第2話 時空のおのぼりさん
一目を避けた郊外の路地へ降り、噴射口のみにしておいた武装形態を解除した。市街なら航空機を飛ばすには複雑な許可が必要になってくるので追っ手の心配が減る。同時に罪が増えたことにもなるけれど。
「あー、もしかしなくてもさ、私がひとりで大暴れしたことになってる? 追い詰められてヒステリー起こしたって」
『そう思われていたら満点ですね。元々腫物を触るような扱いだったことですし』
「……慰めありがと。通信はまだしばらく拒否にしといて」
見つかって軍がこの小さな勇者を知り、「お強いんですね。空からヤバいものが落ちて来るんで困ってるんですけど」と頼めば実は現代人が弱いことがバレてしまう。
そうなれば彼は人類を粛正する。そのあとで飛来天体をなんとかするにしても、少なくともそのとき文明は崩壊している。
(理想は『自分たちでもできるけど、見せ場を譲ってあげてもいいよ?』って伝えて信じさせること。……やるしかない)
まずは現代文明の凄さを思い知らせること、これは殊の外うまくいきそうだった。
「なんだここは。似た様式の御殿がいくつも……いや、この規模ならば民の住まいか。だのに庭園や泉まで備えるとは、なんたることか」
なんてことのない住宅街の家々を眺めて勇者がぽかんと呆けている。開いた口は拳が入りそうだ。
「何故これだけの
この辺りは富裕層が暮らしてる区域なので一戸建てが並んでいる。家屋も庭も手入れが行き届いているから、古代の感覚でも立派なのはわかるはずだった。とは言っても統一都市自体ができたばかりで治安もいいのでどこへ行っても荒れているようなことはない。
「はいはいー、次はこっち来て驚いてねー」
観光案内をしたいわけではないので説明はせずに手を引いて歩く。勇者は「地面が果てしなく平たい」「何で出来ているかさえわからぬ」などと呟き足元をフラつかせながらついて来た。
到着した公園の手洗い場でノズルのセンサーに手をかざし、水を流して見せる。
「うわーっ! 水が⁉ うわーっ!」
動転した勇者が目を回して倒れた。彼くらい古い時代なら水は貴重な資源のはずだ。
「このように、この時代の人たちは神様を頼らなくても豊かに暮らしています」
これが当然と、わざわざ思い込まなくても水道から水が出るのは当たり前である。それでも意識的に真顔で語りかけた。
「見てください、この透明度。これが我々の文明の力です。繰り返します、神様なんて要らない。ハイ、ご一緒に? 神様なんて――」
「やめてくれ! もう水を出すな!」
地面を転がっている勇者を見ていると、気の毒なことをしている気がして背中をさすってあげた。でも、主張自体は引っ込められない。
「ねえ、この進歩は間違ってるかな? 人間はアンタの時代よりずっと色んなことができるようになって、生活は便利になったんだよ。それともこういうの全部捨てて神様の言うこと聞いて、アンタが知ってる時代とおんなじ風に暮らすほうがいい?」
話しながら、飛来天体のことを切り出すタイミングがわからなくなった。
文明の進歩が「間違っている」という意見は現代人の中にもあるからだ。オカルト科学を論拠に飛来天体という形で間違った進歩が破滅を呼んだのだというデモが先週も議事堂を包囲して問題になっていた。
この勇者が飛来天体のことを知れば、それこそ「神の怒りだ」と賛同しかねない。
(でもそんなの、今更どうしろって言うのよ)
文明を捨てて飛来天体が消えるのならそれでもいいのかもしれない。でもきっと人類はまた同じ所を目指して繰り返す。仮定の上でも不毛だ。
果たして勇者の判断はどうか。
不意に嗚咽が止まった。
「……子供は死んでいるか」
「うん?」
「我の時代、病にかかった者には悲惨な時代であった。特に子供はバタバタと死んだ。流行を防ぐ為、生きたまま焼かれることもある」
想像して、ゾッとした。清潔な水が貴重なら衛生面も劣悪だったはずだ。そうした環境で命を守る難しさは想像を絶する。
水道を見せてからかうなんて、性悪なことをしてしまった。
「……死なないわ。ほとんどの病気は根治できる。難しいのは年老いて回復する体力がない場合くらいよ。子供は死なない」
「そうか」
初めて彼の優しい表情を見た。
「我が生きた時代にも発明や発見はあった。だが神は咎めない。信仰心の喪失と文明の進歩は切り離して考えねばならん。無論、けっして赦されるわけではないがな」
思ったよりも柔軟な考えの持ち主だったけれど、やっぱり結論は厳しい。飛来天体を神罰と断定する線はまだ消えない。
話をしているうちに、目的とは無関係なところに興味が湧いた。彼は一体どういう人生を送ってきたのだろう。
「ねえ、勇者さま。あなたの名前は何? あ、私はハルハレミア」
「名前などない。我は神の従僕である」
「でも選ばれて勇者になったんなら、元の名前くらいあるでしょ?」
尋ね直すと勇者は腕組みで首をひねった。うんうん唸ったのち、目力を一際強くする。
「忘れた」
三千年も眠っていたのならそういうこともあるかもしれない。
けれどそれに関してなら、ちょっとした当てを思い付いた。
「じゃあ調べようよ。神話時代の記録はあんまり残ってないけど、多分なんとかなるわ」
現代でも彼の時代について知ることができる。それは重大なことに思えた。時代が繋がっていることを感じて親しみを持ってくれたら、粛正をためらってくれるかもしれない。
(そうだ。彼にこの時代を好きになってもらえばいいんだ。そうすれば飛来天体もなんとかしてもらえるし)
光明が見えて心が軽くなる。
意気揚々と公園を出たところで、交通信号に足止めされた。この待ち時間がもどかしい。
「これは……? そうか、わかった。この時代の川だな」
隣では勇者が目の前を行き過ぎる自動車をキョロキョロ見つめている。なるほど、一定の幅を物が流れていくので現象としては川の要件を満たしている。
「ああ、これはね――いぃっ⁉」
説明する間もなく、勇者が車道上へ身を乗り出し手を伸ばした。川の水に手を浸す感覚でいるのだろう。
激突した自動車が前方へ吹き飛んで路面を跳ねる。運搬用の大型トラックだったというのに勇者のほうはビクともしていない。非戦闘状態でもこれなので嫌になる。
「すまん、川を溢れさせてしまったようだ」
「『すまん』じゃすまないわよ!」
街灯照明が赤色灯に切り替わって回転する。同時に事故通報されているはずだ。
「あれは車! あなたの時代で言えば馬車!」
「なんと、それではあれに人が乗っているのか。すまないことをした」
「あれは運搬用だから無人! 勝手に動くから〝自動〟車!」
事故の被害者がいないことに安心していられる状況ではない。早速通りの向こうに大型車が現れた。灰色で同じ運搬車だが、あれには人が乗っている。
統一都市軍のシンボルが入った人員運搬用トラック。通報があったにしてもやけに登場が早いのでやはり元々捜されていたのだろう。そう考えればむしろ遅いくらいだ。
とにかくこれでは勇者と軍が接触してしまう。自分が何者か、知られてしまう。それだけはどうにか避けなければいけない。
まさか「こんにちは、人類の守護神」と挨拶はされないにしても、玉砕指令が下ったことで通常考えられないくらい昇進しているので大抵の隊員からは上官という立場になる。勇者の前では「どこにでもいる村娘」でいなければならないのに、これはマズい流れだ。
この状況で逃げても勇者に「軍人を振り切るとはなんだこの村娘は。まさか村娘ではない? 人類の守護神なのでは?」とトントン拍子で正体を見抜かれかねない。
「あー! どうしようどうしようどうしよう!」
成す術なく錯乱する間にトラックは歩道に乗り上げ、素早く降りて来た兵隊に囲まれた。
「落ち着きましょう! 見なかったことにしてください!」
パニックになるのは村娘っぽいと思う。
「あー、やめろやめろ。銃なんて構えるな。ソイツが任務に逆らうはずないんだから」
遅れてノロノロした動きでトラックから降りて来た男の指示で、周囲の警戒が解ける。彼がこの部隊の指揮官らしい。
「よぉ、優等生。ひさしぶりだな」
その顔を見て、ホッとした。
頼りになる気安い人物だからということではない。まったくの逆だ。訓練校時代の同期で、親が連合政府の重鎮だとか鼻にかけて偉そうにしていた、もの凄く嫌な奴だ。あの頃やたらと絡んできたので「コイツにだけは七光りとか言われたくない」と頑張ったものだった。
(やった! コイツならあたしのこと軽く扱ってくれる!)
つい緩んだ頬がすぐに凍り付く。
(でも事故はどうやって説明しよう)
同期は横転した運搬トラックを眺めている。そのことで追及されたり、やたらと絡んで来られて勇者が不審に思っても困る。
「何があったんだ? 派手に勝手なことしてるって聞いたが――おっと」
トラックから視線を外し、次に勇者を見て不思議そうな顔をする。
(お願いだからあたしを罵倒してちょうだい! それが人類を救うアドリブになるから!)
必死で祈りながら見つめていると、同期はふっと表情を緩ませた。こんな柔らかい顔を見たことがなかった。
「お前も最後に青春したいだろうしなあ……。まあ、男の趣味についてはとやかく言わないでおいてやるよ」
なんだかとんでもないことを言い出している気がする。
「大丈夫だ。オヤジの力も使って全力でごまかしてやる。俺だってお前ひとりに全部おっかぶせて悪いと思ってるんだ。決戦では俺も地上戦に参加するからな。実は志願したんだ。忘れるなよ、お前はひとりじゃないんだぜ……」
学生時代は散々嫌がらせしてきたくせに、今になってそんな温かい目で見ないでほしい。
「ちくしょう、ソイツが羨ましいな。だって昔お前に絡んだのは実は――」
「お前! 私の私物を戦車で轢いておいてお前! もうやめなさいよね? わかんないだろうけど今グッチャグチャになってるんだから!」
「そうだな。今更こんな話、聞かせるだけ野暮だったな」
照れ顔を張り倒したい気持ちを堪え、勇者の手を引いて横断歩道を渡る。信号は事故で非常停止に切り替わっているから車が通る心配はない。
またおかしな勘違い起きている心配はあるものの、ここでの事故も含めて軍内部で落ち着かせてもらえるならそれはありがたい。
残る問題は勇者の反応。
「あれがこの時代の兵士か」
「うん、そうなんだけど街中で武装してないからそうは見えなかったかもね? 学生時代の知り合いだからちょっと態度も緩かったし。昔戦争ごっこやってたときのノリを引きずってる、しょうもない奴なんだ!」
誤魔化したくて早口になった。勇者は呆れている。
「自分を好いてくれる相手をそう悪しざまに語るのはあまり感心できぬな」
「……えっ、アンタそういう機微を感じ取れるタイプなの?」
てっきり見た目通りの子供か、もしくは戦闘マシーンのように受け止めていた。
そうじゃないとわかって反射的に手を離すと、勇者は不快そうに顔を歪めた。
「妙な気を回すのはよせ。我は使命の為やむなく貴様の庇護下に入っているに過ぎぬ。……だがそれだけに、貴様からの要求には従わざるを得ぬ……。くっ」
こっちも妙な勘違いを重ねているらしかった。
「貴様が我を望むならば好きにするがいい。だが我が心までは自由にできんぞ」
死の覚悟はできるくせにここで嫌がるのはなんだかとても悔しい。
「ただいまー……。あがってあがって」
普段は軍敷地内の寮で暮らしているので自宅に帰るのは相当久しぶりになる。
保護者である叔母のほうも似たようなものだったのだけれど、ここしばらくで事情が違っていた。
「おばさーん。お客さんが来てるんだけど―?」
勇者を居間に残して部屋を回ると、やはり寝室にいた。酒瓶を抱えたあられもない姿でベッドで横になっている。
「おばさん起きて、ちょっと会ってもらいたい人がいるの」
「ん~……あ、ハル。……ううっ」
目を覚まして気だるそうに体を起こすなり、泣き出してしまった。
「ごめんねぇ。おばさんが余計なことしちゃったせいで、アンタを生贄みたいなことにしちゃって」
「何回も同じこと言わなくていいから! あたしが行っても行かなくても世界は滅ぶのに、順番とかどうでもいいでしょ。
十二年前のこと。まだ幼児だった自分を、当時は学生だったおばさんが引き取って育ててくれた。両親を亡くしたショックで夜泣きや夜尿を繰り返して散々迷惑をかけたことを今でもよく憶えている。謝るしかできなかった自分を困った顔で抱きしめてくれた。当然感謝しかない。
「……こんな時に、お客? 今更兵器開発主任に用なんてないでしょ……?」
「いいからちゃんとして! できるだけ良い印象を持ってもらいたいから」
現代人がしっかり暮らしているところを勇者に見せなければ「自堕落な現代人滅ぶべし」と判断されるかもしれない。それを考えればこのおばさんの状態は困る。
「服は……ああもう! なんで白衣しかないの? もうこれでいいや、あとは髪を梳いて……どうして女盛りが櫛ひとつ持ってないの!」
「だって開発室が私のホームだし」
「そのホームにならあるって言うの?」
黙ってしまった。これはダメだ。
下着姿に白衣を被せて手櫛で撫で、洗面所へ引っ張って行って顔を洗わせたらグッとマトモになった。これだけで美人になるんだから、本当に自分と血の繋がりがあるのか不思議で仕方がない。青ざめた顔もいっそ色っぽくてドキリとしてしまう。
「おえっぷ」
息が酒臭かったので匂い消しに飴を口の中へ放り込んでやった。
「ご紹介したい方がいます!」
おばさんの支度を整えて居間へ戻ると、勇者はソファの背に登って顔を青ざめさせていた。昔動物園で見た岩山にいる猿がこんな感じだった気がする。
「こやつをどうにかしてくれまいか! 話が通じん!」
見れば床では掃除ロボが這い回っていた。まるで勇者を威嚇しているかのように何度もソファへぶつかっている。
「あー……多分アンタが臭うから反応してるんだわ。あ、掃除もういいよ」
声をかけると掃除ロボは部屋の隅へ移動していった。勇者もホッと息を吐いてソファから降りた。自分で体の匂いを嗅いでいる。
「気にしたって仕方ないでしょ? 三千年洗ってないんだし、衛生環境だって全然違うんだから。お風呂に入ってもらってもいいけど、その前に紹介したい人がいるから会っといて」
廊下にいたおばさんを呼んで勇者と対面させると、含みのある笑いをされた。
「ああ、『良い印象を持たれたい』って、そういう? ……ああ、わかっていたわよ。ハルもいつかは私を捨てて知らない男のところへ行ってしまうって……。アンタが見込んだ相手ならどんな奴でも認めようって思ってたけど、これはいくらなんでも年下過ぎると思うのぉ……!」
色々なことにショックを受けたようで、ヨヨヨと泣き崩れてしまった。どうして次々そういう想像をされてしまうのか。
「そうじゃなくて、この子は古代の勇者さまなの!」
こんなことを聞かされたら、そりゃあそんな風になるだろう、というようなリアクションを見た。
「ハァ……どういう遊び? おばさんあんまり具合良くないから――」
気鬱に髪をかき上げたおばさんに、何を思ったのか勇者が掌を向ける。
『エネルギー上昇、危険です』
腰に付けたままの
「――うわっ、なに?」
突然気流が起こっておばさんがよろめく。風の中で何かが輝いたように見えた。
「これでよし――んだっ⁉」
満足そうに頷いた勇者を、掴んだ椅子で力任せに殴る。間に合わなかった。
「おばさん! すぐ救護を呼……あれっ?」
無事だった。それどころか、なんだか顔色がよくなって背筋がピンと伸びている。
「ハル! アンタそんな小さな子になんてことするの!」
「だっておばさんが襲われたと思ったから……へぇっ、どういうこと?」
説明を求めて勇者を見れば、不機嫌そうに後頭部をさすっていた。殴った椅子のほうが砕けている。恐ろしい。
「その女に染み付いていたミアズマを払っただけだ。まだ深刻ではないから我にも払えたが、以後は気を付けるがいい」
「……ミアズマ?」
何が起きたのかは依然わからないけれど、その一言におばさんが反応する。
「ミアズマって神話の、あのミアズマ?」
「人に災いする瘴気だ。貴様らは神だけでなく知識まで手放したか」
「神話時代の知識なんてほとんど残されてないのよ? こんな子供が、どうしてそんなことを知っているのよ」
おばさんは今でこそ兵器開発の職に就いているけれど、学生時代には歴史に関心があった。専攻はズバリ神話時代。彼の時代に嵌るはずだ。
「だから古代の勇者さまなんだって。三千年以上前に封印されて、世界の危機で復活したの」
私が破滅を望んだことは伏せておく。
「それ、どういう冗談……?」
『冗談ではありません。マスター』
勇者と戦ったときの記録映像だった。視点が目まぐるしく動くせいで見づらいけれど、そこで映像に驚いてソファの陰に隠れている子供が普通じゃないことは充分伝わる。
「凄い……
おばさんの驚きようはかなりのものだった。見開いた目が映像に釘付けになっている。データを得た科学者の頭の中で激しく常識が塗り替わっているのが見ていてわかった。
「あなたも対消滅エネルギーを扱うの? 一体どうやって?」
「なんだそれは。違う。我が力の源はアイテールだ」
「バトラー、資料を!」
声に合わせて壁モニターに文字が映る。神話時代の歴史年表とかろうじてわかった。
「そうじゃない! 古代の勇者に相応しいものを!」
映像が切り替わった。今度は神聖文字の写真資料。
私ではもう付いていけなくなった画像を、ソファの背から顔を出した勇者が眺めて片目を細める。
「ああ……我の記録か。英雄譚としてまとめられるとは、本意ではないな」
「あなた神聖文字が読めるの?」
おばさんが嬉々として叫ぶ。蘇った学生の頃の情熱が弾けている。
「教えて! あなたと、あなたの時代のこと!」
「ム、構わぬが……近い」
手を握られた勇者が照れている。その反応の差はどういうことなのか。
神話時代のことは現代の歴史教育ではほとんど扱わない。現代人は進化論の信徒だ。人が生まれて、文明が育まれて、すべてはその延長線上にしかない。
勇者はそれを「違う」と言う。
「神が天地を拓き、初めに海と植物を作った。それから動物と、最後に人と魔物だ」
「魔物?」
「神を信じぬ、人間からすれば異形の者たちだ。神であれ掌で踊らされるのは嫌だとぬかす。奴らの領土としては……この辺りだな。かなり形が変わっているが」
映像に慣れたのか、世界地図を映すモニターを指差し勇者が説明する。
「そこは統一都市――この街がある所よ? 何があったのか一度生物が死滅した大陸で、訪れた人が体調不良になるなんて噂もあったせいで長く人が住んでいなかったのよ。古代の超文明説まで出ているんだけど、何が原因かわかる?」
「うむ。間違いなくミアズマの影響だな。人も獣も草木さえ活力を奪われ、やがて死に至る瘴気だ。ただし魔物にとっては空気に等しい。魔物を知らんということは貴様ら、魔物を……滅ぼしたな? 恐ろしいことをする」
勇者のただでさえ強烈な眼光に敵意が混じる。それまで熱に浮かされたようにしてはしゃいでいたおばさんが一気に冷えた。
慌てて間に入る。
「ちょっと脅かさないでよ! アンタだって勇者でしょ? 勇者は魔物を倒すものじゃないの?」
昔遊んだゲームではそうだった。それさえ、この勇者は違うと言う。
「魔物も神が創りたもうたもの。滅ぼすはずがあるまい。知れ、我は神の兵。神の御心に沿い世界の調和を乱すものを討つ、天からの罰そのものである」
魔物と人とに関わりなく、出る杭を打つシステム。そういうことらしい。
「かつて世界は神の御息――アイテールに満ちていた。しかし人が魔法を使えばアイテールはミアズマへと転じる。そのミアズマをアイテールへと戻すことこそが魔物の役割だったのだ。それを滅ぼし、アイテールの枯れたこの現世で、人が生き延びていられることこそ奇怪至極」
魔物に魔法。古代の勇者が目の前にいる時点で驚くのは今更ではあるのだけれど、別世界の話に聞こえて頭がクラクラしてくる。
「なんか、植物の光合成みたいな話?」
自分で納得しやすい風にまとめると、うしろでおばさんが騒ぎ始めた。
「そっか、新鉱石って……そうか、そういうことだったのね!」
かと思うと急に腰をまさぐられた。
「わっ、ちょっとおばさん? 急になに?」
くすぐったさを堪えている間に
「あなたが言ってるアイテールとミアズマって、これのことでしょう?」
注意。トータルアモルファスは有害。
「わぁ! おばさんなんてことしてんの!」
「なにって、証明よ。彼が言うアイテールとミアズマが誰にも消費されなくなって、固着した物が新鉱石だとすれば説明が……うぅっ」
話しながらトータルアモルファスに当てられたようで、膝から崩れ落ちてソファにもたれかかった。急いでカートリッジを元に戻して密閉する。
また勇者が掌から風を起こしておばさんを回復させてくれた。これこそ魔法のようだ。
「ねえそれって、アイテール? を当てて悪い空気を中和してるってことでいいのよね?」
「左様。神の祝福を受けた我が身は無限のアイテールを宿す。それにしても魔物を滅ぼした挙句、神の御業の深奥を道具として扱うとは。なんと恐ろしい。……やはり粛正せねば」
どうしてもどうしても同じ所へ戻ってしまうらしい。
「……粛正って、人類を? 逆じゃなくて?」
勇者を厄介にしている部分におばさんが反応した。これはマズい。現代に愛着を持たれていないこの時点で飛来天体の話題は禁句だ。
「あなたが古代の勇者なら、世界を救うためにあの――」
「わぁ! あたし急におばさんと向こうでイチャイチャしたいな!」
「えっ、こんなとんでもないお客さん来てるときに? ……いいけど」
背中をドンドン押して廊下へ連れ出す。
そこで人類が信仰を捨てていることを理由に勇者がこの世界を滅ぼそうとしていることを説明した。
おばさんは広げていた両腕を下ろして一気に青褪めた。
「なるほど。……っていうか、それならそうと先に言いなさいな! 危ないじゃない!」
「だってだって! おばさんずっと元気なかったから神話時代の生き証人と会えば元気出るって、それだけになっちゃってたんだもん!」
支度をさせている途中から「きっと喜ぶぞ」と浮かれてサッパリ忘れてしまっていた。正直、神話が事実として歴史が紐解かれるのが楽しみだったというのもある。
「それで、元神話学専攻の学生に聞きたいんだけど、あの勇者さまに守ってもらうために世界を好きになってもらうには、どうしたらいいかな? おばさんならどこに連れて行く?」
「あー、そんな観光案内みたいなことしたってダメよ。デートじゃないんだから」
「デートで出かける先決めるんならおばさんには聞かないよ」
「どういう意味よ」
怒っているところを見て「やった元気になった」と喜べないのは残念だ。
おばさんが頷きを挟んで話を本題に戻す。
「彼は神話上の生き物よ。人間的な損得で動くとは考えないほうがいいわ。行動原理は〝神への奉仕〟、ただそれだけ。そうね……現代人に信仰心がないことに憤っているのなら、そうじゃないとわからせることでしか止められないんじゃないかしら」
おばさんの話はいつも理路整然としていて受け止めやすい。
「じゃあ、あたしたちが信徒になるとか?」
「……それはなぁ~」
ふたり同時に首をねじる。
それで命が助かるならいくらでも宗旨替えするべきなのだろうけれど、ほんの朝までないと思っていたものを今からは信じるのはムリがある。おばさんも歴史学として神話に関心が高かっただけで宗教には興味がない。表面的な態度を変えただけではあの勇者が騙されてくれるだろうか。
「飛来天体をあの勇者が天罰だと思う可能性もあるのよね……。もし敵対した場合、ハルならどのくらい持ちこたえられる?」
答えにくい回答なので行動で示す。
玄関まで歩いていって、ドア脇に立てかけておいたものを指差した。勇者と戦って折れた混合剣核。
「んなっ⁉ 最終兵器を傘立てに置くんじゃないの!」
注意すべきところはそこだろうか。おばさんが珍しく混乱している。内部のトータルアモルファスが露出しないよう幻燈織機で創り出したカバーで覆ってあるけれど、一応近づかないように前へ回る。
「おばさん自慢の
「私の自慢は兵器なんかじゃなくってハル、アンタのほうだからね。……でも……ああ、そっか。そういうことか」
嬉しいことを言ってくれながら、目の焦点をボヤけさせて考え事を始めてしまった。
「オーロラクリスタルと反応させる以外に変化させようがないトータルアモルファスをこれだけ破壊するっていうことは、彼ってアイテール――オーロラクリスタルの塊なわね」
「うん。バトラーもそう言ってた」
「でも、だったら……」
おばさんが何かを言い渋る、微妙な顔をした。掴んだ手を揺すって促す。
「……実は解析の結果、飛来天体はトータルアモルファスと同様の性質を持っているらしいことがわかったのよ」
「へぇっ? 調査は全部空振りだったんじゃないの?」
飛来天体に関する情報は最高機密であり、絶望が深まるだけなので率先して知ろうとはしなかった。それでも迎え撃つ形で飛ばした探査機が幾つも
つまりそれは飛来天体がただ巨大な隕石というわけではない人工物か、もしくは生命体である可能性を示唆するものだった。
「地上から一切測定できない、光を当てても反射すらしない安定した固形の暗黒みたいな特徴はそっくりトータルアモルファスと一致するわ。それだけで断定はできないけれど、もし同一物質なら――」
「オーロラクリスタルで出来てる勇者さまなら簡単に壊せる?」
光明が見えた。
「さすが勇者さま。やっぱり勇者さま!」
「だから、まだ断定はできないのよ?」
おばさんは慎重だけれど、そんなとんでもない物が他にもあるとは思えない。なにより、希望的観測と笑われるには
「これはもう、絶対に現代を好きになってもらわないと……。それじゃおばさん、あたしちょっと色仕掛けに行ってきます! 十八年出さずじまいの渾身のセクシーを今――」
意気込んで居間へ飛び込もうところ、肩を掴んで止められた。
「だからそういうことじゃあ彼は動かないわよ……。現代に信仰が生きていることをわからせる以外は意味がないわ」
「でも、そんなのムリだよ。勇者さまが怒る通り、神様を信じてる人なんていないんだから」
「本当にそうかしら? 物事を色んな角度で観察する為に、まずは疑いなさい。世界だって自分が思っていたのとは違ったでしょう?」
信じるという話をしているのに疑えとは。おばさんは何を言っているんだろう。
「まあ、まずは彼を知らないとね」
話がひと段落ついて、勇者がなにをしているのか気になり居間を覗き込むと彼はおっかなびっくり
『退屈でしたらテレビでも楽しまれてはいかがでしょう』
モニターが操作されて民放番組を映す。勇者は壁際まで逃げた。
「なんということだ! 人が壁の中で動いている!」
騒ぐ勇者を無視して、モニターに目が釘付けになった。
映っているのはニュース番組だった。先日逮捕されたデモ参加者が釈放される中継映像。飛来天体に対する軍の作戦内容の詳細を公開するよう求めたデモは、本来は安心感を得たいという一部市民の不安から起きたものだった。
だがそこへ飛び入りして公舎へ火炎瓶が投げつけたこの犯人の動機は違っていた。
『神はお怒りなのです! どうしてそれがわからないのですか! あっ、離しなさい!』
裾も袖も長い衣をまとった女が出所するなり早速取り押さえられている。
シスターメイアイ。彼女が手にするプラカードには「神と和解せよ」の文字が貼り付いていた。
出かける前に勇者を風呂に入れることにした。街中を移動するには「ぬののふく」では悪目立ちするので着替えも必須だ。
浴槽にお湯を張り温度を確かめてから手招きしても、勇者は脱衣所からいつまでも出てこない。
「わ、我はいい……。平民の家庭に温泉を引くなど、貴様らの豊かさはどうかしている」
湯沸かし設備に怯えていた。こうなるとわかっていたから、シャツと短パンに着替えてトコトン付き合うつもりで用意している。
「いいからおいでってば。洗ってあげるから」
「なにをする、無礼であるぞ!」
引っ張り込んで服を脱がせようとしたら抵抗された。
「あのねえ、こっちは別にアンタみたいな子供の裸見たって、『あ、ちんちんだ』としか思わないわよ。ほらっ」
桶にお湯をすくって頭からかけてやると、観念したのか大人しくなった。その隙に一気に服をむしり取る。
「さあ、おねえちゃんが洗ってあげるからね――あれっ?」
ここで「あ、ちんちんだ」となるはずが、それらしいものが見当たらない。
「……あんたって、女の子?」
「我は神の兵。性の区別などあらぬ!」
口振りは毅然としながらも内股になった辺り気にしているんじゃないだろうか。つくづく人間ではないとわかっただけに止めおいて、デリケートな問題には触れないでおきたい。
それと、ここで動揺はしたくなかった。無敵の現代人としてはあっさり受け入れなければ。
「それじゃ私も一緒に体洗おうかな」
勇者と一戦交えて以来度々冷や汗をかいている。服も下着も脱いで脱衣所の方へ放り投げると、勇者が顔をしかめた。
「村娘、貴様には敬いだけでなく恥じらいも無いのか」
「アンタが男じゃないんなら全然問題ないでしょ? ホラ、頭洗ったげる」
浴槽に腰かけて勇者を膝に乗せ、シャンプーで頭を洗い始める。泡に驚いたりするのは見ていて面白かった。
勇者を抱えるようにして一緒に湯船に入り、一息つく。まだなにも解決していないけれど、少し気持ちが落ち着いた。
腕の間にいる勇者は居心地悪そうにしていると思ったら、案外そうでもないようで体を持たれさせて来た。
「……村娘、話を聞かせよ」
「んー?」
「人は何故、信仰を棄てたのだ」
重い質問だった。答え次第で
「……辛いことが、いっぱいあったんだよ。でも神様は救わないから、それがゆるせなかったんだと思うよ」
神話時代の終わりはそういう風に結んである。その気持ちはよくわかる。
神と呼ばれる存在がいるのなら両親を守ってほしかった。死後に救いがあるのなら、どうして自分だけ残されたのか。
境遇を呪って形が無いものを恨んで、そうした行き場のない怒りが一斉に神に向かった結果、信仰と決別することになったとおばさんから聞いた。ただしそれは神が実在するとは考えないうえでの説だ。
(こんな奴がいるってことは、神様もいるんだよね。……よくわかんないな)
物語のような事象が現実に食い込んできたことをまだうまく受け入れられない。
少しでも実感したくて抱きしめると、勇者は苦しそうに呻いた。
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