軍に組み込まれているので、彼らは上官の命令に逆らえない。説明もなしに強権を奮うなんて大嫌いなのに、今はそうするしかないことが悔しい。

 治安局員たちは何か言いたそうにしながらも引き上げていった。

 さて、本題と向き合わなくてはならない。

「初めての信徒の方ですわね! お立ち寄りいただき感激しましてよ!」

 さっきまでの憤怒の気配を消して、それこそ聖母のようなほほ笑みで勇者の手を取るシスターメイアイ。彼女は多分、コントロールできない。

「さあ勇者さま! 信者がいることはわかったしもう帰りましょうね。ねっ?」

 さっと手を引いた腕がビクとも動かない。物凄い力だ。

「そう急くな、村娘。折角なので熱く神について語りたい」

「保護者の方ですの? ぜひ中でお話を!」

 シスターはもちろん大乗り気で、懇願するような視線を送ってくる。もしかすると自分が世界を救う鍵になるとは想像もしていない。

 早速勇者が上機嫌になっていることからも説得材料に適任だということはわかった。彼女の協力が勇者を破壊者から救世主に変える。うまくいきすぎている気がして慎重になっている場合ではないのかもしれない。

「あら、貴女……」

 シスターの眼に不審の陰が宿る。

(マズイ……)

 飛来天体への切り札として軍の広報に散々出ているので顔は広く知られている。自分で言うのなんだけれど有名人だ。こんなことなら変装くらいしてくるべきだったのに、色々あり過ぎてそんな身近な問題は忘れていた。

「ワタクシは貴女のコト、認めていませんから!」

 唐突な激昂に驚く。

 そう言えばこのシスターは飛来天体を「天罰」と主張しているのだった。それを破壊するのだから守護神などと思うはずがない。

「う、うわぁ~。アンタ良い人~! それでお願いします!」

 もうダメだと思っていたからホッとして涙まで出て来て、ついシスターにすがりつく。シスターは困惑しながら逃げるようにして離れ、勇者ひとりだけを案内しているとわかる素振りで前を歩き出した。

「ワタクシの名前はメイアイ。当協会を設立当初から任されております。少し留守にしておりましたから、この奇跡の出会いを逃さずに済んで嬉しく思っていますのよ」

 正直なところ興味もあった。信者である彼女は歴史学として神話時代を専攻したおばさんよりも専門家だ。混合剣核の修理さえなければここへはおばさんが来たほうがよかったかもしれない。

「さあさあ、どうぞお入りになって? 神の家は愛すべき信徒をいつでもいつまでも歓迎いたしますわ――フンっ!」

 勇者が入ったあとで、扉が目の前で閉じられた。「信者じゃないから歓迎してもらえないのは仕方がない」と自分に言い聞かせて、遅れて中へ入る。

 教会内部は窓が少ない割に明るかった。ところどころに置かれた蝋燭は映画以外で初めて見る。正面に男女が寄り添う像があり、新鮮な花で飾られている。それを見上げる向きで幾つも並ぶ長椅子は清潔な印象以上に張り詰めた緊張感を作っていた。信仰心のない身でもここが特別な場所であることは充分に伝わってくる。

「あのー、信者さんは今どのくらいいるんですか?」

 質問は無視されるかと思ったけれど、自慢げに答えてくれた。

「統一都市内では千人くらいですわね。熱心な方はあまり……ですが最近は少しずつ増えていましてよ! 侮らないでくださいまし!」

「いやなにも言ってないから」

 飛来天体の不安に苦しむ人々が信仰に走る気持ちは納得できる。宗教とは〝死〟という避けられない恐怖を和らげる為にまずはあったとおばさんから聞いている。

(それでも千人か、思ってたより多いんだ)

 日常を過ごす中で「あ、信者だ」と思うことはないので、どうしてもそういう感想になる。

 しかしこうして立派な教会が建っていることやシスターメイアイが新造の統一都市に市民権を持っていることから、都市内外に有力な信奉者がいることは間違いない。

 そうでないなら彼女の存在は不気味過ぎる。ハッタリで数字を盛っているようなことはなさそうだ。

 なにより、彼女が嘘をつくような人物には見えなかった。

「すぐにお茶をご用意いたします。ここはワタクシひとりしかいないもので、少々お待ちいただきます」

 朗らかに笑って脇の戸を開けて広間を出て行く。嬉しそうに小走りする彼女が公舎に火を放ちさっきも治安局員たちを襲ったとはとても繋げられない。

「……良い人そうだね」

 ウソをついた。勇者が彼女に好意を持つなら、本性がどちらでも邪険にはできない。

 そう言えば中に入ってからは勇者が静かだ。教会内に沈黙の掟でもあるのならシスターメイアイもあんなにはしゃいではいないはずだが。

 奇妙に思って顔を向けると、恐ろしい形相で鎮座する男女の像を見上げていた。さっきまでの上機嫌はどこへやら、信徒には二面性をクルクル切り替える習性でもあるんだろうか。

「えっ、どうしたの? これ神様の像でしょ、なんで睨んでるの」

 ふたりの夫婦神。神話ではこれが主神に当たるはずだった。教会を見た時にはあんなに満足していたのに、ここへ来てこの怒りようは完全に予想外。今にも粛正を始めかねない。

「これが、神の像だと?」

「だってこっちが男神ヴァース、こっちが女神ファニエル、でしょ?」

「神の名をみだりに口にするな! ただ〝神〟か、でなくば〝天〟とお呼びせよ」

 指差した手をはたかれた。これは迂闊だった。

「神の前にはひざまずくべし! 故にこんな物は要らぬ!」

 そう言って椅子を掴み片端から壁際へ放り投げる。

「歌と芸術を愛し、花冠を頂くは女神ではなく男神である!」

 飛び上がって女神像の頭を飾る花飾りを取り、隣の男神像へ移す。

「神の息を塞がぬよう、けっして窓を閉じてはならぬ!」

 枠ごと窓を剥ぎ取って捨て、そこでようやく落ち着いた。

「うむ、これでよし」

 像の前に両膝をついて交差した両手を胸に手を当てる。どうもそれが祈りのポーズらしい。「ちょっとの違いじゃん」と指摘するのはやめて、それに習って隣へ滑り込んでおいた。

「……どういうことですの?」

 閉じた眼を開くと、シスターメイアイがいる。

 あれだけ大騒ぎすればお茶の用意どころではない。戻ってみれば自分の教会が荒らされていたのだから、それはもうショックだろう。

「これが神の家のつもりか。それで神の信徒を名乗るか。貴様の信心は歪んでいる」

 あくまで高圧的に勇者が叱る。その目に燃えるのは断罪者の眼光。

 間に入って庇おうとしたのに、シスターメイアイは臆さず前へ出た。

「この心に歪みあらば、必ず神が罰を下されます。そのときは喜んでこの身を業火に曝しましてよ」

 跪いて堂々とそんなことを言ってのける。無神論者としては理解できない。

「その覚悟は天晴。我こそが神罰である。望み通り焼いてくれよう」

 勇者は乗り気だ。彼がこのあと何人の命を救うとしても、殺人なんてさせられない。

「ちょっと勇者さま! ちょっとくらい教えが間違って伝わっても仕方ないでしょ? だって三千年も経ってるんだから! この人の努力を評価してよ!」

 今度こそ前へ出ようとしたら、他でもないシスターメイアイに押し退けられた。フラフラと勇者に近づいていく。

「神罰の代行者……『勇者』? 取り調べで慰霊碑が破壊されたと……あの慰霊碑は……」

 熱に浮かされたような声が心配になって横へ回って覗き込むと、顔つきはこの状況でぎょっとするほど恍惚としていた。頬を流れるのは恐怖につられたわけではない感涙。

『高エネルギー反応』

 念のため装着しておいた機動腹帯コルセットの警告と同時に勇者の体が光り輝いて、鉛色の武具をその身に帯びる。問答無用でシスターメイアイに剣を突きつけた。

 ここまで来たらなにもかもは間に合わない。

「我は無限なる神の祝福と――」

「四界の加護と三十五万の宝玉を身に宿す神の兵!」

 名乗りが先回りされた。嬉々として高らかに、シスターメイアイが叫ぶ。

「第1期に魔王ウクスツムを討ち倒した原初の英雄! 予言通り見事ご復活なされたのですね、勇者ミグ様!」

 急に現れ教会を荒らした、やたらと目力が強いだけの少年。それをマトモに取り合って〝勇者〟と〝破壊された慰霊碑〟というわずかなキーワードだけで正体を突き当てた。

(しかも名前まで? この人……頭の中が全部神話なんだ)

 そうでなければこの答えにはたどり着かない。

「ミグ……ああ、そういう名だったか」

 出鼻をくじかれた勇者――ミグは居心地悪そうにしながら剣を下ろした。

 その剣先を、シスターメイアイが掴んで自らの胸へと導く。

「でしたらこの命喜んで差し上げましょう。殉教の徒となれるならばほまれです」

「……つくづく天晴」

 勇者の手に力がこもる。殺される覚悟と殺す覚悟が一致する。

「やめなさいよ! アンタら頭おかしい! こんなところで誰も死ななくていいのに!」

 止めに入ろうとしたら勇者の掌が向けられた。暴風に襲われて後ろへ転ぶ。

「邪魔は許さぬ」

 いくら睨んでも止められない。シスターメイアイは上気した頬を緩めて笑う。

「ありがとう。伝説に謳われる勇者様とお会いできるなんて、まさかとも思いません。ワタクシは幸福でしてよ」

 この覚悟がもし自分にあったならと思う。でも今は後悔より怒りが先に立つ。

「――フザけないでよ! 『死んでもいい』なんてそんなこと後ろで思われてたら、あたしはどんな気持ちで世界を守ったらいいの? 人を創った神様を喜ばせたいなら、何があっても生き抜くことが一番でしょう!」

 懸命に呼びかけても感極まった信徒たちの耳には届かない。平静だったとしても意味があったかどうか。

 震えながら、シスターメイアイが最後にミグを見つめる。

「ですがミグ様、この命ひとつを捧げものに……どうか世界をお救いくださいませ」

 沈黙のあと、ミグは訝しげに眉をひそめた。

「世界を……救う?」

 心の中で「あっ、バカ」と絶叫する。

 飛来天体の存在を知られたら、それをなんとかできない人類が弱いと気づかれてしまう。

「この世界が危機に瀕しているとでも? ……うん?」

 何かを感じ取ったのか、勇者が屋根を見上げる。

 まだマズい。勇者は現代を少しも好きになってはいない。折角見つけた信徒もこの有様だ。

「気のせいですよ勇者さま! さっ、ソイツさっさと殺っちゃいましょう! 何があろうと教えを曲げるなんて許せませんよね!」

「なんてことを! これだから守護〝神〟などと名乗る不届き者は! 部外者にそんなことを言われる筋合いはなくってよ!」

 シスターが反発して来たのでムカッと来て嫌悪を飛ばす。

「アンタこそ自分がなんのスイッチ押したかわかってない部外者のくせに! さっさと殉教しなさいよ! ――これでもくらえ! トータルアトモスフィア、チラ見せ!」

 対消滅エンジンのカートリッジを開いてすぐ閉じると、シスターは立ちくらみを起こしてその場で昏倒した。

「ふふっ、正義は勝つ。……ああっ、ちょっと勇者さま?」

 そんなことをしている間に勇者は教会の外へ出ていた。追い駆けて扉を開くと、空を見上げて苦い顔をする。肉眼で見えているようだ。

「ああ……あれは、無理だな」

 その言葉の意味を考えて、胃が潰れた気がした。

 勇者は世界を救えない。

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