第27節「日常への帰還」

 突如。ブロック塀を破砕しながら、タンクトップの巨躯きょくと黒いスーツの男が現れたので、K町を往き交う街の人達は驚いた。


 寒月の下。雪が降る冷たい歓楽街の路上に、強い熱源が二つ出現したのだ。何だ何だと熱が伝播して、人を呼び始める。


 悠未と獅子堂は絡まり合って地面に倒れ込んだが、大地に接触するや否や、悠未は後転して距離を取った。


 祈から獅子堂の情報は聞いている。柔術に長けた人間だとすると、寝技に持ち込まれたら勝てなくなる。


「効かないか」


 獅子堂が、自身の左腹部をポンポンと軽く叩いたのを見て、悠未がつぶやく。


 壁を突き抜けて外へ出てくるまでの攻防で、悠未もまた至近距離からの右正拳突きを獅子堂のボディに放っていた。


「ゼロ距離でもけっこう体重が乗っている。古武術の技だぁねぇい」


 こちらの闘法も読まれ始めている。獅子堂もまた、スポーツの領分にとどまらない歴戦の闘士であった。


 続いて壁に空いた穴を抜けようとしてきたのは獅子堂の右腕の切り目の男だったが、その願いは果たされなかった。


 手には小さなナイフを持っており、殺傷しないまでも、悠未の足くらいは刺そうかという勢いの、獅子堂への忠義ぶりであったのだが。


 後ろから、祈がピンポイントで裸締めをしかけていたのだ。


 切り目の男が意識を失うまでは、わずか数秒であった。祈の、ひたすらに相手の意識を刈り取ることに純化した絞め技だった。


「今は、スポーツの時間じゃないからね」


 祈としては、獅子堂との闘いに集中する以外、何者にも、悠未の体力・精神力の一欠けらも消耗させるつもりはなかった。


 意識を失った切り目の男を横たえながら、祈は続く人達を誘導する。


 真雪、奈由歌、灯理、焔の順に、大きく空いた穴の中から出てくる。


「もう、配信しなくてもイイな~」


 奈由歌は集まってきた街の人達がそれぞれにスマートフォンで撮影したり配信したりし始めたのを見て、自分自身は「チャンネル」の配信を切った。


 同時に、真雪にかけさせていた、灯理のAR火炎から目を守るための特殊な眼鏡を取ってやる。


 視界が開けた真雪が目にしたのは、強大なる獅子堂と悠未が対峙している状況であった。


「や。やめさせてください。あの人は、本当に強いんです。レスリングの全国大会に出てるような人が、まったく敵わないくらい。怖いんです。普通の高校生がケンカなんかしても。ああ。もう。本当に。どうして」


 狼狽ろうばいする真雪を見て、祈は心の奥に暴力に対する脅えがあるなと看破かんぱした。


 ネットにアップされている、獅子堂が振るう暴力の動画を見ているのかもしれないし、あるいはリアルで目撃したこともあるのかもしれない。


「うちのユーミも普通の高校生ではないですから。でも、真雪さんは、今はこちらを見て下さい」


 祈は包容力があるお兄さんを演じながら、優しく真雪の両肩に手をかけて、真雪を「回れ右」させた。


 すると真雪は、灯理と焔と正面から見つめ合う形になった。


「焔」


 そう、弟の名前を呼んだ真雪の表情を、灯理はまだ心が「囚われている」と判断した。


 祈からも「呪いを解いてくれ」と言い預かっている。だとしたら、その担当は「街アカリ」の中では灯理の役割なのだ。


「先ほどの話の続きですが、では、そういうリスクを前にした上での、代案の話をさせて頂きます」


 そう灯理が「針」を指で挟んだまま掌を返すと、いかなる技術なのか、空間に立体ディスプレイが立ち上がる。


 そう前置いて灯理の「話」が始まろうとした時、大地を壊してしまうような大きな音が場に響いた。


 地面を蹴る音だった。獅子堂が悠未に猛牛のようなタックルをしかけたのだ。


 倒されて馬乗りの形――いわゆるマウントポジションをとられたら終わる。そんな戦況の中、悠未は獅子堂の肩口に足を置いて、うまく相手の体に「乗る」と、そのままバク宙して、再び距離を置いた。


 そんな獅子堂と悠未の闘技者として最高峰の攻防を、灯理は振り返らずに、ジっと真雪の瞳を正面から見据えて、「話」を始めた。


「焔君と真雪さんが一緒に暮らしていくにあたって、現在の二人で創出可能な経済活動に関して、三つのプランを立ててみました。これが、理論値になります」


 立体ディスプレイに、三つの「貸借たいしゃく対照表たいしょうひょう」が表示される。


 あとは、とてもシンプルに、そしてちょっと早口で話が進められた。


 三つのプランそれぞれに、ちゃんと裏付けがあることを説明していく。


 ただし、真雪に灯理の話が響いているかといったら、半分くらいの印象だ。


 「裏付け」の話が二段階、三段階辺りになってくると、「量子統計」「複雑系」といった難しい言葉が出てくることに、灯理自身はこの時点では無自覚であった。


 それはひとえに、やはり灯理も悠未が気になっていて、意識せずとも、難しい言葉を分かりやすく翻訳する一手間が、省かれてしまっていたのだ。


 灯理の話が終盤に差し掛かった頃、組手争いが続いていた獅子堂と悠未の方にも動きがあった。ついに、獅子堂が悠未の左袖を握ったのだ。


「勝手なことをぉう!」


 攻防の最中も、獅子堂は灯理の話を聞いていたらしい、怒号と共に、自分の大事な女を自分から連れていこうとしている灯理への怒りをぶつけるように、右引き手で、悠未の左袖を破けるほどに引っ張り、そのまま左の一本背負いを仕掛けた。


 その回転、竜巻のごとし。


 その瞬間の攻防を目で捉えられたのは、闘っている当の二人以外は、その場にいる人間では祈のみだった。


 獅子堂の相手の体を「巻き込む」背負い投げは通常の柔道の技ではなく、相手を頭から落とす実戦的なものだった。


 このコンクリートの地面にこの勢いで頭から落ちれば、それは「死」が意識される。


 しかし一方で悠未は、巻き込まれた時に、一瞬だけ無防備になった獅子堂の頸椎けいつい肘鉄ひじてつを落としていた。結果、幾ばくかだけ背負い投げの回転力が落ちた。


 悠未はそのまま自分自身が飛んで加速すると、さらに自分の体に「捻り」を加えて、強引に相手の引手を切った。ブチっと、袖口の生地が破れた音が大きく木霊す中、きりもみ状態で、何とか獅子堂の殺人背負いから逃れた。


 再び、間合いが離れる。


 祈は、悠未の今しばらくの無事を確認すると。再び真雪に向き直り、ここは自分のバックアップ的なサポートが必要だと、慇懃な態度で真雪の手の甲に、自分の掌を優しく置くと。


「まずは、リラックス、です。灯理の、マイナスポイントでしてね。一旦スイッチがオンになると、ちょっと思考が加速し過ぎて、一般人には分からない異次元言葉を話し始めたりするんです。『貸借対照表』からして、普通に生きてると、ちょっと読み方とか分からないですよね~」


 灯理は、自分に祈が言うようなマイナスポイントがあるのを自覚していたので、続きを祈に任せた。


 例えば「恐れ」でめちゃめちゃになった人の心に再び「確か」なものを作り上げていく時、高次元の理論や思考と、それを分かりやすく伝えるキャッチ―さは、両方とも必要なものなのだ。


「調べてみると、そういう状況なりのお金のあてがあったりするみたいな話なんです」


 灯理の「裏付け」部分を、祈は真雪の立場で一番受け取りやすい言葉で伝えていく。


 特に、公的な復興支援が受け取れなくなった現在でも、県外には民間で震災被災者へのサポートを行っている企業・団体などがけっこうあり、真雪と焔のケースは、そのいくつかから金銭的援助を受け取れる条件に合致するという話が伝わると、徐々に真雪も、心の奥に何かが構築されていくのを感じ始めているようだった。


 もしかしたら、自分の知見が狭かっただけで、この世界で生きていく方法は、まだあるのではないのだろうかと。


 最後のトリガーは君だとばかりに、祈は焔の背中を押して、真雪の前に立たせた。


「姉ちゃん」


 焔が真雪に改めて言葉をかけようとした時である。再び場に轟音が響いた。今度は肉体と肉体が激しくぶつかるような音だ。


 獅子堂の二度目のタックルだったが、今度は入り方がさっきとは違っていた。タックルの体勢に入る前に、超速の右ローキックで悠未の左足を封じていたのだ。あまりにもはやく、熟練しているローキック。


 柔術家ではなく、総合格闘家だったか。悠未は思考が追いついても、物理的にローキックを受けた左足が痺れて、動くことができなかった。


 結果、派手な肉体と肉体の接触の後、タックルが決まり、悠未はついに獅子堂にマウントポジションをとられた。一般的な総合格闘技の理論からすると、ここから逆転するのは不可能である。加えて、悠未と獅子堂では、体格差も大きすぎた。


 悠未の戦況が不利になったのが伝播するように。焔に生まれる再びの逡巡しゅんじゅん


 あの日から繰り返してきた、「自分なんて」という気持ち。


 しかし、焔の胸に最後の弱い心が生まれかけた時、後押ししてくれたのは、奈由歌だった。


 銀髪ツインテールが揺れる。ドンと、焔の胸に頭突きして一言。


「ボケか! ユーミもアカリも強い人間だが、お姉ちゃんの心を守れるのは世界でホムラオマエだけじゃろが!」


 奈由歌からは勇気を貰った。あとは勢いだ。


 一番大事なことなんて、勢いだ。


 焔は、正面から姉の顔を見ると。


「昔、貸し借りして同じ漫画読んでたよな。全部、流されちゃったけど」


 こういう時に見せるなら、もっとカッコいいのを描いておけば良かったなんて思いながら、焔はスーツの懐にしまっていた一冊の同人誌『落ち込み妹と全裸の兄』を取り出した。


 両手で掲げて、真雪に堂々と表紙を見せる。己の本懐を全開にしている全裸の兄と、伏し目がちな妹の表紙は、「なんだコレは?」って感じだったけれど、まあ、「たましい」を込めて描いたから、イイだろ。


「失くした分は、俺がこれから描こうと思う。出来上がった漫画、姉ちゃんには一番最初に、一番側で見てほしい。あと俺、姉ちゃんが作った話を漫画にする夢、忘れてない」


 そのためにはもう逃げない。


 そんなに覚悟もなかったアウトロー感漂わせるファッションもほどほどにしておこう。


 これからは、一歩一歩、丁寧に積み重ねて、パッションやロックはその上に乗せていくような方針だ。


「俺の夢にも現実にも、姉ちゃんに側にいてほしい。資格がない? 一番大事なものがもう分かっているのに、それを妨げようとするものがあるなんて。それが資格とか、ドヤ顔でラベルを貼り付けてくる連中が掲げる表層のカテゴリーとか、そーゆうやつだっていうんなら、これからはそんなもの、俺が全部マンガでぶっ壊してやる」


 焔の言葉の炎は、真雪の心の奥深くにずっと眠っていた種火にもう一度火をつけた。


 再びゆらめき始めた、真雪のこの気持ちも、ずっと、彼女の中にあり続けたものだ。


 それは彼女の、あの日から長い時間、誰に向っても言えなかった。真雪の心からの言葉であった。


「私、彼とは結婚したくない。一緒にいたくない」


 つらい。苦しい。そんな気持ち。受け止めてくれる人がいなかったから。焔に負わせるには重いと自省したから。


 それでも、今日の焔はちょっと、頼りになる感じだった。


「焔と一緒にいたい!」


 その時、目を細めて、獅子堂のマウントポジションからのパンチの連打に対して、眼前で腕を十字にして防御に徹していた悠未が、カっと瞳を見開いた。


「“復活フッカツ依頼”うけたまわりました!」


 悠未は叫ぶと、なんとマウントの下から、獅子堂のパンチにカウンターを合わせ、一撃だけ相手の顎を捉えた。


 衝撃で、一瞬だけ獅子堂の両足のロックが緩んだ隙に、全身のバネを瞬発させてわずかな「空間」を作り、自身の左膝を滑り込ませた。


「おりゃぁ!」


 滑り込ませた左足で、獅子堂の右太ももに蹴りを叩き込み、その反動で一気に自分の体全体を「引き抜く」と、そのままグルんと獅子堂の巨躯を転がるように回転し、肩口にもう一撃、変則の蹴りを放つ。


 衝撃で間合いが離れる中、空中できりもみになりながらも、何とか膝立ちで地面に着地する。悠未は、マウントポジションから自由になった。


 祈が、「本音を口にする」、ただそれだけで自分の全ての力を使い果たし、体を震わせていた真雪を包み込むように声をかけた。口元には、いつものアルカイックなスマイル。


「あとは、ユーミとアカリが何とかします。僕達の中でも、あの二人は“ホンモノ”ですから」


 悠未がゆっくりと立ち上がり、獅子堂に向かって初めて「構え」を取った時。焔は、体をヒクつかせている姉に向かって、顔と顔がくっつくくらい側にいた。


 思えば、生まれた時からずっと同じ場所にいたような感覚を、持ち続けていた。


 分断され続けても、二人の「たましい」はどこか「縁」のようなもので繋がり続けていたような気がした。


 それはそれとして。


 目の前で涙を流しているのは。


 オレを養い、守り続けてくれた年上の人――気丈な姉ちゃんじゃなくて。


 か弱い女の人だと思ったから。


 どうすればイイかって考えたら、自然と体が動いた。


 強くないよ。


 でも俺も、男だ。


 焔は真雪を抱きしめた。


「姉ちゃん。帰ろう」

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