第28節「不自由さとの再契約」
真雪を抱きしめた焔を睨みつけて、獅子堂は
「勝手なことを! 力もないくせに!」
この男はこの男で、真雪の側にいるべきは焔ではなく自分であり、真雪を手に入れた自分が社会を、世界を良くしていくことが、正しいことであると信じている。
しかし、揺るぎない意志の光を携えながらも、悠未が取った「構え」に対して警戒を示し、三度目のタックルの敢行を踏みとどまり、様子を伺っていた。
両足の膝に柔らかくバネをタメながら、右腕は下し、左手は自分の右肩口くらいまで上げている、独特の構えだ。
「ユーミの生まれたお家は、
祈が焔に対して、悠未の闘術について解説をしてくれる。
焔も、刀剣に打撃に組技にと、様々な武芸を総合的に扱う何らかの古武術だと思っていたのだが、かつての「S市」の藩主、
ますます、普通に考えたら同人誌とか作ってるような人間ではなかった。
「日本刀は、俺の時みたいに使わないのか?」
今回の獅子堂との戦いでは、悠未が武器を使わない点に関して、焔が尋ねた。すると祈は、彼が立案した今回の作戦の骨格を説明してくれた。
「ガチの
「祈さん、敵に回したくないタイプだ」
「僕じゃない。他に代わりはいない。真雪さんが大事なんだと言い切った
厳密には、まだ勝ってない。周囲はさらに集まった観衆であふれ、思い思いに撮影、つぶやき、配信をしている。
ネット上も既に賑わっている状況で、そちらの方は十分だった。
あとはこの状況で悠未に、獅子堂に「男のケンカ」で勝ってもらわないとならないわけだ。
その時、今度は悠未から動いた。
下していた右腕をクンと上げて、そのまま右の直突きか。と思わせて、稲妻のような変化。踏み込んだ右足を軸にして、強力な左中段の廻し蹴りを放つ。
獅子堂が右のガードを下げて防御した瞬間である。蹴り足を軸にして、今度は空中で右回転。獅子堂の空いた顔面にめがけて、右の後ろ廻し蹴りを放つ。
しかしその
それを受ける悠未は空中で素早く体勢を変えてパンチを避けると、今度は伸びた獅子堂の肘を、変則の
悠未は地面に着地すると、バックステップ。再び、両者の間合いが開く。
電光石火の攻防の中、獅子堂はいくつかの知見を得たようだ。まず第一に、目の前の男はその辺りのチンピラとは一線を画す、修練の上で闘う技術を高レベルで身につけている、その点では自分側の人間だということ。
「悠未ぃと言ったか。お前ねぇ。せっかく強いのに、全然正しいことをやってないんだよ! 勝ち馬に乗るっていうのが、豊かになっていくための世界の法則だっていうことが分からないかねぇ。真実ってやつだよ! 勝ち馬に乗せろってことだ。俺に投資しろってことだ。ぜぇーったいに、俺の方が真雪さんのためになる。元気になった俺も、バリバリ復興に貢献する。みんな、幸せになるっ」
悠未は少し俯き加減で前髪が降りていて、彼の表情は見えない。
「そこが、復興に関するあなたの活動に否定的な三割の部分です。東北地方だけでも、津波が到達した場所。原発事故避難区域。一度壊れた街。色々だけれど。勝利から遠い場所だとしても、ずっといたい場所がある。そこで一緒に暮らしていきたい人がいる。そんなことがあっては、いけないか?」
「豊かさを取り戻すんだろうぃ。輝かしい未来のために、切り捨てなければならないものもあるだろぅ! それなのに、何故におまえは!」
そこで悠未は、キっと顔を上げて前を向いた。
「『日常』のためだ。大事だと思う人と一緒にいる。あんまりピンとこない人とは一緒にいない。簡素でも。ありのまま同士で。愛する場所で。穏やかに、陽気に、同じアカリの下で暮らしていける“日常”ってヤツはイイもんだ」
そんな悠未に向かって、獅子堂は剛腕を振り上げた。獅子堂が叫ぶ。
「『日常』!? そんなくだらないもののために、しゃしゃり出てきたっていうのか!?」
悠未が叫び返す。
「俺はくだらないとは思わない!」
獅子堂の全力の右ストレートに、クロスカウンターを試みた悠未であったが。
獅子堂の拳は速く、避けながら撃ち込むことはできなかった。結果、両者、正面から顔面と顔面を殴り合うという「相打ち」になった。
だが、そうなると、体重・体格で勝っている分、獅子堂が有利である。踏みとどまった獅子堂に対して、悠未は吹き飛ばされて、地面に倒れ伏した。額からは、血が流れている。
強い人間に自己投影しているネットユーザー達が、堂々と胸を張った獅子堂の姿に沸き。焔が、ヤバい打たれ方をしたと、悠未の身を案じた時、一人、傍らに、他の人間達とは違う視線・解釈を悠未に向ける者がいた。灯理だ。
振るわれた暴力を前にして、もはや何も言葉にならず、ただギュっと焔の手を握っている真雪に対して。
「大丈夫。ユーちゃんは勝ちます」
灯理は凛と言い切った。
透き通った左眼は、何か彼女にだけ見えているものを見ていて、またその見えているものを、心から信じているかのよう。
「私の
その時だ。悠未がピクりと動いた。
地面に大の字にぶっ倒れていながらも、何か、彼の中にある形のないものが、灯理の言葉に反応しているかのように。
一方。焔としては。
「夫!?」
驚きの視線を灯理に投げながら、頭の中で冷静に計算もしてみる。
一年留年している悠未に。この国の結婚できる年齢は、男子が十八歳、女子が十六歳という事実。じゃあ。
「世間というのは色々言ったりするから、誰彼にも教えてるわけじゃないんだけどね。でも、隠してるでもなし、噂なんて自然と広まるもので知ってる人は知ってる話だし。何より、焔君はもう“街アカリ”だしね」
灯理がいつも左手に
肘から手の甲、指にかけて大きく残痕が刻まれていて、実際、彼女の指はもう動かない。けれどその、薬指に。千切れてしまいそうなくらいの深い傷跡を
灯理は告白した。
「私とユーちゃんは、結婚してるの」
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