対等なるゴッズワン 神の英雄と人の守護神

福本丸太

第1話 神の英雄と人の守護神

 世界が滅ぶほんの少し前、自分は死ぬ。そういう運命にある。

 それを思うと折角朝早く起きて仕込んだ卵たっぷりのサンドウィッチも、砂を噛んでいるように味気なかった。

 なるべく誰にも会いたくないので始発の列車で町を出て、とにかく遠く遠くと目指してこの草原の丘へたどり着いた。軍に入隊して初めての有給申請は許可を待たずに出てくることになったけれど、世界が滅亡することを考えたら馬鹿馬鹿しい。どうせ次の給与振り込みも査定も巡ってくることはない。

 それでも立場上勝手にいなくなることはできなかった。行先をありもしない「実家」とごまかすだけで反抗は精一杯で、列車の終点から息が切れるまで歩いてもまだ街並は遠くに居座っている。「逃げられないぞ」と手を伸ばしてくるかのようで、自動制御のモノレールが逃げ惑うみたいに周回していた。

 二日後にはこの景色が消え失せる。それを思うと視界が滲んで、立膝の間に顔を埋めて泣いた。誰かの耳に届かないとしても、ひっそりと声を殺して泣くしかなかった。

 世界が滅ぶ危機にあっても、空に向かって祈ったりはしない。滅びは空からやって来るからだ。



 二十年前、地下層から発見された新種の鉱石によってエネルギー問題が解決したことで先進国に余裕が生まれ、資源を奪い合う国際戦争に終止符が打たれた。

 鉱石のひとつは大気中の因子と結合することで性質を変化させる万能結晶体、オーロラクリスタル。もうひとつは光さえ反射せずその性質を検知できない不定構造体、トータルアモルファス。不明な部分も残るこのふたつの鉱石が反応を起こすことで生み出されるエネルギーは文明を一気に何段も飛躍させた。

 反応によって気化したオーロラクリスタルは電磁誘導によって再結合することで空間に物体を生み出し、トータルアモルファスは凄まじい推進力に転換する。ほんの数年前なら魔法としか思えない現象が日常に定着し、誰もがこの先の華やかな展望を信じた。

 それからごく最近になって、未知の天体が発見された時にも当初は喜ばれた。宇宙船の建造と航行が容易になったことで宇宙開発ブームが起きていたことも大きかった。

 しかしその新たな観測対象が自分たちの住む惑星に衝突する軌道上にあると判明した時点ですべての喜びは反転する。激突すれば地球そのものからして危うい質量を持っているから当然だ。

 遥か彼方から迫る確実な滅亡。人類に残された日数はわずか3日となる。



 天体が天体にぶつかる宇宙の自然現象。そんなものに人間がどう知恵を働かせたところで抗えるはずがない。いくら文明が発展したとしても宇宙規模の危機から救われる奇跡は起こせない。

 そうした状況だと言うのに社会はまともに運行している。あの〝超巨大飛来天体〟を必ず粉砕するという軍の広報を信じているからだ。兵器開発の分野でも起きた魔法のような進歩が人々に夢を見せていた。

「ムリ、ムリなのになあ……」

 草原の丘で項垂れる娘――ハルハレミアはその例外に当たる。虚しい幻想に溺れることなく、結局喉を通らなかったサンドウィッチをナプキンへ戻し脇へ置いて絶望している。

「どうしたらいいのかなあ……」

 見上げても昼の光の中に紛れて直視はできない。たとえ夜だったとしても、光を吸収する飛来天体を肉眼で観測することは不可能だ。ハルハレミアは視線を落とし、腰を上げて当てもなく歩き出した。

 違う所へ行きたい。何処であろうと安全ではないとわかっているのに、衝動が体を動かす。

「誰か、お願い……誰か助けて……!」

 引き絞るような声で喉が鳴る。こぼれ落ちた涙は、それまで踏みつけていた草地とは違う石畳が受け止めた。

 顔を上げると、大きな石碑が建っている。相当古い物のようで日当たりの悪い部分は苔むしている。完成から相当な時間の経過を感じさせるのに、不思議とどこにも朽ちた部分がない。飾り気に欠ける割に荘厳さはついひれ伏したくなるほどだった。

 よく見れば石碑の表面に細かな文字が刻まれていた。

「この文字……神聖文字?」

 携帯端末を手に取り、地図アプリから施設情報を引き出してこの石碑について調べる。

「うわっ、第3期以前の遺跡――って言ったら三千年以上前? ホントに古いんだ……!」

 神話時代の物が現存していることに驚きつつ、身を屈めて刻文に手を添える。自力では単語を拾い上げる程度しか意味が解らない。

 諦めて携帯端末をかざすと光の線が刻文の表面を撫で、画面に翻訳した文章が映った。

「『英雄の御霊、ここに眠る』――ああコレ、勇者の慰霊碑なんだ」

 そこには我が身を投げ打ち世界の危機に挑んだ英雄の歴史が記されていた。

「神の無限の祝福と≪対訳不能≫の加護を受け、三十五万の宝玉を身に宿す勇者、魔王を排し破滅を防ぐ。……アハハ、さすが神話、神様を信じてた時代のおとぎ話だわ」

 歴史書を紐解けば人類は何度も崩壊の危機を乗り越えてきたと記録されている。ただしそれらはどれも難解な記述で曖昧に綴られた神話時代の出来事で、実際に何が起きたかは知りようがない。ここで語られる〝魔王〟が何を指したものかも謎だ。

「あなたが誰で、どんな脅威と戦ったのかはわからないけど……でも、確かに当時の世界を救ったんだね」

 己を犠牲にしてのちの時代を作った英雄。その胸中を想った。彼はこの古ぼけた石碑ひとつで満足だろうか。

(あたしは――)

 と、思考が暗いところへ沈みそうになって、強く首を振る。画面の翻訳文に向き直った。

「人が神の道に背くか、世界に危機が及ぶとき……英雄は復活する?」

 終末を迎えたこの状況で、おあつらえ向きな英雄復活の予言。

「……バカバカしい。死んだ人間が、生き返るわけないじゃない」

 復活の予言などというものは死んだ人間を祀り上げる集団が権威の失墜を恐れてするものだ。そもそも神という存在しないものの〝祝福〟なんて当てにならない。

 世界を救ったはずの英雄を穢されたような気になって、興味を失い背を向ける。

「……世界の危機に復活……か」

 半身に戻って未練がましい視線を石碑へ送る。そして、その前へ跪いた。

「お願いします勇者さま! もう一度世界をお救いください!」

 懸命な呼びかけは丘に響き渡るほどだった。どれだけ自分が必死なのかを思い知らされ、ハルハレミアは顔が熱くなるのを自覚する。

 とは言え、いっそ神頼みしか方法が残されていない状況には、こんな行動も相応しい。

「じゃあもういっそ世界を滅ぼしてください!」

 このままじっと終わりを待つなんて冗談じゃない。そう思っての言葉だった。

「……いや別に、本気で滅びたいわけじゃないけど」

 言い訳がましく付け加える。

 すると突然、思いもよらないことが起こった。

 石碑が粉々に砕け散り、土煙が巻き上がった。成す術もなく全身に浴びたハルハレミアは汚れた自分の体を見下ろす。

「……いきなりなに? まさかピンポイント爆撃? ああそう……軍の連中、こういう嫌がらせまでするんだ……行先を誤魔化しただけでここまでするか……」

 怒りに震えて顔を上げる。そこで、奇妙なものを見た。

 人間が浮いている。ハルハレミアから見ればかなり年下で十歳くらいの少年の姿が空中で静止していた。ケーブルで宙吊りにされているわけでも、かと言って噴射やプロペラでホバリングしているわけでもない。

「……へっ?」

 燃えるような赤い髪。ゴールを狙うアスリートでもここまでは、という風に強烈な闘志を滾らせた双眸。目の粗い布地の服を着て、革を張り合わせただけの靴を履いている。

 砕けた石碑を足元に、突然現れた少年。印象だけで判断すれば「古代の英雄が復活した」ということになる。

「いやいやいや、ナイナイナイナイ!」

 感想を即座に否定したハルハレミアは、いつの間にか自分が尻餅をついていたことに気が付いて体を起こし立ち上がる。

 じっと周囲を睨み回していた少年はハルハレミアを見下ろした。

「そこの娘。神の敵は何処か」

 まだ事態を飲み込めていないというのに、〝神〟と来た。

 年齢に似合わない古めかしい物言いで、腹の底へ響くような迫力がある。木々の枝葉がざわめいたのはさすがに偶然と思いたい。

 ハルハレミアがなにも答えられずにいると、少年は焦れたようで顔を歪めた。

「もうよい。我がこの目で確かめる」

 そう言って上空へ浮き上がっていった。

「えぇー? 生身で……飛んでる」

 最初からずっとそこに驚いていた。人間には不可能なことがそこに実現している。

「まさか、ホンモノの……勇者? 神様とか……ホントのこと?」

 祝福を受け魔王を倒した人類の英雄。それが真実で危機が迫るこの現代に蘇ったのなら、まさしく救世主と言える。

「やったぁっ! すごい、なんとかなった! っていうか、コレひょっとしてあたしのお手柄⁉ ああもう、そんなことどうでもいいか!」

 絶望し切っていたところへ想像しようもない奇跡が起きて、ハルハレミアはつい小躍りした。腕を振り足踏みをして喜びを表す。

 現代技術でどうにもならない飛来天体も、超常現象の主なら希望が見える。彼が倒したという〝魔王〟もなにかしらの災害のことだったのかもしれない。事態がうまい方向へ転がっている気がした。

「ねえ、勇者さま! 実はすっごく困ってるんですけど!」

 いくら声を張り上げても少年――勇者は届きそうもない。遥か上空で点と化している。

「あ、そっか。マイクとスピーカーがあるから――」

 携帯端末を通して声を拡大再生することを思い付いたとき、逆に大音量が降ってきた。

「――これはどういうことだっ!」

 怒りに満ちた絶叫さえ頼もしく感じる。これからあの飛来天体を相手に戦ってもらうのだから、話すだけでも規格外なくらいでなければ。

「気が付きました? さすが勇者さまですね! それをあなたにやっつけて……もらいたいと……思って」

 途中で急に悪寒がして、言葉が止まる。

 情報端末のカメラで拡大表示した勇者は空を見上げていない。地上、遠くに広がる都市部へ向いている。

「恵まれた土地を穢し、祈りを捧げる像もない。なにより大気にアイテールを感じぬ。貴様ら、神の道を外れたか!」

 激昂に刻文の翻訳を思い出す。勇者が復活する条件は〝世界の危機〟と、並びに〝人が神の道に背く〟とき。

「あっ……もしかして、ヤバい?」

 古代ならいざ知らず、現代人が信じるものは人が定めた法と解明した科学や学問であり、宗教は変わり者の趣味という扱いでしかなくなっている。

 もっと言えばその古代にしても神話の結末は神から自立する記述で結ばれているので、ここにいる超常現象少年が神話を事実と証明したところで人類は既に神と決別している。それがおよそ二千年前。

 そこにいるのは更に古い第三期以前、どうやら神がいたらしい時代から来た、誰も納得させることはできない原理主義者だ。彼にしてみれば現代人が背信者という見方しかされないことは、考えるまでもなかった。街の様子を眺めて神を讃えるモニュメントのひとつもないと知って既に怒っている。

 端末が移す映像の中で、英雄の姿が鎧と兜で覆われていく。

「我は人により選ばれ、神により成る断罪者! 無限なる神の祝福と四界の加護、三十五万の宝玉の力でもって異端を滅ぼす者なり! 神を仰がぬ愚かな民よ、この地上から消え失せよ!」

 世界を救ってくれるはずの勇者が、まるで魔王のようなことを言っている。それも言葉の脅迫では終わらず大気が震え地面までが鳴動し始めた。

「どうしようどうしよう! コレってあたしが変なこと願ったせいってことないよね?」

 情報端末が鳴る。事態を感知したらしい軍部から呼び出し。思わず端末ごと投げ出して受話を拒否した。

 かと言ってこの状況を放っておくわけにもいかない。

「ああっちくしょう、やってやるわよ! ……バトラー、いける?」

 奮える腿をピシャリとはたき、一息吐いての呟きには投げ出した端末が返答する。

『もちろんです、ミレディ。全兵装の運用許可を戦時特例で通しました。以後、外部からの通信要求の一切を一時的に遮断します』

「気が利くAIだね。さすがおばさんのお手製。じゃあ始めるから――機動腹帯コルセット、来て!」

 レジャーシートに置き去りのたまごサンドが詰まったバスケットの横で、丸められていたコートが舞い上がる。内側から飛び出した金属塊がハルハレミアの腰に巻き付いた。

「準備はいい? 最初から全開で行くわよ!」

 腰からフレームが左右へ伸び、体が金属で覆われていく。それは間違いなく武装だった。

『もちろんです、ミレディ。戦闘データの記録を開始します』

 背部の噴射口から推進力を得て、ハルハレミアの体が弾丸のように直上へ飛ぶ。

 終戦時に結ばれた国際連盟が統治する統一都市は世界全体の治安を維持する軍を抱えている。ハルハレミアはその組織に所属する一兵士であり、同時に最高戦力でもある人類の守護神と言えた。


 国際戦争が終結した理由はエネルギー問題の解決だけではない。新鉱石の特性を兵器に転用した場合、生み出される破壊力が社会に危機感を持たせたからだ。それまでの兵器とは桁違いで惑星そのものに致命打を与えてしまえることを人類は恐れた。

 技術発展の方向は新鉱石の力を「どうコントロールするか」に絞られたものの、悪用を防ぐ目的の為にも進歩は止まらない。

 ふたつの新鉱石による反応炉である対消滅エンジンは戦時の火力兵器から発電装置へと転身したものの、排気に含まれる気化したトータルアモルファスはわずかな量を肺に吸い込んだだけでも昏倒してしまうほど強い有毒性を持つことが明らかにされた為、兵器利用は無人機のみと当初は考えられていた。長大な排気管もなく身近に置いて戦闘行為を行うなど正気の沙汰ではない。

 だがその危険な気化トータルアモルファスに耐性を示したのがハルハレミアだった。

 携行可能なレベルで小型化に成功した対消滅エンジン、オーロラクリスタルの特性を活かし自在に構造物を具現化する幻燈織機げんとうしょっき、そしてそれらの制御装置である人工頭脳バトラー。このみっつを組み合わせた究極の新鉱石兵器、通称機動腹帯コルセットを彼女が得たのはその耐性を持つからこそのことだった。

 だからこそ、彼女は人類の守護神と呼ばれ宇宙からの飛来天体と心中しんじゅうする任務を受けることとなる。


 振り返れば、皮肉にまみれた人生だった。

 終戦後に残っていた新鉱石兵器の不発弾に巻き込まれて両親を失い、母の妹である叔母に引き取られた。「兵器開発の行く末を見守らなくてはいけない」と決心して兵器開発者として軍に入った叔母について統一都市へと居住を移し、そのうち自分も軍部に所属することになったのを「自然な流れ」と受け止めるようになった。

 訓練校時代は叔母が優秀だったことで「保護者の七光り」と陰口を叩かれ、意地になって同期生と張り合った。そのおかげで好成績は修められたものの、与えられる課題が鬼畜でも「ちくしょう、やってやる」という精神が湧くようになってしまった。

 卒業が近付いたある休みの日、叔母を手伝っている最中に新鉱石兵器をうっかり雑に扱ってしまったことで気化トータルアモルファスの耐性が見つかったこともそう。一時は「特別」を喜んだものの、複雑な心境らしい叔母が開発した専用の装備は単騎で戦線に立つことを戦術とする物騒な代物だった。

 果てには飛来天体が見つかって、参謀本部からは「死ね」という内容の辞令が下った。明後日には無人機と一緒に特攻して自爆しなければならない。

 理由は飛来天体に接近すれば電波障害が起こる可能性があるので、無人機を打ち上げるだけでは安心できないということだ。臨機に応じ回避できない近距離で無人機を操作する人員に選ばれてしまった。地球のそのものの存亡がかかっているだけに失敗は許されない。最大火力の新鉱石兵器を扱う以上それができるのは自分だけ。

 世間には無人機のみで飛来天体を撃破できると公表されているので、自分が死ぬことは伝わらずに「守護神」と呼ばれるようになった。不安を与えない為、その呼び声に笑顔で応えなくてはいけない。

 けれども本当の真実はもっと残酷だ。

 叔母が言うには新鉱石兵器の火力をどれだけ注ぎ込んでも飛来天体を破壊できる見込みはないらしい。地球は確実に潰される。どこにも救いがない話なので逃げたくなる気持ちはきっと理解してもらえると思う。

 それでも機動腹帯コルセットを手放さずに持ち出したのは人類の期待を裏切って任務を放棄する度胸が無かったからと、その時になって怖気づいたら軍部相手に世界最高武力のダダをこねることもできると思ったからだ。それが幸運に働いた。

 まさか飛来天体が到着する前に、古代から蘇った勇者が世界を滅ぼそうとするなんて。


「結局こうやって命懸けで人類を守るんだから、やっぱり皮肉ね!」

 幻燈織機で作り出した槍で突いてもあっさり手甲で弾かれる。向かってきた剣を背面から伸びるアームが自動管制するシールドで防いでも、墜落しかけるところまで吹き飛ばされる。ほんの子供に過ぎない体格が振るう鉛色の古ぼけた武具が、とんでもない威力だ。

「さっすが勇者さま……! バトラー、対消滅エンジン最大で回して! なにやってんのさっきから出力伸びないよ!」

『エンジン不調、攻撃対象からの干渉が起きています』

 機動腹帯コルセットの制御装置から機械音声が届く。

『センサーでは超々高密度のオーロラクリスタルとしか認識できません。ミレディ、アレは一体なんです。本当に生物ですか?』

 顔面を覆うバイザーには敵の情報が表示されている。構成物質は聞いた通り。所属を示す識別信号はもちろん無い。出力を示す計測値は振り切れて、温度も人間ではありえなかった。唯一マトモな速度は空中に静止しているから当然のゼロ。

「……古代の勇者さまよ。そこの石碑に封印? されてたみたいなの」

『それはまた、寝ぼけたことをおっしゃる』

 背負った砲を前面へ展開し、周囲を移動しながら熱光線を浴びせかける。空を焼く光線が消えたあとも神の兵は無傷で健在だった。力んだ目元の凄みも相変わらず。

「だっているんだからしょうがない! 現実を見るのよ」

『と言うと、超巨大なオーロラクリスタルが襲いかかってくるわけですね。ミレディ、これは勝算がありませんよ』

「そこまでは現実見なくていい!」

 出力を推進へ傾ける。

 おそらく飛来天体に対してもしかけることになる、単純で最も効率的な最大攻撃力、突進。それさえ、簡単に抑えられた。槍先を掴まれてビクともしない。

「なにくそ――こんちくしょう!」

 槍の手元を変形させて取り外し、拳を大きく覆うガントレットで顔面を殴りつける。不意をつけたのか、初めて少しだけグラついた。

 勢いで後ろへ回りながら奥歯を噛む。全力で挑んで、たったこれだけ。

『対話が可能なら説得を試みては?』

「ムダ! これは誤解から始まった戦いじゃないんだから」

 それに、そう言えばまだ尽くすべき力は残されている。最後の手段を忘れていた。

「バトラー! 武器全部の使用許可取ったって、どの程度の全部?」

『全部と言ったら全部ですよ、ミレディ』

「ああそう。それじゃあちょっと、怒られそうなことしよっか」

 上下反転から姿勢を戻し、恐ろしい恐ろしい空へ向かって手を掲げる。飛来天体より今はまだ手前に浮かぶ、人工衛星へ向かって。

「どうせ近いうち下ろさなくちゃだったし――最々々高戦時特例! 混合剣核、来て!」

 一瞬のうち、上空から人間大のコンテナが落ちて来て、眼前で下部のノズルから推進剤を吹き出し落下速度を打ち消した。その弾みでコンテナはバラバラに砕ける。

 中から現れたまだら柄な棒の端を握ると、幻燈織機が働いて全体を刀身で覆った。白と黒で色がはっきり分かれた滑らかな剣が出来上がる。

 陰陽剣。圧縮したオーロラクリスタルとトータルアモルファスの反応により直接エネルギーを発揮する武器だ。機動腹帯コルセットに依存せず独自に質量を拡大させることができ、推進力も抱える最後の手段。

 これがダメなら諦めるしかない。

「対消滅エンジン臨界運転! 剣核以外の武装を推進力に換装! 激突時に最大出力を解放! 爆発したって構わないから!」

 陰陽剣の刀身を伸ばしつつ、螺旋上に動いて加速を得つつ距離を詰める。回転の中心で英雄は両の掌を空へと広げた。

「天よ――我を愛せ」

 なにをしようとしているか確かめる暇は無い。

 激突からまず一撃。真正面に切り込んだ刃先は防具と同じ鉛色の短い剣で防がれた。指先にかかる負荷が激しく、陰陽剣が掌を抜けて飛んでいく。

 それで勇者に油断が生まれたかはわからない。鼻先の顔は戦意は崩れない。だが、噴射で戻って来た陰陽剣を背中から受けてしまった。

「更に一撃――もう一撃!」

 陰陽剣の刃の背を掴んで勢いで滑らせ柄を握り握り直す。遠心力で加速をつけて今度は真上から叩きつけた。

 バイザーの補正機能でも誤魔化しが利かないほどの閃光に包まれて、次に見たのは足元へきりもみ落下する勇者の姿だった。おそらく深刻なダメージにはなっていない。

 握りを確かめ、顔の横で下へ向けて構える。

「エネルギー切れまで飛ばすからサポートよろしく!」

『本部の緊急出動まで2分。ですが救援が間に合ったところで――』

「よろしく!」

 秒読みが始まっている世界で希望のない計算には意味がない。断ち切って踊りかかる。

 行先で地表を砕き埋もれていた標的は両手を掲げていた。何を仕掛けてこようと突撃あるのみ。時間は与えれば不利になる。

「待たれい! 待たれい! 剣を収め給う!」

「へぇっ?」

 驚いて急減速し目の前に着地する。基の大きさに戻した陰陽剣を正面に構えて警戒を残しつつも、すぐそこで下半身を埋没させたままで両手を上げる古代の英雄は降伏しているように見えた。本人こそ健在であるものの、武具は消え、両腕を上へ開いた姿勢は降伏の意思を示すホールドアップにしか見えない。

 ただし目力だけは相変わらず強い。もしかすると、単にこういう顔なのかもしれなかった。

「確かめたきことあり! 剣を収め給う!」

 彼が生きた時代とジェスチャーが共通しているとは限らない。異常な目力のせいもあって「何か企んでいるのでは」と勘ぐってしまう。

「……バトラー、どう思う?」

『活性が下がっているので、戦意が無いのは本心でしょう。今の状態ならセンサーでも人間と判断できます。驚きです』

 バイザーにも映る情報では、確かに判定がオーロラクリスタルからごく普通の人間に変わっていた。こうなるとさっきまでの所業を忘れて〝古代の英雄〟なんて冗談に思えるほど普通の少年でしかない。

「……わかった。なに? こっちも言いたいこと聞きたいことはたくさんあるけど、とてもじゃないけどまとまらないから。そっちから先に話していいわよ」

 バイザーを上げ、切っ先を下ろす。それでも武装は解けない。神だの復活だのは信じられなくても、そうでもなければ説明できないことが起きたのは事実だ。

 勇者は目元を力ませたまま、どうやら困惑しているらしい。

「この時代はどうなっておるのだ。なぜ貴様のような、どこにでもいる村娘がこれほどまでに強い力を奮う?」

「む、村娘⁉」

 心にグサリと来た。

 地味だ、とはよく言われる。丸い鼻もソバカスも、現代科学すら押し返す厄介な癖毛も野暮ったいと自分で思う。十八で正式に入隊し法律上は成人したのだからもういい加減に大人っぽさの片鱗くらいは表れてもいいはずなのに、体のシルエットは子供時代から変わらない。

 服装も「ダサイ」「露出度の低い原住民」「なんで『沼から這い出してきた』みたいな服ばっかり着るの」などと、特に同期からの批評が辛辣だ。今も幻燈織機で拵えた武装の下には私服を着込んでいる。目立つ軍服を避けたからだけれど、まさか三千年以上前の人間からこき下ろされるとは思わなかった。

 言葉を失って呆然とする前で、勇者は動揺を深めていく。

「ただの村娘がこれほどの強者であれば常備軍は一体どれほどか? ああ――神よ、申し訳ありません! 我が力で断罪の使命を果たすには、あまりに時代が経ち過ぎた!」

 どうやら人類を粛正する気を失くしたわけではなく、不可能だと判断したから戦いをやめたらしい。村娘に手こずるようでは戦闘を専門にする軍隊には敵わないと。

(ああ、そっか。あたしのことたまたま居合わせたその辺の一般人だと思ってるんだ。……たまたま居合わせたのは事実だけど)

 ひどい勘違いだ。だが永い眠りから目覚めたそこに偶然、その時代の最終兵器がいるという風にはなかなか考えが及ばないだろう。

「えぇっと……あのねぇ、勇者さま? あたしは――」

『いけません。ミレディ』

 AIの声に制止される。何かと思い、地面を叩いて嘆いている英雄から離れて小さく屈む。

「なに? 早く誤解を解いてモブ扱いしたのを謝らせたいんだけど」

『それは愚策かと。天然素材を好んでお召しになるミレディのファッションセンスは現代よりもむしろ、彼が過ごした時代と一致するのでしょう。おそらくは〝ちょっと仕立ての良い余所よそ行きを来た村娘〟に見えているはずです。彼の評価に嫌味はありません』

「……アンタそれ聞かせたくてわざわざ呼び止めたワケ? 憶えてなさいよ。帰ったらアンインストールしてやるから」

『お許しくださいミレディ。もちろん本題は別にあります』

「前から『AIは女の子のほうがいいな』って思ってたんだよね」

『本当にお許しください』

 機械音声のくせに、声色に怯えが混じっているように聞こえた。

 しかし、本当に聞かせたかったことが耳に入ったとき、怯える役は自分に回ってくる。

『ミレディ、貴女が人類の守護神であることが発覚したら、彼は世界を滅します』

 粛正を思い留まった理由が「うわ、この村娘やけに強い」という思い込みだとするなら、実はその村娘が人類最高戦力で、他にそれ以上の障害はないと知れば勇者は使命に戻る。すなわち、世界の破滅。

 身震いで全身の皮膚がゾワゾワと騒ぐ。

「うーわっ! 危ないところだった! あたし自己紹介しようとしてた! ありがとうバトラー、帰ったらメンテしてあげるね!」

『お褒めに預かり光栄です。ミレディ、彼との対話は正体を隠すことをどうか念頭に置かれますように。彼には勝てませんから』

 対消滅エンジンの失調という不利がなければもっと拮抗できたかもしれない――そう考えるのは希望的観測だ。奥の手まで持ち出して力の底は見えなかった。

 その奥の手も今は半ばで砕け、切っ先側が落ちて消滅した。幻燈織機で再構築すれば元通りにはできるものの、たった数度の接触でこうなっては何度試したところで結果は知れている。とてもではないが戦闘は継続できない。

 そうっと振り返ると、勇者がこっちを見ていた。例によってもの凄い目力で。

「……先刻から気にかかっていた貴様の独り言。よもや天啓を受けておるのではあるまいな。まさか貴様、我の知らぬ神に選ばれた、この時代の英雄か? 強力なアイテールとミアズマを同時に感じるというのも不可解な話だ……」

 何を言われているのかはよくわからないものの、特別視だけは否定しなくてはならない。

「い、嫌だなあ! そんなわけないじゃないですか! あたしなんてどこにでもいる、つまらない村娘ですよ!」

 こうなったらもうそれで押し通すしかなかった。

「この武器だって親戚に貰ったのを使ってるだけで――バトラー、武装解除」

 幻燈織機の武装を解いて自分では気に入っている私服の裾をヒラヒラ振って見せつける。

「むう。確かにどう見ても、どこにでもいるつまらん村娘だ……」

 とても傷つく。

 けれども人類が生き残るにはこの勘違いに賭けるしかない。

(でも飛来天体があるからどっちみち今週中には滅びるんじゃない! ああでも、あたしが祈ったせいでコイツ蘇っちゃったのかもだし……)

 悩んでいると、コルセットの制御装置が騒いだ。

『ミレディ、ただちに移動してください。緊急出動した部隊が到着します』

「わぁっ! そうだった!」

 応援が来てしまう。自分より弱い軍隊が。そうなればこの勇者に真実を見抜かれる。通信で打ち合わせしようにもこんなふざけたデタラメにうまく口裏を合わせてもらえるとは思えない。絶対にバレる。

「勇者さま、ここはいけません! 軍がここへ向かっています!」

「そうか。この時代の強力な者たちが来るか……。ならば、神の兵として誇りを持って使命に殉ずるとしよう」

 完全に覚悟の決まった顔をしている。さすがは未来に渡って世界を救い続ける宿命を負った英雄――と感心している場合ではない。

「ダメ! 戦ったら勝っちゃう!」

 つい口走ってしまって、怪訝な顔で見つめられた。

「……勝つとな?」

「あ、軍隊がね? 勇者さまにって意味でね? あたしはホラこの時代の人間だし、どうしてもそっち側の立場になっちゃうから」

 実際には「そっち側」どころか、今からここへ来るのは同僚たちだ。数日後に生贄として彼らも含め人類を救うことになっている(公開情報では)のに、その前に自分が呼び出した古代の英雄に殺させるなんて復讐は望んでいない。

 ちょっと苦しいゴマカシではあったものの、勇者は納得した風に頷いた。

 かと思ったら違った。

「構わぬ。この身と命は神の物。一兵でも多くを屠り、息が絶えるまで戦い抜こうぞ」

「そんなことさせるわけにはいかないわよ!」

 再び口走ってしまった。もう止まれない。

「その……本当にここで死んでいいと思ってるの? 勇者さまの使命は勇敢に戦って死ぬこと? そうじゃないでしょう? なんの為に三千年眠ってたのか、考えてよ」

 思いつくまま口を動かすと、勇者はいかにも「痛いところを突かれた」という風に顎を引いて押し黙った。反論が来ないので続ける。

「どんな理由があろうと、命を投げ出そうとするなんて無責任だわ。本当は死にたくなんかないくせに」

 彼をここから遠ざけたい一心だったはずなのに、語り始めたら自分と目の前にいる死の覚悟が重なって、涙が溢れた。

 この少年が勇者になった事情は知らない。それでもただひとり選ばれ、過去には事実世界を救ったはずなのに封印されて、今は何も知らないこの時代で死ぬ気でいる。

 そんな人生があっていいんだろうか。自分もこうあらねばならないと思うと心が辛い。

「誰も救われないのに、どうしてそれで満足なんて言えるの?」

 命を差し出すことで危機を避けようとするなんて時代錯誤のオカルトだ。それで本当に大勢が救われるというのなら意味はあるのかもしれない。でも、今回は違う。

「できもしない作戦に乗って玉砕して、それで本当にいいの? それが嫌だって思う気持ちは本当に逃げなの?」

 握り込んだ手袋の内でぎゅりっと音が鳴る。意識しないうちに力が入っていた。

(……余計なこと言っちゃった。自分のこと彼に伝えても仕方ないのに)

 我に返ると顔が熱を持つ。

 しかし、勇者はなぜか感じ入っているようだった。

「そこまで神の使命を重大に考えていたか……。いや、貴様の申した通りだ。我が間違っていた。ここは恥を忍んで落ち延び、機会を待つとしよう」

「そう。……よかった」

 自分で行動を選べる彼が羨ましい。

「そうとなれば村娘、すまぬが身を隠せる場所を案内してはもらえまいか。頼む」

 少し錯乱してしまったものの望んだ方へ転んだ。村娘呼ばわりも、狙い通り思い込みが続いていることの証明なので腹は立たない。本当に立たない。自分にそう言い聞かせて次を考える。

「バトラー、彼を秘密裏に移動させる方法は?」

『衛星からは今も捉えられていますが、戦闘時の彼はオーロラクリスタルとしか認識されません。人間がどう想像を働かせるかまでは推測できませんが、超常的な事態を今の状態と結びつけることは難しいでしょう。そのまま運んで問題ありません』

「追ってくるかもしれない。それはどうする?」

『こちらから〝不測の事態に陥ったと偽って訓練を行った〟と報告を上げておきます』

「それ、メチャクチャ叱られるやつじゃないの……」

『今ミレディに罰を与えるような人は誰もいませんよ』

 飛来天体への対策から外されることはないので、重い処分は下らない。そこは納得できる。

「じゃあとにかく呼び出しを無視しておけばいいわけね。わかった、ありがとう。……じゃああたしがアンタを連れて逃げるから、大人しくしておくこと。わかった?」

 体の向きを変えて尋ねると、勇者は苦い顔をした。

「いやしかし、貴様の神に我が従うわけには……」

 機動腹帯コルセットから聞こえる機械音声を天の声と思っているらしい。人工知能について彼に理解しろというのもムリがあるけれど、今は細かく説明している時間はない。

「あのねえ、これは神じゃないしそういうこと言ってる場合でもない! いいから急ぐ!」

 三千年の寝起きで何も知らない彼に現代文明の凄さを過剰に伝え、「こりゃ勝てない」と思わせなければならない。参謀本部にも秘密の救世作戦が始まった。

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