第29節「偽物のヒーロー~悠未(ユーミ)という男(最終章・了)」
結婚。
悠未と灯理は、そう呼称される絆で繋がっている。
その事実は焔にとって小さな恋の終わりを意味していたけれど、不思議と嫌な気分はしなかった。
昔信じた大事だと思ったものを、保持し続けてくれていたのが、他ならぬ悠未と灯理で良かったと思えたから。
「悠未の方は、なんで指輪してないんだ?」
焔が、湧いて出た疑問を灯理に聞いてみると。
「よく分からないの。俺はまだイイ、とか言ってるんだけど」
「良く分からないヒトと結婚したんだよねぇ」
祈の返しは、真面目が半分、からかいが半分な感じ。祈と奈由歌は、二人の関係を知った上で行動を共にしていたようである。
「イイじゃない。イケメンだし」
「そうじゃろか?」
わりと素で疑問に思ってる感じで漏らした、奈由歌に対しては。
「そ、そうでしょ!」
灯理は、自分でもちょっと自信なさ気に返した。
復興部のやり取りを聴きながら。焔は悠未の気持ちが分かると思った。意外にも、新参者の自分が一番この部分は分かるとさえ思える。
たぶん悠未は、どこかで、自分は
(アンタ、俺には灯理さんを『愛してる』とかカッコいいこと言ってたけど)
その自分への自信の無さは、焔にはやはりよく分かるのだ。しみったれた気持ちなのだけれど。
(微妙に、悠未、カッコ悪いよ)
でもだからこそ焔は、悠未に勝ってほしいと思った。こんな俺達みたいな人間にも、譲れない大事なものは、あるはずだから。
かくして、「カッコ悪い」悠未は、額から流血したままゆらりと立ち上がった。
「まだ、立つかぃ」
迎え撃つ獅子堂は、既にある面で悠未のことは認めている。
だから今回の言葉は、ネットユーザーや聴衆を意識した「演説」というよりは、悠未個人に向けられたものだった。
「俺だってなぁ、取り戻したいんだよ」
獅子堂の言動に含まれる微細な郷愁のニュアンスは、どこか彼の本心に根差しているように感じられる。
「俺が
獅子堂のしみじみとした語りを、悠未が聞き終える頃。悠未という存在の中心に「何か」がゆらめいていた。
それは、普段は服を厚めに着て、前髪は少し長めにして、話す言葉は相手の立場を慮って、彼ができるだけ表には見せないようにしている類のものだった。「あ」と気づいたのは、この時点では、その場では灯理だけだった。
「獅子堂さん、あんた。かろうじて、この国が豊かだった頃の残り香の匂いを、実際に嗅いでいた人だったんだ」
悠未は述懐する。
「ポマード、女、平均的をこよなく愛する大多数と、それをコントロールしたいって尽きない自己波及願望。それでもギラついた現実はリソースを生み出していたから、それにあぐらをかいて、綺麗事を言っていられたんだ」
本当に伝聞でしか知らないそんな時代を、悠未は一旦確認する。
「何だぁ。批判的なのかぁい?」
「違う。ただの気持ちだ。
俺たちが生まれた頃には、この国にはもう何もなかった。綺麗で美しいことなんて、もう
だから、少しでもかき集めようともがいた。俺達の心と体は、そんな偽物でできている。そうさ。しょせん、偽物なんだ」
悠未の中でゆらめき始めた「何か」は、炎であった。灯理に続いて、祈、奈由歌、焔もその存在に気づき始めた。あ、燃えてるんだ、って。
「そしてあの日、全てがブっ壊れた。何も残らなかった。そんな俺に、何ができると思う?」
「さぁねぇい。小さな
獅子堂が、血を流し、ふらついている悠未に向かって前進を始めた。
巨兵が、瀕死の弱兵の頭を捻りつぶしてやらんとでもするように。
「灯理を助けられなかった時、俺は世界を守る特別な『スーパーヒーロー』なんかにはなれないことが分かった」
灯理は自分の名前が出てきて、驚いた。夫の中の自分。悠未の中の灯理像というものが、妻でもおぼろげだったから。
「『真のヒーロー』っていうのは、『日常』をちゃんと生きている街の人だ。灯理を助けてくれた、消防士のおじさんみたいな。そして、俺みたいな欠陥的な人間は、これにもなれない」
焔は、祈から聞いた「ヒーローの三つのタイプ」の話を思い出していた。「スーパーヒーロー」と「真のヒーロー」と、そして最後の一つ。
「だが、ブラック社会に介護に子育て、エトセトラ。『真のヒーロー』にも立ち上がれない時がある。作家は書けない時期があるかもしれないし。配達員が配達できない時もある。会社員が会社に行けない時もある。そんな時に、自分を労わるのが苦手な『真のヒーロー』に替わってしゃしゃり出てきて『真のヒーロー』をしれっと手助けし、『日常』を守ってみる、偽物」
祈は、自分と悠未がかつて共有した気持ちを、噛みしめ直した。悠未がその道を行く過程で傷つくことがあるならば、自分も傷つこうという覚悟があった。
「俺になれるものがあるとしたら、そんな『偽物のヒーロー』だけだ!」
奈由歌は、悠未が何を言っているのかイマイチ分かっていなかった。ただ、悠未が悲しまないように、自分はこれからも生きていようと思った。
『街アカリ』達の、
「ホァァァァッー」
「偽物のヒーロー」――
月下。悠未の中にあった炎は、ついに誰にでも分かる形で、爆発だ。悠未は、勢いよく、上半身の衣服を破り捨てた。
「なんじゃ? 全裸欲求が爆発したのか!?」
「バカ。柔術が主体の相手だから、掴まれないように脱いだんだよ。たぶん」
奈由歌の突っ込みに対して、祈も自信なさ気に返した。
野獣の爪に切り裂かれたことがあるかのような大傷だった。
「はったりじゃぁ、なさそうだねぇい」
獅子堂をして、その迫力に大きく息を飲む。
その傷の出自について、焔が灯理に対して問うような視線を向けると。
「私にも、分からないの。一年、旅に出てた時についたものだから」
「旅?」
焔の疑問には、灯理の代わりに祈が答えた。
「悠未ね。『俺には足りないものがある』って言って、一年間、この国を出て、世界中を回ってた時期があったんだよね」
おそらく、一年留年してるのはそのためなのだろう。
「その一年の間、何してたのか、わたし達もよく知らないんじゃ」
奈由歌の言には、妻である灯理ですらよく分からないという含意があった。
その時、夜の歓楽街に一陣の冷たい風が吹いた。
けれども、そんなS市の冬の寒風すら気にならないというように、今、悠未からは、熱と闘志が
「俺一人の文脈では、勝てない所だった。あの時、祈から『一つの系統に純化するよりも、複数の系統を準備しておいた方が強い』という知見を得ていて良かった。一年間旅して、『別の系統』を身につけていて良かった。俺には、『イメージ的なもの』が欠けていたから」
悠未は、ゆらりと身体を脱力させながら、一点には精神が行き届いているような感じで、右腕の肘に、左腕の甲を添える「構え」を取った。
当の祈も、一瞬意味を取りかねた。確かに、以前そういう話を悠未にしたことはあったけれど。
「
立ち現れた、今までとは違う、その「構え」、『
悠未は、向ってきた獅子堂に対して、こちらからも独特のステップで向かっていくと。
獅子堂が距離をはかるために繰り出した左のジャブをかいくぐり、完全に相手の間合いの「内」に潜り込むと、目の前の強靭な獅子のボディに、右の手刀を撃ち込んだ。さらにそこから。
「あいあいあいあいあいーっ!」
『蛇』の構えのまま、手刀を、連打、連打、連打。
その光景を映していた各種「配信」には、その瞬間、複数のネットユーザー達が同系の言葉を投稿し、いわゆる「弾幕」が踊った。
いわく、「
これまであらゆる攻撃を跳ね返してきた獅子堂の腹筋だったが、ついに、悠未のこの鋭利な手刀の連打に悲鳴をあげ、顔も歪む。
それでも、自分こそが正義であり、街の英雄であるという自負か。獅子堂は歯を食いしばると、自分の信念を表明し続ける。
「お前の言ってること、これっぽっちも正しさがないなぁ! 矮小な人間の自己満足に過ぎないことばかりだ! それじゃぁ、何も成せないよ! 世界平和も復興も、無理だよぅ!」
闘いの最終局面。獅子堂が信じたのは、積み重ねられた総合格闘技の技術であった。
一流のプロボクサーもかくやという、洗練された左のジャブを一発、二発、と連打で放つ。これで動きをとめて、渾身の右ストレートが炸裂するはずであった。
しかし、そのジャブが悠未には当たらない。何やら「酔ったような」動きで、全てフラりフラりと
「
今度はネットユーザー達のみならず、焔も叫んだ。
トリッキーな動きのまま、獅子堂に対して完全に後ろ向きになった悠未の肘鉄が、獅子堂の
「まったくだ。世界平和も復興も、考えれば考えるほど、良く分からなくなる。現実はラスボスを倒せば終わりじゃないからな」
悠未は語る。そして、流れるように怒涛のラッシュを叩きこむ。
その動き、
「
「詳しいな! ホムラ!」
悠未の動きを見て声をあげる焔に対して、奈由歌が突っ込みを入れる。
「昔、レンタルしてきたDVDで観たんだよ!」
そんな、虚構の中にしか存在しなかったような技を悠未は次々と決めながら。
「大きい話は、きっとそういう『スーパーヒーロー』が現れる。何なら、それが
悠未はグっと左の
「俺の
気合一閃。悠未の左掌が獅子堂の胸に撃ち込まれると、獅子堂の体に「気」のようなものが伝播し、その巨体を駆け抜けた。中国拳法の奥義、「
最後の豪気か、自身を鼓舞し、敵を
一瞬にして永遠。イメージとリアルは混合しながらも秩序を保ち、咲く。これで、最後だ。
「
そのままバク宙し、両足を獅子堂の首に絡めると、一旦宙で反り、今度はそのまま勢いをつけて、前転。
獅子堂を空中で一回転させて、そのまま脳天から地面に叩き落とした。
いわゆる「フランケンシュタイナー」が炸裂したのだ。
逆さで頭から大地に叩き落とされた獅子堂は、ゆっくりと崩れ落ち、そのまま大の字になって横たわった。
完全なる、ノックアウト状態であった。
悠未はゆらりと立ち上がる。
悠未という男は、自分のエゴが相手のエゴに勝ったと、ことさらに勝利を主張することに意義を見出さない男だったけれど。
今回に関しては、周囲の観衆に、配信の向こう側の人々に、「『ケンカ』に勝ったのは『街アカリ』の方だ」と認識してもらう必要があったため、敢えてしばらくの間、勝者の
多くの目撃者が、勝ったのは「街アカリ」の男だと理解し、それが様々な媒体で、様々な形で伝播していく。
その過程の中で、また混沌とした噂になったりするのかもしれないけれど、いずれにせよ、「女を巡ってケンカして、負けた」という「物語」は、今後、獅子堂が真雪を取り戻す意志を見せたとしても、抑止力として働くはずだった。
やがて、悠未にも限界が訪れ、彼もまた街の片隅に崩れ落ちた。
観衆の誰かが呼んだのだろう。遠くから、救急車のサイレンの音が聴こえてくる。
シンシンと雪は降り、歓楽街の光は変わらずに明るく、手回しの良い祈が撤退の準備を進めていた、そんな頃。
路上に仰向けに倒れていた悠未の側に近づいてきたのは、灯理だ。
スカートをおさえながら、そっと足を揃えて、冷たい地面でも気にしないというように、斜めに座って、倒れている悠未の顔を覗き込む。
「我が強い人だったが、真雪さんの言うとおり、悪人ではなかった感じだ」
「一度対立しても、またどこかで合流したりすることもあるかもしれない。それも、
灯理は、いつものフワっとした雰囲気に戻っていた。
「焔と真雪さんは?」
「ん。涙を流しているけれど、笑ってるよ」
「どんな感じで笑ってる?」
「“フツーの”スマイル、だよ」
「そうか、じゃあ。まあ。良かったな」
その言葉を最後に意識は遠のいていくけれど、悠未としては怖くない。
自分の家で眠るのが怖い者が少ないのと同じで。
今も、これから先の未来も。
たとえば、病める時も。
またいつか大きい破綻がやってきたとしても。
あるいはいつかこの命が終わる最後の時も。
灯理の側が。
――彼の居場所だからだ。
/第四章(最終章)「トゥ・ザ・ゴールデン・ユナイテッド・リンキング・タウンズ・ライツ」・了
エピローグへ続く
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