郷愁

野鳥

郷愁

昔、僕の近くには寂れた公園があった。「近く」というのは現実の点と点との距離を指すことはもちろんだが、その時の僕の心象風景と公園においても「近く」を感じられるような公園だった。その公園は二方をマンションに、一方は駐車場、もう一方は街道へと続く小道に囲まれていた。そして中には小さな砂場、大人二人がぎりぎり座れるくらいのベンチ、そして象をモチーフにした、これまた小さな滑り台が置いてあった。向こうにある砂場を蔑むような、ペンキが剥げかかった象の目が浮かび上がっているように見える公園だった。


しかしこの公園は僕にとっては居心地の悪い空間ではなかった。誰も遊びに来ないが、それは家にしたって同じことだ。寧ろこの公園の方が天井が無いだけマシのように感じていた。家の天井、あの幾何学模様がびっしり貼りついている天井は一人の僕を責め立てる。ここにはあの象の目しかない。あの目はぬるい風呂から出た後の鏡に映る僕の目に似ている。その事実が僕をすっかり安心させ、僕を放課後この公園に縛り付けることとなった。


いつものように放課後公園に行き砂場を掘っていると、何かパズルのピースのようなものが埋まっていることに気づいた。正方形の紙を鼠が齧ったような形をしていて、両面真っ白なそれは僕の砂に塗れた手に不思議と馴染んだ。特に用途は無さそうだったが、僕はそれを家に持ち帰りお菓子の缶に放り込んだ。腕が無い人形や鈍い光を放つビー玉の中にそのピースは混じりあった。


翌日、象の滑り台の上に二つ目はあった。よく見ると一つ目のピースとは違い、突起が付いていた。そしてそのピースは昨日のものにピッタリはまったのだ。僕はすっかり興奮して、明日も別のピースがあの公園に現れるかもしれないと思うと中々寝付けなかった。


僕の思惑通り、次の日も、さらに次の日も新しいピースは公園の各地にぽつんと置かれていた。僕は砂場から、ベンチから、滑り台の下からもピースを見つけ出し、家に持ち帰って昨日のピースに繋げていった。途中何処にも繋げられないピースがあったりもしたが、自然と日が経てばきちんとあるべき場所に納まっていた。


半年近く過ぎた頃、ようやくそのパズルは完成した。しかしどのピースも真っ白だったので当たり前だがこのパズルは完成しても何も浮かび上がってはこなかった。僕は完成した途端、何か幻想的なものが露わになるのではないか、と密かに期待していたので少し残念だったが、それでもこの寸分違わず狂うことない、美しい比の長方形は僕の目を惹きつけて離さなかった。


薄々感づいてはいたことだったが、ピースがもう一度現れることは無かった。もうパズルは完成してしまったのだ。新しく出てきてもそれは何なのか?ある別の集合の一部分?それともあの黄金比を破壊するイレギュラーな…何にせよ出てこなかったのだからあれこれ考えても仕方がない。僕はその公園を一瞥し、家に帰ることにした。その時、何か背後に後ろめたい視線を感じた。振り返ると、一際鋭く、抉るようなあの象の目が網膜に映し出された。違う、あの目は僕とは違う。これ以上そんな目をこちらに向けないでくれ。僕は罪の意識から逃げるようにその場を後にした。帰り道もあの目が僕の意識から離れることは無かった。


机の上にある真っ白な長方形。僕はぬるい水を飲みながら引き出しから輪ゴムで縛った色鉛筆の束を取り出す。その中から茶色の色鉛筆を握り完成されたパズルに突き立てる。果たして本当に良いのか。純白なままの方が良かったんじゃないか。この行為は下衆びた、あってはならない類のものなのではないか。しかし僕は次の色鉛筆に持ち替える、線を引く、円を描く、塗りつぶす…。自分の意識は行動の波に攫われていく…


そうして出来上がったのがこれである。何も見ないで描いたにしてはよく細かいところまで描写されている。左手には砂場、中央には滑り台、右手にはベンチが、とても色鮮やかに塗られている。この公園はもうずいぶん前に駐車場になってしまったが、当時の様子は全てこの絵に凝縮されているので、思い出す分には困らない。今でも部屋に飾ってあるこれを見るたびに、当時の淋しかった僕の心境が手に取るように分かる。


…それにしてもこのベンチに座っている人は誰なのだろう?何で当時の僕はこの人の顔に目しか描かなかったのか?


しかしここまで卑屈な、不愉快な目にしなくても良かっただろうに…

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郷愁 野鳥 @wildbird

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